表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「ねぇ、死にに来たの?」銀髪のアンデッドが駆る霊柩車で、僕は最期の星を見に行く  作者: silver fox
第1章:死にゆく少年に差し伸べられた、不死の慈悲

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/22

第4話:廃病院に眠る火鳥という名のアンデッド

 霊柩車の窓ガラスには、僕の顔と、夜の森が二重写しになって映っていた。

 痩せこけた頬の上に、黒い木々の影が縞模様を描く。まるで、自分自身がすでに棺の中に横たわっているみたいな光景だ。


「どこに行くんだ?」


 運転席との仕切りはない。声をかければ、すぐに届く距離。

 シートベルトは締めていない。こんな車で事故に遭っても、もう笑うしかないけれど。


「廃墟になった精神病院」


 シズクの答えは、あまりにも自然だった。


「昔は、山奥の結核療養所だったけど、そのあと精神科病院になって、最後は誰にも使われなくなった。

 今は、心霊スポットって呼ばれてるわ」


 テレビで見たことがあるような、ないような場所。

 夜中に若者が肝試しに行って、噂話をネットに書き込むタイプの廃墟だ。


「なんで、そんなところに?」


「そこにね、『火鳥カホ』が眠っているから」


 聞き慣れない名前に、僕は首を傾げる。


「火鳥?」


「私の仲間。アンデッドの一人。

 六百年前に、この国で『火』を扱うアンデッドとして活動していた女の子」


 六百年前。

 その数字の重さは、病室の時計の秒針よりも現実味がなかった。


「彼女はね、焼かれた人たちの魂を集めて、空へ送っていたの。

 戦火、火事、火刑。

 炎の中で形を失った体には、ちゃんと居場所を用意してあげないといけないでしょう?」


 声には淡々とした響きがあるのに、言葉の内容はこの世ならざるものばかりだった。


「火鳥は、優しかったわ。

 特に、心を壊した人たちに対して」


「心を、壊した人たち?」


「精神病院って、そういう人たちが集められる場所でしょう?

 この廃病院がまだ生きていた頃、彼女はよくここに来て、患者たちの隣で炎を灯していた。

 小さな炎を。彼らが暗闇に飲み込まれないように」


 シズクの横顔が、フロントガラスにぼんやりと映る。

 表情は、やはり薄い。けれど、火鳥のことを語るその声には、かすかな温度差があった。


「六百年前から……今まで?」


「いいえ。アンデッドもね、いつまでも同じ形ではいられないの」


 シズクは、カーブを曲がりながら言った。


「私たちは死なない。

 でも、忘れられる」


 その言葉は、深い井戸の底から響いてくるようだった。


「忘れ、られる?」


「陽斗、人間の世界には、名前も墓も残っていない人がどれくらいいると思う?

 家族さえその存在を忘れてしまった人たち。

 歴史の紙からはみ出した、無数の顔のない骨たち」


 シズクの声が、わずかに低くなる。


「アンデッドも同じよ。

 どれだけ長くこの世界にいても、誰にも覚えていてもらえなくなったら──

 私たちの存在は、少しずつ世界から剝がれていく」


 そのイメージが、妙にくっきりと頭の中に浮かんだ。

 壁紙が、年月とともに少しずつ剥離していくように。ペンキがはがれて、下地がむき出しになるように。


「それを、私たちは『存在の忘却』って呼んでいる」


「存在の……忘却」


 言葉にすると、やけに冷たい響きがあった。


「火鳥はね、六百年前に、最後の人間に看取られて、ここで眠りについた」


 霊柩車の速度が、わずかに落ちる。

 山道の先に、建物の影が見え始めていた。


「『私のことを覚えていてくれる人が、もう誰もいない』って。

 だから、最後にたった一人だけ、彼女を覚えている人間の隣で、静かに炎を消したの」


 シズクの言葉は、鋭くも淡い。


「それ以来、彼女の名前を呼ぶのは、アンデッドだけ。

 人間の世界から、火鳥という存在は完全に消えた。

 でも、私たちの間では、まだ彼女は『眠っている』ことになっている」


「じゃあ、君は……」


「私は覚えてる。

 だから、彼女はまだ、私の中では死んでいない」


 その瞬間、胸の奥がきゅっと縮むような痛みを覚えた。


 *忘れられたら、消える。*


 それは、人間にも当てはまる真理だ。

 有名人も、無名の誰かも。

 名前を呼ばれた最後の瞬間から、ゆっくりと「存在の忘却」は始まる。


 僕は──僕のことを、誰がどれだけ覚えていてくれるだろう。


 母と、父。

 担当医。

 もしかしたら、何度か同じ病室になった患者。

 それ以外に、誰がいた?


 友達の顔が、一人も浮かばない。

 教室の風景も、文化祭の記憶も、卒業アルバムのページも、すべてが空白だ。


 学校は、ほとんど行けなかった。

 行けても数日で倒れて、また病院に戻る。その繰り返し。

 気づいたら、出席日数は足りなくなっていた。


 僕の十八年は、ほとんどこの国道から見える病院の中で終わっている。


 そんな僕を、誰が覚えている?

 誰が、何年後かにふと名前を思い出して、胸のどこかを痛める?


 考えるほど、答えは薄くなっていく。


「怖い?」


 不意に、シズクの声が降ってきた。


「人に、忘れられるのが」


 僕は、言葉を詰まらせる。

「怖くない」と嘘をつくには、あまりにも間が悪かった。


「……分かるのか、そういうの」


「分かるわ」


 シズクは、あっさりと言った。


「だって、私もそうだから」


 霊柩車は、山の斜面を削るようにして建てられた巨大な建物の前に、ゆっくりと止まった。

 コンクリートの塊。窓ガラスはほとんど割れていて、黒い穴がいくつも口を開けている。


 病院。

 でも、生きている人間の匂いは、もうどこにもない。


「着いたわ」


 エンジンが止まり、世界から一瞬、音が消える。

 その静寂の中で、僕の心臓の音だけがやけに大きく響いていた。


 ◆


 廃病院の中は、思ったよりも冷たくなかった。

 湿った空気と、古い薬品の匂いと、カビの臭気が、薄く混じり合っている。


 床にはガラス片と紙切れが散乱していた。

「面会時間」のプレート、破れたカルテ、汚れたマスク。

 過去にここで何千回も繰り返されたであろう「日常」の、劣化した断片。


 シズクは、迷いなく廊下を進んでいく。

 僕はその後を、ふらつく足取りで追いかける。


「ここにはね、たくさんの魂が残ってる」


 彼女は、軽い調子で呟いた。


「でも、ほとんどは静か。

 時間が経って、形をなくして、ただの『気配』になっている」


 病室の扉をひとつひとつ、軽く指で叩いていく。

 トン、トン、と乾いた音。その度に、目に見えない何かがわずかにざわめく気がする。


「怖いかしら?」


「……正直、怖さを感じる余裕は、あんまりない」


 自分でも驚くほど、素直な言葉が口から出た。

 死が、あまりにも近くにあると、幽霊の存在なんて、逆にぼやけて見える。


 シズクは、一番奥の病室の前で足を止めた。

 扉には、かすれたペンキで「重症隔離病棟」と書かれている。


「ここ」


 彼女は、そっとドアを押した。

 蝶番が軋み、暗闇が口を開ける。


 中に入ると、壁一面に鉄製のベッドが押し込められていた。

 そのひとつひとつに、番号が振られている。

 窓は厚い鉄格子で覆われ、外の光はほとんど入ってこない。


 シズクは、その部屋の中央に立ち、目を閉じた。


 空気が、ゆっくりと変わっていく。

 気温は変わらないはずなのに、肌に触れる空気の密度が増していくような感覚。

 胸の奥で、胸骨の裏側を、なにか冷たい指がなぞるような。


「火鳥」


 シズクは、静かにその名を呼んだ。


「来たわよ。久しぶり」


 返事はない。

 でも、気配があった。


 誰かが、遠くからこちらを見ているような。

 誰かの笑い声が、耳の奥でかすかに反響するような。


「彼女はね」


 シズクは、目を閉じたまま言葉を紡ぐ。


「この病院がまだ動いていた頃、いちばん苦しい人の隣に座って、一晩中話をしていたの。

 『あなたは悪くない』って。

 『あなたが弱いわけじゃない』って」


 空気の密度が、さらに濃くなる。

 息を吸うのが、少しだけ難しくなる。


「でも、誰も彼女のことは覚えていない。

 この病院の職員も、患者も。

 彼女の名前を呼べるのは、もう私たちだけ」


 シズクは、軽く笑った。


「それでいいって、彼女は言っていたわ。

 『私はあなたたちアンデッドの記憶の中でだけ、生きていればいい』って」


 僕は、その言葉の残酷さと優しさに、胸を締め付けられる。


 *誰かの記憶の中だけで生きる*。

 それは、死と生の中間に引き伸ばされた、細い綱の上を歩き続けるようなものだろう。


 もし僕が死んだあと、誰にも覚えられなかったら。

 僕の人生は、それでも「あった」と言えるのか。


 ふと、シズクがこちらを振り向いた。


「陽斗。あなたが死んだあと、誰もあなたのことを覚えていなくても、ひとつだけ保証してあげる」


 赤い瞳が、暗闇の中でまっすぐ僕を射抜く。


「私が、あなたの魂を食べる。

 そうすれば、あなたは私の中で数千年は生き続けられる。

 火鳥と同じように」


 その言葉に、僕は一瞬、呼吸を忘れた。


 彼女の中で生き続ける。

 彼女の見ている世界を、僕も一緒に見続ける。


 それは、あまりにも異常で、あまりにも魅力的な提案だった。


「……君の中で、僕は……どうなるんだ?」


「私の記憶の一部になる。

 笑い方、泣き方、好きなもの、嫌いなもの。

 この旅で見た景色。

 全部、私の中で混ざり合って、ひとつの『陽斗』になる」


 シズクは、小さく首を傾げる。


「それが怖い?

 自分じゃなくなっていくみたいで」


 僕は、しばらく考えた。


「自分」が何でできているのかなんて、今まで深く考えたことがなかった。

 病気になったのも、入院生活も、いつか「治れば」忘れてしまうはずの一時的な異常だと、どこかで信じていたから。


 でも、もう治らない。

 この「異常」こそが、僕の人生の大部分だった。


「……分からない」


 正直にそう言うと、シズクはほんの少しだけ目を細めた。


「分からないって言える人間、嫌いじゃないわ」


 火鳥の眠る病室の真ん中で、彼女はそっと床に手を触れた。

 その指先から、かすかな光がにじみ出す。

 青くもなく、白くもなく、淡い橙色の、炎の残り香みたいな光。


「火鳥。

 私はまだ、あなたのことを忘れてない。

 だから、もう少しだけ、眠ってて」


 光は床に吸い込まれ、部屋の空気がゆっくりと解けていく。

 さっきまで重く圧し掛かっていた密度が、もとの薄さに戻る。


 僕は、知らない誰かのために、そっと頭を下げた。


「……なにしてるの?」


「なんとなく。

 ここにいた人に、失礼かなって」


「そう」


 シズクは、少しだけ微笑んだように見えた。


「じゃあ、あなたにもひとつ、約束しておく」


 彼女は、僕の目の前まで歩み寄り、右手を差し出した。


「これから、心霊スポットと呼ばれる場所を巡って、かつての仲間たちに挨拶をする旅をするつもり。

 付き合う?」


 その手は、相変わらずひどく冷たそうだった。

 でも、伸ばされた手を無視できるほど、僕は強くなかった。


 余命三ヶ月。

 その言葉はいまだに、胸の奥で鈍く光っている。


 けれど、それ以上に。


 *誰かが、僕を「一緒に来い」と言った。*


 それは、十八年の中で数えるほどしかなかったやさしさだ。


「……余命が、尽きるまで」


 僕は、その手を取った。

 氷みたいな冷たさが掌に走る。でも、その奥には、微かな脈のようなものがあった。


 彼女には心臓がない、とあとで知るのだけれど。

 それでも、確かに何かが「ここにいる」と主張していた。


「約束ね、陽斗」


 廃病院の外では、風が、遠くの木々を揺らしていた。

 静かで、誰にも祝福されない約束だったけれど、それは紛れもなく、僕の人生で一番「濃い」約束になった。


 こうして、僕と不死の少女の「心霊巡礼の旅」が、本当に始まった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ