第十九章 灰かぶり姫・急転
…よかった今日中に更新できたーっ!
いつも通り、アナマリア様との古語の勉強を終えて、レスト様の部屋に移動する途中、アナマリア様は幾度も、私のほうを見ては逸らし、また見ては逸らしを繰り返していた。
(どうしたんだろう…?……話してくださるまで、待ったほうがいいのかな…)
ちらっ。……ちらっ……ちらっ…………ちらっ……ちらっ……ち…、うん。聞いたほうがはやい気がする。
「あの、アナマリア様、どうかなさいましたか?」
「なっ何がよっわたくしは別になにもききたいことなどないわよっ?」
「…それなら、いいのですけれど…」
「……ええと!」
アナマリア様がいいのなら、と、撤回しようとしたけれど、アナマリア様は何かいいかけ、そして、ぎゅう、と、ドレスの繊細なレースを握り締めた。
「……そのっ…」
「はい。なんでしょうか?」
「……その、スィリス、は、なにか、決めたのね?」
……ああ、そうか、気にしてくれていたのだ。あんなに心配させてしまったのに、アナマリア様がおっしゃる前に、お伝えしておかなくてはいけなかったのに、これでは失礼だ。それに、
(アナマリア様には、私の決めたことを、きちんと知っていていただきたい)
一生懸命、私の背中を押してくださった、この可愛らしい姫様には。
「はい。私は…」
言いかけた言葉を途切れさせたのは、回廊の角からばらばらと溢れた人の姿だった。紺色に、銀糸の縫い取りのある近衛隊のマント。けれど、アナマリア様に対する礼もなく、こちらの逃げ道を塞ぐように、即座に周囲を取り巻いた彼らが、近衛でないことは明白だった。
「……なっ、無礼者っ!お前達……」
「下がってください」
背後に白亜の壁。数歩横に植え込みの切れ目があるのを確認しながら、私はキッと眉をつり上げたアナマリア様を背後に庇った。
「――――言葉もなく、淑女を取り巻くなど、紳士のすることとも思われません。何者です。……こちらの姫君が、イエーガー家直系、アナマリア・イエーガー様と知っての無礼ですか」
牽制を込めて睨みつけ、言葉を向けても、彼等は一様に口を開くことはない。顔立ちにも共通点はなく、あるものはにやにやと、またあるものは目下のものへの侮蔑を込めてこちらを見るだけだ。
その中で、深くフードをかぶった、どう見ても中心格の2人。
片方はいかにも文官全とした頼りない体つきで、もう1人は対照的に、見事なまでの体躯を誇り、さりげなく手を腰の剣に添えている。
そして、文官風の男が、はためいたマントを払った瞬間見えた腰元に挿された短剣の鞘、そこに刻まれた紋章に、私は気付かれないほど小さく、息を呑んだ。
(あれは…)
ぐっと、唇を噛み締めた。
アナマリア様にも私にも、護衛の方がついてくださっているはずだけれど、いまだに誰も出てこず、声すらしないということは、護衛の方達は斬られた…もしくは、彼ら自身が裏切ってしまったかだろう。どちらにしても、助けは恐らく、来ない。
こちらを逃がすつもりはさらさら無いのだとわかる態度。そして、今見たものが正しければ、この人達にしたがってしまったら、アナマリア様でさえも、身の安全が保障されるかわからない。
(……それ以前に、こんな失礼な人達に、アナマリア様をを引き渡すなんて絶対に嫌)
私の力では、彼等を撒くことは出来ないけれど、逃がさなくては。せめて、アナマリア様だけでも。
(大声を出しても多分、無駄。だけど、隙をつくしかない)
すっと深く息をすい、そして。
「っ……きゃぁああああああ!」
自分に出来る限りの大声で、力いっぱい叫んだ。
「っな…」
「スィリ…」
誰かが来てくれるとは、そも思っていない。それでも、いきなりの悲鳴に面食らった男達を確認して、どんっと乱暴に、植え込みの向こうに突き飛ばすようにアナマリア様を押し出した。
「逃げてください、アナマリア様!」
「っ…この下女!」
「止せ!」
苛立った男の声と共に響いた乾いた音。そして、背を切り裂く激痛。
「…っ…!!?」
だんっと壁に体が打ち付けられ、一拍置いて襲う更なる激痛に、声にならない悲鳴を上げる。
(……こんな、場所で剣を抜くなんて…)
血が流れたら、誤魔化せずに自分の首を絞めるのに。
あまかったのか、と思った背後で、苛立った声が、私に切りつけたらしい男を怒鳴りつけた。
「馬鹿者!抜くなと命じておいただろう!」
「…もっ、申し訳ありませ…ですがこの女が…」
「いやぁ!スィリス!!」
言い合う男達の声が途切れ、アナマリア様の悲鳴が響いた。すがり付いてくる手が、別の手に引き剥がされる。
「お待ちくださっ…」
「いやっ、離して、離して!スィリス!スィリス!!返事をなさいスィリス!!!!」
必死の呼びかけにこたえたたくて、体をささえようと腕をずらす。だけど、たったそれだけの動作で、背中に焼けた火箸を捻じ込むような激痛が走って、そのまま地面に倒れこんだ。
「お静かに、イエーガーの姫」
「嫌よ!!スィリス…っ」
「…っ…あ…な…りあ、さま…」
声も、上手に出ない。大丈夫だって、言ってあげたいのに。背中が、熱い。冷たいはずの白石の床の感覚も、もう、無い。
「スィリス!」
「…生きてますか…面倒ですかね。殺しますか?」
無造作に、かちゃりと金属音が鳴る。ああ、剣を構える音だ、と、呆とした頭のどこかで思う。けれど、
「やめてっ!殺さないで!やめてやめてやめていやぁああああああ!!!!」
耳を劈くような痛々しい絶叫に、男達がざわめいた。
「なっ」
「……………時間が惜しいのではありませんか?侍女ごとき、放っておきましょう。我らの刃には毒を塗ってありますから、放っておけば死にます」
「いやよスィリスっ!スィリ…うっ…」
先ほどとは違う、落ち着いた、新しい声があがる。そして、それに賛同するような声が次々あがる。ついで、アナマリア様の小さな呻き声。
「おい、乱暴な真似は…」
「薬をかがせただけですから。…こちらにも嗅がせておけば、騒ぎ立てることもなく死ぬでしょう」
続く声と共に、今度は口元に布が当てられる。意識が急速にぼやけていく。
(いやだ…こんな、意識、うしなえ、ない…アナ…マリア、さま…)
靄がかっていく視界の中、私に薬をかがせた男が立ち上がるのを感じた。そして遠ざかりかけて、その足が止まった。もう一度こちらに戻ってくるのが、覆いかぶさる影でわかる。
(やっぱり、ころされるの…?)
けれど、真っ白な床石の上に、こつん、と硬質な音が響き、男はまた遠ざかっていく。
(…な………に……?)
目の前に置かれたものを認めるより先に、私の意識は仄暗い靄に呑まれていった。
薬草の匂いの濃い医務室の中、忙しなく行き来していた医師達は治療を終えて大方は出て行き、細い喉がひゅう、ひゅうと鳴る音が、断続的に響く。
清潔な純白のシーツの上に横たわる少女の顔は、その色をうつして、病的なほどに蒼褪めている。華奢な肩を覆うのは、同じく真っ白な包帯。
そこに、鮮やかな色はない。……彼女を染め上げていた、目に痛いまでの真紅はすでに無い。白すぎるほど白い額に、頬に、細かな汗が浮かんでいる。
「………ィリ…」
「殿下」
「何だ」
かけられた声に、半ば無意識に伸ばしかけていた掌を引き戻す。そうして振り返った先で、侍従の1人が、当惑げな顔のまま、一礼した。
「トルク准尉が、面会を願い、参っています」
「ローファーが?」
トルク・ローファーは、近衛隊第二分隊に所属する兵の1人だ。お調子者で早とちりも多いが、隊内では指折りの実力を持つ彼には、ダールトン将軍からの推挙を受け、アナマリアと、そしてスィリスの護衛を任せていた。
事実ローファーは優秀な近衛で、だから、ダールトン将軍の判断が誤っていたとは思えない。並みの刺客なら、幾人が相手だろうと、護衛対象を守りきるだけの実力は確かに持っていた。だけど事実、彼は敵に叩き伏せられ、アナマリアは攫われ、スィリスは背を大きく斬り付けられ……今もまだ、目を覚まさない。
突如あらわれた、フードを被ったたった1人の男に、ローファーと彼の部下4人は、一瞬にして戦闘不能状態に陥らされた。斬り痕から身元が明らかになるのを恐れたからか、全ての攻撃は鞘に刃を収めたまま。けれど、部下のうち2人は鎖骨を折られて剣が握れず、もう1人は大腿骨を折られる重傷。最後の1人は、剣を構える暇もなく、気絶させられた。そして、ローファー自身もまた、重傷のはずだ。
「――――――最低限の報告は受けている。まずは治療に専念しろと告げたはずなのだけれどね?」
その時の状況も、怪我の程度も、そして……その男が誰であるかも。
「はい。……ですがどうしても、殿下お会いしたいと。…ご不快ならば、そう伝えますが…」
「……いや、構わない。入室を許可する」
「はっ」
答えて、すぐさま侍従が出て行く。そして、侍従に半ば以上寄りかかるようにしながら、ローファーが入室してきた。
血の気が引いた顔に、上半身を覆う大量の包帯。見開かれた目の上の額にも、剥きだしの肌にも、びっしりと脂汗が浮かんでいる。吐き出される息も、荒い。
(―――酷いな)
やはり、入室を許可すべきではなかった。出血こそ無いが、彼は助骨を4本叩き折られていると聞いた。本来なら、歩くことは勿論、体を起こすことすら難しい状態の筈だ。
「……でん、か。失礼しま……」
「礼はいいよ、トルク准尉。今は治療に専念すべきだと、そう言っただろう」
「いいえ……っ」
けれど、力無く首を振ったトルクは、その場に半ばくずおれるように跪き、必死な形相でこちらを見上げてきた。ぎらぎらとした目。なのに、泣き出しそうな目。
「……っでん、か…」
「……何かな?」
「あんなの……あんなの、嘘ですよねっ…?」
何時も鬱陶しいほど明るい顔を、幼い子どものようにぐしゃぐしゃに歪めて。
「俺……あの人に、沢山たすけてもら…っ。どうして…っ!!」
血を吐くような叫びに、知らず顔から表情が消える。「嘘だ」と、答えることは出来ない。……いるべき人間であるのに、今ここに居ない。それが、何よりも明確な答えだった。
香った強い芳香に、ふ、と、意識が浮かび上がった。
呆けた様な意識のまま、ゆっくりと、長椅子に横たわっていた体を起こす。そこは、見慣れない場所だった。
(ここは……どこなの…?)
重厚な赤緋のカーペットに、金の唐草を模した深い赤の、どこか異国風のタペストリ。黒檀のチェストの上の、荒い彫銀の花瓶いっぱいに生けられた、目を突き刺すような真紅の大輪の花束。
豪奢な、けれど窓一つなく締め切られた部屋に、薔薇の放つ強い芳香がたちこめた。
(わたくしは…どうして、こんな…ばしょに…)
強い匂いの紅薔薇。…赤い、薔薇。赤いカーペット、赤いタペストリ、赤い、赤い。…………赤……?
『逃げてください、アナマリア様!』
どんっと強く、わたくしを突き飛ばした腕の力。閃いた銀刃。いっぱいに見開かれた目の翠緑と、真っ白なシャツを染め上げた、赤……真紅。それがよみがえった途端、引きつった声が迸った。
「…っ……スィリス……っ!!」
わたくしは、何をぼうっとしていたの。こんな、…そんな場合ではないのにっ。
すぐに立ち上がって扉に駆け寄る。ドアノブに手をかけるけれど、鍵がかけられているのか開かない。
乱暴にノブを回すけれど、がちゃがちゃと蝶番が軋むだけで、扉は開かない。更に何度かノブをゆすり、ぎり、と唇を噛んで、目の前の扉に思いっきり拳を叩き付けた。
「…っ開けなさい!!」
ばんっ、音が鳴る。けれど、扉のむこうには何の気配もなくて。わたくしは続けざまに、ばんっ、ばんっ、ばんっと、扉を叩いた。幾度も、幾度も。
「開けなさい!!わたくしを出しなさい!!」
わたくしは、あの訳のわからない連中にかどわかされた。そうである以上、ここは「敵」の居所のはずだ。わたくしにだってそれくらいわかる。だから、声を上げるのは危険なのだともわかっている。けれど、だけど、
「開けなさい!……っスィリスを、スィリスをどうしたのっ!わたくしを彼女と会わせない!」
年上の、聡明で優しい大切な友人。彼女が…スィリスが、斬られたのに、血があんなに出て、わたくしの、せいで。怪我はどうしたのだろう。ひどかった?あんなに血が出て、痛いにきまってる。痛くて、痛くて、もし、もし、死……。
「……開けてっ!!!」
ばんっ、と、力の限り扉を叩いて、そのままずるずるとしゃがみこみそうになったとき、扉の向こうで、こつ、と靴音が響いた。
(…っ…!)
わたくしが言ったこととはいえ、身元の知れない「敵」が来ると思えば体がすくみ、反射的に扉から飛び退っていた。けれど、隠れられる物陰があるはずもなく、赤一色の部屋の中央に、なすすべもなく立ちすくむ。
こつ、こつ、こつ、と靴音が響く。そして、体を固くするわたくしの前で、ゆっくりと真鍮のドアノブがまわり、がちゃ、と鍵が外れる音と一緒に、扉が、開く。
そうして入ってきた長身の男の姿に、わたくしは思わず、目を見開いた。自分の目が、信じられなかった。信じたくなど、認めることなど、出来るはずが無かった。
「…………うそ……」
掠れきった声が、喉からこぼれて床に落ちる。
「……なぜ、お前がここにいるのよ」
「…優しい、俺、優しくしてもらったんです。沢山、迷惑掛けて、俺、最初のころドジばっかで…なのに、鍛錬いつも付き合ってくれて」
「お兄様は、お前を信頼していたのに…っ」
「何で、隊長が…」
「何故、お前がお兄様を裏切るのよっ、オーベール!!!」
「…あんまり叫ぶと、喉をいためてしまいますよー、姫さま」
焦茶色の目を怒りに燃え立たせ、自身の名前を呼んだ小さな姫君に、男…オーベール・ブランは穏やかに、ほんわりと顔をほころばせた。
はい、更新ができましたーっ!いいんだ自己満足でも!
話は…話は、急展開です、ね。でも割と前から決めてましたコレ。そして、なんだかとんでもないことになってしまった主人公です。痛そうです。背中をざっくり斬られてます。…うふふあはは、やっぱり怪我をするのは男のほうが痛々しくなくていいですよね、何となく(勝手な自論)。
次回は兄さんが失踪から帰ってくるので、その反応から今後の動き、になります。……それはともかく、主人公もですが、王子も可哀想な気がしてきました、この展開。酷い目にあわせてごめんなさいぃぃいい、まだ君15歳なのにねぇえええっ。
……ネタが、ない…。ので、この辺で失礼します!次回も、よろしければ読んでやってくださると嬉しいです!もはや土下座は標準装備な作者ですが、新たな技を開発しつつ、頑張ります!
それでは失礼致しました!