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十六話

 常寧殿じょうねいでんの稽古はいつも身が引き締まるような思いだ。空気がぴりぴりとしていて、一触即発のような空気がある。これでは、舞姫として連携するどころか、瓦解するような気がした。


 「かぐやの君、あなたまだ大師から指摘された部分が直ってません。一臈という位置であることを忘れていらっしゃるの?」


 不香ふきょうの責めの対象は真赭ますほからかぐやに移っていた。不香は真赭が気に入らないから、責める言葉をかけるのではなく、舞姫全体の足を引っ張っている人物を責めているようだった。

  

 「ごめんなさい、不香の君。精一杯やっているのだけれど…」


 かぐやは堪え切れなかった涙を袖で拭っていた。しかし、その涙さえも不香を苛立たせることらしかった。油を注がれた火のように、不香の顔は怒りで燃え上がっていた。


 「先日は休みだったのに練習はしなかったのですか? 五節舞が失敗なんてしたら、末代まで恥であると語られますよ。そんなことになったら、母上は私を許しません」


 不香はかぐやを責めながらも、どこか母親に怯えているようだった。


 「私も皆様と一緒に五節舞を成功させたい気持ちは同じです。私だって失敗すれば、おねえさまに顔向けができませんわ」


 かぐやが泣きながらそう訴えると、不香は自分と似た思いをかぐやも抱いていると察したのか目を逸らした。きつく言いすぎてしまったとでも思ったのかばつの悪そうな顔をしている。その時、ふふふと甲高い笑い声が響いた。その笑い声の主は夕蝉ゆうぜみだった。


 皆、なぜ夕蝉が笑い出したのか訳が分からず、彼女に視線が集まった。


 「母上のためだとか、お姉様のためだとか。血は繋がっていても所詮は他人。他人のために何かをするということはいずれ行き詰まりますわよ」


 夕蝉は馬鹿にしたような笑みを浮かべる。そんな笑みさえも蠱惑的で毒牙を秘めていた。


 「自分のために何かをする。これこそが一番努力できる方法よ。そこに他人を使えば失敗した時も他人を言い訳に使うことになりますわ」


 彼女の言うことは少しだけ正しいのかもしれないと思わせる力があった。しかし、それを認めてしまうと天籟島のために海神の舞を踊り、あきら白菊しらぎくのために五節舞を踊っている真赭自身を否定してしまうような気がした。そう感じたのは真赭以外の舞姫たちも同じだったのだろう。母のために踊っていた不香や、姉のために踊っていたかぐやは嫌そうに顔を顰めた。


 しかし、それ以上に怒ったのはともえだった。


 「誰かのために、何かをするというのは素晴らしいことです。五節舞だって神に奉納する舞なのですから、私たちは神のために舞わねばなりません。その中に家族への想いがあったっていいじゃありませんか」


 いつもの巴らしからぬ激情を露わにしていた。普段の巴はいつも人の顔色、特に不香の顔色を窺う控えめな姫だった。彼女をそこまで怒らせたのは、やはり彼女も誰かのために舞う側の人間であり、夕蝉の考えには共感できないという証左だろう。


 「自分のためだけに舞えば、失敗しても自分の責任だと納得できるわ」


 夕蝉は自分の考えを曲げるつもりはなさそうだった。しかし、周りの視線から自分が劣勢だと悟ったのか「外の空気を吸ってきますわ」と言い残して房室へやから出ていった。夕蝉がいなくなったことで冷静になれたのか、巴の顔は血が上って赤くなっていたのがいつも通りの顔色に戻っていた。


 「お見苦しいところをお見せしましたわ。…恥ずかしい」


 巴は自分が目立ってしまったことに多少の照れがあるようだ。元々、巴は人から注目を浴びることが好きではないのかもしれない。しかし舞うとなれば、周りに気を配りながら立派に舞姫を勤められるのだから凄い、と感嘆を漏らさずにはいられない才能があった。不香から、舞に関して指摘されなかったのは巴だけだ。


 「巴の君も誰か大切な人のために舞うの?」


 かぐやが尋ねると、巴は先ほどの覇気はどこへ行ったのか弱々しく語り始めた。


 「叔母上は先帝陛下の妃候補でした。選ばれずに帰ってきて体を壊し、なんとか嫁ぎ先が決まったものの、ずいぶん歳の離れた方だったから閨で亡くなられたの。

 叔母上は何も悪くないのに、毒を盛ったなんて噂されて心を病んでしまわれた。いつも無表情だけど、私が舞う時だけは笑顔になってくださるから。…私、叔母上のために舞姫をしっかり勤め上げたいの」


 巴の言葉には優しさがこもっていた。彼女の舞は不純物が一切ないかのように澄んでいた。煌と白菊のため、そして自分の存在証明という自分勝手な理由で舞う真赭とは大違いだ。


 真赭はすこし恥ずかしくなった。天籟島にいる時から、真赭は島に馴染もうと自分のことばかりを考えていた。舞うときに誰かを思い浮かべたことはあっただろうか。


 今は、煌の顔が浮かぶ。この振り付けをうまくできたら、煌は褒めてくれるだろうかということばかりを考える。


 「夕蝉の君は自分のために舞うかもしれないけど、私たちが誰かのために舞うのを阻む権利はないはずよ」


 巴の言葉を聞いて、かぐやは励ますように巴の手を両手で包んだ。


 「不香の君もお母様のために舞われるの?」


 いつも厳しい不香に歩み寄ろうと巴が不香に声を掛けた。不香は巴とかぐやの行動を仲良しこよしは御免だとでもいうようにしらけた目で見ていたが、話をふられたことで少し言葉が詰まったように話し始めた。


 「巴の君ほど優しい理由ではありません。母上の悲願を達成するために私は皇后にならねばなりません。舞姫という役割は皇后への踏み台に過ぎません」


 不香の母も巴の叔母と同じく、先帝の妃候補だった。不香の母も選ばれず家に返されることになる。不香の母の劣等感を刺激したのは、皇后に選ばれたのが同じ北の地方出身の月影院だったということだ。


 不香の母は舞姫に選ばれた不香に、大きな期待をかけており、自宅で練習する際も監視するように練習を見ているらしい。不香が厳しかったのは母の影響からだろう。


 「不香の君の舞は美しいけれど、それこそ天女のようだけど…月に帰れなくなった迷子の天女のような寂しさを感じるときがあります」


 巴が不香の機嫌を損ねないか不安になりながらもかんそをのべていた。睨みつけるかと思われた不香だったが、彼女は睨むことなく、疲れたように笑った。


 「確かに、今は家に帰るのが少し苦痛です。舞は嫌いじゃないけれど、本当は琵琶を弾く方が好きです」


 琵琶の方が好きだと言いながらも、舞も上手いのは彼女が多才であるというだけでなく血の滲むような努力をしたからだろう。彼女は才能に胡座をかかなかった。努力の人だからこそ、真赭がまだ五節舞が下手だった頃にかぐやが「真赭は努力している」と庇っても通用しなかったのだ。

 

 不香は努力して結果を出さないと認めない。


 「…不香の君、巴の君、私たちは皇后候補としては敵同士ですが、舞姫としては仲間です」


 かぐやが巴と同じく、不香の手を握ろうとする。きっとこれは彼女なりの親愛の証なのだろう。真赭もかぐやに「一緒に踊ろう」と手を差し出されたことがある。


 不香は少し躊躇ったものの、かぐやの手を受け入れた。彼女は大嘗祭のあとを見据えているのだろう。舞姫が役目を終えた後、真赭は役割から解放されるが、不香たちにはまだ皇后候補の役割が残っている。


 不香もかぐやも、皇后になりたいという思いが強いのを真赭は知っている。不香はここで仲良くなることで、皇后になる際に、余計な情が判断を鈍らせるのではないかと恐れているのだろう。


 「一旦、皇后候補のことは忘れるわ。舞姫として死力を尽くす。それだけを考えましょう」


 不香は自分の気持ちを飲み込んだかのように振る舞った。きっと飲み込んだ気持ちは苦いものだっただろう。不香は自分を「皇后になる女」と宣言したくらいだから。


 夕蝉を除いた四人の結束は固くなったような気がした。大師たちが房室に戻る頃には、長く外の空気を吸っていた夕蝉も戻ってきた。


 彼女は敏感に、真赭たち四人の仲が改善したのを見抜いたのか「舞台とは孤独な場所。常に戦うのは自分自身よ」と、真赭たちに迎合することはなかった。


 一旦は皇后候補という立場を忘れた不香は厳しいながらも、まだまだ未熟な真赭やかぐやに助言を与えてくれた。かぐやに対しては、大師に指摘された減り張りの付け方を。そして夕蝉に当てつけかのように、「減り張り」は「婀娜あだっぽい()()」ではないことを強調した。


 皆の舞が上達すれば、夕蝉も焦ったのか彼女の舞も洗練されていくようになった。彼女の独特の癖とも言える()()は改善されていき、皆が一様に天女のようは舞姫に近づいていた。




***




 「うん。よくできてる。扇捌きも裳裾捌きも完璧に近いわ」


 白菊しらぎくの邸で、真赭はいつも通り舞の練習を見てもらっていた。そして白菊からは「何も教えることはない」と太鼓判を押してもらうに至った。


 「私も回復のために舞を練習しているの!」


 「えぇっ!? 白菊様は絶対安静なんですよね? 無理に動かしたらまた痛みが出るかもしれませんよ」


 白菊は自信満々に扇を掲げて裳裾捌きを披露して見せる。真赭はまた白菊の足の痛みが出るかもしれないのを、ひやひやしながら見守った。


 「私も、踊りたかったの。代役を立てなきゃいけないってなったとき、悔しかった。大嘗祭は特別なの。その帝の御代でたった一度だけ。その大嘗祭の舞姫に選ばれることは、毎年ある豊明の節会の舞姫とは違う」


 白菊は複雑な表情で檜扇を眺めた。足が動かせない間は手慰みに扇捌きを練習していたのか、白菊の手には扇が当たる部分にたこができていた。


 「今回は無理でも、次回こそは私が舞姫を務めたい。だから、今から回復も兼ねて練習するの」


 白菊は悔しさを隠すように笑っていた。真赭は白菊の代わりを務めるという責任が重くなっていくのを感じた。しかし、それは真赭の体を重くする重圧ではなく引き締める効果を持っていた。


 「私、白菊様の分まで精一杯舞ます」


 真赭がそう宣言すると、白菊は嬉しそうに笑みを浮かべていた。

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