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由香、と呼ばれたその女性は亮に支えられ、部屋に入った。由香はこのマンションで一人暮らしをしているようで、女性らしく、明るく温かい雰囲気の部屋だった。
由香は部屋に入ってからも泣き続けた。亮の存在は彼女にとっては飯田との思い出の一部だったのだろう。だから、亮を見て涙が止められなくなったのかもしれない。
瀬崎は初対面の女性が人目を憚らず号泣している状況に戸惑い、慰めることも出来ず、何となく部屋を見渡していた。テレビ台に置かれた、一人で見るには勇気のいる有名なホラー映画のDVD、リビングの隅にたたまれていた男物の衣服、キッチンにはペアのマグカップ。至る所に彼女と、飯田との思い出が転がっていた。
「亮」
瀬崎が亮を呼ぶと、亮がこちらに顔を向ける。
「外にいる」
小声で瀬崎が言う。この様子ではいつ泣き止むか分からないし、瀬崎がここに居ない方がいいような気さえした。
「電話する」
亮がそう返事をすると、瀬崎は部屋を出て、エレベーターで一階まで降りた。人目のつかなそうな所に行き、煙草に火を点ける。
彼女にとって、辛いだろうが今日手ぶらで帰る訳にはいかない。瀬崎にとっても時間はない。
彼女が亮に連絡したのは恐らく何らかの手掛かりがあるからだろう。何も無ければまだ飯田が亡くなって間もない状況で、単なる友人である亮に連絡をするのは不自然だ。
煙草を半分吸った所で、瀬崎の電話が鳴った。思ったより早く泣き止んだのだな、と急いで煙草の火を消そうとしたが、携帯の着信画面に亮の名前は出なかった。
画面には電話番号のみが表示されている。電話帳に登録していない番号からだ。東京の市外局番が表示されてるって事は仕事の電話だろうか?そう思って瀬崎は仕事モードの声で電話に出た。
「瀬崎です」
「あ、瀬崎さん」
第一声で声を判断したが、記憶にあるような声ではない。
「そうですが?」
「私です、探偵の檜山です」
「あ、檜山さん!」
意外な人物からの電話だった。そして、同時に用件の内容が気になって仕方が無い。
「今、お仕事中ですか?」
「いえ、今日はもう上がってます」
「それは良かった。実は少しですが進展がありまして」
思わずガッツポーズをしそうになった。飯田の恋人からも有益な情報を得られる可能性もあるが、檜山のような情報収集のプロからの情報はやはり胸が躍る。
「どんな事です?」
「いや、電話ではちょっと。これから時間ありますか?瀬崎先生の事務所で待ち合わせはどうでしょう?」
「今からですか」
「お忙しいですか?」
瀬崎は檜山を完全に信用しきっている訳ではないので少し迷ったが、結局すぐに事実を言う事にした。
「いや、実はですね、こちらも少し進展がありまして。今、その件で人を待ってるんですよ」
「ほう」
「そうですね、多分一時間もすれば終わると思うんですが」
「九時過ぎですか。私は瀬崎さんが良ければ遅くても構いませんよ」
「私は大丈夫です」
「そうですか。では、お兄様の瀬崎先生には私から連絡を入れておきます」
「ありがとうございます」
小さな声で「よしっ」と言い、瀬崎は通話を終えた。すると、通話中に亮から「OK」のメールが入っていたので、煙草を携帯灰皿に捨て、瀬崎は再びエレベーターを上がった。