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「あなた最近、何か変よ?」
晩酌中に美鈴が言った。週に何度か、妻の美鈴とこうして夕食後に軽いつまみで晩酌をする事が浩平のささやかな楽しみであったが、今日はどうにも様子がおかしかった。
「変ってなにが?」
「私がこういう事言うのは失礼なのは承知してるけど最近仕事のペースが遅いと思うの」
「仕事のペース?」
美鈴は非常に頭のいい女性だ。弁護士の資格は無いが、それは学生時代に法律に興味が無かったからであって、美鈴が昔から法律家を目指して勉強していたら自分よりも優秀な弁護士になっていただろうと本気で浩平は思っている。その一方で、そんな頭のいい美鈴だが浩平を見下すような事は決してなく、むしろ日々、浩平の事を心から尊敬していると見える。そんな美鈴が浩平に仕事の事で口を出してくる事は一度もなかった。
「最近、あなたが抱えてる案件に無関係の外出や来客が多くない?今日、檜山さんが来てたのもあなたの案件と無関係なんじゃない?」
檜山は準平の事で依頼した探偵だ。今日は現状報告に来てくれた。金森愛や有川保がクリスタルという新種の薬物で繋がっている可能性が高い事を示していった。美鈴にはうまく隠れてやっていると思えていたが、多忙な父の由伸の秘書をやりながら自分の行動に関しても把握してるとはやはり恐れ入る。
「それに一つ気になってた事があるんだけど」
さっきから指摘がことごとく的中しているからか、浩平は構えた。
「こないだ準平君は何しに来たの?その件であなたが動いてるのかなって私は考えてるんだけど」
「あぁ・・・」
普段なら、裁判で自身に不都合な事実を追及されても、のらりくらりと交わし、些細な隙を見て逆転する事も容易に行うことが出来る。むしろそういう事は得意だ。その結果、弁護士として由伸の名に恥じない結果を残してきている。しかし、もし相手が美鈴だったら、法廷でも自分は敵わないかもしれない、そう思った。美鈴は、何を言ってもそれを見透かすかのような独特な目をしているのだ。
「別にあなたを責めてる訳じゃないわ。仮に私の予想通り、準平君が何か困っていて、あなたの助けを求めているのならそれは兄として手を貸すべきだと思う。でも、あなたにはあなたを頼って高いお金を払って救いを求めている人がたくさんいるのよ?」
美鈴の言う通りだ。最近は準平の事で頭が一杯で顧問客でない依頼人や、比較的簡単な案件は若い弁護士に任せきりだ。
「準平君の優秀さは私も知ってるけど彼は不動産業者でしょ。トラブルも抱えていると言っても驚かないわよ」
不動産業界というのは言うまでもなく多額の金が動く世界だ。それだけに法整備も複雑化している。また、多額の金が動く世界には、決まって悪が暗躍している。法律トラブルを抱えるのは珍しい話ではない。これもまた美鈴の主張には筋が通っていた。
「私に協力出来る事があれば私に言って欲しいだけなのよ。準平君は私の義理の弟でもあるんだから」
美鈴の的確な分析と、冷静且つ厳しい追求に浩平は折れざるを得なかった。
「・・・お前の言う通り、俺は今、準平の事で多くの時間を割いている。だが、それは準平の仕事上のトラブルではない」
「というと、プライベート?彼に限って金銭トラブルはないだろうから、もしかして・・・女性関係?」
頭の回転が早いのか、勘が鋭いのか、想像力が豊かなのか。いずれにしろ、驚くしかない。浩平は気まずそうに頷いた。
「そっか・・・。真由ちゃん以外に女性がいたってこと?」
美鈴は準平の婚約者の真由を可愛がっていたので、残念そうに言った。
「いや、そういう訳ではない。準平が会社の元部下からストーカー被害を受けているんだ」
「あ、なるほど」
安心した様子で美鈴がやっと笑った。
「そっか。準平君かっこいいからなぁ。モテる男は大変よね。そういう事なら私はあんまり関わらない方がいいかな。この話も聞かなかった事にしておくね」
美鈴はそう言ってすぐに話題を変えた。いくら弟の事とはいえ、簡単に内容を口走ってしまった事を後悔した。そして、それ以上深く突っ込んでこなかった美鈴にも感謝した。
実際、これは単なるストーカー事件ではない。今日の檜山の報告で、金森愛という女はつい先日まで警察関係者を震撼させたクリスタルに関わっている事が分かった。単純なストーカー事件ではないどころか、準平が思っているような嫌がらせの類の事件でもないのかもしれない。更に、準平が先週持ってきた婚約者真由へのストーカー行為を示す奇妙な写真。その犯人の有川保もクリスタルに関連している。さっきの電話では準平はその内容は知っていたようだったが。
浩平は今、どれくらい深く広い闇の中に足を踏み込んでいるのか、自覚している。準平だけではない。自分も、父も、下手をすれば瀬崎家を壊滅させるような大きな事件と危惧している。準平との電話を切った後、昔取り扱った刑事事件以来、友人関係が続いている刑事の大久保に明日アポイントを取った事は準平には言えずにいた。