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「ねぇ、死にに来たの?」銀髪のアンデッドが駆る霊柩車で、僕は最期の星を見に行く  作者: silver fox
第3章:千年前の星空と、解かれる輪廻の糸

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第4話:雪の廃温泉で湯女の残した湯に浸かり、「天国みたいだ」と笑う夜

 図書館の街を離れると、霊柩車は再び山へ向かった。


 季節が一気に変わったかのように、窓の外の景色に白いものが混ざり始める。

 はらはらと舞い落ちる雪片が、フロントガラスに貼りついてはすぐに溶けた。


「雪だ」


「山の上だからね。

 ここは、湯女ユメがいた温泉地」


「ゆめ?」


「『湯女』って書いて、『ユメ』って読む。

 人々の疲れを、湯と一緒に引き受けるアンデッド」


 シズクの言葉に合わせるように、遠くに湯けむりが見え始めた。


 かつては賑わっていたであろう温泉街。

 今は、閉まったままの旅館の看板と、色あせた観光ポスターだけが残っていた。


 ◆


 霊柩車が止まったのは、その温泉街の一番奥だった。


 大きな木造の旅館が、山肌にへばりつくように建っている。

 看板の文字は半分剥がれ、「〇〇荘」の「〇〇」の部分だけが読めない。


「ここ」


 シズクは迷いなく玄関に向かう。


 引き戸は、鍵など意味をなさないほど朽ちていた。

 中は暗く、かびた畳の匂いが鼻を刺す。


「湯女は、人間の疲労や病を、自分の中に引き受けていた」


 廊下を歩きながら、シズクが説明する。


「温泉に浸かった人たちの、肩こりや腰痛。

 重たい心や、治りかけの風邪。

 そういうものを、少しずつ、自分の中に移してあげていた」


「そんなことしたら、湯女の方がボロボロになるんじゃないのか」


「実際、そうなったわ」


 シズクは、あっさりと言う。


「でも、彼女はそれを望んでいた。

 『少しでも楽になって帰ってもらえるなら、それでいい』って」


 廊下の突き当たりの扉を開けると、露天風呂へ続く石畳の道が現れた。


 外は、しんしんと雪が降り続いている。

 その中で、ひとつだけ湯気を立てている湯船があった。


「……本当に、湯気出てる」


「言ったでしょう。

 湯女の力で、この湯だけは、まだ温かい」


 湯面から立ち昇る湯気が、雪と混ざり合って白いヴェールを作っていた。


「入ろう」


 シズクは、当然のように言う。


「風邪引くぞ」


「あなた、もうそれどころじゃない病気でしょう」


「それもそうか」


 脱衣所は、すでに半ば崩壊していた。

 それでも、適当に荷物を置いて、服を脱ぐ。


 冬の外気に触れた瞬間、全身に鳥肌が立った。


「早く入りなさい」


 シズクは、先に湯船の縁に座り、足だけ湯に浸けている。


 湯は、驚くほど温かかった。

 足先がじんじんと痺れ、膝まで沈めると、全身がとろけそうになる。


 湯船の縁に手をつき、ゆっくりと体を沈める。


「……あぁ」


 声にならない息が漏れた。


 温かさが、皮膚から、筋肉から、内臓の奥まで染み込んでいく。

 さっきまで冷たかった手足の指先が、じわじわと熱を取り戻していく。


「どう?」


「天国って、こんな感じなのかな」


「天国なんて、行ったことないから分からない」


 シズクは、肩まで湯に浸かりながら言った。


「でも、人間はよく『極楽浄土は蓮の湯船だ』なんて描写をするわね」


 雪が、静かに降り続いている。

 頭上には、曇り空。

 それでも、湯気のヴェールの向こうに、うっすらと星の気配が感じられた。


 胸に手を当てる。


 心臓の鼓動は、確かに弱くなっている。

 でも、不思議と恐怖はなかった。


 隣で同じ湯に浸かっているシズクの存在が、その恐怖を和らげてくれているようだった。


「シズク」


「なに?」


「アンデッドって、どうやって人間の魂を食べるんだ?」


 以前から聞いていた話を、改めて確かめたくなった。


「キスをする」


 彼女は、あっさりと言った。


「それで、終わり?」


「それで、すべてが始まりで、終わり」


 湯気の向こうで、彼女の赤い瞳が静かに光る。


「あなたたちは、最後の瞬間まで、感覚を持っている。

 痛みも、恐怖も。

 それを、できるだけ和らげるために」


「キス、か」


 さっきの海辺の夜が、ふと頭をよぎる。


「それって、最後の最後まで優しいんだな」


「優しい……のかしら」


 シズクは、少しだけ目を伏せる。


「私たちは、あなたたちの魂を食べる。

 どれだけ優しい手段を用いても、結果は変わらない」


「でも、最後に誰かに抱きしめられるのは、きっと救いだよ」


 自分の言葉に、少し驚く。


 昔の僕なら、「キスで魂を食われる」なんて話を聞いたら、真っ先に逃げ出していただろう。


 でも今は、違う。


「誰にも触れられずに、冷たいベッドでひとりで死ぬよりもさ。

 最後に誰かが『ここにいる』って言ってくれるだけで、だいぶ違うと思う」


 雪が、湯の表面に落ちてはすぐに溶けていく。

 その一瞬の冷たさが、逆に湯の温かさを際立たせていた。


 ふいに、シズクが僕のすぐ隣まで寄ってきた。


 肩と肩が、湯の中で触れ合う。


「でも、あなたはまだ死なせない」


 耳元で、低く囁かれる。


 背筋に、温かいものが走った。


 その言葉だけで、心臓の鼓動が少しだけ強くなる。


 ◆


 その夜、僕たちは旅館の一室で布団を並べて眠った。


 天井は低く、壁はところどころ剥がれていたが、布団はまだ十分に使える状態だった。

 雪の音だけが、静かな部屋に降り積もっていく。


 眠りは浅かった。


 夜中、ひどい痛みで目が覚めた。


 腹の奥。

 あるいは胸の奥。

 もはや、どこが痛いのか判別できないほどの、全身を貫く痛み。


「っ、あ……」


 声を出すことすらできない。


 体が勝手に丸まる。

 布団を掴む指が、白くなる。


「陽斗?」


 すぐ横から、シズクの声が飛んできた。

 気配からして、彼女も眠っていなかったのかもしれない。


「どこが痛い?」


 問いかけに、答えられない。

 痛みは、場所を選ばず、全身を焼き尽くそうとしていた。


 喉の奥から、勝手に呻き声が漏れる。

 涙が、知らないうちに頬を伝っていた。


「……もう、そんな時間」


 シズクの声が、震える。


「まだよ。

 まだ、連れて行かない」


 ベッドのきしむ音。

 次に感じたのは、彼女の手が僕の頬に触れる冷たさだった。


「陽斗。

 もう一度、私の血を飲む?」


 以前と同じ問いかけ。


 でも、今度は、その意味が前よりもずっと重く感じられた。


「これ以上は危険。

 人間の体に、アンデッドの力を重ねすぎると──」


 彼女は、一瞬言葉を切った。


「境界が壊れるかもしれない。

 生と死の境目が、曖昧になってしまう」


「それって……」


 痛みの合間を縫うように、かすれた声を絞り出す。


「君の方も、削れるんだろ」


「そうね」


 シズクは、正直に頷いた。


「でも、あなたが『もう十分だ』って言わない限り、私はまだ諦めない」


 その言葉が、痛みの中心に刺さる。


「……勝手だな」


「そうよ。

 私は、ずっと勝手だった」


 彼女は、自分の手首にそっと爪を立てた。


「陽斗。

 もう一度、聞く」


 冷たい手首が、僕の唇に触れる。


「まだ、生きたい?」


 即答だった。


「……生きたい」


 痛みで歪んだ視界の中で、それだけははっきりしていた。


 シズクは、小さく頷いた。


「じゃあ」


 鉄の味。

 微かな甘さ。


 彼女の血が再び舌に触れ、喉を通り、体中に広がっていく。


 焼けるような痛みが、少しずつ、少しずつ、引いていく。

 代わりに、強烈な疲労が押し寄せてきた。


「これ以上は、本当に危険」


 シズクの声が遠くなる。


「もう、何度もはできない」


 呼吸が落ち着いてくると、僕は、彼女の手を探して掴んだ。


 冷たい指。

 それが、震えているのが分かった。


「……もう、十分だよ」


 かすれ声で、笑う。


「こんなに素晴らしい時間を、ありがとう」


 湯女の温泉。

 笑姫の観覧車。

 潮女の海。

 鉄姫のホーム。

 木霊の樹海。

 知姫の星図。


 病院の天井だけだった僕の世界に、こんなにも多くの景色が重ねられている。


「僕の人生は、本当は三ヶ月じゃなくて、十八年と、君と旅した日々で、ちゃんと完成してる」


 シズクの肩が、小さく震えた。


「人間の魂を食べてきた私が」


 押し殺したような声。


「今初めて、一つの魂を救いたいと思っている」


 その告白は、痛みよりも強く胸に響いた。


 雪の音だけが、静かに降り続ける。


 僕は、彼女の手を握ったまま、意識を手放した。


 互いの存在を確かめ合うように、ただ静かに。




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