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第十章 灰かぶり姫・遭遇

 

「つまり、eの上に`がつくか^がつくかによって、明確に読み方が変化する、ということでいいのかな?」

「はい。…独学なので、断言するのは気が引けますが」

「君の発音は聞く限り完璧だよ。なら、解釈はそれであっているはずだ。…失礼」

 単語とその発音について話していたレスト様は、従者の方が差し出した書類を見て、一端そちらに向き直った。

「…この工事だと…」

 会話が区切れた合間に、執務机の脇に置かれた紅茶を飲む。気がついていなかっただけで、酷く乾いていた喉に、少し冷めた紅茶は染み入るように美味しかった。ふぅ、と思わず吐息をついて、そして、従者の方に指示を出す人をみやった。

「…この…政務…そうし…」

 一瞬のよどみなく、書類に目線を落として指示を出す。その姿は、私より2つも年下でも、立派な為政者の姿だ。私の発音を聞いて、ツェトラウス古語に慣れようとする一方で、持ち込まれる書類を的確にこなしていく。その姿勢を、心から尊敬する。けれど、

(…今日は忙しそうだな…)

 いや、それを言うなら何時も忙しそうなのだけれど、今日は特にだ。だとすれば、今日はここまでにしようと、ひっそりと机にひろげた筆記具をしまっていく。手早くそれらを鞄に詰めて立ち上がって、椅子をしまう。そして、控えている近衛の方に退出します、の意味で小さく会釈すると、にこ、と笑われて「オツカレサマデシタ」と口が動きかけ…、引きつったようにその顔が固まった。首を傾げつつも、一歩扉に足を踏み出しかけて、

「ちょっと待った」

「…っ…!?」

 腕を掴む容赦ない力と、背後からの冷ややかな声に固まった。ぎりぎりぎり、と、我ながら音がしそうに振り返った先にあったのは、私の腕を掴んだ人の甘やかな笑顔。

 ――――怒ってる。何だか知らないが、怒っている。そして、整った顔立ちの人の怒りは3割増怖い。兄様と同じ真っ黒な気配がする。

「君ね、何がしたいのさ」

「えーと…?」

「だから。な、ん、で、帰ろうとしてるのさ、君?」

 なんでと言われても。

「お忙し…忙しそうなので、今日もう帰ろうかと思ったのですが…?」

「だから、何で製作してきた菓子だけ置いて帰ろうとしてるのかと聞いてるんだけど?」

 笑顔がさらに甘さを増し、その笑顔のまま、目線が執務机の脇に置かれたバスケットを一瞥する。…繰り返す。繰り返すが、怖い。

「…です、から、忙しそうなのに話しかけては邪魔になるので、帰ろうと思ったんです。作業中に話しかけられるの、集中力を削ぎますし」

「ああ、邪魔だね。でも勝手に帰るな」

「――――」

 ………何か物凄く理不尽なことを言われてる気がする。邪魔だと断言されて帰るなと言われた。一体どうしろと。

「三日前は気を抜いた隙に帰られたからね。とりあえず今すぐ座ってみようか?」

「…えーと、執務は…」

「食べたらやるよ。君はティーセット揃ってなくても気にしないだろ?」

「はい、別段」

「なら良い。座って」

 邪魔なら普通帰れと言わないだろうか。…どっちですか…?と、微妙に目が明後日のほうを見る私を置いて、レスト様の目が近衛の方に向く。

「君も、何自然に帰らそうとしてるのさ?」

「え…だって何か悪役に囚われた物語のヒロインみたいなので、逃がさ…」

「そう、君は体を動かしたくて仕方ないんだ?なら今すぐ腹筋でもしてこようか1000回ほど」

「え…っちょっ…!?」

「ちなみに同じ室の中でやられると鬱陶しいから、廊下でやってきて構わないよ。ああ、それと希望にこたえて2000回にしてあげる」

「ちょっと待ってくださいレスト様あなたやらせるって言ったら本気でやらせますよねっ?と言うことは本気でやるんですか廊下でそんなことしたら不審者だと思われ…っ」

「さぁ、行っておいで」

 慈愛溢れるっぽくみえる輝く笑顔で、レスト様が手を一度払った。…退出、の動作に、近衛の方が悲痛な顔をしながら影を背負って部屋からでて行く。可哀そう…って、もしかしなくても私のせいではないだろうか今の…っ?

「ま…待ってください皇太子殿…」

「レスト」

「―――レスト様。あの今の…」

「単なるストレス解消だから気にしなくていいよ。ほら、早く渡して?」

「…はぁ…」

 ストレス解消にいびられるって…。胃に穴があきそうだ。それを堂々と断言するのも如何なものか。 とはいえ、何時までも言っているのもなんなので、置いていくつもりだったバスケットをあけて、中に入れてきたゼリーを取り出して、銀製のスプーンを添えて差し出す。

「…随分鮮やかな色だね、何味?」

「オレンジです」

 ふーん、と興味深げに受け取ったレスト様が、銀器に入れたそれを口に含む。そして、微かに目元が和んだ。

「美味しい」

「良かった」

 微妙に上機嫌なレスト様に安心して、私もゼリーを口に入れた。オレンジの果汁と、少ししっかりめなゼラチンのほろほろと溶けていくのが心地よい。

 私が甘味を持ってきたのは、レスト様の下命にこたえて、この部屋を訪れるようになった2回目からだ。はじめて見たレスト様のあまりのハードワークっぷりに愕然とした私は、疲労回復方法はないものかと近衛の方に相談した。そして、少し驚いた顔をした近衛の方は、それでも、「甘味を持ってきてもいいでしょうか?」と聞いた私に、銀器を器とすることを条件に、快く許可をくれた。

 君、暇なの?と呆れた顔をしつつも毎回食べてくれるレスト様に甘えて、それからは甘味を持ってき続けている。――――そして何故か、お土産のはずなのに、私も毎回相伴に預かっていたりもする。今日のように忙しそうな時は、ひっそりと出て行こうとするのだけれど…ばれて捕まると何故か怒られる。しかも笑顔で。

 何をするわけでもない、大して会話も上手くない人間と甘味を食べても、面白みはないとおもうのだけれど。

「君、変だよね?」

「――――はい?」

「だから、君は変だよね。下命で無理矢理来させられている場所の、しかも下命をしたその張本人に媚売ってどうするのさ」

「―――こび…」

 日常生活ではまず使わない言葉に思わず見つめた先には甘い笑顔はなく、かといって、馬鹿にしてる訳でもないらしく、興味無さそうに窓の外を見る横顔だけがあった。

 この人は、何の前触れもなく、冷たく、突き放すような言葉を口にする。それは、怒っているときにではなく、むしろ、くつろいで見えるときに。多分、この人は人に踏み込まれるのが嫌いなのだと思う。何となくだけれど、そう、思う。

 …それにしても、媚を売る、か。…何と言うか、遠い言葉だ。人に媚びるのが嫌いだ、と言うのでは、ない。好き嫌い以前に、それほど私は器用じゃないからだ。だから、

「売ってるつもりは、ないのですけど」

「そう?」

「そんな器用なこと苦手ですし」

「…商業論ほど器用じゃない。ツェトラウス古語や、政治よりも」

「―――商業論も、ツェトラウス古語も、政治も、私は知識としてしか知りません。それでも、下命は精一杯務めたいと思いますし、レスト様のお役に立てればとも、思います」

 これは、媚だろうか。…自分でもよく解らない。けれど、帰るなと言いながら、媚を売ってると指摘するこの人が、なにかに…誰かに似ている気がして。

 もう一度落ちた沈黙は、先ほどより少し、雰囲気が違った。

「――――君、それ天然?」

「はい?」

「イヤガラセしてもひかないよね、君」

 一方的に会話は打ち切られ、レスト様は空の器を置いて、書類の束に向き直った。一瞬で、レスト様はレスト様ではなく、「皇太子殿下」の顔になり、私は意識の外に弾き出される。

 その横顔を見て、私は器をバスケットに詰めて、今度こそ立ち上がり、深く礼をしてから扉へ向かう。

「スィリス」

 呼び止められたのは、扉の前で。振り返った先の人は、やっぱり書類に目をやったままで。

「はい」

「君は、割合良くやっている」

「……はい。ありがとうございます。…また、明日」

 返事はなかったけれど、レスト様は一瞬だけ、小さく頷いたようだった。





 部屋の外で、2000回の腹筋を終えてはぁー、とため息をついていた近衛の方(律儀だ)に見送られ、城の裏道の一つであるという、レスト様とはじめてあった裏庭を歩く。陰りかけた空に目をやって、夕飯の支度に思いをはせながら小走りになった途端、ぐいっと腕を強く引かれた。

「っ…!?」

 悲鳴も出ず、抵抗も出きずに体が傾いたと思ったら、植え込みの間にべちゃっと倒れこんでいた。…痛い。前回みたく顔を庇えなかったから思い切り鼻を打った。

 ―――――デジャヴだデジャヴ。まるで嬉しくないけど。

「…いった…」

「――――顔を上げなさい」

「え?」

 掛かったのは、可愛らしく高い、少女の声。そして、見上げた先にいたのは、金色をしたお姫様だった。





 鮮やかな金茶色の、くるくると巻いて芸術的に結い上げられた髪に、焦げ茶の目。首もとに大粒の黄色の宝石のネックレスをつけ、同じく重そうなほど大きな石のイヤリングをつけて、レースが幾重にも重なるレモン色のドレスを着た妖精のように可愛らしいその女の子は、こちらを見て、嫌そうに目を細めた。

「地味な服。地味な髪の色」

「…は?」

 思わず返事がぼやけた。

 確かに私の服装は完璧な普段着だし、髪色は薄い灰色で、お世辞にも華やかな色合いではない。けれどそれも面と向かって、しかも当然のように言われたのははじめてで、怒るより先にあっけにとられてしまう。…そもそもこの方は誰だろう。年は…レスト様より少し下で多分14歳くらい。ドレスや宝石は、それらに疎い私から見ても高級そうだけれど。

 ――――容姿を馬鹿にされて、こんなに冷静なのは如何なものかと自分でも思うけれど、容姿の悪口は某バカ様…もとい、若様でなれている。ぶすーぶすーぶさいくーと言われ続けたのは伊達ではない。

「なぁに?何か文句でもあるの?このわたくしに対して、あなたなんかが」

「えっと…?」

「なによ、そんな汚らしい曇天みたいな色!」

 …確信。この女の子は、上級の貴族のお姫様だ。

 私の髪の色…灰色を馬鹿にしようとするなら、それこそ、暖炉の灰カスとか、もしくはネズミのような色だ、とでも言うのが効果的だ。なのに、この子は曇天と言った。多分、この女の子は見たことがないのだ。灰カスも、ネズミも。それは、そんなものは一度も見たことがない生活を約束された、貴族の中でも高位の出だとわかる。

「あなたは、ダレ」

 そしてそうである以上、質問には答える義務があるわけで。

「…王都組合会総会幹部レイ・カークランドの妹で、スィリスと申します」

「レイのっ!?」

 誰それ、と言われるかなと思ったけれど、ぱっと、女の子の顔が輝いた。………こんな小さな子まで毒牙にかけたんですか兄様。

 兄の不祥事を思って微妙に半眼になった私の前で、はっとしたように女の子が眉をつり上げた。

「…って…嘘つかないでちょうだい!」

「え?」

「あなた、全っ然レイと似てないじゃない!髪の色も目の色も顔立ちも!嘘つき!」

「はぁ、あの、兄と言っても義理なので、似ていないかと」

「―――――義理?」

「兄の母と、私の父が再婚したんです。私も兄も、それぞれ再婚前の子どもなので、血縁的なつながりはありません」

「…それは、…結婚できるじゃない」

「はぁ」

 まぁしようとすれば出来るけれど。と言うかなんですかその基準は。

「…なによ、それ…っ!そんなの全然家族じゃないじゃない。―――なんであなたみたいな人が…」

「…っ…」

(家族じゃ、ない…?)

 息を呑んでかたまった私に気付かずに、き、と再び、女の子は私を睨みつけてきた。そして、小さく息を吸ってから、口を開く。

「…あなた」

「―――…はい…」

「何故、あの言葉が使えるのよ」

「あの、言葉…?」

「…っツェトラウス古語よ!何故話せるのっ庶民のくせにっ!」

「――――貴女様は、どなたですか?」

「なっ…質問に答えなさいっ無礼も…」

「わたくしは、無責任にその問いにお答えするわけにはまいりません。それは、わたくしを信用してくださった方のお心に背くことですから」

 いくら高位の人間が相手でも、これだけは、と頭を切り替えて、先ほどの衝撃を隅に押しやる。自分のことを考えてる場合じゃ、ない。

 屈辱か、悔しさかに顔を赤らめた女の子は、それでも、ぐいと胸を張って高らかに答えた。

「わたくしはアナマリア・イエーガーよ」

「アナマリア・イエーガー、様?」

 貴族の名に詳しくないので、名前だけ聞いてもわからない。…とりあえず、大臣職や将軍職に、イエーガーの名前はなかったはずだけれど。

 思わず首をかしげた私に、今度こそ、女の子…アナマリア様の顔が明確な怒りに歪んだ。

「…イエーガー家はこの国でツェトラウス古語を唯一扱う一族よ!お兄様…皇太子殿下から聞いてるでしょう!?」

 聞いてなど、いない。それ以上に、

(…どういう、こと…)

 唯一とは、何?ツェトラウス古語は、秘匿されるようなものではないと…。それでも、アナマリア様が嘘をついているようにはとても見えない。第一、皇太子殿下の名前をかたっての嘘は、危険が大きすぎる。

 アナマリア様は、私が本気で解っていないことに気づいたらしく、一瞬いぶかしげに眉を寄せ、それでもすぐにつん、と顎をしゃくってみせた。

「それで?あなたはなんで、あの言葉を話せるのよ」

「…父である、アベル・カークランドが、この国の商業取引の際に習得し、私に教えましたので」

「違うわ!文法などどうでもいいのよっ。何故、話せるのかと聞いてるの!!」

 何故、と言われても。

「…文法さえ理解できれば、発音も出来ます。…天性だと、皇太子殿下には言われましたが…」

「…てん…せい…?」

 くいっと寄った眉がゆがんで、そしてアナマリア様はぷっと吹き出した。

「じゃああなた、何一つ努力せずにそこにいるんじゃない」

 お兄様のそばにも、レイのそばにも。

 嘲るように、そう、続けられた言葉に、胸が、軋んだ。

「何よ、わざわざお兄様がお呼びになられたと聞いたから来たのに、こんなコだったの。その調子じゃ、ツェトラウス古語もどうせ少し話せるだけなのね?…あなたなんか、やっぱり必要ないのだわ」

 胸が、痛い。声が、出てこない。

「ああそうだ、あなた、分をわきまえなさい。あなたなんかがお兄様やレイの傍にいるなんて、分不相応だわ」

 最初の怒りなどどこかへ追いやり、言いたいことを言い終えたらしいアナマリア様は、満足そうに笑った。もっと小さな子どものように、無邪気な笑顔で。

 そしてぷいっと踵を返して、一度もこちらを振り返らずに王城の中へと入っていく。それを何も出来ずに見送って、私は半ば無意識に、広げた掌を見下ろした。

「…なんの、どりょくもせずに…」

『…なによ、それ…っ!そんなの全然家族じゃないじゃない!なんであなたみたいな人が…っ』

「かぞくじゃ、ない…」

『あなたなんか、やっぱり必要ないのだわ』

「わたしは、…いらない…」

 アナマリア様がもたらした沢山の情報。その意味。彼女が、…イエーガー家がこの国でツェトラウス古語を唯一扱う一族と言ったことの意味。考えることは、考えなくてはいけないことは沢山あるはずなのに。


どりょくしても、どりょくしても、たりないの。


…さま。ねぇ、わたしは、いらない?


 わがまま、いわないから。そばにいてなんて、いわないから。…だから、


 いらないって、いわないで。…ああ、でも。


「わたしは…いらない……っ」

 頭が、こころが動かなくて、掠れた声を遠くでききながら、私は小刻みに震える手を、ただ、見下ろし続けていた。



 あはは…あーうっざい。


 だめだ、我が子ながらちょっとダメな感じだこの子。…っと、思いながら書いてましたアナマリアさん。うん、…いや、フォローはしますけれど、現時点だと単なる山のようにウザイこですね。めざせー挽回ー。


 主人公が一方的に突き落とされたアレな感じで終わってます。あははうふふです。…何とかします。


 そして、更新が遅くてすみません。今ちょっと花粉症で目がかゆすぎてPCに向かいにくい感じです(言い訳ですごめんなさい!)…でも、皆様もお気をつけくださいね、花粉…。いや、もう長い付き合いなのでいいんですけどね…。


 次回は、主人公救済…したいなー、な感じで、あの人が出ます!(誰だあの人ってかんじですね)…予定です。はい。…読んでくださると嬉しいです。


 そしてそして、お気に入りありがとうございます!感想も、ありがとうございます!文字通りひゃっほーってなりながらいつも返事を書かせていただいてます。本当にありがとうございます!!

 

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