第二十七章 灰かぶり姫・惜別
「やあ、……久しぶりだね、オーベール」
後手に縛され、かつての部下に両脇を固められて入室した先。年若い主のかけた声に、わたしは顔を上げ、穏やかに、ほのぼのと笑ってみせた。
「はいー。おひさしぶりですねー、レスト様。お元気ですかー?」
それは、数日前と何一つ変わらない笑顔だったはずだ。当代随一とも言われる剣の使い手とは思えないほど緊張感が無いと、しっかりものの同僚から評されたそれに、レスト様は天鵞絨張りの椅子に座したまま、柔らかく笑い返す。
その顔は、今年のはじめに誕生日のおいわいをしたときよりも、少し、大人びてみえた。
「お陰様でね。……君達、オーベールを離して構わないよ。その状態で、僕に危害は加えられないだろうから」
微笑んだまま命じる声に、わたしを捕らえていた二人の近衛が、無言でそれに従った。
レスト様の真横についたかつての同僚が、きつく、拳を握り締めているのが見えた。それは、彼が、ひどくつらいことを我慢して、泣かないようにするときの癖だと思い当たる。……ああ、そんなふうにしたら、掌から血が出てしまうのになぁ。
彼らがむけてくれる、哀しみとも苛立ちともつかない感情。それに応えることなく、ただその場に跪く。
方膝をつく騎士の礼ではなく、引き出される罪人にふさわしく、両膝をついて顔を上げると、レスト様の目が静かに眇められた。
「さて、早速だけれど、本題に入らせてもらうことにするよ。僕は君を罰するために、ここに呼び出したのだから」
「はい」
「君には今から、重すぎる罰を受けてもらうことになる」
「はい」
重すぎる罰。その意味は、充分に理解できていた。わたしは、この国の皇太子殿下である方を裏切り、この方の妹のような方を誘拐し、部下であった子たちを傷つけ、そう、あの娘さんを……レスト様の大切な女の子を殺そうとした。
一世一代の賭け。わたしはその賭けに負けたのだ。
――――その贖いを、ようやく。
「オーベール・ブラン。君を、王城の地下牢に永久入牢する」
「…………」
思わず、ほんの少しだけ、眉根を寄せていた。罰の重さを不満に思ったわけではない。むしろ、その軽さを不審に思った。
教授家たる人間を誘拐し、主を裏切り、城に無法者を引き込んだ罪は、けしてかるくはない。それらの罪に釣りあう罰は一つだけだ。すなわち、「死刑(極刑)」。
なぜですか、と聞こうとして、けれど、声を発するよりも早く、レスト様は静かに言葉を次いだ。
「僕から命を受けながら、教授家たる人間を護り抜くことが出来なかった失策によってね」
「……な……っ」
今度こそ、表情をつくろえなかった。
――――失策?
「……なに、を、言ってるんですか……?わたしは、わざと……」
「わざと?君は、皇太子の命によって教授家当主の護衛を任されていながら、その身を危険にさらした。その失策は皇太子はもとより王の不興をかい、君自身は永久入牢、君の家族は、イルバルツク島に流罪だ。3人ともね。……世間はこの罪を『重過ぎる』というだろうけれど」
継がれた言葉の意味がわからない。
ちがう。ちがう。違う……っ!わたしは、あなたを、命主を裏切った。そのような待遇はおかしい。わたしは……!!
「まってくださいっ、わたしは……っ!」
「王族の最も近しき刃たる近衛が、王族を裏切る。……そんな、国力の低さを露呈するような真実は、この国には必要ないよ」
その声。その目。全てが、人の上に立ち、人を導く為政者としてのもの。時代の王たる方の威に、わたしはそれ以上の言葉を失う。呆然と目を見開く私を睥睨していたレスト様は、けれど、ふっと興味がなさそうに目線を逸らした。
「――――――ああ、そうだ。これは世間話の一つに過ぎないけれど。……今回の全面的な調査で、黄砂を運ぶ東風の通る量が格段に少ない場所が確認できた。辺境の孤島で、今まで調査はおろか、公式な使者が足を踏み入れたことすらなかった場所だけどね」
「……っ!」
何故、と、かんがえてしまったのは、傲慢な甘えだった。何故、もっとはやくみつかってくれなかったのかと。そうすれば、小さな息子がこのままなす術もなく死ぬことも、妻や娘を孤島に追いやることもなかったのにと。そして、この方を裏切……。
……けれど、わたしはそのまま目を伏せた。
そのような仮定への望みは、わたしがもっていいものではない。わたしが、愚かだったから。それが、全てだ。わたしのせいで、周囲のすべての人が傷つき、誰も助けられない。それこそが、罰なのだろう。
「以前左遷したビール樽が長官をやっていたから、場合によっては首かっとばしてやろうかとも思ったのだけど……。『あの悪魔のような王子の使者!?わ、わわわわわたくしがどうなろうと、可愛い領民たちにはゆびいっぽんさわらせませんぞぉぉっ!お、おうカール、ジュディス、ソルバン任せておれっ。お前たちは必ずこの爺が守ってみせるうぅぅぅっ!』とか絶叫するほど島に馴染んでいたから、そのまま任せることにしたよ」
ちなみに、酒なんか無いから酒乱も消えて、健康的な小麦色の肌になっていたらしいよ。まぁ、どうでもいいのだけれどね。とあっさり言い捨てて見せる方にを前に、ぐらりと視界がゆがんだ。
ビール樽、とこの方が評した、もともと執政官であった人が送られた島。黄砂が届かないという島。……そして先ほど、わたしの妻と、子供たちが、流罪されると言われた場所は。
「……レ…ストさ……」
「今回、検証にかけることができた時間もあまりに短く、記録も曖昧だ。絶対の保障はない。あるいは、全て無駄かもしれない。それでも……」
笑顔が、苦笑するような、穏やかなものに変化する。そうして静かに、年若い王子は玉座から立ち上がった。
「――――さようならだ、オーベール。僕は君のことが、さほど嫌いではなかったよ」
それが、近衛隊長オーベール・ブランが直接聞いた、レスト・ファリシアン・リュファス・アレクサンドル……ソルフィアの皇太子の最後の言葉だった。
「――――――」
「…キーツ」
部屋を出て、半ば無意識に進めた足が人気の絶えた訓練所にたどりついた途端、高く良く通る声が私の名前を呼んだ。
「…マーリア様」
振り返った先にいたのは、鮮やかな金茶色の髪を結い上げた、オレンジ色のドレスの姫君だった。
…ああ、そうか。この方は、無事でいてくれたのだ。
「――――おけ、がは、ありませんでしたか。マーリア姫様」
「無いわ。それにそれ、さっきも聞かれたわ。物覚えが悪いだなんて、年のせいで呆けたのではなくて?」
「はは…。そう、かも、しれないですよね……」
即座に返る言葉にへらりと笑うと、マーリア様がぎゅっと眉根を寄せた。どうしたのか、と聞く前に、くっときつく噛まれた唇が、もう一度開く。
「オーベールは、どうなったの?」
「……王城の地下牢に、永久入牢、に、なりました」
それが、レスト様の出したお答えだった。オーベールの命は、奪われることはなかった。本来なら、殺されて当然のことをしたのだから、むしろ甘い処置なのだから。
「……死ぬ、ことも、なく……」
未だ謁見室の中にいる男。彼は死なない。ただ、王城の地下に、罪人として終世を過ごすだけだ。二度と、レスト様にも私にも、まみえることなく。
「キーツ」
「……え?」
呼ばれた名より、不意にとられた手に戸惑った。そして、持ち上げられた自分の掌に、血を滲ませる痕があるのに呆然とする。半月形の痕は、全部で四つ。
爪が肌に食い込むほどに、きつく手を握り締めていたのだと、はじめて気付く。
「あ……」
「キーツ」
「……私…は……」
「――――」
「私、は……!」
私が30歳にも満たずに近衛隊長となった時。そのことを、同期の多くは妬み、「ダールトン将軍の息子」だからと嘲った。それでも相手にもせずに努力を続けたのは、異例ともいえるスピードの出世についてきた同期がいたからだった。
『いい加減にしたらどうですっ!あなたときたら何度言っても何度言っても遅刻ばかりで…』
『いやー、でも、猫が木から下りられなくてですねぇ』
『そんなものは他の者に任せなさいっ。どぶにはまっただの氷ですべっただの子どもが転んだだの犬にじゃれつかれただの、迷子の親御さんを捜していただのまったくあなたは…っ。そんなことで近衛隊としての面目が…っ!』
『いやー。でも、ありがとうございますねー、いつも迎えにきてくれて』
いつでもどこでもほわほわふわふわしていたオーベール叱り付けながらも、常に共にあった。その彼が、いなくなる。二度と、近しく言葉を交わすことは叶わない。
「……おー、べーるは」
「何よ」
「オーベールは……っ」
「…………なぁに、キーツ」
『レスト様、しっかり寝てくださいねぇ』
彼がレスト様にかけるのは、穏やかな声だった。優しい目をしていた。
『あ、お土産ですよー。レスト様』
城下に行くたびに、可愛らしい花束や、評判の菓子を買ってきて。にこにことレスト様に差し出して。
「―――っ彼は、レスト様を、大事に思っていたんですっ…」
「―――――」
「ほうとうに、ほんとうに…っ」
どこで、食い違ってしまったんだろう。何故、私は彼の痛みに気づいてやれなかったのだろう。たった一人で暗闇に向かう友を、どうして引き止めてやることができなかったのだろう。何故、どうして……。
呟くように声を漏らす私の言葉をさえぎるように、ぐいと手を引かれた。
「来なさい」
「マーリア様?」
「うるさい」
そのまま、酷く足早に歩くマーリア様にひきずられるように、歩く。歩いて、歩いて、地下に続く階段の手前にいたったとき、前に見えた姿に、反射的に足を止めていた。
「オーベール!」
高らかな声に、灰色の世界の中、部下達に両側を囲まれ、連行されていた人物がゆっくりと振り返る。以前とは別人のような、色をなくした茫漠とした目と、目があって。けれど、何もいえない。落ちる沈黙が、重く、重く、沈む。そして、
かつ、と真横で高く、靴音が響いた。
一歩、私より前に出た小さな姫君。
金茶の髪を二つに結い上げ、焦げ茶の瞳を鋭く尖らせたマーリア様が、一つ、強く息を吸い。
「オーベール!わたくしは、お前を許さないわっ!!」
良く通る声の、高らかな宣言。
それを受けて、オーベールの目が見開かれた。同時に、私の世界も色を取り戻す。息が、戻る。
ふ、と、オーベールの目に、ほんの僅か、光が宿る。そうして彼は頭を深く下げ、そのまま、部下達とともに階段を下っていった。
「……、マーリア、さま」
「まったく、うっとうしいったらないわっ!」
「へ?」
「へ、じゃないわっ!お兄様をおまもりするのは、これからわたくしとお前の役目なのよっ!!しゃんとなさい!」
「は……」
「へんじ!!」
「は、はい!」
反射的に返事をすると、マーリア様はふんっと鼻を鳴らし、そのまま、またぐいぐいと手をひいていく。
向かう先が、わかる。
マーリア様の兄上。私の主。私が全霊をかけて、お守りすべき方のもとだ。そう、かの方の失ったものを埋められなくても、おそばには、いられる。
まだ、心は元には戻らない。けれど、マーリア様のたった一言で、救われたのだと思う。私は。……きっと、彼も。
「……マーリア様」
「なによっ、なにか文句が…」
「ありがとうございます」
去り際の一瞬。ありがとう、と、彼の唇が動いたのは、きっと私の、気のせいでは、ない。
オーベール・ブラン。18歳で軍に、20歳で近衛隊に入隊。28歳の時、当時の大将軍コルクナ・ダールトンの息子、キーツ・ダールトンと共に、異例とも言える抜擢を受けて近衛隊隊長に就任。良く皇太子に仕え、その信任を得るが、30歳の時、護衛を任されていた教授家の当主を護りきれず、誘拐されるという失策をおかす。後日当主は無事に奪還されるも、これにより王の不興を買ったオーベールは失脚。王城の牢に永久入牢され、彼の妻と2人の子どもはイルバルツク島に流刑となる。
9年後、皇太子レスト・ファリシアン・リュファス・アレクサンドルの婚姻・及び即位による恩赦に浴し、出獄するも、皇太子は彼が再び王城に仕えることは許さず、改めて流刑に処した。セリフィア領土内の島に流されたと推察されるが、この時、流された島の名に関する記録は一切残っておらず、今にいたるまで解明されていない。
ただ、入牢の際には1つの反論もせず、不満も口にせずにいたとされるオーベールが、皇太子の命を受けて出獄するとき、皇太子の名を呼んでその場で跪き、大粒の涙を零したという。彼はその後、終世、かつての主に会うことは叶わなかった。
オーベールの妻であったミシェル・ブランはその後島を出る赦しを得るが、一度もイルバルツクの島を出ることなく、その地に骨を埋めた。彼女の墓は、1人が葬られるものとしては大きく、誰かと共に埋葬されたことが伺えるが、これももはや確認のしようの無い事柄である。
彼の娘と息子はその後成人して島を出、息子であるトーリス・ブランは医師となり、黄砂症の特効薬の開発をはじめ、今も称えられる多くの功績を残し、娘であるレリア・ブランは父の剣の才を受け継ぎ、王城に仕えることを許されて、セリフィア初の女性将軍となって、それぞれに父の失態を雪ぐ見事な生を歩むのだが……これはまた、別の話である。
近衛隊隊長オーベール・ブランの失脚・入牢はひっそりと行われ、城外の民にはほとんど知らされることもなく、また、偶然知った者たちも、聞き覚えの無いその名と処遇をすぐに忘れ、平穏な時が淡々と流れていく。特筆すべきこともない、ただただ代わりばえのしない日々が。
そんな中、一つだけそのときに起こった変事を挙げるとするのなら、ある一冊の本が、ソルフィアで爆発的な人気を博したことがあげられるだろう。
その本作者はロザモンド・ビビアンヌ・フォルマルク。その本の題名は、『Cinderella』……灰かぶり姫、と言った。
……はい、あなた誰ですかと言われそうな…、むしろ私自身が自分に言いたいカメさんの後方1350mを爆走中の作者ですこんばんは!
うふふふふふふふふふふうふふふふふふふふふ遅いっ、自分遅いっ。そしてコメント感想返信すらも遅い!!遅い遅い尽くしでむしろなにかの呪いのようですみませぇぇええええええええええんんんん!うふふふふふ紐なしバンジーが私を呼んでます☆
地震がありましたが、皆様はご無事でしょうか。支倉はとりあえず無事です!家にも当人にも被害はありません!お気遣いのメールを下さったかたがたありがとうございました!返信をいたしましたので、読んでいただければ幸いです!
内容ですが、オーベールの処遇です。「お別れ」の章となりました。オーベールは、彼なりに考えた道を、例え間違っているとわかっていても進もうとしたので、できればあまり嫌わないでやってくれると嬉しいです。レストの対応は、多くの近衛と、有力者の協力なしにはできなかったことです。それがいいことか、悪いことかはわかりませんが、レストも「自分」を突き通すことを決めた結果だと思います。
鈍足作者にも関わらず、読んでくださった方、お気に入り登録をし続けてくださった方、感想・コメントを下さった方、作者が書いていられるのは、全て皆様のおかげです。本当に本当にありがとうございます!
終わりまで、あとほんの少し、おつきあいいただけると嬉しいです!
それでは、失礼いたしました!