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虐げられても、あなたを愛してしまう──壊れた花嫁の記録  作者: マルコ


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第3話 優しさの価格

 朝、キッチンに立つと、テーブルの上に白い箱が置いてあった。

 リボンが結ばれている。小さく、控えめで、可愛らしい。


 「おはよう」


 振り向いた私に、悠真がマグカップを差し出した。

 カップの湯気が甘い香りを運ぶ。ミルク多めのコーヒー。

 私の好みを、彼は覚えている。


 「開けてみて」


 箱の蓋を持ち上げると、薄桃色のシュシュが二つ入っていた。

 ふわふわとした質感。光にかざすと、柔らかく透ける。

 「可愛い」

 思わず笑ってしまう。胸のどこかが緩む。

 「最近、髪、よく結ぶだろ? 仕事中に落ちてこないようにさ」


 彼は照れくさそうに鼻の頭を掻いた。

 その仕草が、昔から好きだった。

 私はシュシュを手首に通し、くるりと回して見せる。

 「どう?」

 「似合う」

 その一言に、心がぽつりと灯る。

 ——優しさは、たしかに温かい。


 でも、私はもう知っている。

 この温度には、対価がついてくる。



 その日から、優しさは列になって現れた。


 夜、帰宅すると、玄関に新しいスリッパがあった。

 「床、まだ冷えるだろ。足、冷やすなよ」

 洗面台には新しい化粧水が置かれ、

 「前に肌荒れしてただろ。合うか分かんないけど」

 枕元には小さなアロマのボトル。

 「寝付き、良くなるかもな」


 どれも私のため。どれも私が欲しいと言えなかったもの。

 私は嬉しくて、ありがとうを繰り返した。


 そして、優しさの最後尾に、

 『LifeLink』の常時起動が、静かに並んでいた。


 アプリは、何も言わない。

 ただ画面に、小さな青い点を載せている。

 私が動けば、点も動き、止まれば、点も止まる。

 それを彼が見ている。

 「何かあったらすぐ行けるように」

 優しい理由は、いつだって正しい顔をしている。



 母と会う日、私はあえて駅ビルのカフェを選んだ。

 人の目がある場所。

 母はココアを頼み、「最近やせた?」と首を傾げる。

 「少しね」

 「顔色、良くないよ。無理、してない?」

 私は笑った。

 「大丈夫。結婚式の準備が楽しくて」

 楽しい——嘘ではない。

 式場の白い廊下、光るシャンデリア、リボンの椅子。

 純白の世界に身を置くと、心が洗われるように思う。


 テーブルの上でスマホが震えた。


『着いた?』

『楽しんで』

『今、駅ビルのカフェ?』


 最後の文で心が跳ねる。

 (……見てる)

 アプリの通知設定を切っても、共有そのものは切れない。

 私は丁寧に文字を打った。


『うん。今日は夕方まで一緒にいるよ』


 しばらくして、短い返事。


『了解。気をつけて』


 母がココアの表面の泡を指で弾きながら、私を見た。

 「誰?」

 「……彼」

 「優しい?」

 私は頷いた。

 「うん。すごく、優しい」


 その言葉の端に、自分でも気づくほどの棘が混じった。

 母は一瞬だけ目を細めたが、何も聞かなかった。

 ココアの泡が弾ける音だけが、やけに大きく聞こえた。



 週末、式場で最終打ち合わせ。

 披露宴の進行、BGM、テーブル配置、スピーチ順。

 指がふるふると震え、私はメモにペンを走らせた。


 「新婦入場曲は?」

 「——『光の方へ』で」

 「リングボーイは?」

 「従姉妹の子に。七歳」

 「ケーキ入刀のタイミングは」

 「乾杯の後で」


 隣で悠真が、静かに頷いている。

 彼は口数が少なく、時折「いいと思います」と言うだけ。

 私が決めることを、彼は拒まない。

 それが嬉しかった。

 (変わったのかな)

 (私が線を引いたから、変わったのかな)


 打ち合わせの最後に、プランナーが笑顔で言った。

 「では、当日の控室のルールだけ共有しますね。スマホは——」

 「新婦のスマホ、俺が預かります」

 私より先に、悠真が応えた。

 プランナーが「え?」と瞬く。

 私も瞬いた。

 「当日、連絡が多いと困るだろ。着替えとかもあるし。俺がやり取りするから」


 私は微笑んだ。

 「ありがとう。でも、大丈夫。プランナーさんと式場用の連絡アプリでやるし、通知は切っておくよ」

 「でも——」

 「平気だよ。本当に」

 (当日に、私の手からスマホを離さない——それは、何かが起こったときの唯一の“外”を、閉じることだから)

 悠真の目が、ほんの少しだけ揺れた。

 やがて彼は笑い、「わかった」と言った。

 プランナーの笑顔が戻る。

 打ち合わせ室に、低いBGMが戻った。


 私は胸の奥で、小さな鐘が鳴るのを聞いた。

 一つ、守れた。



 守れなかったものも、ある。


 「連絡先、整理しとけよ。旧姓で登録されてる人、分かんなくなるから」

 「うん、やっておく」

 「元カレとか、要る?」

 軽い調子の声。

 私は、間を置いた。

 「連絡とってない人は、消すよ」

 「そっか」

 それで終わった、と思った。

 ——終わらなかった。


 夜、シャワーから出ると、ベッドの上に私のスマホが置かれていた。

 画面はロックされ、通知も出ていない。

 でも、位置が違う。

 私は、置く位置にうるさい。

 元の場所に戻すと、小さな不安が背中を這い上がった。

 彼は、私のいない間、どこまで私に触れているのだろう。

 直接的な証拠はない。

 それでも、不安は証拠より先に膨らむ。



 「さあ、夕ごはん、できたよ」

 私は白い皿を運び、テーブルに置いた。

 オーブンから出したばかりのグラタンが、ふつふつと音を立てる。

 「熱いから気をつけて」

 「おう」

 スプーンを入れた彼が、熱に顔をしかめ、それから笑った。

 「うまい」

 その一言に、息がほどける。


 食事が終わって、食器を片付けていると、リビングから彼の声。

 「明日、同僚と飲む。「田嶋」ってやつ」

 「うん。楽しんで」

 「どうしてそんなにあっさり言えるんだよ」

 背中が固まった。

 水の流れる音が急に大きくなる。

 「……どういう意味?」

 「俺、お前が男と飲むの嫌だけどさ。お前は平気なんだなって」

 「私だって、嫌だよ。けど、仕事なら仕方ないし」

 「仕事なら、全部許されるわけ?」

 「許すとか、許さないとかじゃなくて……」

 言葉がほどけ、床に落ちる。

 私は布巾を置き、ゆっくり振り返った。

 「明日の飲み会、行かないで」

 自分でも驚くほど静かな声だった。

 彼の眉が跳ねる。

 「え?」

 「——私が嫌だから。あなたが、同僚の女性と飲むの、嫌」

 「なんだよ、それ。仕事だぞ」

 「私がいつも我慢してること、あなたも一つだけ、してほしい」


 沈黙。

 部屋の時計が一度だけ鳴った。

 「……分かったよ。断る」

 彼は受話器を取り、短く電話をした。

 「悪い、明日無理だ。また今度」

 切ってから、私を見る。

 私は、「ありがとう」と頭を下げた。

 彼はソファに深く座り、天井を見た。

 「さ。これで一個ずつだな」

 その声は冗談めいていたけれど、取引という言葉が脳裏に灯る。


 優しさは贈り物の形をしていた。

 でも、その裏側には帳簿がある。

 彼はきっと、付けている。

 私の「許し」と彼の「譲歩」を、目に見えない表で、きっちりと。



 寝る前、私は指輪を掌にのせた。

 光の輪は小さく、私の手の上で完璧な円を描く。

 円の外に、出られない。

 指に戻すと、きゅっと皮膚が締め付けられるようだった。


 「なぁ」

 悠真が横向きになり、私を見た。

 「明日の朝、式場の前で写真撮るって言ってたろ。スケジュール、教えて」

 私はカレンダーのスクショを送った。

 「ありがとう」

 彼はすぐに既読をつけ、私の髪を撫でた。

 「おやすみ」

 「おやすみ」


 電気を消す。

 闇の中で、彼の手が、私の指に絡む。

 指輪が触れ合い、カチと鳴る。

 その小さな音が、静寂よりも大きく響いた。



 当日の朝、私は少し早く家を出た。

 駅前の花屋に寄り、ブーケの色味を確かめたい。

 『LifeLink』は青い点を動かし、私のルートをなぞっていく。

 見られている感覚は、もう消えない。

 でも、私もまた、見られていることを忘れないようにした。

 歩幅は一定に、寄り道はしない。

 私の自由は、私の中だけにある。


 花屋で白い小花を選び、束ねてもらう。

 店を出ようとしたとき、背後から肩を叩かれた。

 「久しぶり」

 振り向くと、春人が立っていた。

 驚きと、すぐにやってくる恐れ。

 「元気?」

 「うん。……偶然だね」

 「この近くで打ち合わせ。——結婚、おめでとう」

 「ありがとう」


 彼は笑って、ブーケを見た。

 「似合うと思う」

 私は会釈して、そのまま歩き出した。

 言葉を長くしない。

 ——青い点が、増えている気配がする。

 春人の足音が途切れ、私は早足で駅へ向かった。



 ホームに降りると、すぐに通知が届いた。


『今、どこ?』


 私は写真を撮った。

 ホームの柱、遠くの電光掲示、手元のブーケ。

 すぐに返信。


『駅。今から向かう』


 既読がつき、間もなく返事。


『さっき、春人といた?』


 心臓が一回、強く打つ。

 どこまで見えているのか分からない。

 私は、謝らないと決めている。

 だから、事実だけを並べる。


『すれ違っただけ。挨拶をした。すぐ別れた』


 返事は、来なかった。

 電車が来て、私は乗った。

 座席にブーケを抱えて座り、深呼吸をする。

 『謝らない』は、喉の奥で棘になっていた。

 でも、飲み込まない。



 式場の前。

 白い壁と、朝の光。

 私はブーケを持ち直し、時計を見る。

 集合の十五分前。

 悠真はまだ来ない。


 スマホが震えた。

 画面には、彼の名前。

 私は通話ボタンを押した。


 「もしもし」

 「——どこにいる」

 低い声だった。

 私は、周囲の光景を言葉にする。

 「式場の前。入口の右のベンチ」

 「春人と、何、話した」

 「おめでとうって。私が、ありがとうって。それだけ」

 沈黙。

 少しだけ風の音。

 「今から行く。動くな」


 通話が切れた。

 私はベンチに座り、指輪を撫でた。

 冷たい。

 優しさの温度は、たやすく冷たさに裏返る。

 それでも私は逃げない、と自分に言い聞かせる。

 ——逃げられない、の間違いかもしれないけれど。



 五分ほどで、彼は現れた。

 足早に近づき、私の前で立ち止まる。

 目は笑っていない。

 「写真、見せろ」

 私はスマホを開き、花屋の前の写真を見せた。

 「他は」

 スクロールして、駅のホーム、電車、式場前。

 彼は一枚ずつ目を通し、深く息を吐いた。

 「……分かった。行こう」

 背を向けた彼の肩に、言葉が引っかかった。

 私は立ち上がり、呼び止める。

 「ねぇ、悠真」

 「何」

 「私、謝らないから」


 彼が振り返る。

 瞳が、微かに見開かれる。

 私の声は震えていない。

 「前にも言ったよね。私はもう、謝らない」

 「……なんで、今それを言う」

 「今が、言うときだと思ったから」


 彼は数秒だけ沈黙し、やがて小さく笑った。

 「そうか」

 その笑いは、いつもの優しさに似ていた。

 けれど違う。

 見えない請求書を、机に置くときの笑いだ。


 「じゃあさ」

 彼はゆっくりと歩み寄り、私の髪に触れた。

 「俺にも、謝らないでいいようにさせてくれよ」

 「どういう意味」

 「お前が不安にさせること、全部やめてくれってこと」

 彼は指折り数えた。

 「男の同期と話さない。夜は一人で出歩かない。スマホは家ではテーブルに置く。位置情報は切らない。予定は前日までに共有。突然の寄り道はしない」

 私は呼吸を整えた。

 「それ、全部?」

「今、思いつく限りは」

 「全部は、できない」

 彼の目が細くなる。

 「じゃあ、半分」

 「……半分は、考える」


 彼は、「半分」と口の中で転がし、頷いた。

 「いいよ。俺さ、ちゃんと、お前を大切にしたいんだ」

 言葉だけを聞けば、優しい。

 でも、その優しさは価格表の上に置かれている。

 私は微笑み、ブーケを握り直した。

 「私も、あなたを大切にしたい」

 たぶんそれは、真実だった。

 ——今の私の真実。



 午前の光の中で、控室へ案内される。

 薄いヴェールを肩にかける試着。写真。

 鏡の前に立つと、白が私を包む。

 白は、なんて冷たい色なのだろう。

 雪よりも、病室の壁よりも。


 ふいに、鏡の向こうでドアが開いた。

 プランナーが顔を出す。

 「すみません、新郎様からこれ、預かりました」

 手に乗ったのは、小さな紙袋。

 中には、パールのピアス。

 「今朝、買ってこられたそうです」

 私は胸が詰まり、ありがとう、と受け取った。

 パールは温かい乳白色。

 耳に当てると、肌にとろりと馴染んだ。

 「似合います」

 プランナーが笑い、私は会釈した。


 優しさは、やっぱり温かい。

 優しさの価格は、きっとあとで渡される。

 分割のように、静かに、少しずつ。



 控室を出た廊下で、電話が震えた。

 画面には、母の名前。

 「もしもし」

 『式、楽しみだね』

 「うん」

 『あのね』

 母の声が、いつもより低い。

 『さっき、あなたの家の下で、彼に会ったの。偶然』

 心臓が跳ねた。

 『感じのいい人ね。ちゃんと挨拶してくれて』

 「……そう」

 『でも、帰り際にこう言ったの。“娘さんのスマホ、心配だから、当日は預かっておきます”って』

 廊下の空調が、どこか遠くで唸った。

 「それ……」

 『あなたは、どう思う?』

 私は、少しだけ笑った。

 「大丈夫。私が持つから」

 『そう。なら、いいの』

 母は少し黙り、息を吐いた。

 『娘を信じるのって、勇気がいるのね』

 「うん」

 『私も、勇気を出すよ』

 通話が切れ、私は電話を胸に押し当てた。

 信じるには、いつも、支払いが要る。

 母にも、きっと。



 夕方、解散。

 玄関で靴を履き替える私に、プランナーが小さく手を振る。

 外に出ると、風が強くなっていた。

 雲が低く、雨の気配。

 私はブーケを包む紙を持ち直し、駅へ向かう。

 交差点で信号待ち。

 背後から、名を呼ぶ声。

 「来栖さん」

 振り向くと、式場のスタッフの若い女性が駆け寄ってきた。

 「あの、さっき控室にお忘れ物を……」

 差し出されたのは、白い小箱。

 リボンが締め直されている。

 「ありがとうございます」

 受け取った瞬間、スマホが震えた。

 画面には、悠真の名前。


『今、誰といる?』


 私は青空を仰ぎ、深呼吸をした。

 謝らない。

 説明する。

 境界線を、折り畳んでしまわない。

 自分に三度、言い聞かせる。


『式場のスタッフさん。忘れ物を渡してくれただけ。今、ひとりで駅に向かってる』


 送信。

 既読。

 しばらくして、返事。


『帰ったら、話そう』


 短い文。

 価格の請求は、夜に回されたのだと理解する。



 帰宅。

 ドアを開けると、部屋は整っていた。

 テーブルには、小さなメモが一枚。

 「温めるだけ」と書いてある。

 キッチンの鍋を開けると、シチューの匂い。

 私は笑った。泣きそうにもなった。

 どちらの感情も、同じだけ確かだった。


 彼はソファに座り、テレビを消した。

 「おかえり」

 「ただいま」

 靴を脱ぎ、ブーケを花瓶に挿す。

 白い小箱は、その隣に置いた。

 リボンは解かない。

 私が解くのを、待つことにする。

 何かを受け取るタイミングは、私が決める。


 向かい合って座る。

 夜の静けさが、テーブルの木目に染み込む。

 彼は深呼吸を一つ。

 「話そう」

 「うん」


 彼は、ゆっくりと始めた。

 「俺は、お前を守りたい。大切にしたい」

 (知ってる)

 「だから、不安なんだ。お前がどこにいるか、誰といるか、何をしてるか。俺が知らないことがあるのが」

 (知ってる)

「でも、お前は“謝らない”って言った。俺に、安心する理由をくれ」

 私は頷いた。

 「約束を三つ、してもいい」

 「三つ」

 「うん。一つ目、予定は前日に必ず共有する。二つ目、位置情報は切らない。ただし、常に画面を見ないことを約束してほしい。三つ目、男友達との二人きりの食事はしない——仕事の打ち合わせは除く」

 彼は考えるように目を伏せ、やがて頷いた。

 「……分かった」

 「代わりに、私からもお願い」

 「何」

 「スマホは、触らないで」

 彼の指が、テーブルの上で止まった。

 「触ってない」

 「そうだね」

 私は微笑んだ。

 「これからも、触らないで」

 彼は、長く息を吐いた。

 「分かった」

 その声は、かすかに疲れているように聞こえた。

 優しさの価格は、ここでも支払われた。

 彼は、私の要求に一つ、応じた。

 私は、彼の要求に三つ、応じた。



 夜更け。

 私は冷蔵庫から水を出し、コップに注ぐ。

 喉を潤して振り返ると、窓に映る自分の顔があった。

 指輪が、月の色を吸って鈍く光る。

 あの夜、私は死んだ。

 床に、赤が広がり、白い光に飲まれた。

 そして今、私はやり直している。

 やり直すとは、支払い直すことなのだ。

 同じ請求書に、新しい項目を書き足しながら。


 寝室に戻ると、彼が目を開けた。

「水?」

 「うん」

 「手、冷たい」

 彼は私の指を取り、自分の頬に当てた。

 体温が伝わる。

 私はその温かさに、ほんの一瞬、全てを忘れたくなった。

 忘却は、最も甘い優しさだ。


 「おやすみ」

 「おやすみ」


 灯りを消す直前、白い小箱に目をやった。

 リボンはまだ結ばれたまま。

 解くとき——それが、本当の意味での“価格の支払い日”になる気がした。



 深夜。

 寝息の合間に、小さな振動音。

 枕元のスマホが静かに光る。

 『LifeLink:近くの機器からのアクセスがありました』

 すぐに光は消えた。

 私は目を閉じ、呼吸を整えた。

 ——これは、きっとシステムの通知。

 ——きっと、私の思い過ごし。

 きっと、に、何度救われ、何度刺されただろう。


 布団の中で、彼の手が探るように伸び、私の指に触れた。

 指輪がまた、カチと鳴る。

 その音は、約束の音か、鎖の音か。

 私は分からないふりをした。

 眠るふりをした。

 ふりを重ねて、朝が来るのを待った。

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