第2話 百円ライター、異世界で火を噴く(物理ではない)
【前書き】
異世界といえば通貨。通貨といえば換金。
お約束の展開ですが、そのレートが予想外でした。
小心者のおっさんが、初めての商売に挑みます。
翌朝、目が覚めると、枕元にソフトボール大の光の玉が浮いていた。
「……夢じゃなかったのか」
俺は寝ぼけた頭で呟いた。
光の玉こと『タマ』は、俺の起床に気づくと、ポワンと明滅して頬にすり寄ってきた。温かい。まるで湯たんぽだ。
俺はため息をつきながら布団を出た。
腰が痛い。昨日、納屋で変な体勢をとったせいだろうか。
朝食はトーストと、インスタントコーヒー。
タマはテーブルの上で、俺がパンをかじる様子をじっと(目はないが)見守っている。
「お前、飯は食うのか?」
トーストの欠片を差し出してみる。
タマは興味なさそうに揺れるだけだ。どうやら食事は不要らしい。経済的で助かる。
食後のコーヒーを飲みながら、俺は今後の身の振り方を考えた。
無職。貯金は微々たるもの。退職金はあるが、年金が出るまでの空白期間を埋めるには心許ない。
再就職? 五十八歳で? 警備員か清掃員くらいしか口はないだろう。
「……行ってみるか」
俺の視線は、庭の納屋に向いていた。
もし、あそこが本当に異世界で、昨日見たように人が生活しているなら。
そこで何か商売ができるかもしれない。
俺は元営業職だ。と言っても、メーカーのルート営業で、頭を下げて回るだけの地味な仕事だったが。
準備を整える。
服装は、休日に庭いじりをするときの作業着(ワークマンで購入)。これなら汚れてもいいし、丈夫だ。
顔を見られるのは怖いので、風邪予防用のマスクをし、深めの帽子を被った。完全に不審者だが、異世界なら「異国の旅人」で通るだろう。
持ち物は、ショルダーバッグ一つ。
中身は、昨日の残りの100円ライター(三本セットの残り二本)、ポケットティッシュ、ボールペン、それと護身用のカッターナイフ。
ショボい装備だ。だが、これくらいしか持ち出せるものがない。
「よし、行くぞタマ」
タマがふわりと肩の横に浮く。
俺たちは再び、納屋の扉を開けた。
光と、喧騒。
二度目でも、その圧倒的な「異世界感」には足がすくむ。
時刻は昼前だろうか。
扉の向こうは、石造りの建物の裏路地だ。表通りからは少し離れているようで、人通りはまばらだ。
それが好都合だった。
俺はマスクを上げ、帽子を目深に被り直し、路地裏を歩き出した。
匂いがきつい。
汚物と香辛料が混ざったような独特の臭気。衛生観念は中世レベルか。
誰とも目を合わせないように歩く。
コミュ障の無職には、異世界の住人に「ハロー」と声をかける勇気などない。
ふと、路地の隅で露店を広げている男が目に入った。
背が低く、横幅が広い。髭もじゃの顔。
ファンタジー小説で言うところの『ドワーフ』だろうか。
並べている商品は、錆びた剣や、古びた鍋、得体の知れない動物の牙など、ガラクタばかりだ。
俺の実家の納屋と大差ない。
親近感を覚えた俺は、気づけばその露店の前に立っていた。
「……あんだ、見ねえ顔だな」
ドワーフが低い声で唸る。
言葉はわかる。自動翻訳機能付きの耳に感謝だ。
「……少し、見ているだけだ」
俺は努めて低い声を出した。舐められたら終わりだという、営業時代の教訓だ。
ドワーフは鼻を鳴らし、手元のパイプを取り出した。
葉を詰め、火打ち石のようなものをカチカチと打ち合わせる。
しかし、湿気ているのか、なかなか火がつかない。
「チッ、クソが」
イラつくドワーフ。
俺は無意識に、ポケットに手を入れていた。
「……使うか?」
差し出したのは、使いかけの100円ライター(黄色)だ。
ドワーフが怪訝な顔をする。
「なんだそりゃ。派手な色の石だな」
「こうするんだ」
俺は着火レバーを押し込んだ。
カチッ。ボウッ!
小さな炎が、風に揺らぐ。
ドワーフの目が、これ以上ないほど見開かれた。
「なっ……!?」
俺は黙って、彼のパイプに火を移してやる。
紫煙が上がり、ドワーフは呆然とパイプを吹かした。
「お、おい、人間。なんだそれは」
「火をつける道具だ」
「詠唱は? 魔力充填は?」
「いらない。指一本だ」
「馬鹿な! 無詠唱の発火魔法具だと!? しかもこんな小型で……!」
ドワーフが立ち上がり、俺の手を(ライターごと)掴んだ。
力が強い。万力みたいだ。
「ゆ、譲ってくれ!」
「え?」
「いくらだ? 金貨一枚か? 二枚か? 言い値で買うぞ!」
俺は計算した。
100円ライターだ。日本なら道端に落ちていても誰も拾わない。
金貨一枚?
この世界の金貨の価値がわからないが、まあ、数千円になれば御の字だろう。今日の夕飯代になればいい。
「……あんたが気に入ったなら、譲ろう」
「本当か! 恩に着る!」
ドワーフは懐から、ずしりと重い皮袋を取り出し、中から鈍く光るコインを三枚取り出した。
歪な形をした、金色のコイン。
「持ち合わせがこれしかねえ。金貨三枚だ。足りねえか?」
「いや……十分だ」
100円が金貨三枚。
ボッタクリにも程があるが、相手が提示してきたのだから仕方ない。
俺はライターを渡し、金貨を受け取った。
ずしり、と重い。
「いい買い物だったぜ! 俺はガラムだ。また面白いもんがあったら持ってきな!」
上機嫌なガラムに見送られ、俺はそそくさと路地裏を後にした。
心臓がバクバクしている。
早く帰ろう。
怖い。
もし、これが偽金だったら? あるいは、盗品だったら?
俺は逃げるように納屋へ飛び込み、扉を閉めた。
南京錠をかけ、母屋へ戻る。
日本の静寂。
手の中には、三枚の金貨。
「……査定、してみるか」
午後。
俺は電車で二駅離れた街の、大手質屋チェーン店にいた。
近所の質屋だと噂になると困るからだ。
カウンター越しに、鑑定士の男性がルーペで金貨を見ている。
時間が長い。
俺は膝の上で拳を握りしめていた。偽物だと言われたら、恥をかくだけで済むだろうか。警察を呼ばれるんじゃないか。
「お客様」
「は、はい!」
裏声が出た。
「これ、どこで手に入れられました?」
「えっと、祖父の……遺品整理で出てきて……」
用意していた嘘をつく。
鑑定士は「なるほど」と頷いた。
「純度はほぼ24金(K24)ですね。ただ、刻印が見たことのないもので……古代の通貨かもしれませんが、今回は『地金』としての買取になります」
「はあ……それで、いくらくらいに?」
鑑定士は電卓を叩き、俺に見せた。
『3,250,000』
「……はい?」
「本日、金相場が高騰しておりまして。一枚あたり約100万円強。三枚でこのお値段になります」
目の前が真っ白になった。
三百、二十五万。
100円ライターが。
俺の退職金の、何分の一かが、たった数秒の取引で。
「現金になさいますか? それとも振込で?」
「げ、現金で……いや、振込で……あ、やっぱり現金で少しだけ……」
支離滅裂な俺を、鑑定士は不審がることもなく(多分、よくあることなのだろう)、事務的に処理を進めた。
帰り道。
懐には百万円の束が三つ。
重い。
金貨よりも遥かに重い。
俺は誰かに後ろから殴られるんじゃないかと、何度も振り返りながら帰路についた。
実家の茶の間に戻り、現金の束をテーブルに置く。
タマが不思議そうに、札束の周りを回っている。
「……おい、タマ」
俺は震える声で相棒に話しかけた。
「これ、税金どうなるんだろうな」
喜びよりも先に、恐怖が来た。
雑所得? 一時所得?
来年の確定申告はどうする?
「異世界でライター売りました」で通るのか?
税務署が来るんじゃないか?
マルサの男たちが、土足で踏み込んでくる想像をして、俺は胃が痛くなった。
「……とりあえず」
俺は札束の一つから、一万円札を一枚だけ抜いた。
「今日は、寿司にしよう」
スーパーの半額シールを待たずに買う寿司。
それが、俺のささやかな贅沢だった。
マグロの赤身を噛み締めながら、俺は誓った。
目立ってはいけない。
細く、長く、こっそりと稼ごう。
国税局にバレない範囲で。
だが俺はまだ知らない。
俺が売ったライターが、ドワーフのギルドで「神の火種」として崇められ、俺を探す大捜索網が敷かれ始めていることを。
【後書き】
読んでいただきありがとうございます。
100円が300万円。夢がありますが、小心者のリョウさんには胃痛の種でしかありません。
次回、調子に乗ってまた売りに行ったら、今度は命の危険に晒されます。
そして、あの「最強の防衛機能」が発動します。
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