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瀬崎が相手の心理を読み取り、コントロールをする術を心得ている事を打ち明けたのは谷本京一ただ一人だ。だが、瀬崎のそれに気付いた人物が一人いる。それが牧田亮だ。
亮は瀬崎の幼馴染で、瀬崎の四歳年下で二十五歳。瀬崎と亮は互いの父親が学生時代からの親友同士ということがきっかけで知り合った。瀬崎が初めて亮に会ったのは、まだ亮が生まれたばかりの赤ん坊だった時だ。すぐ近くに住んでいた牧田一家に待望の赤ん坊が生まれたと大喜びしていた様子は、まだ幼い瀬崎の目にも焼き付いていた。
それ以来、瀬崎と亮はまるで兄弟のように育っていった。勉強ばかりで遊び相手にならない兄しかいない瀬崎と、一人っ子の亮はいつも一緒だった。元々、牧田は小さな工務店を営んでおり、一人息子の亮には店を継がせたいと考えていた。牧田自身、学生時代は勉強を疎かにしており、就職をしてから自分の腕一本でやってきたという自負がある為、学校の勉強には一切口を出さなかった。だからという訳ではないが、亮の成績は散々で、その分、父親譲りの腕っぷしの良さで幼い頃からガキ大将、高校生になる頃には地域でも有名な不良少年となっていた。一方で瀬崎は優等生として成長。二人は正に光と陰の様に対照的な思春期を過ごした。幼少期と比べれば、頻度は減ったものの、二人はたまに会えば話をしたり、食事をすることもあった。
そして瀬崎は国内有数の大手企業へ。亮は父親の希望の通り、高校卒業と共に家業を継ぐ為の修行に入った。互いに社会人となると、酒が好きな二人は定期的に飲みに行く様になり、また昔みたいな兄弟の様な仲に戻っていった。この年にまるで正反対の人生を歩んできた二人が、こうして長い間、関係を壊さずに来れたのは亮のおかげだと瀬崎は考えている。
小さい頃から瀬崎を兄の様に慕う亮の気持ちは大人になっても変わらなかったからだ。亮が漠然とイメージする「エリート」という存在を地で行く瀬崎への尊敬の気持ちは、むしろ大人になってから強くなっていた。
その一方、瀬崎は亮を見下していた。思春期に落ちる所まで落ちていき、いつ潰れるか分からない小さな工務店の後を継ぐ。社会に出てもまだ血の気が多く、酔っ払っては度々トラブルを起こす。瀬崎が漠然とイメージする「底辺層」の人間を地で行く亮を単なる興味本位で見ていた。ただ、そんな感情がある一方で、自分の事を心底尊敬し、憧れてくれている亮がかわいかったのは事実で、亮といると居心地が良いのも本心だ。
そして、そんな亮だから気付いたのかもしれない。瀬崎の心理術に。
ある日、いつもの様に酒を飲んでいた二人。この日は亮の仕事に対する考え方について議論となっていた。瀬崎からすると、酒の力もあって、いつになく熱くなり、説教っぽくなってしまっていた。
「いやあ、でもやっぱり兄貴の話はとにかく響くよ!兄貴に相談してよかった!」
上機嫌に焼酎を飲み干す亮。この二人で酒を飲む時は必ず焼酎をボトルで一本オーダーする。単品でオーダーすると会計が天井知らずになるからだ。
「まぁちょっと説教っぽくなっちまったかな」
亮の言葉が本心から来るものだと分かる瀬崎だからこそ、嬉しくなる。
「親父はああだしさ、俺にとっちゃ兄貴は人生の先生だからね!それに兄貴には俺の考えてる事とか、やろうとしてる事、全部見透かされてる気がするし」
それを聞いて瀬崎はドキリとした。まさかこいつ、気付いているのか?亮に限ってそんな事はないか。
「兄貴になら洗脳されても気付かなそうだもん、俺」
そう言って亮はゲラゲラ笑った。瀬崎の能力にはっきりと気付き、それを明確に説明出来る訳ではないだろう。でも、どうやら亮なりに何か感じてはいるようだ。
それにしても、洗脳、か。自分が、亮や他の人間に対してしている事は洗脳なのだろうか?洗脳なんて聞くと、どこぞの新興宗教の様で、一気に自分の行為が胡散臭く思える。心を読み取る事も、コントロールする事も、亮は実に簡単な相手だ。確かに、その気になって洗脳すれば簡単かもしれない。
でも、洗脳とは違う。自分がしている事は、洗脳やマインドコントロールの様な怪しい類ではない。洗脳やマインドコントロールというのは、何らかの方法で相手の思考力を鈍らせ、その上で教えを説くなどして、自分の考えを相手に押し付ける行為だ。でも、瀬崎のやり方は違う。相手の考えを読み取り、欲する言葉や行動を与える。それが原点。むしろ、こちらが与えている、合わせているのだ。それに伴って、行動を予測出来る場合は先回りをして、徹底的に分析した相手の心理を考えて、それに合わせて自分も行動する。そうすれば、自然と相手は自分が思い描いた通りに行動しているのだ。思考力を鈍らせるのではない。むしろ逆だ、逆に相手に考えさせるのだ。そして、その考えをまた読み取るだけなのだ。瀬崎の心理術は洗脳やマインドコントロール等よりも格段に精巧で、確実なのに、人を選ばなくてもいい。そんな低俗なものと一緒にされては堪らない。
ただ、今回の亮の話は実に教訓になった。あまりに簡単に嵌るものだから、どこかで調子に乗り過ぎていたのかもしれない。相手自身の行動も、瀬崎自身行動に対しても疑問を与えてはいけない。これに気付いたのが亮であることに感謝しなくては。
今回、亮に声を掛けたのはこの出来事を思い出したからだ。もし、亮が瀬崎に対して、仮に何か違和感や疑問があるのに未だに兄貴と慕ってきているのであれば、これを利用しない手はない。彼を手や足として利用すればいい。弁護士として、表舞台で、法の下でしか動けない浩平の情報力だけでは心許ないと感じていた。まして、今の浩平は昔と違って弁護士としての型に嵌っているし、その地位を必要以上に大事にしている。
表と裏、どちらからも攻める。やるからには徹底的に。