宮沢賢治 「雨ニモマケズ」
詩人 宮沢賢治は「雨ニモマケズ」で、ご存じの通り「雨」「風」「雪」「夏の暑さ」と言葉を並べた、
前半の6行の
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだを持ち
欲は無く
決して瞋からず
何時も静かに笑っている
は困難に負けない精神力:雨や風、寒さといった自然の厳しさにも屈しない、強靭な精神を表現している
どんな逆境に負けず、私欲を捨てて他者のために尽くすという宮沢賢治の伝えたかったことだ
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆる事を自分を勘定に入れずに
良く見聞きし判り
そして忘れず
後半では日照りや冷夏についてもふれた。農家の目線を感じる。一日に玄米4合と少しの野菜を食べる、とあるから驚くが、かつての農作業はそれくらい食べないともなかったのだろうか
野原の松の林の影の
小さな萱葺きの小屋に居て
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を背負い
南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくても良いと言い
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い
これは人間関係に通ずる 誰かのためにやってあげたり 見舞いおも見返り求めずに助けようとする
ダメなことは「ダメなんだぞ!」と親でもない子供に言ってあげる そんな心だ
今では考えられない 親でも子供を叱ろうとせず今の教育目標は「褒めて伸ばす」である
それは悪いことではないと思う 怒りのままに教訓を押し付けていては子供もなにが正解なのか分からなくなったてしまうからだ
しかし 今の子は怒られるということに慣れていない 昭和の時代は 雷親父という人が近所に必ずいた
幼い頃は恐怖ではあったが 今考えてみればそれは私たちへの愛があってのことだったことが今になってわかりかけている
最後の文である
日照りのときは涙を流し
寒さの夏はオロオロ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ
誉められもせず苦にもされず
そういう者に
私はなりたい
は 世間の評価を気にしない生き方: 自分の行動が人から褒められたり、逆に迷惑がられたりしても、それを気にせず、当たり前のように他者のために行動することだという一文である
後半の「デクノボー」は嫌な印象を持つことが多いかもしれない
周囲から役に立たない人だと言われる
だが 、それでも構わないという、世俗的な評価を超越した生き方を理想を示している
人間は少なからず評価されたいと思っている
少なからず「ありがとう」という言葉を期待している自分もいる
昇格や昇進に一喜一憂し陥落という言葉を聞くなり落胆して恨んだりもする
私も自分のことは後回しにして、他人のために行動し 小説で評価されたいなど きわめて不純な考えをもたないように 、、し、てい 、き、 た、 い、 のだが




