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「ねぇ、死にに来たの?」銀髪のアンデッドが駆る霊柩車で、僕は最期の星を見に行く  作者: silver fox
第3章:千年前の星空と、解かれる輪廻の糸

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第1話:雨の樹海と木霊の楠が、迷った魂と「生きる意味」をそっと受け止める夜

 雨の匂いは、病院の消毒液とはまるで違っていた。


 ワイパーがフロントガラスを一定のリズムで叩き、飛び散った水滴が夜のヘッドライトに短い虹を作る。霊柩車は、舗装の荒い山道をゆっくりと登っていた。


「ずいぶん山奥だな」


 後部座席の窓ガラスを伝う水の筋を眺めながら、僕は呟いた。


「そうね。ここは、人間があまり来ない場所だから」


 運転席のシズクは、視線を前に向けたまま言う。


「『樹海』って呼ばれている森の一角。

 ここは、『木霊コダマ』っていうアンデッドの領域」


「自殺の名所、ってやつか」


「人間はすぐそう呼びたがるけれど」


 シズクは、少しだけ肩をすくめた。


「本当は、迷った魂のための、静かな玄関よ」


 ◆


 山道の終点で、霊柩車はエンジンを止めた。


 ドアを開けた瞬間、冷たい雨が容赦なく降りかかる。霧を含んだような細かな雨粒が、肌にまとわりついて離れない。視界の半分以上が、濃い緑と灰色のヴェールで塗りつぶされていた。


「滑るから、気をつけて」


 シズクが差し出した黒い傘に入り込み、僕たちはぬかるんだ獣道を歩き出した。

 木々は異様なほど背が高く、幹の間隔は狭い。頭上には枝葉の天蓋が広がり、空はほとんど見えなかった。


 足を踏み出した瞬間──


 胸の奥で、何かが微かに震えた。


 木々の息。

 土の中で水が流れていく感覚。

 葉に落ちた雨粒が、重さを増してから弾ける寸前の、わずかな張り。


 そんなものが、一度に押し寄せてくる。


「……なんだ、これ」


 思わず足を止めると、隣のシズクがちらりとこちらを見た。


「感じる?」


「ああ……。なんか、森の……呼吸、みたいな」


「それが、アンデッドの感覚」


 彼女の声は、しとしとと降る雨に溶け込むように柔らかかった。


「生きているものと、死にかけているもの、その境目の震えを感じ取れる。

 木々や草花もね。彼らも、生と死のあいだで、常に揺れてる」


 僕は、すぐ横の大木の幹にそっと手を当ててみた。

 濡れた樹皮はひんやりとしているのに、その奥からは、ゆっくりとした鼓動のようなものが伝わってくる。


「……生きてるんだな」


「当たり前でしょう」


 シズクは、少しだけ楽しそうに笑った。


「人間は、自分以外の生き物の『生きてる』を、すぐ忘れるから」


 雨音が、徐々に強くなる。

 それでも、木々の葉がクッションになって、地面に届く頃には柔らかな囁き声に変わっていた。


 森の奥へ、さらに進む。


 時間の感覚が、薄れていく。

 時計も、電波も、この場所には意味を持たない。


「……なぁ、シズク」


「なに?」


「樹海ってさ。怖いイメージしかなかったけど」


 僕は、周りを見回しながら言った。


「ここ、変に落ち着くな」


「そう?」


「うん。なんか、うるさいくらい静かでさ」


 自分でもうまく言えない。矛盾した感覚。

 でも、病院の無音の静けさとは違う、満ちた静寂がここにはあった。


「それは、たぶん木霊のおかげ」


 シズクは、前方を指差した。


「もうすぐよ」


 ◆


 森の中で、そこだけぽっかりと空が開けていた。


 巨大な一本の楠が、そこに立っていた。

 他の木々よりもひときわ太く、高く、幹には幾重もの年輪が刻まれている。

 雨に濡れた葉は、墨のような深い緑色をしていた。


 その根元には──


 無数の小さな石塔が、ひしめき合うように置かれていた。


 ひとつひとつは、掌に乗るほどの大きさだ。

 丸いもの、角張ったもの、苔むしたもの、ひび割れたもの。

 手作りのような、不揃いな塔が、楠の周囲をぐるりと取り囲んでいる。


「……これ、全部」


「ここで、自ら命を絶った人たちのための印」


 シズクは、石塔のひとつにそっと指先を触れた。


「木霊が作った。

 あるいは、彼女に導かれた誰かが、置いた」


 雨に濡れた石は、ひんやりとしている。

 でも、その内側には、さっき触れた木の幹と同じような、微かな震えがあった。


「木霊はね、この樹海で命を絶った人たちの魂を浄化していた」


 シズクは、楠を見上げる。


「彼女は言っていたわ。

 『生きる意味を見失った人間を責めてはいけない。

 彼らは私が導く』って」


 雨が、石塔の上で小さな輪を描く。

 それが波紋になって、じわりと広がっていく。


「ここで死んだ人間たちの多くは、誰にも見送られなかった。

 家族にも、友人にも、知られないまま、森に消えていった」


 シズクの声には、わずかな痛みが滲んでいた。


「だから木霊は、せめて彼らの『最期の場所』だけでも記憶しようとしたの」


 彼女は、別の石塔に手を当てる。


 その瞬間──かすかな青白い光が、石の中から滲み出した。


 ほとんど目を凝らさないと分からないほどの、淡い光。

 それでも、そのひとつひとつが確かに「誰か」の名残だと、直感した。


「彼らの記憶は、この森に溶け込んでいる」


 シズクの言葉に合わせるように、楠の葉がさらさらと揺れた。


 何十、何百という「声」が、雨音の中に混じって聞こえてくる気がした。

 叫びでも、呻きでもない。

 ただ、そこにいたという「存在の痕跡」。


 胸の奥が、じんわりと熱くなる。


 *生きる意味を見失った人間を責めてはいけない。*


 その言葉が、静かに染み込んでくる。


 僕は、石塔のひとつに手を伸ばした。

 指先が触れた瞬間、ひどく短い映像が、頭の中をかすめていく。


 電車の揺れ。

 夜の会社のデスク。

 冷えた缶コーヒー。

 帰れない駅のホーム。


 誰かの、一瞬。

 そして、その「続き」がここで途切れたのだと分かる。


「……シズク」


「なに?」


「生きる意味って、なんなんだろうな」


 自分でも、安っぽい問いだと思う。

 宗教本か哲学書の最初のページみたいな言葉。


「それが分かってたら、私たちの仕事はないわ」


 シズクは、さらりと言った。


「ただひとつ言えるのはね。

 意味を見失ったこと自体が、『罪』じゃないってこと」


 彼女は、雨に濡れた髪をかき上げる。


「人間は、そんなに強くない。

 いつだって、少しのきっかけで折れてしまう。

 折れたことを責めるのは、残された者の『都合』よ」


 言葉のひとつひとつが、やけに重く感じられる。


 *じゃあ、僕はどうなんだろう。*


 家族を置いて、勝手に病院を出た僕は。

 ここに来なければ、病室で静かに死ねたのかもしれない僕は。


 それを考えた瞬間、胸の奥に別の痛みが走った。


 父と母の顔が、ふと頭に浮かぶ。

 僕の失踪を知らされて、どんな顔をしているだろう。


「家に、帰りたい?」


 シズクの問いは、唐突だった。


 雨の音に紛れていたはずなのに、その声だけが妙にはっきりと耳に届いた。


「……分からない」


 正直に言う。

 嘘をついても、この森の湿った空気が、すぐに見抜いてしまいそうだった。


「父さんと母さんが、今どうしてるのかは気になる。

 悲しんでるのか、怒ってるのか、呆れてるのか」


 石塔から手を離し、空を見上げる。

 厚い雲に隠れて、空の色は分からない。


「もしかしたら、少しだけ、ほっとしてるかもしれない」


「ほっとしてる?」


「医療費のこととかさ。

 これ以上、僕にお金を使わなくて済むって。

 罪悪感もあるだろうけど、同時に、どこかで軽くなってる部分もあるんじゃないかって」


 そう考えてしまう自分が、一番嫌だった。


「今さら帰って……『ただいま』って言ってもさ。

 何も、変えられないだろ」


 僕は、握りしめた拳をゆっくり開いた。


「だったら、このまま旅を続けたい。

 君と、一緒に」


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