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朝一で谷本からメールが入った。
「今日、ランチ行けるか?」
谷本から誘いがあることはそう珍しい事ではないが、今日は何だか予感がしていた。金森愛の事で何か分かったんではないかと。
指定された店に行くと、谷本は既に座っていた。無言で片手を上げ、簡単に挨拶をする。
「何だよ、随分深刻な顔をしてるな」
谷本のその顔を見て、これから谷本がどんな内容の話をするのか予想がついてしまった。ここまで人の心理を読み取れるのも損なものだ。知らずにいれれば、せめて昼食くらいは美味しく食べれたのかもしれないのに。二人がいる店は夜は鶏料理が有名な居酒屋なので、瀬崎は唐揚げ定食を頼んだ。他愛もない世間話をしながら唐揚げをおかずにご飯を食べる。なかなか本題に切り出せないという表情をする谷本を見て、瀬崎は自ら切り出す事にした。
「で、今日ランチに誘ったのは何か理由があるんじゃないのか?」
少し驚いた顔をしたが、すぐに谷本は笑って箸を置いた。
「お前に隠し事は出来ないってのを忘れてたよ。せめて飯くらいは穏やかにと思ったんだがな」
テーブルに置かれた温かいお茶を一口飲んで谷本は言った。
「愛ちゃんのことだ」
予想通り、何か金森愛の事で進展があったらしい。こんな表情をするくらいだからいい話ではなさそうだ。
「昨日、平沼部長か書いた愛ちゃんの退職理由報告書を読むことが出来た」
「今さらか?」
通常、退職理由報告書は退職者の退職手続が終了前に見るべきものだ。それを退職してから二週間近くも経って、今さら手続の担当者が目にするなど不思議な話であった。
「やっぱりこの退職、裏がある。お前が今さらか、と言うように今さら担当者の俺にこの書面が目に触れるのは通常じゃあり得ないよ。しかも、俺は正規の方法でこれを読んだ訳じゃない」
「え?」
「厳密に言えば、愛ちゃんの退職は正規の手続を踏んでない。退職理由報告書は、いわば無断で俺が盗み見たんだ」
初めて聞く事例だ。瀬崎は営業マンなので、事務的な手続の事は詳しくないが谷本の言ってる事が正規の手続でないことくらいは分かる。
「昨日、その極秘扱いの愛ちゃんの資料が入ったデータに一瞬だけアクセス出来たんだ。原因はウチの部長が何かの手違いでそのデータをロックのかからない部内共有のフォルダに一時的に入れたからだろう。俺はちょうどその時に部の共有フォルダの監査を担当しててな。正に奇跡的な確率だよ。部長が手違いで共有フォルダに入れなかったら、その時の監査担当者が俺じゃなかったらそれは発見出来なかったんだからな」
「それで、内容は?」
「さすがにそのデータ自体にコピー防止がかけられてたからコピーは出来なかった。だが、内容は覚えている。お前、平沼部長に何かしたのか?」
「まさか俺を悪者にしてるんじゃないだろうな?」
「人によってその解釈は分かれるよ。ただ、少なくとも俺はそう捉えた。愛ちゃんが退職したのはお前の責任で、お前の処遇を検討すべきだと述べている」
「おかし過ぎるだろ、その話」
谷本に文句を言っても仕方のないことであるのは分かっているが、思わず声を荒げたくなった。
「確か、お前に聞き取りした所、金森愛との私的な関係は否定したが、就業後食事に行く等の交流はあったと認めた、ってのがあったな」
「お前のその記憶が正しければイメージの悪い文章の書き方だな。写真の事は何て書いてある?あれが逆に決定的な証拠だと思うんだが」
「それなんだ。それが報告書には書いてないんだ」
「嘘だろ?」
「いや、確かに焦っていたのもあって流し読みしか出来なかったのは事実だ。でも、今回、その写真は非常に重要なポイントだろ?その部分を見逃す訳がない」
確かに谷本の言う通りだ。平沼は瀬崎に退職を望んでいるのだろうか。
「お前が平沼部長に何かしたとしか思えないよ。営業部長として、お前の存在は非常に助かる存在だし、自身の成果にも繋がってるはずなんだ。お前を営業部のエース、将来は管理者として育て上げる事が出来れば、部長は役員の座も確実なものになるはずなんだからな」
「俺は何もしてないさ。異動してきて早々そんな目をつけられる事なんかしたくても出来ないだろ。まぁ、強いて言うなら早々に成績を上げすぎたか?」
瀬崎は目一杯嫌味っぽく言った。谷本は凄く困った顔をしている。彼に嫌味を言った所で何も始まらないのに。
「まぁいい。そう報告を上げられてしまったんじゃ今更俺がジタバタしてもどうにもならんだろ。それで、この先の状況はどうなっていくんだ?」
「そうだな・・・。ああいう報告じゃ役員会の議題に上がるだろうな。そこで取締役連中の目には触れるだろう。当然、社長もだ」
全日本不動産の社長は業績もさることながら、コンプライアンスや、社内の風紀等にも目を光らせる人物で、おかげで業績トップクラスの大企業でありつつ、社員にとっても働きやすい超優良企業に成長させた。しかし、今回ばかりはこの社長の性格が瀬崎に災いをもたらすかもしれない。
「社長の事は良く分からないが、いくらお前とて、この疑いが晴れない限りは立場は危ないかもしれないな」
「おいおい、本当かよ。そんなのありか?」
「まぁ役員会でどういう話がされるのかは分からんが、予測される最悪の状況ってのは平沼部長が呼び出される事だろうな」
「平沼部長が?」
「ああ。報告書だけでなく、部長も役員会で恐らく質問を受けるだろう。お前の処遇をどうするか、参考意見として営業部長がその場に呼ばれるのはごく普通の流れだよ」
「それはまずいな」
「平沼部長の真意を確かめるしかない。本当に心当たりはないのか?」
「・・・あると言えば、ある」
「え、あるの!?それなら早く言えよ!さっき無いって言ったろ」
「いや、心当たりって言う程のもんじゃないんだよ。去年俺が成約した成和建設って知ってるか?」
「あ、ああ!成和建設か。知ってるもなにも、お前が本社に配属される直接のきっかけになった案件だろ」
「そう。あれほどの大手建設屋が何故ずっとウチを無視してたか知ってるか?」
成和建設は社歴の長い会社で建設業界でここ十年以上、常にトップクラスを走る優良企業だ。本来、不動産業と建設業は密接な関係性を保つ。ところが、不動産業界トップの全日本不動産が建設業界トップクラスの成和建設と不思議な程に縁を持たなかった。その事を不思議に思う社員は多かったが、誰一人それに答えられる人物はいなかった。
「いや、それは知らない。むしろ、ウチじゃその話題はタブーだったくらいだからな。だから、お前が本社に来る前に成和との契約を取り付けたと聞いた時は本社内じゃすげえ騒ぎだったんだ」
「実はな、成和の今の社長、昔、平沼部長に一杯食わされてたらしいんだよ」
「え?どういう事?」
「社長さんがまだ営業マンだった頃、平沼部長が詐欺まがいの仲介をしたらしいんだよ。結局それで成和はかなりダメージを受けて、一時は資金繰りが相当ヤバイ所までいったらしい」
「おい、それマジか?ウチはそれ知らないのか?」
「当然。どんなやり口だったか知らないがその一件でウチは莫大な利益を生んだ。それで平沼部長は出世コースまっしぐら。社長さんは責任取らされて、管理職から一気に平社員まで降格したとさ。まぁそこから返り咲いて社長のポジションまで勝ち取っちゃうんだから相当優秀な人間なんだろうな」
「それで社長になったら恨みのあるウチとの取引は全面停止ってことか?いくらなんでも幼稚だろう」
「それでもあんだけ業績を上げてんだからすごいもんだろ。それにそもそも人間の感情なんてそんなもんじゃないのか?」
谷本は心底驚いてる顔をしていた。谷本の頼んだ定食はすっかり冷め切っているだろう。
「それでお前は何で契約取れたんだよ」
「社長の息子と知り合う機会があってな。息子も成和の社員だったんだ。当然、息子はウチに何も恨みはないが、全日本不動産の案件は取り扱わないってのは社命らしく最初は気まずかったよ。でもまぁ何度か会う度に気が合ってな。社長に話をさせてもらう機会を作ったんだ」
「気が合った?また操ったんだろ?心を」
谷本が嫌みな笑いを浮かべる。勿論、決して悪意のある笑いではなかったが。
「まぁそんなとこだ。実際、会ってみたらすごい気さくな人でさ。でも、俺をあくまで息子の友人として接してた。決して全日本不動産の社員とは見てくれなかったよ」
「だろうな。それだけの失敗と、実績を兼ねた人だ。プライドの塊みたいなものだろ。で、その人をどう口説いた?」
谷本のあまりにピュアな質問に瀬崎思わず笑った。
「お前の言う通りさ。プライドの塊だったんだよ。そのプライドを徹底的にくすぐったのさ。会社を左右する程のミスから自身の努力で成り上がった人間。こういう人はプライドと自信の塊だ。そのプライドをくすぐり、その自信に最大限の尊重を示す」
「なるほどね。言葉で言うのは簡単だが、それを実行して結果を出すお前はやっぱりすごいわ。お前と話してるとつくづく思うよ。営業職に引導を渡されて良かったって」
「え?」
「いや、お前には一生敵わないと思うから」
そうやって酒も入ってないのに友人を褒める事が出来るお前こそすごい奴だよ、そう言おうとしたが、谷本の顔はそんな言葉を求めていないようだったので、瀬崎は黙って笑った。
「なるほどね。平沼部長もお前と成和建設に繋がりがある限り、いつ自分の当時の不正が暴かれるか気が気じゃないってことか。お前が成和の社長から話を聞いたと分かればいつ告発されるか分かったもんじゃないからな」
「そういうことだ。ずっと俺を追い込む何かを待ってたのかもしれない」
「うん。そういう話なら全て辻褄が合う」
辻褄は合ったが、だから何だと言うのか。まるで四面楚歌ではないか。