10
浩平は昨日、準平が帰ってからすぐに電話を入れた。相手は檜山。探偵だった。
「人探しをお願いしたいんですよ」
檜山は浩平が仕事でたまに使う探偵だ。浩平よりも七歳年上の四〇歳だが、実に腕のいい男である。
「構いませんよ。明日事務所にお伺いしましょうか?」
檜山は浩平の依頼を断った事は一度もなかった。檜山にとって、浩平は弁護士という職業柄、依頼内容が多少厄介な時こそあれど、多額の報酬を期待出来る数少ない顧客なのだ。浩平にとっても、弁護士業務において最重要ともいえる情報というアイテムを迅速に、そして正確に提供してくれる檜山は貴重なツールであった。
「それがですね、今回は訳ありでして」
「直接聞いた方がいいですかね。いずれにしろ明日伺いますよ。十時でどうでしょうか?」
「お願いします」
翌日、檜山は約束の時間丁度に事務所に訪れた。いつも檜山は時間ぴったりに現れる、律儀な男だ。昨日、準平が座ったソファに案内し、数少ない金森愛の資料を手に持ち、向かい側に腰掛ける。
「先生が訳ありなんて珍しいですね」
「ええ。実は今回は弁護士業務絡みの案件ではないんですよ」
何気なく言った言葉に檜山は反応した。何かを探っているような感じだ。
「愛人、ですか?」
予想外の言葉に浩平は焦って思わず声が大きくなった。
「違いますよ!」
実際、愛人なんていないし、世間的に見て、確かに妻の美鈴は美人ではないが、浩平にとってすごく良い妻であり、パートナーであって不満など一つもなかった。ただ、あまりに唐突で予想外な話に慌ててしまい、そしてその否定の仕方が自分でも予想以上に大袈裟で、嘘をついてると思われてないか、余計に焦ってしまった。
「良かった。多いんですよ、何度かお仕事をさせて頂いた方に、突然、訳ありの依頼がある、と言われる事が。その内容は大体が色恋沙汰でしてね。私、実はそういう分野が苦手なものですから」
「え?」
「いや、自分で言うのもあれなんですけど、私、愛妻家でね。探偵のくせにこういうのもどうかと思うのですが、不倫関係は苦手なんです。特に瀬崎先生みたいに自分が信頼している人だと、自分まで裏切られた気分になってしまいましてね」
本当に安心してるような表情を浮かべて、笑顔と共に檜山は言った。
「それで、訳、と言うのは?」
「ええ・・・実は、弟のことなんですよ」
「弟?先生、弟さんがいたんですか」
「ええ。全日本不動産に勤めてます」
「ほう。さすが先生の弟さんですね。優秀だ」
「いやいや。それでですね、ストーカーの被害に遭ってるとの事なんですよ。私も昨日聞いたばかりだからまだ詳しい話は知らないのですが」
「被害ですか。まぁ元々ストーカー被害って意外と男性の方が多いですからね。不思議な話ではありませんよ」
檜山はいつもの速記でメモを取る。チラチラ見えるそのノートはとても浩平では読み取れない程の字だ。
「相手は、同じ全日本不動産の契約社員です。弟は婚約者がいるので、その人物と恋愛の仲ではなかったようで、弟が言うにはあくまで上司と部下だ、と聞いています。ただ、相談に乗る為に食事には何度か行っていたとの事です」
「なるほど。まぁそれで勘違いした、というような感じですかね。それで具体的な被害は?」
「まず、会社を当て付けのような形で辞めました。婚約者のいる弟に散々弄ばれて捨てられた、と言う理由で、それを弟の直属の上司に直に報告をしています。それも、彼女と弟が裸で抱き合っている、という偽造写真付で上司にメールをしたらしいです」
「それはなかなか大胆ですね」
「また、ウチの事務所にもいたずら電話をかけてきました。三回です。一回目、二回目は事務員が対応し、最後の三回目に私が対応しましたが、弟にこれで終わりだと思うな、と忠告しておけという内容でした」
檜山は黙った。ただ、ひたすら檜山がノートに文字を書く音だけが部屋に響き渡る。
「それが昨日までの話です。警察に通報する事も助言したのですが、結婚間近での異性トラブルは避けたいとの事で私を通じて、水面下で解決をしたい、と依頼されたのです。なので、相手の名前が金森愛、元全日本不動産契約社員、という事以外、情報がありません」
檜山はペンを止め、ノートをじっと見つめた。気まずい沈黙の中、事務員がコーヒーを持ってくる。檜山は事務員が退室するのを待って、ようやく口を開いた。
「先生、今回の案件、非常に難しいです。正直言って、お断りしたい」
さすがに焦る。何せここまで厳しい口調ではっきりと言われたのは初めてだからだ。
「まず、情報の少なさ。まぁこれはまだ何とかなるでしょう。名前が分かってるだけでもいいかもしれない。それに本格的に調査を始めるとなった場合、先生に再度弟さんに聞取りをしてもらえばもっと詳しい情報が出る可能性もある。ですがね」
少し間を取って檜山は言う。
「お断りしたい本当の意図は、その金森愛という人物。少し危険な感じがするんですよ。勿論、ストーカーをする人物に安心安全な人物などいないでしょう。ストーカー対策、という点だけでも本来なら私みたいな探偵ではなく、警察に相談に行くべきだ。それに、一般的にストーカーと呼ばれる人物と、金森愛は違う」
「と、言うと?」
「その人物の行為。弟さんに振り向いて欲しいと思うような行為ですか?」
「え?」
「普通、ストーカーというのはその対象人物に好意を持って欲しく、興味を持って欲しくて行動を起こします。待ち伏せをしたり、何度も電話やメールをするのはそれが要因です。ですが、この人物の一連の行為。これは対象人物である弟さんへ危害を加えようとしていると思いませんか?」
檜山に言われてみて、何かが一本の線で繋がったような気がした。会社を辞めたら、準平との接点は無くなってしまう。そして、準平の言う通り、肉体関係がないのであれば、あの写真は準平の怒りを買うに決まっている。瀬崎法律事務所へ電話してきた事もどう考えたって火に油を注ぐ行為だ。そもそも、金森愛は準平に一度も連絡していないし、むしろ連絡先を変え、消息を絶ったのだから。
何かおかしいとは思っていたが、改めて言葉にされた事でバラバラだった違和感が太く、強い、一本の線になった瞬間だった。
「本来ならやはり一刻も早く警察に通報した方がいいでしょう。先生も刑事事件をやられるなら多少融通のきく刑事は知ってるでしょう。婚約者の方には内密に行う事も可能ではないのですか?」
「そうですね。警察も最近は規則に非常にうるさいですからね。言ってみないと何とも言えない、というのが正直なところです」
「そうですか」
檜山はノートをペラペラとめくり、スケジュール帳を取り出し、じっと眺めている。
「先生との仲ですから、ご依頼はお受け致します」
「本当ですか!?」
「ですが、その分報酬は頂きますよ。あと一つ、周りがどう言おうと、私が危険だと判断したら、途中でも手は引かせて頂きます」
こんなにもはっきり言うくらいだから本当に危険を感じているのだろう。檜山ほどの男が言うのだ。大袈裟でもなんでもない筈だ。早速、着手金として封筒に入れた五〇万円を渡すと、三日以内に経過報告をしに来ると言って、檜山は事務所を後にした。
出費は痛いが、自身や事務所を守る為には仕方ないだろう。準平も今まで一度も自分や父に迷惑はかけてこなかった。幼い頃は準平に助けられた事は何度もあった。その借りを返す意味で、うまく解決に導いてやろうと浩平は思っていた。




