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「ねぇ、死にに来たの?」銀髪のアンデッドが駆る霊柩車で、僕は最期の星を見に行く  作者: silver fox
第4章:君を自由に手放すための、一番残酷で優しい愛

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第1話:もう二度と会えなくても、「あなたを自由にする方を選ぶ」と告げた終焉の崖

 霊柩車のエンジン音が、いつもより遠く聞こえた。


 フロントガラスの向こうで、夜の海岸線が流れていく。

 左手には黒い海。右手には断崖の影。

 ヘッドライトの光が濡れたガードレールをかすめ、その奥に落ちていく白い波頭をほんの一瞬だけ照らしては、すぐ闇に返していく。


 シズクは、黙ってハンドルを握っていた。


 いつもと同じ姿勢。

 同じ横顔。

 なのに、その肩がかすかに強張っているのが分かる。


 後部に横たわる僕の体は、もうほとんど自分のものではないみたいだった。


 指先の感覚は薄れ、足の先は氷みたいに冷たい。

 胸の奥で鳴る鼓動だけが、まだはっきりと「ここにいる」と主張している。


「……シズク」


 かすれた声を出すと、すぐに彼女の視線がバックミラー越しにこちらを向いた。


「起きてたの」


「どこに、向かってるんだ?」


「最後の目的地」


 短く、それだけ。


 その言い方に、余計な説明はいらなかった。

 彼女にとっても、僕にとっても、「最後」がどこを指しているのかは、もう分かりきっているから。


「『終焉のシュウエンノガケ』」


 シズクは、少し間を置いて名前を告げた。


「アンデッドたちが最後に集まる場所。

 この世界と、あの世の境目が、一番はっきり見える崖」


 窓の外に、細い道標が見えた。

 錆びた標識に、かすれた文字で「〇〇灯台」と書かれている。

 シズクはそこを曲がり、さらに細い山道へと入っていった。


 登るにつれて、海の音が近くなる。

 風が強くなり、車体が時折揺れた。


 やがて、霊柩車は小さな駐車スペースに止まった。

 ヘッドライトを消すと、世界は途端に暗くなる。


 遠くで、波の砕ける音。

 頭上には、星がひとかたまりになって瞬いていた。


「着いたわ」


 運転席のドアが開く音。

 少しして、後部ドアが静かに開いた。


 冷たい夜風が、容赦なく吹き込んでくる。

 肺が驚いて、小さく痙攣する。


「ごめんね。揺らすわよ」


 シズクの腕が、僕の背中と膝裏に回り込む。

 軽々と、というわけにはいかない。

 彼女の体がわずかに沈み込み、息がほんの少しだけ詰まる。


「重くて、悪いな」


「生きてる証拠よ」


 彼女はそう言って、ゆっくりと僕を抱え上げた。


 その腕は細いのに、驚くほど安定していた。

 霊柩車の外へ運び出されると、潮の匂いが全身を包み込む。


 目の前に、灯台がそびえていた。


 コンクリート製の古い灯台。

 塗装は剥がれ、ところどころにヒビが走っている。

 それでもまだ、夜の岬の上に真っ直ぐ立っている。


 灯りは点いていなかった。

 代わりに、頭上の星々が、灯台の輪郭を銀色に縁取っていた。


「歩ける?」


「……無理、だな」


 正直に言うと、シズクは小さく頷いた。


「じゃあ、このまま」


 灯台の入口までは、急な石段が続いている。

 彼女はひとつずつ踏みしめるようにして、その段を登っていった。


 胸と背中に伝わる彼女の体温は、いつも通り冷たい。

 それなのに、なぜか安心する。


 何段登ったのか分からなくなった頃、ようやく狭い鉄のドアの前に辿り着いた。


 シズクは片足でドアを押し開け、中へ入る。


 灯台内部の階段は、螺旋状だった。

 鉄製の階段が、キィ、キィと軋む。


「落とすなよ」


「落とさない」


 即答。その声に、かすかな苛立ちと焦りが混じっているのを感じる。


 階段を登るたび、彼女の呼吸が少しずつ荒くなっていく。

 それでも、足取りは乱れない。


 やがて、最上階に辿り着いた。

 丸い小部屋。

 中央には、今は使われていない古いレンズ装置が鎮座している。


 シズクはその横のスペースに、そっと僕を降ろした。

 背中には、冷たい床の感触。

 でも、視界に広がる光景は、すべてを覆い隠した。


「……すげぇ」


 それ以外の言葉が、出てこなかった。


 四方の窓から見える夜の海は、星空と完全に溶け合っていた。


 空の星が、波間に落ちて揺れている。

 海の黒が、空に昇って星々を飲み込んでいる。

 上も下も分からなくなるほどの、光と闇の渦。


「ここからは、死者の国が見える」


 シズクが、静かに言う。


「アンデッドだけが見ることができる、あの世への入り口」


「どれが?」


「全部よ」


 彼女は、窓の外をぐるりと見回す。


「海も、空も。

 この境界線そのものが、『あちら』への扉みたいなもの」


 言われてみると、確かに普通の夜景とは違う気がした。


 いつか病院の屋上から見た星空よりも、はるかに深くて、遠くて、近い。

 どこかで見た古い宇宙図鑑の挿絵そのもののような光景。


 でも、それが「終わり」への入口だと思うと、不思議なほど怖くなかった。


「きれいだな」


 ようやく、それだけを搾り出す。


「僕、怖くないよ」


 呼吸は浅くなっている。

 話すたびに、胸の奥がじんと熱くなる。


「だって、シズクがいるから」


 シズクは、驚いたような、泣き出しそうな、複雑な顔をした。


「アンデッドは、泣かない」


 彼女は、どこかに言い聞かせるように呟く。


「それが掟」


 その言葉を口にした瞬間、彼女の目尻に、ひと筋の光が浮かんだ。


 星の反射かと思った。

 でも、それはゆっくりと頬を伝い、顎の先からぽたりと落ちた。


 涙だった。


「でも、私はあなたのために泣ける」


 震える声で、彼女は言った。


「千年、生きてきて。

 無数の魂を送ってきて。

 たくさんの『最後』を見てきたけど」


 言葉が、少し途切れる。


「こんなふうに涙が出るのは、初めて」


 その告白が、ひどく重く胸にのしかかる。


 千年分の「涙の不在」が、一気にここで決壊しているみたいだった。


「陽斗」


 シズクは、僕の隣にひざまずく。


 冷たい手が、そっと僕の指を包んだ。


「私は、あなたの魂を食べない」


 その宣告は、静かで、決然としていた。


 言葉の意味を理解するまでに、数秒かかった。


「……食べない?」


「あなたを、自由に天へ帰す」


 彼女の指先が、ほんの少し震える。


「アンデッドとしての私の役目は、あなたの魂を食べて、自分の中で運び続けること。

 そうすれば、あなたは忘却に飲まれない。

 私の中で、永遠に生き続けられる」


「うん」


「でも、それは──私のための救いでしかない」


 シズクは、悔しそうに唇を噛んだ。


「あなたの魂を『私のもの』にして、安心しようとしているだけ。

 あなたの自由を奪って、『永遠に一緒だ』って自分を慰めているだけ」


 その言い方は、あまりにも自分に厳しすぎた。


「だから、私は選ぶ」


 彼女は、窓の外の夜の海を見つめる。


「あなたを、自由にする方を」


「でも、そうしたら僕たちは……」


 言葉が続かない。

 頭の中では、その先にある結論がはっきりしているのに、それを言葉にするのが怖かった。


「もう、会えない」


 シズクが、代わりに口にする。


「少なくとも、この世界では。

 アンデッドとしての私と、人間の魂としてのあなたは、二度と交わらない」


 灯台のガラス窓に、彼女の横顔が映る。

 その目は、涙の跡で赤くなっていた。


「それでもいい。

 それが、あなたへの私の愛」


 あまりにも真っ直ぐな言葉に、喉の奥がぎゅっと熱くなる。


「自分の存在よりも、あなたの自由を選びたい。

 たとえ、そのせいで、私がひとりに戻ったとしても」


「……ずるいな」


 かろうじて、そう言った。


「そんなこと言われたら、僕も『食べてくれ』って言えなくなるじゃないか」


「それでいい」


 シズクは、ゆっくりと笑った。


 灯台の外では、遠い波の音が、夜の海岸線を洗っていた。

 星々は、何も知らない顔で、ただ淡々と瞬き続けている。


 終焉の崖での決断は、静かに、しかし確実に下された。


 僕は、シズクの手を握り返した。

 冷たいその手は、今まででいちばん、あたたかく感じられた。



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