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「ねぇ、死にに来たの?」銀髪のアンデッドが駆る霊柩車で、僕は最期の星を見に行く  作者: silver fox
第3章:千年前の星空と、解かれる輪廻の糸

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第5話:平安の約束から現代の病室まで、星を見上げ続けた魂が辿った千年の軌跡

 それは、あまりにも唐突だった。


 次に体が大きく揺れたとき、僕は霊柩車の後部にいた。


 窓の外の景色は、雪。

 白い世界。

 街でも温泉街でもない、どこか別の場所。


「……シズク?」


 呼びかけようとして、自分の声が出ていないことに気づいた。


 喉が動かない。

 舌も、唇も、重い。

 まぶたすら、うまく上がらない。


 音だけが聞こえてくる。


 エンジン音。

 タイヤが雪を踏みしめる音。

 シズクの、荒い息。


「もう少し……」


 彼女のかすれた声が、フロントから聞こえる。


「もう少しだけ、持ちこたえて」


 僕の体は、ほとんど自分のものではないみたいだった。


 重くて、冷たくて、遠い。


 世界が、白と黒のモザイクに崩れていく。


 ◆


 かすかな揺れのあと、霊柩車は止まった。


 ふわり、と体が持ち上げられる感覚。

 誰かの腕の中に抱えられている。


 雪を踏む音。

 きしむ木の階段。

 軋む扉。


 それらが、遠くで鳴っている。


 やがて、柔らかな布の上に体が置かれた。


 香の匂い。

 古い木の匂い。

 そして、どこかで嗅いだことのある、清め塩のような乾いた匂い。


「ここが、『境界サカイ』」


 シズクの声が、頭上から降ってきた。


「生と死のあいだにある、神社」


 ようやく、まぶたが開いた。


 視界に入ってきたのは、木の天井だった。

 梁がむき出しで、そこには古い注連縄がかかっている。


 僕は、畳の上に寝かされていた。

 枕元には、小さな紙垂が揺れている。


 部屋の奥には、簡素な祭壇があり、その中央に古びた木箱が置かれていた。

 箱の表面には、無数の文字が刻まれている。


「陽斗」


 シズクが、僕の顔を覗き込んだ。


 目の下の隈は濃く、唇の色も悪い。

 それでも、その瞳だけは強く輝いていた。


「間に合って、よかった」


「……ここ、は」


「境界の神社。

 生と死の境界線が、一番薄い場所」


 シズクは、祭壇の前に膝をつき、慎重に木箱の蓋を開けた。


 中には、巻物が一本、収められていた。

 古い和紙が、かすかに黄ばんでいる。


「アンデッドの秘術が記されている」


 シズクは、慎重に巻物を広げた。


 そこには、見慣れない文字と、いくつかの図が描かれていた。

 人の形。星の位置。月の満ち欠け。

  それらが、一本の線で繋がれている。


「禁断の術だけど」


 シズクは、僕を振り返る。


「これで、あなたの記憶が戻るかもしれない」


「記憶……」


「あなたの魂が、今までどこを巡ってきたか。

 誰と約束をしてきたのか」


 彼女の声は、いつになく慎重だった。


「本当は、こんなことするべきじゃない。

 前世の記憶なんて、知らないままの方が楽だから」


「でも、君は──」


「私は、知りたい」


 シズクは、はっきりと言った。


「あなたが誰なのか。

 私が、何を待ってきたのか。

 全部、はっきりさせたい」


 祭壇の上に巻物を広げ、彼女は僕の側に戻ってくる。


「少しだけ、頭が痛くなるかもしれない」


「今さら、怖くないよ」


 痛みには、もうだいぶ慣れていた。


 シズクは、僕の額にそっと手を当てた。


 冷たい指先。

 その下で、脈が弱々しく打っている。


「陽斗。

 目を閉じて」


 言われるままに、瞼を下ろす。


 彼女の唇が、額に触れた。


 今度のキスは、魂を奪うためではなく──記憶を呼び覚ますためのものだと、直感した。


 耳元で、聞き取れない呪文のような言葉が囁かれる。


 古い歌。

 祈り。

 呼び声。


 意識が、ふっと浮き上がった。


 ◆


 闇の中に、ひとつの灯がともる。


 最初の灯は、平安の村だった。


 茅葺き屋根。

 裸足の子どもたち。

 遠くで鳴る太鼓の音。


 若い武士の背中。

 旅装束。

 腰には刀。

 肩には、疲れ。


 その武士が、村はずれの小さな家に入る。


 中には、病に伏せた一人の少女がいた。


 長い黒髪。

 白い小袖。

 痩せ細った腕。

 けれど、その瞳だけは、驚くほど強い光を宿している。


『来てくれて、ありがとう』


 少女が微笑む。


 武士は、黙って頷く。


 村は、疫病に覆われていた。

 誰もが恐れ、祈り、諦めていた。


 武士は、少女の手を握る。


『怖くないの?』


『怖いさ』


 でも──と、彼は続ける。


『あなたが一人で死ぬ方が、もっと怖い』


 少女は、涙を浮かべながら笑う。


『来世で、会えたらいいね』


『会おう』


 武士は、真剣な目で言う。


『来世でも、その次でも。

 何度でも、必ず見つける』


 少女の瞳が、ふっと優しくなる。


『じゃあ、約束』


 小指同士が、そっと絡む。


 それが、最初の「約束」だった。


 ◆


 景色が変わる。


 戦場。

 血の匂い。

 燃える村。


 武士は、剣を振るう。

 何度も傷を負い、何度も立ち上がる。


 でも、星空の下に倒れたとき、彼の頭の中にあったのは、あの村の少女の顔だけだった。


『必ず、見つける』


 最後の瞬間まで、その言葉だけが彼を支えていた。


 やがて、その魂は闇に落ちる。


 けれど、その闇は終わりではなかった。


 ◆


 別の灯が、ともる。


 江戸の町。

 明治の工場。

 昭和の教室。

 平成の病室。


 そのすべてに、「彼」はいた。


 名前は違う。

 顔も違う。

 生きた時代も、環境も、まるで違う。


 でも、同じものがひとつだけあった。


 星を見上げる癖。


 夜になると、理由もなく空を見上げる。

 誰かを待っているのか、自分でも分からないまま。


 でも、胸の奥には、いつもひとつの感覚があった。


 *誰かと、約束をしている。*


 誰かを、探している。


 ◆


 別の灯。


 川辺で、少女が亡くなる。


 その魂を、誰かが抱きとめる。


 白い手。

 銀の髪。

 赤い瞳。


『あなたは、呪われているのではない。

 選ばれているのだ』


 あのときの言葉が、遠くで響く。


 少女は、アンデッドになる。

 待つ者から、送り出す者へ。


 でも、その心のどこかには、まだ残っていた。


『来世で、また会いましょう』


 川辺の星空。

 約束の言葉。


 彼女は、それを手放せなかった。


 ◆


 灯が、ひとつに重なる。


 今。

 病室から抜け出した夜。

 国道で倒れた瞬間。

 黒い霊柩車。


 シズクの赤い瞳。

「死にに来たの?」という声。


 あのとき、彼女はようやく気づいたのかもしれない。


 何度も探して、何度もすれ違ってきた魂が、ようやく自分の前に現れたことに。


 ***


 意識が、ゆっくりと戻ってくる。


 木の天井。

 香の匂い。

 シズクの顔。


 頬には、濡れた跡があった。

 それが涙なのか、汗なのか、雨なのかは分からない。


「……覚えていた」


 声が、かすかに出た。


「僕たち、約束をしていたんだな」


 シズクは、ゆっくりと頷いた。


「来世で、また会おうって」


「ああ」


 喉がひりつく。


「何度も、何度も、探してたんだな、僕は」


「そして、私は、待ち続けてた」


 彼女の声も震えていた。


「でも、アンデッドは、人間を愛してはいけない」


 シズクは、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「それが掟。

 私たちは魂を食らい、送り出す存在であって、共に生きる存在ではない」


 その掟の意味が、今になって重く胸にのしかかる。


 彼女がどれだけ僕を待っていても。

 僕がどれだけ彼女を探しても。

 最後には、彼女は僕の魂を「食べなければならない」。


「シズク」


 僕は、力を振り絞って手を伸ばした。


 彼女の頬に触れる。


 冷たい。

 でも、その奥には、はっきりとした震えがあった。


「でも、僕たちは──何度も巡り会ったんだろ」


 平安の村でも。

 別の時代でも。

 星図の部屋でも。


「それは、掟よりも強いんじゃないのか」


 彼女の肩が、小さく震えた。


「だから私は、苦しい」


 絞り出すような声。


「あなたの魂を食べれば、あなたは私の中で永遠に生きられる。

 忘却に飲まれることはない。

 ずっと、私の記憶の中で、あなたは星を見続けられる」


 それは、たしかにひとつの「救い」だ。


「でも、それは本当のあなたではなくなる」


 シズクは、目を閉じた。


「あなたの意志も、あなたの選択も、あなたの『今』も。

 私の中の無数の記憶のひとつに、混ざってしまう」


 外では、雪が降り始めていた。


 しんしんと。

 静かに。

 時間の流れを、白く塗りつぶすように。


「私には、決断する時間がない」


 彼女は、拳を握り締める。


「あなたの命は、もう……」


 言葉の続きを、彼女は口にしなかった。


 でも、分かっていた。


 僕の時間が、本当に「境界」に立たされていることを。


「シズク」


 できる限りの笑顔を作る。


 最後に、泣き顔なんて見せたくなかった。


「僕は、後悔してないよ」


 彼女の瞳が、揺れる。


「この旅は、僕の人生で最高の贈り物だった」


 病院のベッドで迎えるはずだった「終わり」よりも。

 何倍も、何十倍も、ましなんかじゃない。

 比べものにならないくらい、豊かで、痛くて、眩しい時間だった。


「だから、あとは──君が決めていい」


 彼女の中に僕を閉じ込めるのか。

 それとも、僕を自由に手放すのか。


「君が楽になれる方を、選べばいい」


 その言葉に、シズクはゆっくりと首を振った。


「楽になれる選択なんて、どこにもない」


 雪が、社殿の屋根を静かに白く染めていく。


 月明かりが、その雪を青く照らす。


 生と死の境界に立つ神社で。

 僕たちは、最後の選択を前に、ただ互いを見つめ合っていた。


 彼女の赤い瞳の奥には、千年分の記憶と、千年分の迷いと──たったひとつの「約束」が、静かに灯っていた。




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