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嫉妬の連鎖  作者: ますざわ
第1章 狂いだす歯車
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3

 翌朝、いつも瀬崎より早く出勤していて、満面の笑みで挨拶を交わす相手の姿が、今日はない。あの程度の事があったからといって仕事を休むのか。やはり契約社員は。やはり女は。

 非の打ち所のない経歴を歩んできた瀬崎だが、唯一苦手としていたのが女性、恋愛だった。瀬崎の心理術は、理屈や理論をきちんと兼ね備えた人間に対しては絶大な効果を発揮するが、感情や気分で持論をコロコロと変える様な人間には弱い。その代表的な存在が女性、そしてその女性との恋愛という行為だった。ついさっきまで良しとされていたことが、相手の意志一つで今度は真逆の要求をされることも多々ある。恋愛はそんなことばかりだ。恋愛への苦手意識が、その恋愛の対象となる女性への苦手意識にも繋がった。

 その誰もいないデスクをちらりと見た後、いつもの様に新聞を広げた。彼は朝礼が始まるまではコーヒーを飲みながら、昨晩から今朝までのニュースを斜め読みするのを日課としていた。そのコーヒーを飲み終えようかという時に、彼の所属する本社営業部部長である平沼が声をかけた。

「瀬崎君、朝礼が終わったらちょっと別室で話いいか?」

 上司に別室に呼び出しを食らう時、大半がオープンには出来ない案件の話だった。

 全日本不動産のような大手ともなると、政治絡みや、国の要人絡みの案件を扱うこともあり、情報を封鎖する為にも案件として一般顧客のように全てオープンにすることはない。案件導入時から、ごく内密にプロジェクトが進み、一部の人間しかアクセス出来ないシークレットデータベースに記録は保管される。これまで、支店勤務の時はそういうケースで呼び出しを受ける事は多々あったが本社では初めてだ。いくら瀬崎が有能な人間とはいえ、精鋭揃いの本社営業部で、そのような特殊案件がこんなに早く回ってくる事は考えにくい。

 また、もう1つ、呼び出されるケースとしては叱責を受ける時だ。仕事上のミスは大概呼び出しなどされずにその場で叱責を受ける。呼び出しをされての叱責は余程のミスだ。それこそ人事異動を伴うくらいの。でも、瀬崎には見当がつかなかった。先月も新たなプロジェクト案件を拾ってきたばかりだし、本社に配属されてからも順調に仕事はこなしている。

 その二つ以外で考えられる事といえば、不祥事だ。仕事自体に問題はなくとも素行に問題があった場合、やはり呼び出しを食らう。本社に配属されたばかりの頃、他部署の上司が契約社員との不倫で呼び出され、その後、本社を去った事があった。瀬崎は愛がいつも座っていた隣の席をちらりと見て、思った。まさかあの女か。


 朝礼が終わり、平沼に連れられて応接室へ入った。平沼は手にクリアファイルを持っており、中には紙が一枚見える。辞令じゃないだろうな。美女を揃える本社には社員と契約社員の色恋沙汰が絶えない。会社からは本社における社内での色恋沙汰は禁ずるよう男性社員に内々でお達しが出ている。それでもボロは出る。名高い精鋭部隊達も、美女の前ではあくまで一人の男ということなのか。

「まぁあくまで事情を聞きたいというだけなんだが」

 平沼が気まずそうに言う。冬でも汗をかく平沼の額には今日も汗が光っている。

「朝、私宛に金森君から退職する旨の電話がきた」

 やはりあの女か。金森愛。面倒な女だ。とりあえず瀬崎は驚く素振りをした。

「随分と急な話ですね」

「私も昨日までそんな素振りはなかったし、彼女は契約社員だが仕事に対しては真摯に取り組んでいたように見えていた。こんな唐突な辞め方はないだろうと話したよ」

 次の言葉を慎重に選ぶように平沼は口元に手を置いた。目を瀬崎から反らし、少し俯いた。その動作に瀬崎は違和感を覚えた。

「原因は君だと言うんだ」

「え?」

「単刀直入に聞こう。君は金森君と付き合っていたのか?」

「え、冗談はやめてください、部長。先日結婚の予定を報告したばかりじゃないですか」

 そう、瀬崎は平沼にだけ結婚の予定がある旨の報告をしていた。無論、瀬崎ほど優秀な人材であれば役員をはじめ、社長までもが結婚式に参列する可能性が高い。結婚式に招待をすることが彼らの面子を立てることにもなるし、恩を受けておく事も必要だと瀬崎は考えていた。だから、前もって直属の上司である平沼にだけは報告をし、その判断は平沼に任せた。案の定、先週、平沼から直接社長以下役員に報告するようスケジュール調整を命じられたばかりだ。

「分かっている。だから私も驚いている」

「金森君は何故私が原因だと言っていたのですか?」

 手に持つクリアファイルをちらりと見て平沼は言った。平沼の語り方から判断して、あのクリアファイルの中身が重要である事は誰が見ても明らかであろう。

「婚約者のいる君に、散々自分を好きなように弄んだ挙げ句、昨日こっぴどく振られ、会社も辞めるべきだと言われた、と言っていた」

「婚約者?彼女は私が婚約したことを知っていたのですか?」

「あぁそうか。すまん。少し混乱しているのでね。彼女は婚約者の話はしなかったよ。ただ、他の部分に関しては間違いなく言っていた」

 先程の目線の外し方といい、今の発言も少し腑に落ちなかったが、それよりも瀬崎は散々弄んだという表現に怒りを覚えた。実際、金森愛には何もしていない。瀬崎の中で、彼女は単なる実験台だった。彼女のように幼い頃からチヤホヤされてきた女性の心理のサンプルを取るに過ぎない存在。そして彼女は典型的な激情型。激情型のサンプルはいくつあっても足りない。確かに精神は弄んだかもしれないが、平沼の言う弄ぶは肉体的な事を言っている。そんなことは断じてしていない。

「確かに、金森さんとはよく二人で食事をしました」

 全てを否定するより、一部は認める。そしてそれをまず最初に言う。こうすることで相手は瀬崎の話を最後まで聞く。瀬崎の常套手段で、もはや癖にすらなっている。

「仕事の話だけで、プライベートな話を全くしてないかと言われれば嘘になりますし、その時間が苦痛だったとも言いません。ですが、あくまで彼女の相談に乗っていただけです」

「相談・・・」

 何故、そんなに疑う目をしているのか、瀬崎には分からなかったが、平沼はまるで言い訳を聞くのがかったるいという様な態度だ。

「ええ。契約社員という身分ではありますが、部下は部下です。部下の話を聞いていたに過ぎません」

「もういい」

 急に平沼が不機嫌に声を上げた。何故だ。何故こんなにも信用しない?客観的に見たって、将来有望な若手社員と使い捨ての契約社員だぞ?何故こんなに契約社員である愛の話を鵜呑みにしてるんだ?そのクリアファイルの中にはそんなに決定的な証拠でもあるというのだろうか。珍しく自分が動揺してるのが分かって、余計に焦る。

「じゃあこれはどう説明する」

 平沼がついにそのクリアファイルに手をかけた。その中身を突き付けるかのように平沼は出した。目を疑った。そこには上半身裸の瀬崎が、布団から顔だけを出す愛と抱き合っている所を自画撮りしている写真があった。


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