第二十五章 灰かぶり姫・決別
作中に登場する病気は、実際の事象・病気とは一切関係ありませんので、ご了承下さいませ。
……うん、はい。遅いのもそうだけれど、この中途半端な時間の更新は何とかするべきだと思いましたすみません…。
黄砂症
気候の変動により、遠く砂漠地帯から、春先の風に乗りやってくる黄砂の量が激増したことにより生まれた病。黄砂が喉や鼻腔、肌につくことで裂傷と炎症を生み出し、喉の痛みや咳、鼻水、肌の腫れを生み出し、重度の場合は発熱する。多くは軽度の症状のみであり、季節の移り変わりと共に終わることから、ソルフィア国では特に対策をとられていない。健康な人間であれば、重くとも2、3日寝込むだけで済む病。
「アナマリア・イエーガー姫の拘束場所への突入、準備完了しました。明朝実行します」
「ご苦労。…………ああ、一応伝えておこうかな。医師に確認を取らせた。オーベールの動機はやはり、黄砂症で間違いなさそうだ」
「そうですか」
「生死は問わない。ただし、アナマリアの安全だけは確保しろ」
「近衛さん……キーツさんが陣頭指揮する限り命じるまでもなさそうですけど、了解しました。伝えておきます。それじゃ」
「……ああ、少し待て。命を撤回する」
「は?」
「出来うる限りでいい。彼を、生かしたままで連れ帰れ」
「…………」
「何、不満な訳?」
「――いいえ。殿下がますます大人になられたな、って。それとこれからこき使われそうな予感がひしひしと」
「へぇ?止めないんだ?」
「主のワガママを叶えるのが、臣下の役目なんですよ?」
「……主の我儘を諌めるのが、じゃなくてかな?」
「自分で我儘抑えちゃう人に、なんでわざわざ止める必要があるんですか。―――御意。必ずや、御身の期待に沿いましょう」
それは、かすかな、かすかな音。何かが軽く倒れるような、意識をしていなければ聞き逃していただろう小さな音。けれど、確かにそれが届いたから、閉ざしていた目をゆっくりと開いた。そうして、半ば寄りかかっていた扉から背を浮かし、懐から取り出した鍵を鍵穴に差し込み、回す。扉の向こうで、中にいる少女の気配が一瞬強ばり、また、気合をいれるように張り詰めるのがわかり、思わず小さく笑みが浮かんだ。
そうして開いた扉の先には、白の壁紙にオレンジのタペストリーや花器を配した、数日前とは別もののように模様替えされた部屋が待っていた。そして、部屋の中央、起きたばかりらしく贅沢にレースを配したネグリジェ姿で髪もぼさぼさのまま、それでも焦げ茶の瞳を怒りできらきらと輝かせた小さな姫君にむけて、にこにこと笑いかけた。
「おはようございますー、姫さまー。ごきげんいかがですかー?」
「っ……れ、レディの部屋に無断で入ってくるなんて、神経を疑うわっ!わたくしはお前に入室を許可したおぼえはないわよっ?」
「ああー、すみませんー。でもですねぇ、ちょっとだけ急用が」
「急用……?……急用って……」
戸惑ったように眉根を寄せた姫君の言葉を遮ったのは、今度こそはっきりと響いた、何かが床に叩きつけられるような音だった。それに続いて、人の気配が入り乱れ、間を置かずに、階段を駆け上がる足音がそれに重なる。
「な…なんなのっ…?」
「お迎え、ですねぇ。手際がいいから、多分キーツくんですかねー」
「キーツがっ…?」
答えた言葉に、ぱっとアナマリア姫の瞳が喜色に輝いた。この姫君は、彼のことをずっと慕っていたから、迎えにきてくれたと聞けば嬉しいのだろう。その真っ直ぐな喜びに、彼は幸せものだと笑う。そして歩を進め、アナマリア姫が抵抗する間もなく手を伸ばして、小さな体を肩に抱えあげた。
「ちょっ…!?」
「お出迎え準備をしますからねー、姫さまー」
「離し…離しなさい!」
「暴れないでくださいねー。だいじょうぶですからねー」
「この状況のどこが大丈夫だと言うのよっ。いいから離しなさいったら!」
「だいじょうぶですよー。……あと、すこしですからねー」
「え……?今なんて……」
「大人しくしてくれないと、ころしちゃいますよーって言ったんですよー」
「……っ!」
耳元で、鋭く息を呑む気配と共に、小さな姫君の体が怯えたように強ばった。それと共に止んだ抵抗をいいことに彼女を片手で抱えなおし、誰かを軟禁するには不相応とも言える広さを誇る部屋を横切って、二間続きの部屋の隅に向かう。そこで、そう言えば縛るものがなかったと気付いて、天蓋ベッドのカーテンをべりべりと剥がして適当な長さにしてから、ベッドの脇に置かれた椅子に彼女を下ろし、改めて縛ろうとして、思わず動きを止める。
怯えきっていると思っていたアナマリア姫が、きっと、こちらを睨みあげていた。
「よ……よら、ないで」
「…………」
「わ、わたくしは、……わたくしはっ、わたくしの友人を傷つけたお前を許さないと言ったはずよ!」
どれだけ強がっていてもその肩も声も、そして椅子を掴んだ指も細かく震えていた。……それでも、それでも彼女はただ怯えて、自分に従おうとはしていなかった。懸命に、兄と慕う人の、友人の、思い人の「敵」に負けまいとしていた。だから、
「っ!嫌だって言ってっ…!」
「はいはいー」
抵抗にもならない抵抗を受け流し、ぐるぐると椅子ごと体を縛りつけたアナマリア姫を、ほんの少し、部屋の隅に押しやった。そして、その瞬間、叩きつけるような音と共に、背後の扉が開く。
「マーリア様!!」
「っ…キーツっ」
ゆっくりと振り返った先で、かつての同僚が、扉を開け放った姿勢のまま、焦りと安堵、怒りと濃い戸惑いを含んだ目をして、抜き身の剣を下げて立っていた。その背後には、冷たい目をしたカークランド殿と、かつての部下達のつらそうな、張り詰めた表情。
だからにっこりと、ことさら穏やかに、口元に笑みを浮かべて、彼は笑った。
「……あららー。ばれちゃったんですねー。おはようございますー。おひさしぶり、ですねー」
「……あららー。ばれちゃったんですねー。おはようございますー。おひさしぶり、ですねー」
明け方を狙って潜入し、最低限の音と手間、そして時間だけで占領した邸の3階。白とオレンジを基調とした部屋の隅、椅子に縛り付けられたマーリア様の前に跪いていたかつての同僚は、穏やかに、「いつも」と同じように笑う。それに怯みかけた心を押しやり、こちらを見つめるマーリア様の無事な姿に意識を向けた。
「マーリア様!ご無事で……っ」
「あー、動かないでくださいねー」
けれど踏み出した足は、オーベールがマーリア様の喉元に、細身のナイフを突きつけたことで留められた。マーリア様の瞳が、驚愕と恐怖に見開かれるのを見て、頭に血が上るのがわかる。
「…っ……オーベール、きみは!」
「こないでくださいねー。来るのは、ひとりですー」
「……1人?」
「もう逃げられそうにはなさそうですけど、このままつかまるのは、つまらないのでー。そーですね、わたしを倒せたら、姫さまをかえすとかおもしろくありませんかー?駄目だったら相手を殺す。わかりやすいですよねー」
「…悪戯けないで下さ…!」
「いーよ。俺が相手してあげる」
「なっ…」
マーリア様の命をお遊びの道具とでもいうような言動に、苛立ちのまま怒鳴りかけた声を遮ったのは、背後から響いた声。そして、部屋の入り口に立ち尽くしていた私の肩を掴み、小さく首をかしげて、カークランド殿がオーベールに軽く呼びかける。
「ただし、時間が惜しいから一本勝負ね。俺が勝ったら抵抗不可で」
「いいですよー。それ以外の方が入ってきたら、姫さまに命はないですけどねー」
「カークランド殿、私が!」
淡々としたやり取りに、しかし、制止の声を上げる。化け物じみた動体視力を誇るとはいえ、カークランド殿は一商人であり、そしてレスト様の腹心たる方。危険に晒すわけにはいかない。それに、マーリア様は私がお守りすべき方。そしてオーベールは……、例え変わり、腐ってしまっているのだとしても私の同僚であり、友人だ。その相手を止める役目を、他者に押し付けるわけにはいかない。
けれど、こちらを振り返ったカークランド殿は、諌めるように、そしてすまなさそうに苦笑した。
「きみには申し訳ないと思ってる。だけど、これは行かせて。絶対に負けないから」
(見せないであげてよ、きみと彼が斬りあう姿なんて)
小さく耳元で囁かれた言葉、そして、目線だけでマーリア様を見たカークランド殿に声を失う。
カークランド殿は、縛られたままのマーリア様にひらひらと手を振った。それに、マーリア様の顔が泣き出しそうに歪む。
「ちょーっと待っててくださいね、アナ姫」
「レイ…っ。あ、あなたまで、スィリスみたいに、怪我をしたら、わたくしの所為で…!わ、わたくしが役に立てないからっ…!」
「―――大丈夫ですよ。約束、してきましたから。それと、ありがとうございました」
「え?」
「壁紙、タペストリ、ドレスに絨毯に花器に机、それも全部最高級なもの。花束のとびきり豪華で贅沢なものを日に2回も。わかりやすくしてくれたんですよね、俺達が見つけやすいように」
「……っ!」
「殿下も、あの子も、いっぺんで気付きましたよ。あの子は嬉しそうに笑って、『アナマリア様は、とびきり勇気のある素敵な方です』って。それで殿下は―――『流石は僕の妹だ』って」
「っ……!!」
「一生懸命、考えて行動してくれて、ありがとうございました。後は、俺の役目ですよ」
にこり、と優しげに微笑む顔に、マーリア様の顔がくしゃりと歪む。それを見て、カークランド殿は腰の鞘から、細身のサーベルを引き抜いて一振りし、部屋に歩を進めた。オーベールも、握っていたナイフを背後に落とし、応えるように長剣を引き抜いて、重量のある鞘は床にうち捨てる。
当代随一の剣士とされるオーベール・ブランの得意とする……そして恐らく彼以外は振るえない、普通の長剣よりも指一本を加えた長さと、倍近い幅と重みを持つ重長剣。まともに受けた相手の刃どころか、腕すらも砕く無双の刃。
「武器はそれでいいんですかー?」
「問題なし。さて、売国の輩、オーベール・ブラン。罪状の確認をするまえに、理由の確認。理由としては、きみの息子さんの黄砂症、だよね?」
黄砂症。気候の変動により、遠く砂漠地帯から、春先の風に乗りやってくる黄砂の量が激増したことにより生まれた病。黄砂が喉や鼻腔、肌につくことで裂傷と炎症を生み出し、喉の痛みや咳、鼻水、肌の腫れを生み出し、重度の場合は発熱する。多くは軽度の症状のみであり、季節の移り変わりと共に終わることから、この国でも特に対策はとられていない。健康な人間であれば、重くとも2、3日寝込むだけで済む病だからだ。健康な、人間であれば。
「けど、稀に、本当に稀に、黄砂が体質に合わない人間も存在する。調べてみて驚いたよ。計上できるほどの数じゃないけど、確かに黄砂症の重症者はいた。調べてみるまで、知りもしなかったけどね」
そして、そうした人間は黄砂症の症状が重く、寝付く期間も比較的長い。それでも、大人であれば様々な予防で軽化でき、命に関わることはない。けれど、子ども……それも、1歳程度の幼児であれば。
「黄砂症は最悪の場合、命を落とす死病にかわる。きみの息子さんがそうだったんだよね?1歳になったばかりの、息子さんが。そして、ロワナは砂漠。黄砂の地だ。治療薬の提示と引きかえの協力。違う?」
「……いいえー、違いませんよー。さすがですねー、カークランドさん」
ぱちぱちぱち、と剣を持ったまま器用に拍手をするオーベールに、カークランド殿は軽く肩をすくめた。
「そう。じゃあ罪状は王城侵入幇助罪、教授家たる人間を誘拐した罪、王城内の情報を他国に漏らした密告罪、皇太子殿下を裏切った近衛としての罪、王城内で血を流させた罪、それから皇太子殿下直属の近衛を傷つけた罪。……こんなところでいい?」
「はいー。大当たりですねー」
「じゃあそれらの罪により、レイ・カークランドは王命を受けし者として、売国の輩、オーベール・ブランを拘束する。――――あーところでさ」
気軽に言葉をつぎ、そうしてカークランド殿は何気ない表情のまま、小首をかしげてみせた。
「なんであの子に解毒薬を渡したの?」
「ええ?なんのことですかー?」
「――そう」
淡々とした応え。そして、すっと紫電の瞳が開くのと、オーベールが床を蹴ったのは同時だった。
オーベールの長剣が、その勢いのままに真横に薙ぎ払われる。足を斜めに引いてそれを避け、距離をとったカークランド殿を、続けざまに上段からの打ち込みが襲う。
常人には目視することすら不可能な剣戟を、けれどカークランド殿は柄でいなし、オーベールの真横に回りこみ、刃を打ち出した。
(速い…!)
踏み込みの利いた突きが、オーベールの脇腹をかすめて布を裂く。けれど、飛沫く真紅はない。それどころか動揺も見せず、即座に長剣を構えなおしたオーベールの姿には、一片の隙も無い。
白銀の刃を一振りし、刃先を改めてオーベールに向けて、カークランド殿が感心したように口笛を吹いた。
「さっすが、皇太子殿下直属」
「こちらは、本職、ですからねー。それにしても、うーん。ほんきで打ち込んで、避けられるのは傷つきますー」
「えー?だって避けなかったら死んじゃうじゃない。結構色々ぎりぎりなんだよ?―――長剣を振る速度じゃないよ、それ。間合いは広い分、振り切った時の隙が大きいのが長剣のデメリットなのに、反則だと思うんだけど。大体それ、両手剣でしょ?片手で振るわないでほしいなぁ」
口調こそ嘆きの形を取りながらも、彼の口元から不敵な笑みは消えない。まるで、負ける気など、砂粒一つの分すらないのだとでも言いたげに。
「……それにしても、刃を交えてももらえないのはさびしいですねー」
「重長剣まともに受けたら腕ごとふっとんじゃうからさっ…と!」
言葉を交えて放たれた一撃。横薙ぎのそれをオーベールはまたもかわし、当然来るだろう第二戟を弾こうと振り上げた体のすぐ目の前に、カークランド殿が一気に間合いを詰めていた。
体勢を整える隙を与えぬそれは見事なまでの、神速。並みの者ならば、反射的に飛び退り、そこに隙が出来るはずの場面。けれど、
(なに…!?)
オーベールは距離を取るのではなく、振り上げた右手に左手を添え、両手を使った全力で、長剣を大上段から振り下ろした。真正面の、レイ・カークランド殿の顔に向けて。
「…っカークランド殿っ!」
「レイ……っ!!」
悲鳴じみたマーリア様の声と自分の叫び。振り下ろされた全力の一太刀。それはカークランド殿の頭部を正確に捉え、そして…。
にっと、凶暴な笑みが形良い唇に浮かび、オーベールの瞳が見開かれた。
正確無比な力を込めた白刃は、真横からの衝撃に持ち主ごと弾き飛ばされる。よろめいた足首は足払いを受けてそのまま崩れ、とっさに体勢を正そうとしたオーベールの喉元に、サーベルの刃先が突きつけられた。
「…………刀身を足で蹴り飛ばすなんて、危ないまねしますね。下手したら足首が飛びますよ」
「たしかに。だからわざわざ、大上段から来てくれるように正面にまわったんだよ」
刃と水平に突き出さないと足が切り落とされちゃうから。
淡々とした言葉に、オーベールは目を見開き、そして、くつくつと喉を鳴らして笑いだした。動くことのない刃先が小さく喉を傷つけたのか、曇りない刃にじわり、と赤が滲む。それを気にも止めず笑いながら、両手をあげる。
「…いやだなぁ…、つよいですねぇ、カークランドさん。降参です」
「普通に戦ったら勝てないけどね。俺の剣は、きみの剣と違って騎士の剣じゃないから、卑怯なことも結構するよ」
「うーん。確かに正規の剣ではないですけど、ひきょう、ではないと思いますけどねー」
「そう?―――確保完了。捕らえて」
屹然とした声に、呆然と動きを止めていた部下達が動き、オーベールの両腕をとらえて、背後で一つに縛り付ける。その間、オーベールは穏やかな顔で瞳を伏せたまま、約束通り、何一つ抵抗はしなかった。
「……アナ姫、大丈夫?」
「え……ええ。ありがとう、レイ」
「カークランド殿、拘束完了致しました」
「お疲れさま。じゃあアナ姫は、俺と一緒に王城へ……近衛さん?」
次々とかわされる会話が耳を素通りしていく。目に映るのはだた、両手を縛られ、罪人のように拘束されたかつての同僚の姿。
罪人のように?違う。彼は……罪人だ。唯一の主たる方を裏切り、国そのものに不利益をもたらした売国奴だ。彼は、オーベール・ブランは…!
「…っ何故言ってくれなかったんですかっ?」
思わず漏れた声に、静かに瞳を伏せていたオーベールが、ゆっくりと顔を上げた。穏やかともいえる、凪いだ色合いの目に、どうしようもない苛立ちがつのる。
「息子さんのこと、レスト様は、皇太子であらせられるのだから、話せなかったのかもしれない。けれど、何故きみは私に話してくれなかったんです…!?」
言ってくれていれば、必ず止めた。ロワナの得体の知れない治療薬のために彼がこんなことをする前に、必ず。なのに!
「こんなことをする前に、何故!………っ…」
その瞬間、私は鋭く息を呑んだ。……言ってから、気がついた。
ロワナの文化水準はけして低くはないが、未だ迷信めいたものを重んじる国柄から、こと、医療に関しては、ロワナはソルフィアよりも明らかに劣る。いくらロワナが砂漠の国であり、黄砂がもたらす害についてはこの国より詳しいとしても、提示された治療薬が完璧な効能を持つか疑わしいことなど、オーベールにだって理解出来なかった筈がない。それでも彼は、その不確かなものに縋った。本当に、細い蜘蛛の糸にすがるような気持ちで。万に一つに縋ってでも、我が子を、助けたいと。
だから、言えなかったのだ。言葉こそ違えど、そんなことは止めろと、「息子を見捨てろ」というであろう私には。
それほどまでに、追い詰められて。
「……あ…っ」
オーベールが私を頼ってくれなかったのではない。私が、オーベールの苦しみに気がついてやれなかったのだ。あれほど長く、共にいながら。
『そばに、いられなくなってしまっても、私に出来る限りのことをしようと、…したいと思います』
強い目をして言い切ったスィリス嬢の顔が、浮かんだ。
ああ、私は、あなたのようにはなれなかった。出来る限りのことを、してやることが出来なかった。それどころか、気付いてやることも出来ずに。
言葉を失う私を凪いだ瞳に映し、オーベールは静かに視線を外した。そして、両腕を拘束され、膝を付かされたまま、マーリア様の背をおして、退室を促していたカークランド殿に穏やかに呼びかけた。
「カークランドさん」
声に、マーリア様が驚いたようにオーベールを振り返るけれど、オーベールはそれを一瞥もしない。そして、カークランド殿はぽん、と軽くマーリア様の肩を叩いた。
「先、行っててください」
「……でも…っ」
「あの子と殿下が、待ってますから」
「………………」
後ろ髪をひかれる様子のまま、それでもマーリア様が部屋から出て行く。そのとき、焦げ茶の大きな瞳が、こちらを気遣わしげに見てくださった気がしたけれど、言葉を返すことも出来なかった。
扉が閉まり、棒立ちの私の横を、抜き身の剣を手にしたカークランド殿が通り抜ける。紫電の瞳が、静かに、静かにオーベールを見返す。
それに、オーベールはのんびりと笑いかけた。
「…わたしを殺さないんですか?カークランドさん」
「なっ…止せオーベール!」
血の気が引く。今の彼は売国の輩であり、王命を受けたカークランド殿であれば、斬り捨てたとしても何の罪にもならない境遇なのだ。そしてオーベールはスィリス嬢を傷つける要因となった存在でもある。なのに何故、わざわざ挑発するような真似をするのか。
「―――――――」
カークランド殿は、無言。ただ、す、と瞳が眇められ、カークランド殿の義妹を、最愛の女性を傷つけた存在を映し出す。
ゆっくりと、白銀の刃が持ち上がる。そして、
「殺さないよ」
キン、と硬質の音を立てて、刃は鞘に収められた。
そこではじめて、いままで少しも揺るがない、穏やかなままだったオーベールの表情が僅かに曇った。
「―――どうしてですか?わたしを怒っていないんですか。妹さんを、傷つけたのに」
「怒ってるよ」
「なら…」
「だけど、殺さない。殿下の命に背くことになるし、それに…」
ぽつり、と、毀れるように。
「―――大切な人を守って戦えないきみは、かわいそうだね」
落とされた言葉に、オーベールの顔から一切の表情が消えた。
それから、カークランド殿が踵返し、部屋を出て行くその時まで、オーベールは一言も口をきかなかった。
……もう、ごめんなさいも言えない体たらく。~~~~~~~~~~~~~~~~~…っ!!!(無言の謝罪絶叫)こんなのでごめんなさい。本当にもう埋まれ自分っ!!!!
内容……暗いと思いました☆…………これだけじゃあれですか?あれですね。うん。えーと、オーベールはオーベールなりに、背負っていたものがあるのだと思います。だから、ああいう形に。本当は最初、キーツとオーベールで斬り合わせてもいいかとも思いましたが、書いたら痛々しくなったので止めました。キーツの胃に穴があきそうですし。打たれ弱いなあの人。
こんな話を読んでくださった皆様、お気に入り登録をしてくださった皆様、感想を下さった皆様、本当にありがとうございます!皆様が読んでいてくださるから、支倉は何とか書いていられます!カメカメしい(遅い)作者ですが、もうしばらくお付き合いいただければ幸いです!
本当にありがとうございました!それでは、失礼致しました!