第十三章 灰かぶり姫・対応
次の日、あらためて城に訪れた男を前に、僕は思いっきり溜息をついた。ちなみに近衛は命じてもいないのに室外に出ている。…絶対にコレから逃げたよね?
「あれから調べたんですが、ロワナでの『黒牡丹』の産出量が、昨年より2倍に増えているようです」
コレ…ことレイ・カークランドは、まとめてきた資料をひらひらと振って、執務机の端に腰掛けたまま肩をすくめた。…もう、こいつに礼儀作法云々を言うのは諦めている。女装じゃなければ許容しよう。うっかり毒ぐらいは盛るかもしれないが。
視界にいるだけで湧き出る殺意を取りあえず脇に置き、示された答えに眉を寄せる。
「2倍?…それは、他国に売りさばきたくもなるはずだ」
「ですよねー。どうやらたまたま視察に行ったあの王子サマがたまたま掘らせた廃鉄鉱が、たまたま『黒牡丹』の鉱脈だったらしくて」
「―――たまたま過ぎないかな?」
「運は人一倍だそうですよあの王子サマ」
他はどうだかしりませんけど、という語尾を隠そうとしないのはどうかと思うが。
「で、その功績によって、そこで産出した『黒牡丹』をどこに、どう流すかの決定権をロワナ王も認めざるを得なかったらしくてですね」
「…それで、うちか…面倒だな」
あの王子が身につけている大粒の宝玉。それを見た瞬間、僕もこの男も、ロワナの王子がわざわざこの国に圧力をかけ、かつ、直接訪問したのかを理解した。…と言うより、理解させるために、これみよがしにつけてきたのだろう。あの王子殿下は。
ロワナの王子、マルス・カドクエル・アビガイルが誇らしげにつけていた、虹を抱いた漆黒の宝玉。『黒牡丹』の異称で知られるそれは、ブラックオパールというのが正式名称だ。
黒色を地に、様々な遊色を見せるそれは世界中で見られるが、宝石級のものは世界中でもシチリナという東の小さな島国と、あとはロワナでしか探鉱されない。石自体の美しさは勿論、何よりその稀少性を称えられるその石は、貴族達からの人気が異様に高い。だからこそ、法外な値がつくものでもある。一部の国の嗜好によっては、金剛石よりも高値で取引すらされる。
そんなものが輸出され、貴族達がそれに飛びつけば、国そのものの財がそのままロワナに流れてしまう。だからこそ、各国は『黒牡丹』には注視していた。そして、『黒牡丹』を好む嗜好を持つこの国も、当然に。
「けれど、なら何故、わざわざ物価をあげた?……ああ、そうか」
何かを輸出するのなら、まして、それがもとより法外な値段を持つのなら、輸出する先の経済状況は潤っているほうが言いに決まっている。それが嗜好品であるなら、特に。なのに、圧力によって僅かながら上がった小麦の値段。
けれど、
「ええ、平民…庶民にものを買わせるのなら、“潤沢な市場”確かにセオリーなんですけどね。だけど『黒牡丹』の場合、買い手は貴族だ。それも、ごく一部の」
言って、レイ・カークランドは小さく笑った。苦笑、と呼ぶには冷めた表情。その、ごく一部の貴族達を瞥するような。
「おかしなものでね、物価が上がれば上がるほど、庶民の生活が苦しいと聞くほど、貴族は嬉々として宝石を買い集めるんですよ」
経済状況が生活と直結し、それに苦しめられる平民とは違い、遊んでいても生活になんら問題のない貴族達は、平民が負担に苦しむときだからこそ、嗜好品を求めようとする。それは、自分達の地位を驕る態度であり、そうではないものを見下す態度だ。
醜悪極まりない、人の性。
「…そしてロワナの王子サマは、そうした貴族の習性に良く通じてるようですよ」
「――――対策をこうじざるを得ないか」
「ですね。猶予はどれほど?」
「会談の開始が3日後。瑣末なことからはじまって最重要の議題までたどり着くのに多く見積もって七日。会談と交互に休憩日をはさむにしても、2週間弱で最終まではいくかな。…大きな議題ほど、会談では最終に持ち越される。それでもそこが限界だ」
「2週間、ですか」
「ああ、…その間に、飛んでもらうことになると思うけれど、構わないね?」
「メンドくさいですねー。って、冗談ですよ」
投げるように軽く確認をし、それにこたえたレイ・カークランドは芝居がかった仕草で礼をした。
「勿論。皇太子殿下の仰せのままに」
話の区切れとともに、さて早速目の前の不快感のかたまりをさっさと追い出すか、と顔を上げる。けれどその思考は、何気なく窓を見下ろしたレイ・カークランドがあげた疑問符にかき消された。
「あれ?アナ姫にシンデレラちゃんに…うーわー…。ロワナの王子殿下」
「…過去を、…かえる…?ふり、返ることに、よって、得られるものは…」
大ぶりの教本を両手で抱え、それに目を落とし、その内容を音読しながら歩くアナマリア様の横目に見て、その真面目さと一生懸命さに小さく笑みがこぼれる。
ちなみに、身分に差があるものの心得としては、一歩後ろを歩くべきなどだけれど…一度一歩はなれて歩いていたら、アナマリア様が柱と見事に正面衝突したことをきっかけに、なるべく隣を歩くようにしていた。
(だって何だか殺人的な音がしたんだよね…。ゴッ!!って。アナマリア様涙目になっていたし…)
あれは痛そうだったかわいそうだった。なんで事前に気付いてあげられなかったの私、と思わず目が遠くなる。
「『そうした人々、の威光に、…とって?現存の…歴史…?はつむ…つむかれた…?』」
「ああ、アナマリア様。そこの発音は、^がついているので、少しだけ違います。『そうした人々の、威光、によって、現存の、歴史は、紡がれた』ですね」
思考が明後日に向かっていたけれど、聞こえてきた発音を訂正すると、アナマリア様は驚いたように振り返った。そして、その唇がむっと引き結ばれる。
「―――――今さらさらって、何を言ったの?」
「え?…『そうした人々の威光によって現存の…』」
「わからないわよ主語はどこよ切れ目はどこよ聞き取れないわよもういやなのよーっ!!!」
とりあえず、と復唱したツェトラウス古語の言句集の一節をさえぎって、アナマリア様が思いっきり叫んだ。
(えと…)
ツェトラウス古語を学ぶと決めたアナマリア様は、とても一生懸命にそれに取り組んでいる。私とレスト様の会話中は勿論、こうした行き帰りの道すがらにも教本を手放さないことからもそれは明確だ。…けれど、変化が大きく、複雑な文法を持つだけでなく、ツェトラウス古語の発音が難解なのは、事実。アナマリア様は、基本的な文法は理解してくださっているけれど、語と語をつなげて、主語や術語の切れ目がわかりにくい発音をするのにはまだ不慣れだったし、「流れる語」と呼ばれる特殊な発音を聞き分けるのは、まだ、少し難しい。
なので、アナマリア様はこうして時々爆発する。ぜえはぁと息を荒げ、微妙に前かがみになるアナマリア様に目線をあわせて、私は励ますように頷いてみせる。
「ゆっくり、やりましょうね?」
「―――――――でも、スィリスは“ゆっくり”発音しているのでしょう?…わたくしが、聞き取れてないだけで…」
むすっと尖らせた唇のまま、アナマリア様の視線がそらされる。…困ったなぁ。
「こ…困って、呆れてるのでしょうっ?どうせわたくしは…」
「はじめは、発音の切れ目は難しくて当たり前です。でも、アナマリア様は連音も綺麗ですし、きちんと聞こうとしてくださるから。…とても、優秀ですよ」
「…優秀?」
見上げてくる目を見つめて、もう一度頷く。
「はい。だからゆっくりやりましょうね。一緒に、頑張りましょうね?」
「―――――まぁ、頑張ってあげなくもないわ」
「はい」
答えに笑うと、ぷいっと顔を背けたアナマリア様が、ひろげていた教本を閉じて、両腕に抱えて歩き出した。今までは裏道だったけれど、ここからは城の回廊になるので、ツェトラウス古語をひろげるわけにはいかないのだ。
「今日は、もう帰るの?」
「はい。レスト様はお客様がいらしているので、お勉強会は中止だそうです」
「ふぅーん…」
「だんだんと、暖かくなっ…」
何気なく言葉をつぎかけて、もう何と言うか、いやと言うほどに長い回廊の向こうに見えた姿に、私は言葉を飲み込んだ。ついで、一歩の距離をもっていたアナマリア様から、更に一歩、後退する。そして、顔をこころなし俯けて壁際に寄った。
視界の中でアナマリア様がもの凄く嫌そうな顔をして、腹立ち紛れにがんっと踵を床に打ちつけた後、それでもくっと背筋を伸ばす。
アナマリア様といるときに貴族の方と会うときは、私は大抵侍女の振る舞いをするけれど、壁際に控えるほどのことは普段はしない。だけど、今回ばかりは相手が違った。
濃青と朱の布がゆったりと垂れる、この国ではあまり見ないつくりの豪奢な服。手首と足首を飾る金環に、漆黒の髪。そして、ずば抜けた長身を持つ男性は、私が壁に控えたのと同時にアナマリア様に気付き、甘やかに笑って歩を早めた。
長身のため、必然的に長い足のためか、歩いているのに結構な速さで近づいてきた方は、鷹揚に笑ってアナマリア様一礼する。
「わが名はマルス・カドクエル・アビガイル。美しき姫君、貴女の名をお聞かせ願えるか?」
「――――昨日、お見かけいたしましたわね。お初お目にかかりますわ。わたくしはアナマリア・イエーガーと申します。ロワナの第一王子殿下」
「これはこれは。イエーガー家の麗しの姫にお会いできるとは恐悦至極」
言って、やっぱりロワナの第一王子殿下だった方は、アナマリア様の右手を取って、その甲に軽くキスをした。
(うわぁ…)
ちなみにこの「うわぁ」は、ロワナの第一王子殿下の気障な動作によるものではない。誰とは言わないけれど、気障な仕草には身内で耐性がついている。…誰とは言わないけれど。
ではなく、単に、アナマリア様が瞬き一つ分の間に見せた、世にも嫌そうな…むしろこの男視界からと言うか世界から掻き消えてくれないか、というほどに嫌そうな表情による。
それでも、幻のようにその表情を消して、アナマリア様ははにかんだように(あくまでように)微笑んだ。
「お口がお上手ですのね、ロワナの第一王子殿下」
「本音を口にしたまでのことなのですがね。…ああ、それと、私のことはマルスとでも呼んでほしい」
「…まぁ。そのような無礼なこと、わたくし出来ませんわ」
ふざけないで口が腐ったらどうしてくれるの気色悪いのよ、との副音声が思い切り聞こえるのは錯覚ではないんだろうなぁ、と、微かに引きつるアナマリア様の頬を見ながら思う。
どうやらアナマリア様は、この方が生理的に受け付けないらしい。…客観的に見て、異国風の、非の打ち所のない美貌の皇太子殿下にみえるのだけれど。
…とはいえ、いい加減にアナマリア様の手を離すべきではないだろうか?
この国は、名前を呼ぶことにすら規定をつくることからもわかるように、あまり男女が触れ合うのを容認する国柄ではない。もちろん、手の甲へのキスは礼儀に反しているということはないが、かなり親しい間柄でする傾向がある。加えて、何時までも手をはなさないのは、はっきり言って無礼にあたる寸前だ。
(…お国柄の違いかもしれないけれど…)
私はけしてロワナの内情に詳しくないが、あそこは確か、王は後宮を持つ国だったはずだ。いわゆる一夫多妻がまかり通るお国柄。勿論、全ての男性が一夫多妻なわけではないけれど、男女間の開放度は物凄く差があるのだろう。
とは、思うのだけれど、
「このようなところで華とお会いしたのもご縁。ご一緒に散策でもいかがです?」
「…ありがたいお言葉なのですけれど…。わたくしこれから、部屋に戻るところなのです」
「ならばそこまでお送りしたい」
アナマリア様は貴族の方なので、感情にまかせて手を振り払ったりしないし、出来ない。だからと言って、距離をさりげなく縮めるのはどうかと思う。
「…放し…」
「まぁ、手袋に染みがついておりますわ、姫様」
「…っ!?」
アナマリア様が一段低い声で言いかけた言葉をさえぎるように、私はロワナの第一王子殿下とアナマリア様の間に割り込んだ。ついで、手袋を見るように見せかけて、ロワナの第一王子殿下の手から、アナマリア様の手を奪取する。…多少棒読みな感は否めないけれど、気にしない。
「きっとお勉強のときのインクですわ。すぐに別の手袋に付け替えなければなりませんわね」
「…そなた、何を…」
「姫様は礼儀作法に通じたお方。インクのついた手袋をつけて、貴方様の御前にあるのはおつらいことでしょう。どうぞ、お許しいただけませんでしょうか?」
言葉は出来るだけ殊勝なものを、と心がけたけれど、一瞬だけあわせた目線に宿った険は消せなかったらしく、ロワナの第一王子殿下の目が不快気に揺らぐ。
あ、まずい、と思ったとき、ロワナの第一王子殿下は明確に一歩、私から退いた。まるで、かたわらにいるのも汚らわしいとでもいうように。
「…イエーガーの姫君。そのような地味な身なりの者をお傍に置かれるのはいかがなものかな?引き立て役にしても釣りあわなさ過ぎる」
(わぁ来た…)
私の服装は例の如く白のブラウスに灰色のスカート。前髪で顔が隠れるように、なるべくうつむいて話している。言ってしまえば地味以外の何者でもない格好だけれど、そこでそう来るんだな、と、少し感心する。
「…ん…ですって…」
意外と短気…との評価をしかけた私は、小さく響いた低い声に、おそるおそる背後を振り返った。
長身過ぎるロワナの第一王子殿下からは見えなかっただろうけれど、目線が同じ私には丸見えだった。…アナマリア様の顔に浮かぶ、憤怒の表情が。頬を朱に染め、眉をすっくと逆立て、眉間に思いっきり皺を刻んで、目が怒りに煌々と光っている。なのに、その顔はどこか傷ついたようで。
「…何ですって、あなた今…」
「ご無礼お詫びのしようもございません、ロワナの第一王子殿下」
無礼なこととわかっていても、アナマリア様の言葉をさえぎっていた。だって、いい。アナマリア様、あなたが傷つかなくていいんです。あなたが私のことで怒って、そうして責められなくてもいいんです。
「…ですが、姫様は未だ咲き初めの薔薇。眩い太陽に触れられては、恥らって閉じてしまう可憐な蕾なのです」
そう思って、私は脳の底で沈殿しかけていた詩の言葉を、無理矢理頭から引きずり出した。そうして、笑う。
穏やかに、柔らかに、卑屈ではなく毅然と背を伸ばして。そうして、相手を見極めて。心の中に描いたのは、商売相手と向き合う兄様の姿。…父様でもよかったのだけれど、残念ながら私の記憶の中の父様は絶賛引きこもり中なので、あまり参考にならない。
「ロワナの気高き第一王子殿下。王城の裏手の温室には、それは素晴らしい、見事な薔薇が咲き誇っておりますわ」
「ほぉ、薔薇?」
その気になったらしく、ロワナの第一王子殿下の目が、愉快げな光を宿す。
「はい。姫様に似た可憐な薄紅の薔薇も、殿下にふさわしい、気品溢れる薔薇も」
そこで一度言葉を切って、目線はあわせないまま、唇を笑みの形にする。
「二つを共咲かせましたら、それは見事な花束となりますでしょうね?…この国の貴婦人は、薔薇をこの上なく愛しておりますわ。薔薇も…薔薇を思わせる方も。双薔薇が揃いましたなら、その艶やかさにはこの国の者全てが魅せられましょう」
装飾過多すぎて正直自分でも何を言っているのか見失いかけたけれど、「アナマリア様は薔薇がお好きですよ。温室の薔薇を花束にして贈るとアナマリア様が喜ばれますよー(多分)。薔薇を胸元にさすともてますよー(きっと)。だから取ってきてください」、との意思は通じたらしく、ロワナの第一王子は、先ほどとは一転した上機嫌で口の端を吊り上げた。
「ほぉ。―――そなた、見目は取るに足らぬが、気遣いは中々のものだな」
「勿体無いお言葉にございます」
ああ、言っては何だけどこの人、苦手かもしれない。きらきらが眩しすぎる。笑顔が甘ったるすぎる。目が肉食獣っぽい。ライオンとかライオンとかライオンとか。
出来ることなら半笑いで逃げたい、との心を押し隠した私に鷹揚に頷き、アナマリア様に「では、またの機会に」と笑いかけて、ロワナの第一王子殿下は颯爽と去っていった。
「――――――~~~~~っ何故止めたのよ、スィリス!!」
うつむいて肩を震わせていたアナマリア様は、ロワナの第一王子殿下が視界から消えたのと同時に、眉を逆立てたまま、思い切り叫んだ。ついで、私が掴んだままだった手をべしっと払いのけ…何故か一瞬「しまった」と言う顔をして、口を開閉させた後、勢い良く顔を私から背ける。
どうかしたのだろうか…?…ああ、そうか、手を。
「…すみません、手を勝手に掴んでしまって…」
「そっ…そんなことはどうでもいいのよ!―――――それより、…そうよ、それより許さないわっ!あの男、絶対に絶対に許さない!わたくし、あの男嫌い!!……なぜ怒らないのっ、スィリス!!」
(おこる…?)
怒りのあらわな声に、目をしばたき、一拍置いて、私は小さく首を振った。
「アナマリア様、お気になさらないで下さい。良くあることですから。――――ほんとに良くあるんです、身分が違うと」
アナマリア様には言っていないけれど、一部女官・侍女の人たちにも幾度か厭味を言われたり、嫌がらせをされたこともある。
特に、私が王城に顔を出しはじめた当初はそれがはっきりしていて、レスト様に取次ぎを頼んだら、その女官さんが「お待ちください」といい置いて、そのまま戻ってこないことも多々あった(遅れるのも失礼なので、前回の記憶を頼りに執務室までたどりついたら引きつった顔をされた)。
そのほか、『まぁ汚らしい…落ち着いた髪の色ですこと。ご機嫌よう?』、『何で皇太子殿下はあなたのような庶民…市井の出の方を…』、『そのようなぱっとしないみなりで、良く皇太子殿下の御前に出れませわね。わたくし、尊敬してしまいますわ』などなど、種類豊富・多種多様な厭味も言われていた。なので、はっきり言って慣れている。
……そういえば、私の足を引っかけて転ばせようとして、勢いよく足を出しすぎ、自分がべったーんっ、とつんのめりかけた女官さんを支えた後から嫌がらせが減った。女官さんは、「大丈夫ですか?」と聞いたときに顔を真っ赤にして走り去ってしまったので、より嫌われたかな、と思っていたのだけれど、むしろ最近良く手作りの焼き菓子とかもらうのはどうしたことだろうか?しかもやたらと気合と時間の要りそうなものばかりを。
…ではなく、
「…でもっ」
「それに事実、私地味ですし」
好みの問題はあっても、あれだけの美貌で身分も高く、かつ頭脳も周囲に褒め称えられて育てば、他人が卑小なものに見えるようになるのだろう。…レスト様はそんなことはしないけれど。
それにあの王子殿下も、けして愚かなひとではないのだろうと思う。私の言葉に調子に乗ったというより、どちらかと言えば、「面白いことを言えた私」の無礼を、見逃してくれたというほうが近い気がする。
……目下の…見下す相手に向けた赦し、という傲慢さも、ほんとうだけれど。
だけど、納得できないとでも言うように、アナマリア様は首を左右に勢いよく振った。
「そんなの理由にならないわっ!そんなのっ…!…そっ、それはわたくしだって地味だって言ったけどでもっ…。……でも…」
「アナマリア様?」
急にしどろもどろになったアナマリア様に、こくん、と首をかしげる。けれど、うっと息を呑んだアナマリア様の言葉は、ますます途切れがちに、弱々しくなった。
「わ、わたくし、もっと酷いこと言ったわ。…スィリスは、…わたくしが、…その…わたくしを…きら…きら…」
「?なんです?」
「…なっ、なんでもないわっ!あの男が腹立たしいという話よ!」
何だか別の言葉が続きそうだったのだけれど、言いたくないのなら、と頷くだけにする。そうして、言い忘れていた言葉を告げた。
「ありがとうございます、アナマリア様」
「なっ…?」
あんな言葉くらい大丈夫、気にしない、慣れている。…だけど、やっぱり心がほんの少し痛むのは、隠しても本当で。見苦しい、といわれるのは、やっぱりつらくて。だから。
だから、嬉しい。こうして怒ってくれる人がいることが、ほんとうに。
「怒ってくださって、ありがとうございます。私、アナマリア様がとても好きです」
「なっ…!?」
そうやって、他人のために怒ってくれる真っ直ぐな人だから。
物凄い勢いでこちらを振り返ったアナマリア様の顔が、見る間にこれ以上ない程真っ赤に染まる。そして、ぶるぶると肩を震わせて、アナマリア様は絶叫したのだった。
「~~~~~~~ずるいのよ貴女はばかーっ!!」
「ほんっとに腹立ちますねー。人の大事な妹に何やってくれてんですあのオージサマ」
「…僕に言わせれば、今の君にこそ何やってるのかと聞きたいんだけどね?」
ふわふわほわほわとした空間にいる妹同然の小さな少女と、二つ年長の、嫌な場面を自力で乗り越えた聡明な少女を柔らかく見下ろし、その笑みをキープしたまま呟かれた言葉に、痛んだこめかみを軽く押さえる。
「大事な妹を見かけたので、見守ってます」
「見かけたなら物陰から観察せずに声をかけるべきじゃないかな?」
正確には物陰ではなく窓辺から堂々と見下ろしているが。せめて隠れろ自重しろ。
「俺って恥ずかしがりやさんなので」
「鏡見てものを言いなよ?」
「え?超絶美形しか映りませんけど」
心底不思議そうに言わないでくれるかな?
「変態女装自信過剰男が映らないならその鏡は歪んでいるね」
「辛辣ですね、殿下。…もしかして怒ってます?」
「――まあね。妹に身の程知らずが言い寄るのも…スィリスが、侮辱を受けるのも、心地よいものじゃない。…君こそ、珍しく本気で苛立ってないか?」
笑顔も表情も変わらないけれど、ロワナの王子がスィリスに暴言を吐いたとき、目の前の男の周囲の温度がふっと冷めた。それを指摘して言えば、レイ・カークランドは隠すでもなく肩をすくめて見せる。
「否定はしませんよ。でもまぁ、こらえます」
「へぇ?」
僕が知る限り、最も我慢と程遠い男の言葉に、かすかに目を見開く。コレにも、一応の善性はあったのか、と軽く感心した。…5分後には全力で後悔したが。
「可愛い妹の努力を、無にするわけにはいきませんから。―――だけど、」
言いさして、レイ・カークランドは胸元からメモとペンを取り出し、さらさらさらと何かを書きつけた後にそれを切り取った。ついで、控えていた従者に歩み寄り、一つ二つ言葉をつげてにこりと笑ってメモと、そして何故かハンカチを差し出す。
「お願いします」
「は、はい…」
戸惑ったような従者が、それでも頷き退室する。それを止めようとは思わず、レイ・カークランドが今までいたのと反対側の窓辺の窓を開けるのに興味をひかれて、その横に立った。そして同じようにそこから王城の裏手を見下ろし…知らず眉根が思い切り寄った。
「マルス・カドクエル・アビガイル」
ロワナの第一王子は、どうやらスィリスの提言を受け入れることに下らしく、王城の裏手の庭園にある温室を目指して歩いていた。先ほどは連れていなかった従者を4人ほど連れ、鷹揚に庭を見まわす姿は実に偉そうだ。
(まぁ、僕が言えたことではないけれどね)
我ながら苦虫を5匹ほど噛み潰したような顔で思考した隣で、レイ・カークランドが動いたのは、その時。
「えいっ、と」
「は?」
物凄く軽い声と共に、息を吐くような自然さで、レイ・カークランドは手に持っていたナニカを思いっきり投げ落とした。
それは綺麗な放物線を描き、違えることなく異国の王子の艶やかな黒髪に直撃する。
一拍置いて、黒髪から真っ白な液体が流れ落ち、裏庭にロワナの王子の叫びと、悲鳴のような「王子ぃぃいっ!?」という従者の声が響く。
「なっ…」
思わず息を呑んだ横で、レイ・カークランドは短く口笛を吹いて、愉しげに笑う。
「Bingo!」
「――――ビンゴ(大当たり)じゃないだろうっ!?…何を投げたっ?」
「嫌だな殿下。毒物でも劇薬でもないですよ?単なるクリームです」
「…クリーム」
見れば、レイ・カークランドのために淹れられたコーヒーに添えられていた液状クリームが、空だ。
「…器は」
「流石に陶器だと笑えないので、折りました」
ほらほら器用でしょ?といいながら、メモ用紙を数枚重ねて半球体の器のような形を瞬く間に折られ、額に手を当てて腹の底から嘆息する。
ちなみに会話をしながらも、レイ・カークランドは窓を閉めて向こうの死角に立ち、相手に投げ落とした者を隠蔽する動作を着々とこなしている。微妙にロワナの王子の怒りの声が聞こえるが、誰が投げ落としたのかは判別がつかないらしく、従者が慌てているだけらしかった。
「何故わざわざ液体なわけ?」
「攻撃力は高いにこしたことはないかなー、って」
クリームって放置して乾くと臭いんですよねー、と明るく続けられて僕にどうしろと言うんだろうねこのバカは?
「………警備に穴があったと、訴状をあげられるのはこっちなんだけどね?」
他国の王城で異物直撃。異物の正体が単なるコーヒークリームでなければ、下手をしなくても国際問題だ。
「大丈夫ですよ。騒ぎ立てるにはことが小さすぎる。騒げばむしろ、向こうの器の小ささを示します。…それに、こう言った格好悪いことを人に知られるのが、大嫌いなごせーかくのようですから、あの王子サマ…って、ああ。従者の人だ」
聞け人の話を、と思いつつも、それが間違いなく事実であろうことは事実なので、言葉のままに視線を下ろす。騒いでいるロワナの王子一行のところへ、先ほどの従者が近づいていくところだった。
先ほどのハンカチはこれか…、と見る中で、ハンカチと共にメモを受け取ったロワナの王子の顔が、遠目にも思いっきり引きつった。頭上を見回すも、あちらからここは完璧な死角なので意味がない。
ついで、半ば相手を突き飛ばすような勢いで城内へともどっていくロワナの王子を見据え、そして心の底からの嫌さを全面に出して、隣の男に視線を移す。
そこに込めた「いったい何を書いた?」という詰問を正確に読み取ったらしいレイ・カークランドは、にこっと笑ってさらさらとメモにペンを走らせ、それをこちらに向けた。
真っ白な紙に、青みがかったインクで書かれた流麗な文字。
『ご不幸に同情を。 Rey=Kirkland』
「…君さ、本当に心底力一杯性格悪いよね?」
実に愉しそうに、無邪気ともいえる仕草で笑うレイ・カークランドを前に、僕ははじめて、ほんの少しだけロワナの王子に同情した。
すみません遅筆ですみませんむしろ生きててごめんなさいぃぃぃいいい!!!
はい、更新です!微妙に今回長めですごめんなさい!そして兄様が、もはやどちらが悪役だかわかったものじゃなくなってすみません!…あれです、兄様は大事な者を傷つけられると容赦がないのです。
できれば、できれば次も読んでくださると嬉しいです見捨てないで下さいーっ!!
【ここから下は、作者のどうでもいい腹黒談義です。お忙しい方、興味のない方は、さらりとスルーしてあげてください。】
感想を下さった皆さんから、「腹黒だらけ☆」という名誉あるお言葉(待ちなさい)をいただいております。個人的にはひゃっほーです。
なのに、自分で書いておいてなんですが、腹黒…兄様腹黒…?となったので、うちの男性キャラの「腹黒」について浅く考えてみました。
レスト(王子)
表と裏。本音と建前。天使の微笑と真っ黒な中身。まごうことなき腹黒ですね。ただし、基本的には真面目で、努力家。国のこともちゃんと考えてるいい子(?)です。…ちっとも主人公とラブコメな感じになりません。…why?
レイ(兄様)
何か…分類に困りますが、愉快犯ではありますが、多分腹黒ではないことに、書いていて気がつきました。作中でもレストが言ってますが、「腹黒さ全開、笑顔と世辞でかろうじて灰色に薄めてる」が、基本スタンスです。
「笑顔と世辞で薄めてる→薄まってる」のが近いかもしれません。優しい顔も酷いこと言っている顔も両方彼の素です。目の前の人によって変わっているだけで、装っていません。なので腹黒ではなく…なに、何て分類すればいいの…?…真っ黒、とか、全面黒、とか、まっくろくろすけ…とか、ですかね。
マルス(ロワナ王子)
性格まだあんまり出てませんが、何か、頭はいいんだけど、「人として欠けてはいけない大切な部分が抜け落ちている」という意味でのあほの子として書いてます。…痛々しいなそれ…。
テッドくん(…ガンバレ)
あほの子☆The空回りくん。
…はい、この上なくどうでもいいお話でしたー。