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「ねぇ、死にに来たの?」銀髪のアンデッドが駆る霊柩車で、僕は最期の星を見に行く  作者: silver fox
第1章:死にゆく少年に差し伸べられた、不死の慈悲

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第6話:不死を捨てた影女と、愚かで眩しい恋の記憶

 三日目の朝は、熱の匂いで始まった。


 目を開けると、視界が白く霞んでいる。

 霊柩車の天井。木目調の板に刻まれた細い傷が、脈打つように揺れている。


 喉がからからだ。

 体の芯から熱が噴き出しているのに、手足は氷のように冷たい。


「……シズク」


 声を出そうとしたが、音は空気に吸い込まれて消えた。

 代わりに、額にひんやりとした感触が触れる。


「起きなくていい」


 耳元で、囁き声がした。


「もう少し、眠っていて」


 冷たい布が、額に乗せられる。

 それが何度も取り替えられているらしく、ひやりとした感触が繰り返し訪れる。


 断片的な意識の中で、僕は何度か目を覚ました。


 見知らぬ天井。

 木造の梁。

 障子越しに差し込む、薄い光。


 どうやら、山奥のどこかの廃旅館にいるらしい、と理解したのは、何度目かの覚醒のときだった。


「ここ、どこ……?」


 かろうじて絞り出した声に、シズクが短く答える。


「山の中の旅館。

 かつて、『影女』っていうアンデッドが経営していた場所」


 朦朧とした視界の隅で、シズクの銀髪が揺れる。

 彼女は僕の傍らに座り、水の入ったコップを差し出してくる。


「少し、飲める?」


 唇を湿らせる程度に水を口に含む。

 それだけで、喉の痛みがほんの少し和らいだ気がした。


「……影女って、どんなやつ?」


「人間と恋をした、ばか」


 シズクは、あっさりと言った。


「アンデッドのくせに、自分の不死性を捨てて、人間になった。

 そして、数十年で老衰で死んだ」


「……愚か、だな」


 そう言いながらも、その愚かさがどこか眩しく感じられた。


「愚かね」


 シズクも、同じ言葉を繰り返す。


「永遠の命を捨てて、たった数十年のために。

 自分が抱えていた無数の魂を手放して、一人の人間とだけ、一緒に年を取ることを選んだ」


 口調は冷たいのに、その赤い瞳の奥には、微かな寂しさが浮かんでいるように見えた。


「……うらやましいのか?」


 自分でも驚くほど、直球な言葉が口から出た。

 熱のせいで、思考と発言の間のフィルターが薄くなっているのかもしれない。


 シズクは、一瞬だけ目を見開き、それからゆっくりと視線をそらした。


「さあ。

 愚かだとは思ってる」


 それは、答えになっているようで、なっていなかった。


 ◆


 次に目を覚ましたとき、部屋は薄暗かった。

 外はもう夕方か、あるいは夜か。障子の向こうの光は、青みを帯びている。


 なにか、重みが胸に乗っていた。


 呼吸をするたび、その重みがかすかに上下する。

 心臓の鼓動と、微妙にずれたリズムで、冷たいものが動いている。


 うっすらと目を開けると──


 シズクの頭が、僕の胸の上にあった。


 銀色の髪が、僕の病院パジャマを覆い隠している。

 彼女は目を閉じ、静かに耳を僕の胸に押し当てていた。


 その姿は、一瞬だけ、なにかの宗教画みたいに神聖に見えた。

 病人の心臓に耳を当てる、銀髪の聖女。


「……シズク?」


 声をかけると、彼女はわずかに体を震わせた。

 それでも、耳を離そうとはしない。


「何を……してるんだ?」


「心臓の音を、聞いていた」


 彼女の声は、僕の胸骨越しに、内側から響いているように感じられた。


「私には、心臓の鼓動がない。

 だから、人間の心臓の音が好き」


 耳を押し当てたまま、シズクは静かに言う。


「特にあなたの心臓は、とても美しい音色」


 思わず笑ってしまう。


「……心臓に、美しいとかあるのかよ」


「あるわよ」


 シズクは、ほんの少しだけ声を和らげた。


「乱暴な音。

 臆病な音。

  怖くて震えてる音。

 諦めちゃって、ほとんど叩くのをやめてる音。

 色々あるけど」


 彼女は頬を少しだけ押しつけるようにして、続きを紡ぐ。


「陽斗の心臓は、怖がりながらも、ちゃんと前に進もうとしてる音がする。

 止まりかけたエンジンを、必死で回そうとしてるみたいな」


「例えが、車屋みたいだな」


「霊柩車のオーナーだからね」


 不意に、二人の間に小さな笑いが生まれる。


 心臓の音が、強くなった気がした。

 彼女の耳がそこに触れていると思うと、それだけで鼓動が早くなる。


「……ねぇ、シズク」


「なに?」


「君は、人間に恋をしたことはある?」


 沈黙。


 部屋の隅で、古びた柱時計がかすかにコチ、コチ、と鳴っている。


「ない」


 短く、確固とした答え。


「アンデッドは、人間を送る存在。

 共に生きる存在じゃない。

 だから、恋なんて、する必要がない」


 その言葉は、ある種の自己暗示のようにも聞こえた。


「本当に?」


「本当に」


 シズクは、ようやく僕の胸から頭を上げた。

 銀髪がさらりと揺れ、赤い瞳がまっすぐ僕を見る。


「少なくとも、私はまだ、自分の存在を捨ててまで一緒にいたいって思える人間に出会ってない」


 その「まだ」という言葉が、どこか引っかかった。


 *まだ。*


 それはつまり、そういう可能性をどこかで否定しきれていない、ということだ。


「陽斗」


「ん?」


「熱は、少し下がったみたい。

 夜になったら、外に出られるかもしれない」


「外?」


「この旅館、露天風呂があるの。

 影女が人間と一緒に星を見た場所」


 そう言って、彼女はふっと視線を窓の方へ向けた。


「あなたの心臓の音、今夜、星と一緒に聞きたい」


 その言葉は、熱にうなされる僕の耳には、妙に甘く響いた。


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