第4話:忘れられた遊園地と、笑顔に執着したアンデッド『笑姫』の夜
夜の郊外は、都会とは別の暗さを持っていた。
街灯の間隔は広くなり、コンビニの光も途切れがちになる。
やがて、電柱すらなくなり、道の両側には背の高い雑木林が続くばかりになる。
「この先?」
「そう。
ここを曲がって、少し行くと見えてくる」
シズクの言葉どおり、彼女がハンドルを切る。
霊柩車がカーブを抜けた瞬間、
暗闇の奥に、異様なシルエットがゆっくりと浮かび上がった。
観覧車だった。
錆びついた鉄の輪が、星空を切り抜くようにそこに立っている。
止まったままのゴンドラが、風にきしきしと鳴いていた。
遊園地のゲートは半分崩れ、看板の文字はところどころ欠けている。
「ようこそ 〇〇ランドへ」の「〇〇」の部分だけが、完全に剥がれ落ちていた。
「ここが、『笑姫』の縄張りだった場所」
シズクは、ゲートをくぐりながら言う。
「笑う姫、か」
「彼女はね、人間の笑顔を見るのが大好きだったの。
どんな魂よりも、笑っている顔が好きだって言っていた」
園内には、錆びたメリーゴーラウンド、止まったままのジェットコースター、色の抜けた遊具が並んでいる。
チケット売り場の窓ガラスは割れ、自販機はすでに中身を抜かれてただの箱になっていた。
「遊園地って、本来は『生きている人間』のための場所でしょう?」
シズクは、観覧車の支柱に手を触れながら言う。
「でも、ここには、いろんな『終わり』も集まるの」
笑い声の残響。
閉園時間のアナウンス。
別れを告げるカップル。
泣き止まない子ども。
「笑姫はね、ここで死んだ人間の魂を送る仕事をしながら、できるだけ彼らを笑わせようとしていた」
「ここで、死んだ人……」
「いるわよ。
ジェットコースターから落ちた人。
観覧車の頂上でプロポーズして、振られて、そのまま──」
「待て、その先は聞きたくない」
「冗談よ」
シズクは、くすりとも笑わずに言う。
冗談なのか、本気なのか、まるで分からない。
「でも、人はどこでだって死ぬ。
楽しい場所でも、悲しい場所でも。
だからアンデッドは、どこにでもいる」
彼女は、観覧車の支柱を見上げる。
「登りましょう」
「は?」
「動かないけど、登れば星がよく見えるわ」
彼女は当然のように非常階段に足をかけた。
鍵など、とっくに壊れている。
「おいおい、これ……」
「怖い?」
「怖いに決まってるだろ」
「大丈夫。
落ちたら、私が拾ってあげる」
それは、励ましになっているのかどうか分からない言葉だった。
観覧車の骨組みには、ところどころ錆が浮いている。
でも、シズクは慣れた様子で、するすると階段を登っていく。
僕も、心臓の鼓動を意識しながらその後を追う。
階段はきしみ、風が吹くたびに全体がわずかに揺れた。
途中で何度か足を止めて、呼吸を整える。
シズクは待ってくれる。
振り返って、黙ってこちらを見守る。
「無理そうなら、ここでやめる?」
「……いや、行く」
さっき飲んだ彼女の血が、まだ体の中に残っている。
それが、ほんの少しだけ背中を押してくれている気がした。
やがて、一番上のゴンドラにたどり着いた。
扉は壊れており、なかば開いた状態で止まっている。
「足元、気をつけて」
シズクに手を引かれ、慎重にゴンドラの中へ入る。
錆びた床が、ぎしりと音を立てた。
そこからの夜景は──息を呑むほどだった。
廃遊園地の向こうに、遠くの街の明かりが点々と浮かんでいる。
頭上には、満天の星。
まるで、星と街の光が、上下反転して向き合っているようだった。
「……すげぇ」
思わず、素直な感嘆が口からこぼれた。
「でしょ」
シズクは、めずらしく誇らしげに胸を張る。
「ここ、笑姫のお気に入りの場所だったの。
人間の笑顔と、星空と、街の光が、いちばん綺麗に混ざって見えるところ」
彼女は、錆びた手すりに両手をかけ、外を見下ろす。
「笑姫は、言っていたわ。
『人間は有限だからこそ、笑顔が美しい』って」
「有限だから……」
「そう。
終わりがあるから、輝く。
同じ笑顔でも、永遠に続くなら、それはただの仮面になる」
風が、銀髪を揺らす。
「でも、私は思った。
『有限だからこそ、こんなにあっけなく消えるのか』って」
シズクの声には、かすかな皮肉が混じっていた。
「ここで笑っていた子どもたちも、今は大人になっているか、もう死んでいる。
その誰もが、この夜景のことなんて覚えていない。
笑姫のことも」
「だから、君が覚えてるんだろ」
僕は、彼女の横顔を見ながら言う。
「火鳥のことも、潮女のことも、鉄姫のことも。
覚えていないと、自分が自分じゃなくなるから」
シズクは、少しだけ目を見開き、それからふっと笑った。
「人間のくせに、よく分かってるじゃない」
「僕も、忘れられるのが怖いからな」
観覧車のゴンドラは、風にあわせてわずかに揺れる。
その揺れに合わせるように、僕の心臓もリズムを変える。
「シズク」
「なに?」
「君は、アンデッドになる前のこと、ほとんど覚えてないって言ってたけどさ。
本当に、全部どうでもいいのか?」
「どうでもいい、とは言ってない」
彼女は、ゆっくりと首を振る。
「覚えていないだけ。
でも、感情は残ってる。
待っていた、とか。
探していた、とか。
約束をした、とか」
言葉の最後が、わずかに震えた気がした。
「だから、今も待っているのかもね。
誰かを。
何かを」
月明かりが、彼女の横顔を白く照らす。
その目は、どこか遠いところを見ていた。
「君も、孤独なんだな」
口をついて出た言葉に、自分でも驚いた。
でも、取り繕うことはできなかった。
何百年ものあいだ、無数の魂を送り続けてきた不死の少女。
その肩には、どれだけの「さよなら」が積もっているんだろう。
「当たり前でしょう」
シズクは、あっさりと認めた。
「アンデッドは、基本的に一人。
誰かと一緒に旅をするなんて、滅多にない」
「じゃあ、なんで僕と──」
「だから言ったでしょう」
彼女は、僕の言葉をさえぎる。
「あなたは、特別」
観覧車の中。
満天の星と、遠い街の光に挟まれながら、彼女は僕の手を取った。
冷たい手。
でも、その冷たさは、もう前ほど怖くなかった。
「なぜかは、まだ言えない。
でも、あなたの魂は、ずっと前から、私たちの世界の『境目』に触れていた」
「ずっと前から……?」
「今は、まだいいの」
彼女は、そっと僕の手を離した。
「今は、ただ星を見ましょう。
笑姫が見ていたのと同じ星を。
あなたが、本来なら三十年後に見るはずだった星を」
夜空には、無数の星があった。
そのどれもが、過去にも未来にも、誰かの頭上で同じように瞬くだろう。
僕は、胸の奥のざわめきをどうにか押さえ込みながら、空を見上げた。
不意に、鋭い痛みが腹のあたりを走った。
「っ……」
息が詰まる。
胃の少し下。内臓のどこかが、焼けるように痛む。
「陽斗?」
シズクが、すぐに気づく。
「だ、大丈夫……」
そう言いかけたとき、第二波が来た。
全身の力が抜ける。
視界が暗くなり、星の光が遠ざかる。
観覧車のゴンドラの床に、膝をついた。
手が震える。
心臓の鼓動が、さっき飲んだ彼女の血とは違うリズムで暴れ始める。
「陽斗!」
シズクの声が、近くで響く。
「もう、限界が近い……?」
彼女の手が、僕の背中を支える。
冷たいはずの手が、今は熱く感じられた。
「あと少し持ちこたえて」
その声には、これまで聞いたことのない「不安」が滲んでいた。
「まだ、行かなきゃいけない場所があるの」
視界の端で、星が滲む。
観覧車の鉄の軋みが、遠くで鳴っている。
このまま、ここで終わってしまっても、おかしくない。
そんな直感が、どこかで警鐘を鳴らしていた。
でも、同時に──
*まだ終わりたくない。*
さっき、海辺で口にした願いが、再び胸の奥で燃え上がる。
笑姫の見た星空も。
月姫の古城も。
まだ見ていない景色が、物語のページのように頭の中でめくられていく。
「シズク……」
「なに?」
「……頼む。
もう少しだけ、連れて行ってくれ」
かろうじて出た声は、自分でも驚くほど弱々しかった。
シズクは、強く頷いた。
「約束よ、陽斗」
彼女の赤い瞳が、星明かりを受けて強く光る。
「このまま、終わらせたりしない。
まだ──『儀式』を使ってないから」
その言葉の意味を理解する前に、僕の意識は暗闇に飲み込まれた。




