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小刻みな足音が余韻を残して響く。
腰に提げた工具同士のぶつかる金属音がカチャカチャと耳障りな音を重ねる。
ところどころ黒ずんだ作業着に、無数に傷のついたヘルメットをかぶった男たちが、暗闇の中をひた走っていた。
ヘッドライトの光だけが、あたりのコンクリートの壁を映し出す。光は暗闇の先に吸い込まれてゆく。彼らの行く手の状況など、10m先も分からなかった。
普通の人なら鼻が曲がりそうなほどきついかび臭さだが、彼らはもう慣れている。尋常ではなく高い湿気が体にまとわりつく。
皆、どしゃ降りの雨に濡れたかと思わせるほどの大量の汗をかかいていた。
「加藤!急げ!時間がない!」
色黒の男に喝を入れたのは、先を走っていた小柄な男だった。
「マジっすか!?俺、これ以上早く走るなんてマジ無理っす班長ー!」
今どきの言葉で根をあげながら息絶え絶えに加藤が必死で走る。壮年のような風貌なので、加藤が言うと、その言葉使いに誰もが違和感を感じる。
「加藤先輩、いっつも偉そうな口きいてるわりには、大したことないですね。僕なんかまだまだ走れますよ」
前を走るまだ少年っぽい男が冷やした。
「ガキ!うっせーぞ!なめた口聞いてっと頭かち割るんぞゴラァ!」
「加藤、 腰に10キロ近い道具を提げて走りながら、中嶋とそれだけ言い合えれば十分だ。おまえこそ、その減らず口をたたくエネルギーがあるんなら、もっと早く走れるだろう」
「う、うぃーっす…」
「加藤先輩、相変わらず班長には弱いっすね」
さすがに走りながらの会話はつらくなり、3人ともそれきり黙って走り続けた。
やがて、ゆるく登る巨大な円筒形の大空間の先に、ヘッドライトの光がコンクリートの巨大な壁を照らし出した。
「班長っ。行き止まりです!」
「焦るなガキ!」
壁の前で途方に暮れて立ち尽くす中嶋の声に応えたのは加藤だった。
「そのあたりに防水扉がある。そいつを開けろ!」
「はい!」
中嶋が辺りの壁を見回すと、横の壁にハンドルのついた扉が目に入った。すぐに飛び付き、力一杯回そうとする。だが、ハンドルは軋み音を立てるだけでなかなか回らない。
後から来た班長と加藤もハンドルに手を掛ける。
固くて中嶋1人では回せなかったハンドルが序々に緩くなる。
と、その時だった。彼らの頭上から機械が動き出す重苦しい音と、それに続いて巨大な水洗トイレの水を流したような轟音が聞こえた。
3人は天を仰いだ。
吸い込まれそうな闇の向こうから、恐怖に満ちた轟音が響いてくる。
「加藤…今の音…」
「班長…マジ洒落になんないっすよ…」
「な、何なんですか?2人とも怖い顔して…」
音はみるみる近くなり、頭上を何かが大量に流れ下ってくるのがわかる。
加藤は迫りくる絶望的なごく近い未来に背筋が凍った。
「ぼーっとするな!ハンドル回せっ!」
班長が必死の形相でバンドルを回す。加藤も息が上がるほど懸命だった。
「何です!何なんです!?」
中嶋は訳もわからず2人の顔を見る。
その間も、轟音が頭上から迫る。
「回せ回せ回せ!」
扉からロックが外れる重い金属音がした。
「開けろ!急げ!」
加藤や班長に加え、中島もハンドルに手を掛けて引っ張る。
頭上の轟音はいよいよ迫り、生温かい風が何かに押し出されるように吹き下ろしてくる。
重く金属の軋む音とともに、扉がゆっくり開いていく。
「中へ入ったら階段を駆けあがれ!後ろを振り向くな!!」
「うぃっす!」
「はいっ!」
人一人が通れるほどに空いた扉の隙間を加藤、中島と続いて入る。
加藤は班長の言葉通り、扉の向こうにあった螺旋階段を駆け上がる。
「班長!」
後ろで中島の声がした。振り返ると、班長は扉を中から閉めようとしていた。
中島が螺旋階段を駆け下りはじめる。
「中島!戻れ!」
加藤が叫んだ次の瞬間、班長が閉めようとしていた扉から大量の水がなだれ込んだ。
「うわっ!」
水は扉を吹き飛ばしたかと思うとみるみるうちに水位を増してゆく。
班長や中島の姿は渦を巻く茶色い濁流に飲み込まれて見えない。濁流は加藤に向かってぐんぐん階段をかけ上がってくる。
加藤は螺旋階段を駆け上がる。心臓が破れそうなほど痛み、息が苦しい。
次の瞬間、加藤の視界が真っ暗になった。
俺・・・死ぬのか・・・
すべての感覚が遠くなり、間もなく何も感じなくなった。