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「ねぇ、死にに来たの?」銀髪のアンデッドが駆る霊柩車で、僕は最期の星を見に行く  作者: silver fox
第4章:君を自由に手放すための、一番残酷で優しい愛

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第3話:アンデッドの掟を外れて、人間の心臓を宿す「半人間」になる決意

 東の空が、群青から薄橙へと移り変わる。

 星々がひとつ、またひとつと、その光を空に返していく。


 夜と朝の境界線の上で、僕の呼吸は、ひとつひとつが貴重なものになっていた。


「……私に、あなたの心臓を?」


 シズクは、ゆっくりとその言葉を繰り返した。


 声は、かすれている。

 掟と、願いと、自分自身の欲望と──いろんなものが、その喉を締め付けているのだろう。


「ああ」


 短く答えるだけでも、肺の奥がきしむ。


「アンデッドは、人間の臓器を自分のものにすることで、その人間の一部の感覚を永遠に持ち続けることができる」


 以前、彼女から聞いた話が、頭の中で蘇る。


「君の中で、僕の心臓がずっと鳴ってたらさ。

 君が世界を見てるあいだ、僕の『生きてる』も、少しだけ続く気がして」


 シズクは、目を閉じた。


「それは、禁忌中の禁忌」


 吐き出すような声。


「魂を食べるのとは違う。

 臓器を取り込むのは、『アンデッドがアンデッドであること』そのものを変えてしまう」


「アンデッドでいられなくなる?」


「たぶん、そうね」


 彼女は、唇を噛む。


「人間と、アンデッドの中間。

 どちらにも完全には属せない、半端な存在になる」


「半人間の、不死のなりそこない、か」


「そんな感じ」


 少しだけ、苦笑いの色が混じった。


「でも」


 シズクは、はっきりと言った。


「それがいやで、あなたの願いを断れるほど、私は強くない」


 胸の奥が、かすかに熱くなる。


「いいの?」


 僕は、確かめるように尋ねた。


「君にとって、一番重い罰かもしれないだろ」


「いいわけないでしょう」


 シズクは、きっぱりと言い切る。


「怖いし、嫌だし、不安よ。

 千年もやってきた『仕事』から外れるのは」


 それでも、と彼女は続けた。


「あなたの願いを、叶えたい」


 その言葉は、まるで誓いのようだった。


「僕たちは、別々の形で永遠を生きることになる」


 僕は、吐息と一緒に言葉を押し出す。


「僕は天へ行く。

 君は、この世界に残る。

 でも、僕の心臓は、君の中で鼓動し続ける」


 それは、奇妙な折衷案だった。

 魂は自由に。心臓は束縛に。


「……ずるい人間」


 シズクは、小さく笑った。


「自分は天へ行くのに、人の身体に爆弾を仕込んでいくなんて」


「爆弾って言うなよ」


 思わず吹き出す。


「でも、君なら耐えられるだろ。

 千年分の魂を抱えてきたんだからさ。

 ひとつくらい、心臓が増えたって」


「そういう問題じゃない」


 言い合いながらも、二人のあいだに、おかしな温かさが流れる。


 それは、死を前にした者だけが持つ、特別な静けさだった。


 空は、さらに明るくなる。

 水平線のあたりが、柔らかい金色に染まり始めていた。


「陽斗」


 シズクは、ゆっくりと僕の上体を抱き起こした。


 僕の背中は、彼女の腕に支えられ、視界の先には海と空だけが広がる。


「あなたの魂は、必ず天へ送る」


 彼女は、決意を込めてそう言った。


「これは、アンデッドとしての最後の仕事。

 そして、私個人としての、わがままな選択」


 僕は、ゆっくりと頷いた。


 心臓の鼓動が、少しずつ、しかし確実に弱くなっているのを感じる。


「最後に、キスをしていい?」


 シズクの問いに、笑う余裕は、もうほとんど残っていなかった。


「最後、じゃないだろ。

 君が僕を食べないならさ」


「そうね」


 彼女の瞳に、再び涙が浮かぶ。


「これは、魂を食らうためじゃない。

 あなたを、最後まで愛するためのキス」


 その言葉に、胸のどこかが熱くなった。


「……いいよ」


 それだけを、かろうじて告げる。


 シズクは、ゆっくりと顔を近づけた。


 冷たい唇が、僕の唇に触れる。


 海と空の境界線が、滲んで見えなくなる。

 時間の感覚が、ふっと外れる。


 心臓が、一度だけ強く跳ねた。


 次の瞬間、何かがふっと軽くなる。


 身体の重み。

 痛み。

 重力。

 それらが、一斉に薄れていく。


 視界の端で、自分の体が小さく横たわっているのが見えた。


 その上から、淡い光が立ち上っている。


 自分の「外側」から、自分を見ている。

 不思議と、怖くなかった。


 光は、ゆっくりと空へ向かって昇っていく。

 まるで星屑が逆流しているみたいに。


 シズクは、僕の体を抱きしめたまま、空を見上げている。

 唇はまだ、僕の唇の形を覚えているようだった。


 僕は、自分の身体から離れていく光の流れの中で、最後のひと押しをした。


 ——行け。


 その意識の動きに応えるように、光はふっと加速した。


 地平線の向こうから、朝日が昇り始めた。


 最初の一筋の黄金色の光が、海と空と灯台と、彼女と僕の残滓をまとめて照らし出す。


 シズクの胸の中で、何かが動いた。


 彼女の手が、無意識に自分の胸に触れる。


 そこに、新しい鼓動が生まれていた。


 ドクン。


 ひどく不器用で、頼りない。

 でも、確かなリズムを持った鼓動。


「……陽斗」


 シズクは、涙で滲んだ視界の中、東の空を見上げる。


 そこで、彼女は見た。


 朝焼けに飲み込まれていくひとすじの光が、まるで笑っているように、柔らかく揺れていたのを。


「いってらっしゃい」


 彼女は、静かに呟いた。


「もう、二度と戻ってこなくていい。

 その代わり──」


 胸の鼓動が、彼女の言葉に応えるように強く鳴る。


「あなたの心臓は、ここに残していきなさい」


 朝日が完全に昇る頃、陽斗というひとりの少年の魂は、光の中へと溶けていった。


 世界は新しい一日を迎え、終焉の崖の上には、不死の少女だけが残された。


 その胸の中で、少年の心臓が、ゆっくりと、しかし力強く鼓動を始めていた。




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