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「ねぇ、死にに来たの?」銀髪のアンデッドが駆る霊柩車で、僕は最期の星を見に行く  作者: silver fox
第2章:潮騒のキスと、境界を溶かす紅い雫

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9/22

第2話:「何も経験せずに死ぬ」少年に、不死の少女が与えたはじめてのキス

 夜の海は、昼間とは別の生き物みたいだった。


 空には無数の星が浮かび、波打ち際はわずかな白い線となって闇と光の境界を描く。

 遠くに街の明かりは見えない。

 波の音と、風の音と、焚き火の爆ぜる音だけが、世界を満たしていた。


 流木を集め、シズクが簡単な焚き火を作る。

 火は苦手じゃないのか、と聞く前に、彼女は言った。


「火鳥の仕事を見てきたから、火とは仲良くなったつもり」


 焚き火の火は、時折高く炎を上げ、僕たちの顔を赤く照らす。


「……陽斗」


 火の粉を見つめながら、シズクが口を開いた。


「あなたの病気のこと、もう少し詳しく教えて」


 真正面からそう言われるのは、初めてかもしれない。

 医者や家族は「説明」してくれたけれど、「教えて」と頼まれたわけじゃなかったから。


「原因不明の、多臓器不全」


 焚き火の明かりの向こうで、海が黒くうねっている。


「最初は、ただの持病みたいなものだって言われてた。

 疲れやすいとか、風邪を引きやすいとか、その程度で。

 でも、だんだん、内臓がひとつずつ、機能を落としていった」


 胃。肝臓。腎臓。

 血液検査の数値が、特に何もしていないのに悪くなっていく。


「痛みは、ほとんどないんだってさ。

 臓器が壊れていっても、神経がやられてるから、あまり感じない。

 だから、自覚症状が出る頃には、だいぶ進行してる」


「今は?」


「今は……もう、ほとんど、内臓の半分くらいがまともに動いてないってさ。

 少しずつ体が弱っていって、最後は心臓が止まる。

 眠るみたいに、静かに」


 医者はそう言った。

「痛みは最小限に抑えられますから」と、安心させるように。


 でも、それは僕たち家族にとって、何の慰めにもならなかった。


「怖い?」


 シズクは、火越しに静かに尋ねた。


「……分からない」


 夜風が、焚き火の煙を揺らす。

 その向こうに、彼女の赤い瞳がちらちらと瞬いていた。


「最初は、怖かった。

 なんで自分が、って思ったし。

 もっとちゃんと生きておけばよかったって思った」


 学校。友達。恋愛。遊び。

 青春と呼ばれるものの大半を、僕は病室のベッドの上で横目に見送ってきた。


「でも、そのうち、感覚が麻痺してきてさ。

 怖いっていうより、『ああ、そうなんだ』って。

 むしろ、周りに迷惑をかけてることの方が、よっぽど怖かった」


 医療費。

 付き添い。

 仕事を休む父と、パートを増やした母。


「だから、逃げたんだ」


 病院の屋上から見た夜景を、ふと思い出す。

 あのときの風の冷たさと、シズクの霊柩車のヘッドライトの光。


 しばらく、波の音だけが会話を埋めた。


「陽斗」


「なんだよ」


「あなたは、何を後悔してる?」


 唐突な問いだった。

 でも、その唐突さが、かえって本音を引きずり出す。


「……何も経験せずに死ぬこと」


 焚き火の火が、ぱちりと音を立てた。


「初恋も、初キスも、付き合ったこともない。

 友達とバカみたいに朝まで遊んだこともない。

 文化祭で告白されることも、部活で泣くことも、何も」


 言葉にすると、思っていた以上に、心の奥から苦いものが湧き上がってくる。


「夜空を見上げて、『あ、流れ星だ』って誰かと同時に言うことも。

 誰かの誕生日を一緒に祝うことも。

 ありふれた『日常』ってやつを、一度もちゃんとやれなかった」


 焚き火の炎が、少しだけ弱まっていく。

 薪の残りは少ない。


「だから、後悔してる。

 何も経験しないまま、人生が終わることを」


 それは、誰かに聞かれたら「贅沢な悩みだ」と言われるかもしれない。

 もっと苦しい病気の人はいる。もっと不幸な人生だってある。

 でも、比較の問題じゃなかった。


 *僕は僕として、生きたかった。*


 その当たり前の欲望を、やっと今になって自覚している。


 シズクは、しばらく黙っていた。

 波の音と、焚き火の最後の火の粉が、空気を満たす。


 そして──


 彼女は、音もなく立ち上がった。


 砂を踏む足音が、近づいてくる。

 僕は顔を上げる間もなく、彼女の影に包まれた。


 次の瞬間、冷たいものが唇に触れた。


 時間が、一瞬止まる。


 焚き火の音も、波の音も、星の瞬きも、すべてが遠のいていく。

 意識のすべてが、たった一点──重なった唇の感触に引き寄せられる。


 シズクの唇は、驚くほど冷たかった。

 でも、その冷たさが、かえって僕の体の内側を熱くする。


 心臓が、暴れ馬みたいに跳ね回る。

 胸の奥が、痛いほど熱くなる。


 どれくらいの時間、そうしていたのか分からない。

 ほんの数秒かもしれないし、永遠の一部だったのかもしれない。


 やがて、シズクはゆっくりと唇を離した。


 夜風が、濡れた唇に触れて、ひやりとした。


「……な、に……」


 まともな言葉が出てこない。


 シズクは、何事もなかったかのように言った。


「これで、後悔はひとつ減った」


 焚き火が、最後の火を吐き出し、静かに崩れた。


「初キス」


 彼女は、事務的に付け足す。


「チェック、ね」


「チェックって、お前……」


 怒鳴る気力もなく、僕はただ顔を両手で覆った。

 頬が、焚き火の残り火よりも熱い。


「嫌だった?」


 シズクの問いに、僕は即答できなかった。


 嫌どころか、こんなに心臓が騒いでいるのに、「嫌だった」なんて嘘はつけない。

 でも、嬉しいだけでもない。この感情に、適切な単語が見つからない。


 憧れの美少女との、人生初のキス。

 漫画やドラマみたいに、ロマンチックなシチュエーション。

 でも、それが「最期の願い」を消化するための、ひとつのイベントに過ぎないのだとしたら──。


「……これも、仕事の一環?」


 ようやく絞り出せたのは、そんな言葉だった。


 シズクは、少しだけ目を細めた。


「さあ。

 仕事かもしれないし、そうじゃないかもしれない」


 はぐらかされたようで、胸の奥がざわつく。


「少なくとも、あなたが後悔していると言うから、減らしてあげようと思っただけ」


 それは優しさとも、残酷さとも取れる言葉だった。


 海の向こうで、ひときわ明るい星がひとつ瞬いた。

 その光を見上げながら、僕は自分の鼓動の早さを、どうにも持て余していた。


 この旅が終わるとき。

 僕は、どれだけの「後悔」を減らせているんだろう。


 そして、そのたびに僕の心臓の音を聞いているシズクは──僕の中の何を、どこまで連れて行こうとしているんだろう。




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