元奴隷おじさんは幸せ
少年は奴隷だった。
奴隷商は早く少年を手放したかったが、何故かずっと売れ残っていた。
悩んだ奴隷商は、とある心優しい夫婦が営む孤児院に、少年を売りつけに行った。
夫婦は少年を買い、優しく迎え入れた。
少年は、夫婦や孤児院の仲間とともにスクスクと成長した。
やがて夫婦が病気で亡くなろうというとき、少年はこの孤児院を受け継ぐことになった。
そうして数十年が経った。
これはそんな、孤児院を営むことになった、ある男の物語。
…
「やあ、来てくれてありがとうバルド」
男はいつものように温かな笑顔で、孤児院の自室へと、奴隷商を迎え入れた。
ドスドスと歩く壮年の奴隷商、バルドの後ろには、一人の痩せっぽちな少女。
「それで、今日はどうしたんだい?」
笑みを崩さず、男はバルドに声をかけた。
「わかってるだろ?売れ残りを持ってきたんだ。前と同じ・・・あー、2000ダルでいい。買ってくれ」
バルドは少女を顎で指し、取引を持ちかけた。
「ああ、いいとも」
男はバルドに数枚の紙幣を渡した。
少女の奴隷にしては、随分と安い値だった。
奴隷商にとっては、ずっと売れ残り、無駄金を食われるよりはマシだった。
「孤児院へようこそ、お嬢さん」
少女は怯えた目で男を見る。
男はそれでも柔らかな笑顔を崩さない。
「ああ、自己紹介がまだだった」
「初めまして、この孤児院の管理人をしているレイナードだ」
レイナードは少女に手を差し出しながら言葉を続ける。
「ここでは皆、私のことをおじさんと呼んでいるからね」
「君も気軽にそう呼んでくれると嬉しいなぁ」
笑顔で名乗ったレイナードに、少女は少しだけ、ほんの少しだけ警戒を解いた。
「そういやよぉ、4年前くらいに売った茶髪のやつはどうした?」
バルドが紙幣を懐に仕舞いながら、レイナードに以前売りつけた奴隷のことを聞いた。
「ああ、彼ならもう近くの鉱山業者に良い値で売れたよ」
「彼は筋力と体力の才能があったから、そこを育てた甲斐があった」
レイナードは自分の目の辺りを指で少し擦りながら穏やかな笑みのまま言った。
「そのおかげで、孤児院の土地が増えて、遊び場も増やせたんだ」
「マーガスは、本当に頑張ってくれたよ」
何処か懐かしむような、慈しむような眼差しで、レイナードは答えた。
それを聞いた奴隷の少女は硬直した。
「なんだ、うちにくれれば良かったのに」
「それじゃあ折角のマーガスの才能が輝けないから嫌だなぁ」
いつもの笑みのまま、レイナードはバルドに向き直る。
バルドは肩をすくめた。
「まあいいさ。また売れ残ったら持ってくる」
「うん。いつも子どもたちを連れてきてくれて、ありがとう」
バルドは何処か居心地が悪そうな、でも安心したような顔をして、孤児院から去って行った。
「ああすまないね。君、名前はあるかい?」
「・・・ない」
少女は消え入りそうな声で答え、ぼろぼろの服の袖をぎゅっと掴んだ。
「そうか、じゃあ今日から君はアネモネだ」
「アネ・・・モネ?」
少女は首を傾げながら復唱した。
「そうだよ、アネモネ」
「君はきっと、素晴らしい女性になる」
レイナードはどこか自信を持ってそう言った。
「改めてようこそ、バルミー孤児院へ」
不安に駆られながらも、ここで生きていくしかないと、アネモネはレイナードの手を取った。
…
ここバルミー孤児院では、いつも子どもたちの笑顔が溢れていた。
バルミー孤児院は様々な教会からも孤児を引き取っていた。
教会から、寄付を送られることもあった。
レイナードは子どもたちにとても優しかった。
きちんと叱ってくれることもあった。
近隣住民も、子どもたちに優しかった。
孤児だが、ひどく荒れる子もおらず、皆礼儀正しいと評判だった。
子どもたちは皆、レイナードに愛されていると思っていた。
余所からも、レイナードが子どもたちを愛しているように見えていた。
…
数年後、アネモネはとても美しく、大人びた立派な少女へと成長した。
あれからアネモネは、奴隷時代が嘘のように温かい日々を送った。
同じ孤児院の子どもたちは皆、仲良く生活していた。
時たま来るあの奴隷商も、チラリとこちらを見るだけで何もしてこない。
アネモネはすっかり、この孤児院に馴染み、笑顔を見せていた。
…
「おじさん今なんて?」
「私が、貴族の方の嫁に・・・?」
アネモネは愕然とした。
目の前のレイナードの言葉が、受け入れられないようだった。
「そうだよ。ファーダム伯爵が君を気に入ったんだ」
「あそこなら、私も君が輝けると思うよ」
「だから君には、ファーダム伯爵と結婚して幸せになってほしいなぁ」
アネモネは静かに俯き、目に涙を浮かべた。
奴隷として買われたアネモネだが、おじさんは自分に優しかった。
そんなおじさんが・・・まさか、というような表情をした。
それを見て、レイナードは少し困ったような顔をした。
「アネモネ、君がそこに行けば、この孤児院の皆は助かるんだ」
「私も君自身が才能を発揮できる場所に行けるのが嬉しいんだ」
「君は美人だし、人を見る良い目を持っている」
「きっと向こうでも、ファーダム伯爵の役に立てるはずだよ」
レイナードはアネモネに優しく、しかしどこか有無を言わさないように言い聞かせる。
2人の間には、長い沈黙が流れた。
レイナードは、もう何も言わなかったが、アネモネから視線を外すことはしなかった。
アネモネは下を向き、ぽたりぽたりと涙を流していた。
しかし、何かを諦めたように、受け入れたように、やがて小さく頷いた。
レイナードはそれにとても満足したように、ゆっくりと微笑んだ。
「それでいい、きっと幸せになれる。私は君をずっと応援しているよ」
それは、どこか冷たいような、温かいような不思議な響きを持った言葉だった。
…
アネモネの結婚式当日、レイナードは子どもたちと共に参列していた。
といっても、平民であったため、ずいぶん席が遠くではあった。
アネモネはファーダム伯爵とどうやら相性が良かったようで、婚約後ゆっくりと親交を深め、お互い良きパートナーとなれた。
バージンロードを歩くアネモネは、遠くにいるレイナードを見た。
アネモネの隣にいるのは、父親役として格が落ちないようにと宛がわれた、どこかの貴族だ。
貴族の手を離れ、ファーダム伯爵の手を取るアネモネ。
チラリと後ろを振り返りレイナードを見るアネモネは複雑な表情をしていたが、すぐにファーダム伯爵へと笑顔を向けた。
そうして、アネモネは結婚した。
彼女は月に1度、レイナードへ手紙を出すようになった。
アネモネは、レイナードのおかげで幸せになれたのだろうか。
…
ある日、孤児院に1人の男がレイナードを訪ねてきた。
男は孤児院の入り口を乱暴に開けると、たまたま近くにいたレイナードに大股で近付いた。
「おい!お前のせいで俺はみじめな生活を送ることになったんだぞ!」
「何とか言えよ!」
男はレイナードに向かって吠えるように叫んでいた。
「オルガ、そう声を荒げないでほしいなぁ、子どもたちが怖がっているよ」
「うるさい!お前が・・・!」
オルガと呼ばれた男は薄汚れた格好をしていた。
「お前が俺を貴族の屋敷に売り飛ばしたからこうなったんだろうが!」
「俺がどれだけ屋敷でみじめな思いをしたか・・・」
「お前にわかるか!?」
オルガはレイナードに掴みかかる。
オルガは1年前にレイナードが貴族の屋敷に売った子であった。
オルガは料理の才能があった。
だからこそ、あの屋敷で料理人として輝けるはずだった。
少なくともレイナードはそう思ったのだろう。
それが、人間関係がうまくいかず、屋敷を追い出されたようだ。
「そうだったのか、それは残念だ」
「残念で済ますな・・・俺は許さないからな!」
憎悪を滲ませた目で、オルガはレイナードを見ていた。
レイナードは子どもたちを奥の部屋へ行かせ、オルガと向き合った。
オルガはレイナードが見ているのも構わず、手当たり次第に物を投げ壊した。
孤児院に響く、子どもたちの悲鳴と、パリンとガラスが割れる音。
ガシャンと椅子が壊れる音。
そうしてひとしきり暴れたあと、多少スッキリしたのか、それとも、もう壊すものがないのか、オルガの手は止まった。
やがて憎々しげにレイナードを見た。
「俺は、お前を、死んでも許さない」
と吐き捨て、どこかへ去っていった。
「やれやれ、仕方のない子だ」
激しい憎悪を向けられたレイナードだが、何でもないというように、笑顔を子どもたちに向け、さっさと片づけを始めた。
花瓶は、粉々に砕けていた。
飾られていた花は、踏みつけられ、ぐしゃぐしゃになっていた。
オルガは、レイナードのせいで不幸になったのだろうか。
…
運命の日が来た。
その日、奴隷商のバルドが慌ててレイナードの元に訪れていた。
「おい!ヤバいぞ!お前摘発されちまう!」
「ああ、やっと来るのか」
レイナードは穏やかな顔で答えた。
「お前!?逃げなくていいのか!?」
バルドは思わずレイナードを凝視した。
「私が逃げたら子どもたちはどうなるんだい?」
バルドはぐっと言葉に詰まった。
「それにずいぶん長い間、やってこれた方だと思うよ」
「いずれはこうなるってわかっていたからね」
レイナードは少し下を向きながらもいつもの笑顔で、しかしどこか寂しそうな顔をした。
「君には世話になったね」
レイナードはゆっくりとバルドを見つめた。
「・・・あんな、みすぼらしかった、お前が・・・」
バルドはそれきり、言葉を発さなくなった。
目頭を押さえ、嗚咽を漏らす。
それをレイナードは優しい眼差しで見ていた。
「ありがとう、私は大丈夫だよ」
「さあ、君も危ない。もう行ったほうがいい」
バルドは振り返らなかった。
かつて自分が売りつけた少年が、こんな風に大人になった事を、バルドはどう思ったのだろうか。
…
いつかのように勢いよく入り口が開かれる。
数人の役人が荒々しくなだれ込んできた。
「レイナード!お前を人身売買の疑いで逮捕する!」
令状を突き付けながら、役人の1人がそう言った。
「おじさん!!」
突然のことで恐怖を感じたのか、子どもたちは怯え、レイナードに縋って泣き叫んでいた。
レイナードは子どもたちを庇いながら、笑顔を崩さず役人を見る。
「疑いじゃなくて、実際やったことだけどね」
レイナードはどこかのんびりと答えた。
子どもたちに笑顔を送り、孤児院に来た役人の顔をざっと見る。
ある1人の若い男の役人に目が止まった。
「ああ、君なら大丈夫だ」
「子どもたちをよろしく頼むよ」
そうして、レイナードは逮捕された。
…
牢屋でも、レイナードは穏やかな表情をしていた。
つい先ほど処刑されることが決まったというのに。
どうやら数十年に渡る人身売買、および孤児院を隠れ蓑にした犯行ということが重く見られたらしい。
刑の執行は1週間後。
レイナードは穏やかにその時を待った。
…
刑執行の前日、レイナードに面会に来た人物がいた。
あの若い男の役人だ。
男は檻に近付き、レイナードを複雑な表情で見た。
「・・・子どもたちは、全員保護して無事だ」
「孤児院も新しい管理人を置いて、運営を再開した」
「ああ、君が働きかけてくれたんだろう?」
「君ならやってくれると思っていたよ、いやぁ良かったなぁ」
レイナードは嬉しそうな顔で答えた。
男は何も言わず、眉間の皺を深くした。
やがて、少し戸惑いながらも口を開いた。
「・・・なんで、俺だったんだ?」
男が尋ねる。
納得がいっていないような、そんな顔をしていた。
レイナードは男をまっすぐ見て答えた。
「私は人を見ると、持っている才能がちょっとわかるんだ」
「そして君は、優しい心という才能を持っているみたいだったからね」
「だから、私は子どもたちを君に頼んだんだよ」
レイナードは至極真面目に答えていた。
男は、ここに来た時よりも複雑な顔をした。
このレイナードという男のことが理解できないのだろう。
孤児院の噂では、子どもたちを愛しているようだった。
しかし、その裏では子どもたちを売りつけていた。
子どもたちを愛しているのは嘘だったのだろうか。
だが、この男は今も、いや逮捕の時だって、子どもたちを気にかけていた。
逮捕され、処刑される自分のことよりも、ずっと。
それは、嘘のようには見えなかった。
「・・・あんたは、なんなんだ?」
その問いに、レイナードは微笑むだけだった。
…
執行の日が来た。
レイナードは断頭台に立つ。
民衆がレイナードに非難を浴びせる。
レイナードはそこにいる人々を見渡す。
その中には孤児院の子どもたち。
売りつけた子どもたち。
かつて少年だったころ孤児院で共に暮らした者たち。
皆が皆、それぞれ違う表情をしていた。
ある者は憎しみ。
ある者は悲しみ。
ある者は哀れみのような視線を送っていた。
レイナードは、満足した顔をしていた。
そして背筋を伸ばし一礼した。
民衆は、静まり返った。
「皆に感謝を。ありがとう」
そうして首を差し出す。
「最期に言いたいことは?」
レイナードはそっと言葉を紡ぐ。
「あぁ私は幸せだったなぁ」
そしてまた皆の顔を見る。
「どうか幸せで」
そうして刑は執行された。




