第45話 【AIマンション・オアシス幕張】朝焼けの算法
【AIマンション・オアシス幕張】朝焼けの算法
[或る日の、深夜3時45分・幕張本郷の夜空]
すべてのトランザクションがエラーを吐き出し、宇宙規模の絶望に包まれたジョウは、冷え込んできた幕張本郷の路上で、ただ一人ぽつんと立ち尽くしていた。
手元には、世界中で集めた天文学的な資産のログ。
だが、その数億元のデジタル人民元も、無記名のWAONカードも、今の彼の冷え切った指先を1ミリも温めてはくれない。
「結局、僕の算法は、何一つこの現実に届かなかった……」
ガリッと、静寂の中に硬い音が響いた。
振り返ると、オアシス幕張の管理人室の窓から、パー子姉さんが千葉名産の茹でピーナッツを割って、口に放り込んでいるところだった。
「ジョウさん、まだそんなところでパケット(未練)を彷徨わせてたの?」
「パー子姉さん……。僕は負けた。僕の最先端のMojo言語も、国際ローミングの壁越えも、君たちの頑固な物理切断の前にはただのゴミデータだったよ」
ジョウは力なく笑い、ジュラルミンケースを地面に置いた。
すると、パー子姉さんの後ろから、夜勤明けのタエコおばさんが、湯気の立つマグカップを二つ持って現れた。
「おいおい小僧、勝ちだの負けだの、そんな二進数のデータ(0か1か)だけで生きてるから、すぐに胃もたれを起こすんだよ」
タエコおばさんは窓から手を伸ばし、ジョウに温かいお茶の入ったマグカップを差し出した。
「ほら、飲みな。これは香港の飲茶店でくすねてきた、本物のジャスミン茶さ。ユニオンペイのポイントで交換したやつだから、あんたの反社チェックには引っかかりやしないよ」
ジョウはおずおずと、その温かい陶器のカップを受け取った。
指先から、じんわりと熱が伝わってくる。
「デジタルってのはね、便利だけど、全部を詰め込もうとすると人間の方が処理落ちしちまうのさ。Teamsの重いUIに追われ、毎秒何百回も『既読』を要求される現代社会(地獄)は、まるで暴走した算法だ」
タエコおばさんは、朝焼けが始まりかけた東の空を見上げた。
「だからさ、たまにはネットの線を完全に抜いて、引き算をしてみるのも悪くないだろ? ここは、ただの『お気楽引き算転生マンション』さ。何にも繋がってないからこそ、誰にも追跡されないし、誰のことも傷つけない」
「引き算の……聖域……」
ジョウがジャスミン茶をそっと口に含む。
爽やかな香りと、確かな温かさが、張り詰めていた脳のニューロンを静かに、静かに解きほぐしていった。
「さあ、夜が明けるわよ。ジョウさん」
パー子姉さんが、古い歌声スナックCanadaのラジオドラマのようなボリュームで、お気に入りの音楽を流し始める。
「またワイズマートで渋沢栄一の千円札を出して、普通にブリトーを買いなさいな。その時は、エラー音じゃなくて、
店員さんの『ありがとうございました』って生身のログが聞けるはずだから」
東の空から、真っ赤な朝焼けが幕張新都心のビル群を照らし出していく。
それはハルシネーション(地理的嘘)の一片もない、完璧に冷静で、完璧に温かい、現実の始まりだった。




