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二話

 「ちょっと踊りすぎたかしらね」


 額に滲む汗を袖で拭いながら、真赭ますほは家に向かっていた。昼餉の準備をしなければならない。下ごしらえは朝餉の準備の時に行ってはいたが調理はこれからだ。


 真赭は頭の中で調理工程を思い浮かべた。豆や根菜の土を洗い、根菜は食べやすいように切っておく。


 野菜と豆腐は味噌で煮こもう。豚肉は下ごしらえとして朝に黒胡麻をすり潰し練ったものに漬け込んでいる。あとはそれを蒸して完成だ。朝に海藻を塩揉みしておいたから、海藻の酢漬けを副菜として出そう。


 食後はヨモギ茶でも出そうか。そういえば、黒糖をお湯に溶かしたものをおやつとして食べていいと言われてなかったか。真赭はウキの言葉を思い出しながら、家への道を歩く。


 心が弾んで、足が軽い。軽く飛び跳ねるようにして、鼻歌混じりに真赭は家の前までたどり着いた。しかし、家の前には、村人たちが大勢押しかけていた。何かあったのだろうか、と真赭は先程までの浮かれた気持ちが沈んだ。


 急病人が出たのかもしれない。ウキのまじないを必要としている人が家にやってくることは珍しいことじゃなかった。しかし、こんなにも大勢の人が集まることはなかった。


 「あの、どうされたんですか」


 近くにいた村人の女に声をかける。女は、真赭を見たが髪を黒く染めているからか、怯えることはなかった。


 「あら、真赭ちゃん。麗扇京みやこから巫女様にお客様だって。何でも天籟島の染め織物とか珊瑚とかあっちじゃ珍しいものを買いに来たらしいの」


 女の隣にいた女も少し顔を赤らめながら言った。乳飲子を背におぶっている。


 「それが、ものすごい美丈夫なの! 若い娘っ子たちは鼻血出して倒れちゃった子もいるらしくて」


 既婚者ではあるが、顔を赤らめる程度にはその麗扇京からきた男の美貌には目が眩むらしい。女たちは口々に、麗扇京からきた男をうっとりした顔で語ったが、男たちは面白そうではなかった。むしろ、絹の衣を纏った胡散臭い野郎だと言って女たちに睨まれていた。


 真赭人混みをかき分けながら、家に入る。中にはウキと向かい合うように、狩衣姿の男が筵に座っていた。その背後には部下らしき男たちが、控えている。


 男たちを目の前にしても、ウキは怯むことはせずに堂々としていた。いつもと変わらないように見える。ウキは真赭が帰ってきたのを足音で悟ったのか振り返らずに喋った。


 「真赭、お客様をおもてなしするために昼餉を用意しな」


 「わかりました」


 真赭は返事をして厨に向かう。その際に、ちらりと客人の男の顔を見た。村の娘たちが倒れてしまうほどの美丈夫に少し興味があった。でも、誇張されているだろうと何処か冷めた気持ちにもなった。


 ぬばたまの黒髪、黒曜石の如き瞳。顔は天女と見間違うほどだが、喉仏が出ていることで男だと分かった。顔だけ切り取れば女と言われても納得してしまいそうなほど、中性的な美貌の男だった。


 その男と目が合う。胸が煩く高鳴って、真赭は視線を逸らした。


 「巫女殿、歓迎の用意は有り難いが、旦那様は肉を召し上がらない」


 男の後ろに控えていた部下らしき男が口を開いた。表情は分からずとも、ウキが少し怒ったのではないかと真赭は感じた。郷に行っては郷に従えと思っているのだろう。そしてせっかくもてなしてやるというのに、注文をつける図々しさに腹が立ったのかもしれない。


 「聞いたか、真赭。肉は使わないように」


 ウキが、少し苛立ったような声を出した。真赭はこれ以上、ウキを怒らせないように「わかりました」と静かに答えた。まったく、困った客人だと真赭はため息を吐きたくなった。


 ウキの機嫌を損ねるようなら、あの人たちは招かれざる客だ。村の女たちは浮かれていたが、両手を上げて歓迎するべき客ではないのかもしれない。

 たしかに、島の名産品である染め織物や珊瑚を買ってくれるだけなら、良い客かもしれないが、それならなぜ巫女を訪ねるのだろう。


 真赭は嫌な不安が消えなかった。そして厨で待っていた朝に下ごしらえをした食材たちを前にしてため息をついた。朝にわくわくしながら仕込んだ黒胡麻をすり潰したものを練り込んで漬けていた豚肉をどうしよう。


 本来は豚肉こそが昼餉の主菜だった。あとは蒸すだけで完成だったのに。黒胡麻の風味が甘みある豚肉に染み込んで、あとは蒸したらほろほろと柔らかくなるはずだったのに。考えただけで唾液が分泌してきた。


 とりあえず、豚肉は夕餉に回すしかないだろう。代わりに魚の塩漬けを主菜に、野菜と豆腐の味噌煮、昆布と芋の煮物、白和え、海藻の酢の物、あとは甘蕉ばななを出せばいいか。果物はもてなしにはぴったりだろう。


 竈に火を入れ、鍋を二つ並べた。小鍋の方には野菜と豆腐の味噌煮、大鍋の方は昆布と芋の煮物用だ。煮るのは時間がかかる。煮炊きしている間に、白和えと酢の物を手際よく作ってしまう。


 麗扇京みやこからのお客人をもてなせ、とウキから言われたのでやはりここは赤米を炊こう。赤米は儀式などの特別な時に食べる米で、普段は芋で嵩増しした米しか食べられない。


 出来上がると、真赭は副菜を小鉢にそれぞれ盛り付け主菜の魚を大皿に乗せた。小鉢がたくさんあればあるほど、宴会の料理のように見える。


 真赭が食事を持っていくと、先程まで客人とウキは何かを話していたようだがぴたりと会話を止めた。ウキが真赭には聞かせたくないと判断したのかもしれない。


 沢山料理を用意したが、貴族の男の後ろに控える部下らしき男たちは主人と同じ食事は取れないと遠慮した。


 並べられた食事を見て、「これは珍しい」と貴族の男は目を輝かせた。とりあえず、目の肥えた貴族に満足させる見栄えの食事を出来たことに真赭は安堵する。


 しかし、貴族の男は食事を見ているというよりは作り手の真赭を見つめているような気がした。居心地が悪くなって、真赭は奥の部屋に引っ込もうと思ったが男が「巫女殿やそのお弟子さんも共に食しましょう」と誘ったことにより断れなくなった。


 ウキが黙って箸を手に持ったので、真赭もそれに倣うしかない。ウキの表情は険しかった。真赭がいない間に、この男とどんな話をしたのだろうか。


 「そういえば、お弟子さんには名乗っていなかったね」


 男は蠱惑的に微笑んだ。熟れた果実が芳香を放つが如く。しかし、それは己の香で蟲を惹き寄せ、食してしまう植物のような底知れない恐ろしさも孕んでいた。


 月精の如き美貌。しかし飲み込まれて仕舞えば、帰ってはこれないような。この男は月より舞い降りた天女の皮を被った妖怪なんじゃないかと想像してしまう。なぜか、彼の美しさを素直に称賛する前に、背筋に悪寒が走る。


 「私は式部卿、あきら。天籟島には、美しい品物を買いに来た」


 煌が話すには、天籟島は国の端にあり大陸やその他の国からの影響により独自の文化が形成しているらしい。鮮やかな染め織物や、珊瑚や貝殻を使った工芸品。それらを求めてやって来たのだという。


 「私はね、美しいものを愛でる。人として当たり前のことだ。そして、私は形あるものも、ないものも同様に美しいと感じたら愛でることにしている」


 例えば、碧に輝く海、沈んでいく夕日、季節の移ろい、鳥の囀り、など。と聞いてもいないのに、煌は自分の趣味嗜好を話し始めた。後ろに控える部下たちは、いつものことだとでも言うように表情を変えない。


 「何が言いたい。ここには巫女が住んでいるだけ。祭具を売れなんて言われても無理だよ。神の祟りがあるだろうからね」


 ウキは苛立った様子だった。いつもの穏やかな瞳がぎらりと光っている。


 「まさか! 触らぬ神に祟りなし。祭具を売れだなんてそんなことは申しません」


 煌は目を細めて笑った。しかし、瞳の奥は笑っておらず真赭を見つめているような気がした。真赭は、その美貌に胸がどきりと痛みながらも嫌な予感がしていた。


 白い滑らかな指が真赭を指し示す。


 「そこの娘を貰いたい」


 煌はまるで染め織物や宝石を買うかのように告げた。真赭の嫌な予感は当たってしまった。


 「人を売買できるほど、お貴族様は偉いのかい」


 ウキが鋭く言い放った。真赭はウキに庇われているような心地がして、安堵した。


 「ああ、この辺りにはいないのかな。咎人やその子孫は奴婢という身分でね、宮廷や貴族の邸に仕えているのだ。聞けば、そこの娘、海から流れ着いて平民としての籍が無いそうじゃ無いか。そうなると、奴婢であると解釈されても仕方がない」


 煌は不安を煽るように語った。真赭は心の臓を鷲掴みにされたかのような緊張が走った。身元が明らかでない海から流れ着いた女なんて、怪しいことこの上ない。今まで髪を染めれば受け入れてくれていた天籟島の人々が優しかったのだと思い知る。


 「先程、触らぬ神に祟りなし、と言ったね」


 ウキは蓬茶を啜って、冷静に言葉を紡いでいた。


 「この娘は、一度死んだのに生き返った海の加護を受ける海神の娘だ。そして巫女の庇護下にある。いくら麗扇京の貴族だからって祟りは怖いだろう」


 ウキが真赭を守ろうとしてくれているのだと、真赭は気づいて心が温かくなった。しかし、煌は真赭が海神の娘であり強引なことをすれば祟りがあるだろうと脅されても、怯むどころかますます笑みを浮かべていた。


 「なるほど! 海神の娘。それは珍しい。…おっと、何か誤解があるようだが、私はその娘を奴婢として買い取って使おうという気はないのだ」


 煌は優雅に微笑む。ウキがまだ油断ならないと体をこわばらせたのがわかった。


 「先程、その娘が舞っているところを見た。実に素晴らしい才能だ。私はこの娘を舞い手として雇いたいと考えている」


 一見、筋の通った話のように思えたが、ウキは訝しむように煌を見つめた。


 「麗扇京に舞い手は腐るほどいるだろう。わざわざこんな僻地の巫女見習いを雇いたい理由は何だい?」


 ウキの拳は硬く握られていた。


 「私は形無いものも、美しいと感じれば愛でる。その娘の舞に惚れたのだ。そして、五節の舞姫として使えるのではないかと思ったのだ」


 煌は名案でも言ったかのように自信満々だ。五節の舞姫とは豊明の節会という、帝が新米を食し、群臣に膳をもてなす宴で披露される五節舞を舞う、姫たちのことだ。唯一、女性の舞が主役になる宴である。


 今年は新たな帝が即位された年だから、大嘗祭と呼ばれる。


 「あ…あの…」


 そこで真赭は口を開いた。


 「舞姫って貴族のお姫様から選出されるのでは?」


 「そうだ。五節定め(舞姫の選定)でもうすでに選ばれている」


 当たり前だ、というように煌は語った。もうすでに舞姫が選ばれているなら、身元のわからない真赭のような者を舞姫にねじ込まなくてもいいではないか。煌の言っていることがわからなくて、真赭はぐったりと疲れたような気持ちになった。


 「しかし、そのうちの一人が怪我をして舞姫を辞退せざる負えなくなった。舞姫に選ばれるのは栄誉だ。そう易々と他の家にその栄誉を譲ってやる気はない。また新しく舞姫を選ぶのだが、辞退する舞姫が自分の代理の基準が厳しくてな。自分と同等かそれ以上の腕前を持つ舞い手でなければ、代理にしないと申している」


 煌は困ったように笑った。煌の目的は、天籟島の珍しい品物探しもあったようだが、舞姫代理も探していたのだろう。


 「この娘の舞は、舞姫の代理として申し分ない! ぜひ、私と共に麗扇京に来てくれ」


 煌は太陽のような笑顔で、真赭に笑いかける。しかし、真赭はすぐに返事はできなかった。


 天籟島から出るということが不安だった。真赭の虫食いのような記憶の中で、天籟島が多くを占めていた。きっと記憶を無くす前も麗扇京には行ったことがない、という確信があった。


 そして、ウキの言葉。真名を思い出したら、何処へなりとも行くがいい。真赭が天籟島を出たら、もう二度と帰れないのでは無いか。真赭は天籟島から追い出されてしまうのでは無いか。


 真赭は期待する煌の目線に耐えられなくなり、部屋を飛び出した。

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