スパイスの魔法
約束の休日、宿屋の厨房を特別に借り切った二人の前には、数種類のスパイスの小瓶が並んでいました。
「いいかメイジ。カレーの命は、このスパイスの割合だ。0.1グラム違えば、香りの広がりが変わる。魔力の練り込みと同じだと思え」
柊平は、いつになく真剣な表情でスパイスを調合していきます。メイジは、その手元を食い入るように見つめながら、指示された通りにタマネギを飴色になるまで炒め続けていました。
「シュウ兄、これでいい? 腕がパンパンになっちゃった」
「おう、最高の飴色だ。……よし、ここに特製の粉を投入するぞ」
鍋から立ち上る、食欲をそそる芳醇な香りに、メイジの鼻がぴくぴくと動きます。
煮込みを待つ間、二人は小さな椅子に並んで腰を下ろしました。ゆらゆらと揺れる湯気を見つめながら、柊平はふと、遠い目をして語り始めました。
「……メイジ。俺の故郷の話、したことあったかな。そこには魔法なんてなかったけど、鉄の馬を駆って、どこまでも走り続けることができたんだ」
「鉄の馬……?」
「ああ。俺はいつも一人で、その馬に乗って風を切るのが好きだった。親とも喧嘩して飛び出してさ……。正直、いつ死んでもいい、自分一人だけが楽しければいいって、そう思って生きてたんだ」
柊平は自嘲気味に笑い、真っ青な空の下でバイクを走らせていた頃の自分を思い出しました。
「でも、あの事故でこの世界に放り出されて……。魔術も分からず、言葉も通じなかった最初の頃、俺は本当に『独りきり』だと思った。このまま野垂れ死んでも、誰も悲しまないだろうなって」
メイジは、柊平の大きな手をそっと両手で包み込みました。
「……でも、今は独りじゃないでしょ?」
「ああ。ガルドス師匠に拾われて、そして……お前がいた」
柊平は、メイジの水色の瞳を真っ直ぐに見つめ返しました。
「師匠がいなくなって、お前を預かった時、震えたよ。自分の食い扶持も怪しいのに、こんな小さな女の子をどうやって守ればいいんだって。でもな、メイジ。お前の泣き顔を見てたら、不思議と『気合い』が入ったんだ。俺が倒れたら、この子は生きていけない。なら、俺は絶対に負けられないってな」
柊平は、包み込まれた手を優しく握り返しました。
「異世界で独りきりだと思ってた俺の隣には、いつもお前がいた。お前を守ることが、俺がこの世界で生きる理由になったんだ。……ありがとうな、メイジ」
メイジは、あまりにも真っ直ぐな感謝の言葉に、目元を熱くしました。
「……シュウ兄のバカ。感謝したいのは私の方だよ。私を置いていかないでいてくれて、ありがとう」
メイジは、自分を「守るべき存在」だと言ってくれた柊平に、今まで以上の愛しさを感じました。同時に、いつか自分も、彼と肩を並べて「共に戦う存在」になりたいと、強く心に誓ったのです。
「……おっと、そろそろ煮込み終わったな!」
柊平が照れ隠しに立ち上がり、鍋の蓋を開けました。部屋中に広がる、完璧なカレーの香り。
「さあ、お前の初手作りカレーだ。味見してみろ」
柊平が差し出したスプーンを、メイジは「あーん」と口を開けて受け取ります。
「……おいしいっ! 最高の味だよ、シュウ兄!」
「だろ? 俺の黄金比だからな」
二人は並んで、琥珀色のカレーを頬張りました。
かつて孤独だったライダーは、今、銀髪の少女と共に、異世界のキッチンで温かな幸せを分け合っています。
「シュウ兄、また一緒に作ってね。今度は隠し味、私が考えてみるから!」
「お、期待してるぜ。……でも、爆発させるなよ?」
「もう!」
宿屋の窓からは、二人を祝福するかのような温かな春の風が吹き抜けていきました。




