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九話

 流石に、何処の馬の骨とも知らぬ真赭ますほ白菊しらぎくの代わりにするには、類稀なる舞の才能があったとしても貴族社会が許しはしなかった。

 

 ということで、あきらの力で真赭は白菊の家に仕える家系の娘ということになった。高貴な姫君の代理として、その家に仕える下級貴族の娘が舞姫を務めることもあるらしい。


 麗扇京にいる間、真赭は煌の邸に滞在することになった。客人のための離れがあてがわれ、そこには生活に必要なものは全て揃っていた。不満があるとすれば、調度品が目に眩しいことくらいか。


 ひさしや丸柱、梁に至るまでが黒の漆塗りで統一され、几帳や装飾は黒に生えるように深い赤と金で出来上がっていた。家具に施された彫金が輝いている。


 「用がございましたら、何なりとお申し付けください」


 真赭には女の召使いが付けられた。急にお姫様にでもなってしまったかのような待遇に、真赭はときめくどころか目眩がした。贅沢に慣れると、駄目になる。直感的にそう思った。


 その翌日から早速、五節の舞姫たちを集めた練習会が宮廷の常寧殿じょうねいでんで行われることになった。流石に普段着で行くような場所ではないので、真赭は白菊のお古を譲り受けてそれを着た。


 煌はもう少し華やかにしたらいいのに、と不満そうではあったが、真赭が「私の武器は舞だ」と返すと納得してくれた。その代わりに乗り付ける牛車を派手にして、爆竹を鳴らして盛大に登場しようと提案してきたので、却下した。


 「私は! 舞以外では目立ちたくないんですよ!」


 真赭は牛車に取り付けられた、爆竹の仕掛けを外しながら叫んだ。火薬は外つ国から伝来したもので、朝廷が管理しているため、煌のように個人で所有しているのは稀だという。煌は拡大鏡といい、外来品を多く持っていた。


 「他の舞姫たちは矜持が高いぞ。初対面で舐められたら、終わりだ」


 煌は真面目な顔でそう言った。派手であること、目立つことは彼の中では絶対正義らしい。煌のことを少し分かりかけていた気がしたが、真赭の勘違いだったらしい。


 「爆竹鳴らして登場したら、引かれちゃうじゃないですか」


 「威圧できていいだろう!」


 煌は満面の笑みだ。少し面白がっているところもあるのかもしれない。


 「あなたは阿呆です」


 以前に煌から言われた言葉をそのままそっくり顔した真赭は満足して牛車に乗り込んだ。あの時、真赭は自分の考えを馬鹿にされることを予想していたから何でことはないように受け流したが、煌はそんな予想はしていなかったらしい。


 間抜けた顔をしていた。それでもやっぱり顔の造形美が良いとは羨ましいものだ。真赭は「阿呆」と言った本人だから、煌が茫然としているのがわかるが、事情を知らずに見れば美しい顔が物思いに耽っているようにしか見えない。


 真赭は御者に牛車を早く出すように伝えた。ゆっくりと車輪が動き出し、微かな揺れが真赭を襲った。陸地で、しかも整備された道だからか船ほど揺れることはない。しかし、揺れない地面に立っているときよりは、真赭を安心させた。母の腕の中にいるみたいな心地だった。


 しばらくすると、宮城の中に入っていく。門を潜るたび、空気が重苦しくなっていく気がした。緊張が高まってきたのだろう。


 舞姫たちが集う常寧殿はもとは皇后が賜る殿舎であった。しかし、今の帝に妻はいない。元服してすぐに即位したらしい。天籟島てんらいとうはもとは自治の許された土地だったということもあり、帝よりも島の巫女たちの占いを信じる傾向にあった。麗扇京みやこの情勢も疎い。


 白菊から、叩き込まれた付け焼き刃の知識で戦っていけるだろうかと真赭は身を強張らせた。


 常寧殿に辿り着いた真赭は女官たちに案内されるままに、几帳や屏風が取り払われた広い空間に連れてこられた。


 そこにはすでに、他の四人の舞姫たちが集っていた。集合時間まではまだ余裕があるが、真赭が一番最後だった。それゆえに房室に入ると視線が集中した。煌の案を採用して、爆竹を鳴らしながらの登場なんてしなくてよかったと心底思った。


 「雲母きらら家の白菊の君かしら」


 舞姫のうちの一人が真赭に話しかけた。豊かな黒髪とけぶるようなまつ毛、透き通るような白い肌にほんのり色づいた頬と唇を持った美しい姫だった。天女のかんばせと評してもいいあどけない無垢な少女だ。


 「私は白菊様の代理で参りました。真赭ますほと申します」


 「白菊の君は、怪我をなされたから。やはり代理ですのね。快癒されたのだとばかり思ってしまいましたわ」


 袖を口元に当て、話しかけてきた舞姫は少しがっかりしたような表情を見せた。


 「わたくし、家のかぐやと申します。よろしくお願いしますね、真赭の君!」


 真赭はかぐやの家の名前を聞いて身構えた。白菊の声が蘇ってくる。「いい? 真赭。今回の舞姫は五人。そのうち三人が公卿の娘よ。私は雲上人の家だから、公卿の家には喧嘩売らないで穏やかにね!」あの時は、喧嘩なんて売るわけがないと軽く聞き流していた。


 十二支の字を冠した家は由緒ある家で、この十二家からしか皇后を立てないという慣例があるらしい。そして舞姫は帝に見初められる可能性を秘めている。つまり、未来の皇后候補なのだ。そう考えると、言葉を交わすだけで不敬なんじゃないかと心配になってくる。


 「よろしくお願いします、かぐや様」


 真赭はかぐやの美しい黒髪に見惚れた。白菊もそうだったが貴族の人たちの髪は丁寧に梳っているからか絹のように美しい。そしてその美しい天然の黒髪は、染料で色を誤魔化している真赭から見るととても羨ましく映る。


 「舞姫同士、仲良くしましょうね。真赭の君のために、みなさまもう一度自己紹介いたしましょう?」


 かぐやの一言で、他の姫たちも自己紹介をし始めた。


 「家の不香ふきょうと申します」


 こちらも真赭の心を刺激するような美しい黒髪の持ち主だった。血管が透けるほど、肌に透明感があり、真赭は自分の日に焼けた肌を少し恥ずかしく思った。

 不香も公卿の娘である。真赭は何か失礼なことをしないようにしなければと背筋を正した。


 「しん家のともえですわ」


 巴は素朴ながらも愛嬌のある顔立ちをしていた。名の通り輝かんばかりの美女のかぐやと雪のような純真な美しさのある不香と比べると同じ公卿の姫君とはいえ、親しみやすい雰囲気を纏っていた。


 「東雲しののめ家の夕蝉ゆうぜみと申します。確か、白菊の君の代理はあきら様が選出なさったとか? あの方の選ばれた舞い手、実に楽しみですわ」


 夕蝉は息を呑むような美女だった。紅に染められた目尻と、玉虫色になるまで重ねられた唇の紅が妖艶な雰囲気を醸し出していた。しかし、何というか言葉に棘があるような、真赭を敵視しているような固さがあった。


 自己紹介が終わったところで房室へやに、大師(舞の先生)が入ってきた。大師は菜の花(なのはな)と名乗り、さっそく舞の練習を始めると告げた。


 「あなた方を大嘗祭だいじょうさいまでに、みっちり稽古をつけます。途中で逃げ出すような意志の弱い者はいりません。覚悟がない者は即刻立ち去ってください」


 菜の花の声は厳しかったが、逃げ出す者は誰一人いなかった。菜の花がぱぁんと手を叩いて響く音を出した。すると、大量の紙の束を持った女官たちが一斉に現れ、紙を床に敷き始めた。


 そこには人の足跡のようなものが書かれていて、いちさん、と言ったように数字が割り振られていた。


 「これがあなたたちに覚えてもらう舞の足捌きの位置です。身体に叩き込みなさい」


 そして真赭たちは一臈から五臈まで番号を振られた。一はかぐや、二は不香、三は巴、四は夕蝉、五は真赭だ。横一列の並びから上下左右に展開してゆき、五人で合わせる舞踏部分もある。


 そして真赭を一番苦しめたのは舞の振り付けを覚えることではなく、舞装束を着けて奉納する際に腰裳をさばく足さばきを習得することだった。これは基本中の基本で、できないと見苦しくなる。


 体の向きを変えると腰裳が後ろに残っているので、踊りながら足でそれをさばかないと踏みつけて転んでしまう。「裳裾さばき」という技術だ。水面を泳ぐのくぐい(白鳥)のように、袴の見えない内側で片足で踏ん張りながら、裳をさばくのだが、装束が重いこともあり大変だ。


 天籟島の巫女の装束はこんなに重くはなかったので、ここでは真赭は得意の軽やかな跳躍はできなかった。優雅でゆったりとした動きだからこそ、涼しい顔でやってのけなければならない。


 足捌きと振り付けを覚えたら、楽人の笛や太鼓、歌の節に合わせて微調整。それを繰り返す。


 練習の一日目は、真赭は裳裾捌きを覚えるのに費やした。他の姫たちは当たり前のようにこなすので、今まで舞は自分の存在証明だと思っていた真赭にとって心が粉々になるほどの衝撃だった。自分は井の中の蛙だった。自信満々に煌に返したくせして、真赭は空の深さすら知らない。


 「今日はこれにて解散」と告げ大師が退出したあと、張り詰めていた空気が緩んだ。それでも自宅での自主練を怠らないようにと気づく言いつけられた。


 今までの真赭の舞が「動」だとしたら、五節の舞は「静」の舞だと痛感した。早い回転、高い跳躍で誤魔化していた真赭の舞の粗さが浮き出た形だ。


 「真赭の君…煌様が選んだのだからと期待していましたが、そうでもなかったわねぇ」


 夕蝉がくすりと笑った。嘲りが込められていることなどすぐにわかった。だが、自分の不甲斐なさは自分が一番よく知っていたから、何も言い返せなかった。


 「夕蝉の君、ひどいわ。真赭の君は頑張ってますもの」


 かぐやが瞳に涙を溜めながら、反論する。


 「あら、私は煌様の眼を信頼しておりましたのよ。でも、真赭の君ったら舞の実力もいまいちだし、顔だって…ぱっとされませんわよね。なんだか、芋臭くて。髪だってくすんいらっしゃいませんこと?」


 夕蝉の指摘に思わず、真赭は自分の髪を掴んだ。確かに、真赭の髪は胡桃で染めているため生まれつきの黒髪のようには濃くならない。

 顔の美醜についてだって、美女の夕蝉に言われてしまえば返す言葉がなかった。


 「煌様、いつのまにか眼が悪くなられたのかしら。心配だわ」


 夕蝉は煌の名前を呼ぶ時、親しげだ。そしてなんだか含みがある。自分の方が煌を知っているのだという自慢に聞こえた。なんだか、胸が嫌な感じでもやもやする。


 「口ではなく身体を動かしたら? 大師も身体に叩き込めと仰っていたでしょう」


 不香が静かにそう言った。隣で巴が同意するように頷いている。立場が上の不香にそう言われたら、返す言葉がなかったのか夕蝉は微笑みながら退室した。


 「真赭の君、気にしちゃだめよ。真赭の君は頑張っているのだし!」


 かぐやが元気付けようと励ましてくれる。しかし、真赭にはその言葉が空虚に響いた。


 「甘やかしても何にもなりませんよ」


 不香は冷たく言い放った。その剣幕に、かぐやは言葉が詰まったように何も言わなくなった。


 「努力するのは当たり前のことです。それに、正直に申し上げると真赭の君は五節の舞姫としては実力不足だと思います」


 不香の言葉を聞いていた巴も、申し訳なさそうに頷いた。


 「ごめんなさい。責めたいわけじゃないの。でも、真赭の君は身体の軸というか重心が私たちとは違うし、変な癖みたいなものがあるから、全員で合わせると真赭の君だけ浮いちゃうの」


 巴の指摘は真赭に鋭く突き刺さった。今までの海神の神楽の形と真赭が独自に練り上げた振り付けが、変な癖として現れてしまっているのだ。何か違和感を感じてはいたが言葉にされるまではっきりとはわかっていなかった。



 「ごめんなさい…私…」


 真赭は泣きそうになったのを堪えた。煌の顔が浮かんでいた。真赭を舞姫として推薦してくれた煌の顔に泥を塗るようなことをしたくなかった。


 「まだ練習初日だから、焦らなくても…」


 巴がきつく言いすぎたと反省したのか、励ましの言葉をかけようとしたのを不香が睨みつけて制止した。甘やかすな、ということだろう。


 「舞姫としての実力不足が解消されないなら、早いうちに辞退した方がよろしいわよ」


 不香はそれだけ言うと、房室から出て行った。巴も申し訳なさそうな視線を向けながらも、不香に続いて退室する。残されたのはかぐやと真赭だけだった。


 かぐやは真赭にかける言葉が見当たらないのか視線を彷徨わせたが、覚悟を決めたように口を開いた。


 「真赭の君、桜を見に行きませんか?」

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