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「ねぇ、死にに来たの?」銀髪のアンデッドが駆る霊柩車で、僕は最期の星を見に行く  作者: silver fox
第2章:潮騒のキスと、境界を溶かす紅い雫

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第1話:潮女が消えた無人の浜で、不死の少女と余命少年はシャッターを切る

 西へ向かう道は、思っていたよりも長かった。


 霊柩車のフロントガラスの向こうで、世界はゆっくりと色を変えていく。

 山を抜け、街を外れ、高速道路の標識が「西行き」を示すたびに、「もう戻れない場所」からの距離が、少しずつ増えていく気がした。


 シズクは、ほとんど喋らない。

 運転席でじっと前を見つめ、時折ナビ代わりに紙の地図をちらりと見る。その姿は、タクシー運転手というより、どこか葬列を先導する司祭のように見えなくもなかった。


「眠かったら寝てていいわよ」


 窓の外の景色に見入っていると、不意にシズクが言った。


「今のうちに、休んでおきなさい。夕暮れまでには着くから」


「どこに?」


「海」


 それだけを告げて、彼女はまた黙り込んだ。


 ◆


 目を覚ましたとき、車内はオレンジ色の光で満たされていた。


 霊柩車が止まっている。

 エンジンは切れていて、わずかな潮騒の音だけが、車体の外から響いてくる。


「着いたわよ」


 シズクが後部ドアを開けると、冷たい潮風が一気に吹き込んできた。


 目の前には、海が広がっていた。


 観光地のような派手さはない。

 どこまでも続く、灰色がかった砂浜。

 遠くに、小さな防波堤の影が見えるだけで、民家も店も何もない。


 人の気配が、まるでなかった。

 波の音と、風が砂を撫でる音だけが、世界を占めている。


「……本当に、誰もいないんだな」


「今はね」


 シズクは、海風に銀髪を揺らしながら言った。


「千年前は、ここに小さな漁村があったの。

 家が十軒もないような、小さな村。

 それでも、朝になれば男たちが船を出し、女たちが浜で網を繕っていた」


 彼女の声に合わせるようにして、僕の頭の中に、見たことのない風景が浮かび上がる。


「その海を、見守っていたアンデッドが、『潮女シオメ』」


「潮の、女?」


「そう。

 彼女は、海で死んだ人の魂を拾うのが仕事だった。

 嵐で沈んだ船。

 遠くの異国から流れ着いた見知らぬ遺体。

 深いところに沈んで、誰にも見送られなかった骨」


 砂浜に足を踏み入れると、細かな砂粒がスニーカーの中に入り込んだ。

 空は茜色で、太陽はもう海の縁に片足を浸している。


「シオメは、美しい歌声を持っていた。

 彼女の歌声を聞いた魂は、迷わず天に昇ることができると言われていたの」


 シズクは、まるで昔話を語る老人のように、淡々と続ける。


「漁から戻らない船があると、村人はこの浜に集まって、潮女の歌を聞いた。

 帰ってこない夫のために。

 帰ってこない息子のために」


 波の音に、かすかに女の声が混じるような錯覚を覚えた。


「彼女は、ある日突然いなくなった」


「いなくなった?」


「朝、誰かが浜に来たら、いつも座っていた流木の上が空っぽだった。

 歌声も、潮の香りも、なにもかも、いつも通りだったのに。

 彼女だけが、まるごと消えていた」


 海は、変わらない。

 浜辺の形も、波の高さも、空の色も。

 変わらないからこそ、そこからいなくなったものの輪郭だけが、くっきりと残る。


「シオメも、『存在の忘却』を選んだのかもしれないわ」


 シズクは、波打ち際で立ち止まる。

 靴の先に、白い泡が触れては引いていく。


「誰かに覚えていてもらうことは、ときどき、とても苦しいから」


 彼女の横顔は、夕焼けの光を浴びて、ほんのりと赤く染まっていた。

 銀髪も、瞳の赤も、いつもより柔らかく見える。


 僕は、少しだけ躊躇してから、口を開いた。


「シズクは、どうして……そんなに、みんなのこと覚えてるんだ?」


「仕事だから」


 即答だった。


「それに──」


 そこで彼女は、ほんの少しだけ言葉を区切る。


「覚えていないと、自分が何者なのかも分からなくなるのよ。

 人間の人生を、何百、何千と見ているとね」


 海の色が、ゆっくりと藍色に変わっていく。

 太陽は、今にも水平線の向こうへ沈もうとしていた。


「ねぇ、陽斗」


「ん?」


「写真、撮って」


「……は?」


 思ってもみなかった言葉に、思わず変な声が漏れる。


「この海と、あなたと、私と。

 今ここにいるっていう証拠」


 シズクは、あくまで真顔で言った。


「そういうの、嫌いじゃないのよ。

 人間の『記録』ってやつ」


「……いや、僕が言おうとしてた」


「じゃあ、ちょうどよかったわね」


 珍しく、彼女の口元に分かりやすい笑みが浮かんだ。


 スマホを取り出し、カメラを起動する。

 久しぶりに見るカメラアプリの画面に、自分の顔が映る。やつれた頬、少し青白い肌。それでも、入院中よりはいくらか血色が良くなっている気がした。


「並べばいいの?」


「そう。

 ほら、もうちょっと寄って」


 シズクが僕の肩に軽く触れる。

 その手はやはり冷たかったが、今はそれが妙に心地よかった。


 背後には、オレンジ色に染まる海。

 画面の中で、僕とシズクが並んでいる。


 あり得ない取り合わせだ、とふと思う。

 死にかけの高校生と、不死のアンデッド。


「撮るぞー」


「早くして。太陽が沈んじゃう」


 シャッター音が、カシャ、と軽く響く。


 画面を確認すると、そこにはちゃんと、二人分の顔が映っていた。

 僕は、思わずホッとしたように笑う。


「よかった……」


「なにが?」


「いや、なんかさ。

 吸血鬼とか幽霊って、鏡や写真に映らないみたいなイメージあるだろ。

 もしかして、シズクもそうなのかなって」


「へぇ」


 シズクは、スマホを受け取り、画面をじっと覗き込んだ。


「映ってる……」


 彼女の表情が、いつもと違う意味で無表情になる。


「鏡には、普通に映るから。

 でも、なんとなく、『私は写してはいけないもの』だって思い込んでたのかもしれない」


「ただの迷信だったってことだな」


「迷信が、全部間違いとも限らないけどね」


 そう言いながらも、シズクは自分の映った写真から、なかなか目を離そうとしなかった。


「……変な感じ」


「なにが?」


「時間が、閉じ込められてる。

 私が写った『ある瞬間』が、ここに固定されてる」


 彼女は、指先で自分の映った部分をそっとなぞる。


「私、こういうふうに自分を見るのは、ほんとに久しぶり」


「嫌か?」


「いいえ。

 不思議だけど、悪くない」


 海の風が、画面の中の二人には届かない。

 夕日の光も、波の音も、そこにはない。

 それでも、確かに「ここにいた」証拠が、手の中に残っている。


「こうして証拠を残しておけば、僕が本当にシズクと旅をしたことが分かるだろ」


 僕は、笑いながら言った。


「病院からもいなくなって、突然死んだって言われたらさ。

 きっと誰も信じない。

 『不死の少女と一緒に心霊スポットを巡ってた』なんて話」


「誰に信じてもらいたいの?」


 シズクの問いは、するどかった。


「……さあ」


 口ごもる僕に、彼女は視線を戻す。


「陽斗。

 あなたが死んだあと、このスマホはどうなると思う?」


「どうって……」


「いつか壊れる。

 バッテリーが膨らんで、画面が割れて、データは読めなくなる。

 それが早いか遅いかの違いだけ」


 シズクは、淡々と言う。


「たとえクラウドにバックアップしたって、そのサービスが永遠に続く保証なんてない。

 サーバーが止まれば、世界中の写真は一瞬で消える」


 言われてみれば、当たり前のことだ。

 でも、それを千年単位で生きてきた存在に言われると、途端に重みが変わる。


「だから、結局、忘れられる。

 あなたと私がここにいたことも。

 この海も。

 シオメも」


 彼女の声は冷たかったが、その瞳の奥には揺らぎがあった。


「それでも、撮る?」


 僕は、スマホを見つめた。

 画面の中の僕は、どこかぎこちない笑顔を浮かべている。シズクは、ほとんど表情を変えていない。それでも、二人の距離はたしかに「隣」だった。


「撮るよ」


 自分でも驚くほど、はっきりとした声が出た。


「たとえ壊れても、消えても。

 今、この瞬間は、確かにあったから」


 潮風が、少し強く吹いた。

 砂が舞い上がり、頬に当たる。


「それに」


 僕は、海の方を見た。


「もしかしたら、誰かが偶然このデータを見つけるかもしれないだろ。

 何十年後か、何百年後かに。

 そのときに、『こんな馬鹿なことしてた人間がいたんだ』って、誰かが笑ってくれれば、それでいい」


 シズクは、しばらく何も言わず、僕を見つめた。

 茜色に染まる赤い瞳が、いつもより深く見える。


「本当に、人間は面白い」


 やがて、彼女は小さく呟いた。


「有限だからこそ、そんな賭けができる。

 消えることが分かっていても、残そうとする」


 沈みゆく太陽が、海と空の境界線を溶かしていく。

 やがて、光は細い糸になり、最後の残光を海に落として、完全に姿を消した。


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