間章・とある商会長の取引
第18章、灰かぶり姫・混乱【上】の、ベアール会長と兄さんの会話の続きです。なので、兄さんが絶不調だった状態のときの話なので、微妙に兄さんに余裕がありません。そしてイマイチ意味不明です。でもこれからの展開に必要なのでとりあえず載せます!
「あなたが9年前、俺の義父の奥方を殺すために、与えた許可と同じものを」
艶然たる微笑と共に響いた言葉に、束の間、室から一切の音が消えた。息をも詰めるような沈黙は数拍。けれど、ふ、と息を吐くように笑う声音が、それをやぶる。
「……格式ばった口調は必要ないよ、普通に話してくれんか、レイ君」
「…俺が完璧に敬語で話す人は少ないので、通したいのですが」
「老いぼれの言うことだ、立ててくれ。愛弟子に他人行儀にされるのは、いささか心寂しいからね」
「――――――お言葉のままに、先生。…相変わらず満遍なくダンディですね。憧れるなぁ」
芝居がかった礼をして、先ほどの威圧がうそのように、青年……レイ・カークランドは軽やかに笑う。
「きみのような将来有望な若者にそういって貰えるとは、嬉しいことだね」
けれど、言われた言葉の意味を、その要請も、強い重みを持つものだったからこそ、誤魔化すことなく彼に向き合う。
「君はあの娘のことを、どれ程知っているのかな?」
「……シャルロッテ・カークランド。旧姓シャルロッテ・ベアール。あなたの6つ年下の従妹で、アベル・カークランドの元妻。彼の元に嫁いだ後も、夜会などで男遊びを繰り返し、娘であるスィリス・カークランドが8歳のときに、夜会で出会った男と駆け落ちし、以来ゆくえ知れず。……というのは表向きで、実際には駆け落ち途中に射殺されていますよね?俺の父である、アベル・カークランドに」
淡々と告げられる情報は、けして一般の人間が知ることのない、機密に近いもの。けれど、驚きはない。ただ、この青年ならば可能だろうと、単純に思う。
「そして駆け落ちの相手は他国の人間。だから、アベル・カークランドが妻とその駆け落ち相手を撃ち殺した場所は他国の中で。そして……これはあくまで俺の推察ですが、彼女が駆け落ちをした相手はロワナの間諜ですよね?」
「……全くもって正確極まりない情報だ。君は私の自慢の弟子だよ」
「勿体無いお言葉です、先生」
かけた言葉に肩をすくめる青年を見て、誤魔化すことは止そうと決める。……いや、そもそも、彼がこうしてここに来たのは、とうに過ぎ去った過去のことが知りたいからではない。過去をダシに、未来への取引をとりつけるためにこそ来たのだろうから。そこまで考えて、ふ、と思考が横に流れた。
シャルロッテ。年若くアベルの妻となり、スィリスを生み、そうしてアベルを裏切り男と逃げ、……そして、夫たるアベルの手によって、撃ち殺された自分の従妹。
金髪緑眼の、華やかで可愛らしい容姿を持ち、父母に溺れるような愛を与えられた娘だった。誰にでも甘やかされ、自分を甘やかしてくれる相手に嫁ぎたいとと親に堂々とねだっていた。そして、当時若手随一のやり手とされ、幼馴染でもあったアベル・カークランドに嫁いだ。
『ねぇヴェンスおにいさま、わたくし、アベルの花嫁さんになるのよっ、ねぇねぇ、ウェディングドレスの衣装替えは、ピンクと赤と金のどれがいいからっ』
我儘で奔放で、お洒落や夜会にしか興味のないような従妹のことは正直あまり好意的には見られなかったが、それでも、その笑顔には悪気も計算も1つもなく、子どもそのものだったから、2人が上手くいけばいいと思っていた。
シャルロッテをどこか妹のように扱っていたアベルは、自分の妻となった後も、シャルロッテの我儘を許容した。彼女が欲しがるものは微笑んで何でも買い与え、彼女が家政を取り仕切ることが出来なくても、夜会で男遊びを繰り返しても、困ったように苦笑していただけだった。 ……いや、妹のように、というよりも、それこそ「妹」そのものとして、アベルはシャルロッテを思っていたのだろう。だからこそ、彼女の行いを許容できた。何時だって優しく穏やかで、自分の我儘をゆるす男。アベルは確かに、シャルロッテの理想そのものの夫だった。けれど、
「あの娘…シャルロッテは強欲な少女だったよ。――――いや、強欲、とはまた違うのかもしれないな。子ども、だったのだよ。あれもほしいこれもほしいと駄々をこねる幼子そのものだった。自分の行動を制約しない男がいい、自分に何でも買い与えてくれる男がいい。…そう思って嫁いだというのに、その条件が満たされると、あの娘は途端に他のものもほしくなった」
夫となった男、アベル・カークランドからの、独占欲が。
シャルロッテはシャルロッテなりに、彼女の夫を愛していたのだろう。それが親しい従兄に向けるような親愛に近くとも、間違いなく、異性に向ける思いも抱いていた。だからこそ、相手の想いが欲しくなったのだ。
「随分と、身勝手ですね」
「確かにな」
そう、身勝手極まる想いだ。自身は夫ではない男と夜会を渡り歩いて、自分自身の娘の面倒すらまともに見ようとせず、離縁されても文句は言えない状況を許されていながら、夫の目を自分に向けさせるためだけに、「駆け落ちごっこ」に踏み切った。夫が必ず、自分を迎えに来てくれると信じて。
「シャルロッテはね、アベルが迎えに来てくれて、そして“お願いだから一緒に帰ってほしい”と願ってさえくれたら、アベルと一緒に帰るつもりだったのだよ。図々しい、身勝手な考えだ。だが、あの娘にとっては“幼い頃のいたずら”も、“夫を裏切っての逃亡”も、同じ次元のものだったのだ。…優しい年上の青年が、困ったように笑いながら、帰ろうと手を差し伸べてくれるものだとね」
程よく見目が良くて、よく気がついて甘い言葉を紡ぐ相手が、劇的な「駆け落ちをしよう」と囁いたとき、彼女は調度いい、と思ったのだろう。だからこそ、本当は駆け落ちの相手など誰でも良かったのだ。あくまでシャルロッテにとって重要なのは、アベルが追いかけてきてくれるという状況だったのだから。
けれど、シャルロッテが選んだ「駆け落ちごっこ」の相手はロワナの間諜であり、彼女はその間諜が首尾よく逃げ出すための駒に過ぎなかった。そして、王家の機密を掴んでいた相手をロワナの王城に戻らせるわけにはいかず、間諜と……そして結果的にとは言え、国逆者の手引きをしたシャルロッテの措置が下ったとき、アベルは淡々とそれを受け入れた。ロワナにいた亡命者に、ロワナへの永久在住の許可を与えるのと引き換えに、密入国の手引きをさせた手腕は、鮮やかな一語に尽きた。確かに、実際に案を出し、策を練り上げ、組合会幹部の承認を取り付けたのは全てアベルだった。
そして、ロワナの国境のすぐ内側で、彼らが2人に追いついたとき、狼狽する間諜とは裏腹に、シャルロッテは何故アベルがここにいるのかと、驚いたように目を見開いて。そして、
「あの娘はね、嬉しそうな顔をしたよ。やっぱり来てくれたのかとでも言いたげに」
「…図々しいと思うんですけど?」
「はは、…たしかにな。…だが」
シャルロッテのそれは、計算ですらなかった。ただの、幼い子どもの無邪気な期待だった。
「身勝手で我儘で愚かな、そして幼い娘だったよ」
今でも覚えている。淡々と銃を取り出したアベルに胸を撃たれて倒れるとき、あの娘はひどく驚いたような、…自分の身に何が起きたのか、わかっていない顔をしていた。
正直、シャルロッテが撃ち殺されたのを「可哀想に」と哀れむ気持ちはあまり無い。あれは、どこから判じても自業自得だった。あれから篭り切りになったアベルこそ、災難だとすら思った。けれど、嫌いにもなれない。愚かな愚かな、けれど無邪気な幼子そのものだった娘。
「―――スィリスは本当に、母親に似なかったな」
「先生、わかっててやってるんだとは思いますが、俺はここに過去のことを聞きにきたわけじゃありません」
「おや、誤魔化されてはくれないか」
「残念ながら。……その、“似ていない”子のことが、今の俺の最優先事項ですから」
シャルロッテとアベルの娘。スィリス・カークランド。痛々しいほどにまっすぐな、容姿を母であるシャルロッテから、色彩を父たるアベルから受け継いだ娘。
今レイが、彼の最愛であるスィリスから離れようとしているのは、彼自身の判断によるもので、そして恐らくスィリスのためだ。そこに迷いは無く、起こりうる結果の全てを背負う覚悟もあるのだろう。けれど、
「了解したよ」
「お力をお貸しくださいますか」
「構わないさ。きみの言うことだ、当然、旨味がある取引となるだろうからね。ただし」
「何か?」
「アベルに話を通しなさい。私の一存だけでは協会は動かない。だが、彼の意も合わせれば、動かせるからね」
「………わかりました」
「――――――いささか、余裕がなく感じるのだがね」
今の弟子には、普段の彼に似合わぬ焦りがある。そのことをこそ、気がかりだった。誤った道を歩みはしないかと。あの娘の、スィリスの意思を殺してしまいはしないかと。
「年寄りからの忠告だ。聞きなさい、我が弟子よ。……君はけして、自身の行動を誰かのためとする人間ではないだろう。だが、自身に手を伸べてくれるものの存在を忘れてはいけないよ」
「独善は人を傷つける。学びなさい」
「……はい、先生。努めます」
一瞬、弟子たる青年の瞳が見開かれ、そして僅かに色味を戻した目が頷いた。一礼して扉から足早に出て行く青年を見送り、無意識に吐息が零れ落ちていった。
はい、更新です!でもこれだけだと意味不明なので、これから数時間のうちにもう一話更新します!そこで謝罪・話の説明などしますので、少々お待ちくださいませーっ!!!!