第九章 灰かぶり姫・下命と提案
更新…昨日したかったのですが、遅筆過ぎました…すみません。
皇太子殿下は絶好調で悪役めいてます。
目の前の皇太子殿下が突然、見知らぬ怪物になったように感じて、身を強張らせる私の前で、皇太子殿下は小さく笑って、机に備えられたベルを一度鳴らした。
その音に応えて、やっぱり室内に控えていたらしい従者の方たちが音もなく近寄ってきて茶器を持ち上げて出て行く。それと同時に、隣の室から近衛らしき方が入室してきて、手にした紙束を彼に渡す。
真っ白い紙に、綺麗な、急いたような文字。あれは、
「これ、見覚えあるよね?君が数日前に届けてくれた、“レイ・カークランドの忘れ物”。君はこれの表紙を見て、僕を“紅の人”と呼んだ」
「はい」
そう、その紙束は兄様の部屋にあったもので、この人はその受取人。そして、私は兄様の筆跡でかかれて文字を見て、紙束の渡す相手が城にいる、「紅の人」だと判断した。当たり前のように、それを読んだ。
「確かにこの資料には“紅の人”と記述がある。ただし、この国の公語である、エスター語じゃなくて、王族間…国家間の取引にのみ用いられる、ツェトラウス古語でね」
ツェトラウス古語。つい先ほど、はじめて聞いた名前。けれど、ずっと以前から、当たり前のように知っていた言葉。通常の会話に使われる言葉でないことはわかったけれど、対して気にもしなかった。
いや、異質な言葉であることが、頭に浮かびもしなかった。それほどにこの言葉は、私にとっては近しいものだったから。
「“Le document qui a été demandé la personne du rouge(紅き人に依頼された資料). Le dix-huit février(2月18日).À un château(城へ).”。そう書いてあった筈だ」
「……はい。そう、です」
「―――その様子だと、本気でツェトラウス古語だって解っていなかった?」
「はい…」
硬い表情のまま頷いた私に、皇太子殿下は小さく目を眇めた。何かを探るような目。
「他国の公用語の一つだとか思っていたの?」
「――――はい」
「レイ・カークランド以外の…家族以外の人間に、この言葉に関して話したことは?」
「ありません」
「―本当に?」
「はい。…無闇に話してはいけないと、言われていましたから」
だから、誰もが学ぶ言葉ではないとは、解っていた。けれど、誰もが知り得ない言葉だとは、思っていなかった。
緊張でこぶしを握り締める私の前で、ふっと、ほんの少し、皇太子殿下が気配を緩ませた気がした。同時に、甘ったるい微笑と、獲物を狙う獣のような色味が消える。
(……?)
「そ。じゃあお互い面倒くさいけど、説明だけは必要だね。こればっかりは部下にも任せられないし、しょうがないか」
言って、皇太子殿下は顔横まで上げた掌を、無造作に横に払った。恐らく“退出”を命じる仕草に、部屋からさわさわと衣擦れの音が漏れる。そして、柱横に控えていたらしい従者の方々の全てが移動し、扉の前でお辞儀をして出て行く。
……ただし、思っていたよりずっと多く、15人ほども従者の方たちはいたが。先ほど茶器を持っていった方たちも4人ほどいたのに…。狭い部屋ではないとは言え、一体どこにあれだけ隠れていたんだろうか。
最後の従者の方が出て行き、扉が閉ざされた途端、室の中に、先ほどより数段重い沈黙が落ちた。気配がないとは言え、いなくなってはじめて、その存在を感じずにはいられない。…だって、空気が重い。猫をかぶるのを止めたらしい皇太子殿下は、あの甘ったるい微笑も、獲物として見られるような寒気を感じさせる気配も発していないとは言え、部屋に二人きりは気まずい。…物凄く、気まずい。
けれど、(当然のことながら)皇太子殿下は気まずさなど皆無らしく、ゆっくりとこちらに向き直り、さて、と机に掌を置いた。先ほどとは違う、穏やかだけれど皮肉気な、前回会った時に近い表情だ。
「それじゃあ説明するよ?」
「…はい。お願いいたします」
「そもそもツェトラウス古語とは何なのか、ってことだけど、ツェトラウス古語は、先ほど言った通り、“王族・国家間の取引にのみ用いられる言語”のことで、過去に存在したツェトラウス王朝と呼ばれる王朝で体系化された言語のことだよ。今現在知られている中では、最古王朝で最古の言語でもある。“詠う言葉”とも称されて、現存最も美しい言葉とも言われるね」
それだけ由緒正しい言葉だったということに、少し驚く。
「逆を言えば、とっくに滅びた王朝のとっくに滅びたカビの生えそうな言語ということで、現在ではどこの国でも使用されていない言語な訳だ」
…言い方は悪いけれど、つまりは、一般の人間に知られていない言語ということだ。それを聞いて、ああ、と私は納得した。
知られていない言語と言うことは、それが万が一市中に流出したところで、それを理解できる人間はいない。
「“王族・国家間の取引にのみ用いられる言語”というのは、一種の“暗号”、として使う、ということでしょうか?」
「…正解。ツェトラウス古語は、王族・国家間という、極めて機密性の高い取引をする際に、その機密保持の効果を発揮する。君の言うとおり、“暗号”としての役割に適しているんだ。同時に、文法が異様に複雑で、それ自体の理解が難しいことから、それを理解していることは王族にとって一種のステータスになる。これも、理解できるかな?」
「はい」
理解しにくい言語を扱えるのは、礼法や作法、ダンスに通じているのと同じく、その人の権威や文化的程度の指標になる。
「で、そんなステータスとなりうる言語を、君に不用意な感じに教えた人間だけど…」
「…っ…!」
ざっと、もとに戻りかけていた血の気が引いた。
何故、気が付かなかったのだろう。先ほどの皇太子殿下の言葉。そして今の説明の通り、ツェトラウス古語が、国家機密ともいえる特殊な言語なら、当然、それを軽々しく私に…一般人に教えた人間は罰せられることになるだろう。何らかの役目についていたのなら、誰にだろうと“教えた”という事実が罪になり、言い逃れは出来ない。相手が誰であろうと…そう、たとえ小さな娘に対してでも。
(父様…っ)
そう、私にこの言葉を教えたのは……父様だ。それももう随分と前。母が、私と父様を置いて出て行くその1年ほども前から。
『この言葉は、色々な国の言葉をスィリスに教えてくれる、魔法の言葉だよ』
(どうしよう…っ、父様が教えたって知られてしまったら…っ、兄様が勝手に私にばらしていたって思われたら…。…罰せられてしまう…!)
蒼ざめる私を横目で見て、皇太子殿下は呆れたように軽くため息をついた。
「って、そんなに青ざめないでくれる?別に責める気も追求する気もないから」
「………え?」
「どうせ、君の父親のアベル・カークランドだろう?彼には組合会総会の幹部として、王家と他国商人の仲介役を勤めてもらっていたはずだから、知っていてもおかしくない。レイ・カークランドにしても同じ。…そもそもツェトラウス古語を誰かに教えることに関して、王家は何も制約を加えていないよ」
「…え?ですが、知っていることそのものが、王族…王家の方にとって、権威と成り得ると」
「一般的な生活をおくっている国民が、誰も理解しない、知っても何処でも活用できない言語を学んでどうするのさ。何処の国でも使用されていない言語っていっただろう?それは王族以外の誰もが、それを何の役にも立たない、知っても何の得にもならない言語だと思っているからだ」
いきなり渡された多すぎる情報に、頭が付いていかない。ゆっくりと、言葉の意味を反芻する。
ツェトラウス古語は、知っていること自体は罪にはならず、それを誰かに教えることそのものにも罪は問われない。何故なら、それは“一般的な国民”にとっては、何の意味も持たない、不要な言語だから。
そうか、と納得する横で、黒い靄のような疑問がわいた。
(なら、ツェトラウス古語に関することで罪になるのは何?)
知ることが罪ではなく、教えることが罪ではなく、無意味だと思われている語の。…っ!?
「…なっ…!」
思わず、声を上げていた。
ツェトラウス古語。一般的な国民にとっては、無意味なものだと思われているからこそ、機密性を持ち、王族の権威と成りうる言葉。
ならば、“一般的な国民”の罪となるのは、ツェトラウス古語が「“価値ある言語”だと知ること」そのものだ。それが無意味な言語だと思われていることそのものが、ツェトラウス古語というものの機密性を守る盾なのだから。
「ああ、気が付いた?」
私の答えを裏付けるように、皇太子殿下は愉しげに微笑う。それと同時に閃いた確信に、私は怒りを込めて彼を睨み付けた。
「…わざと話したんですか…!」
ツェトラウス古語を知ること自体は、罪じゃない。教わることも教えることも、罪じゃない。私はつい先ほどまで、何の罪も背負ってはいなかった。そう、つい、先ほどまでは。
「何のことかな?…ああでも、君はこれで、ツェトラウス古語が国家の重要言語…この上無く役立つ言語だとだという事実を知ってしまった」
わざとらしい微笑。わざとらしい困ったような言葉。
ああ、やはりこの皇太子殿下が、忙しい時間を割いてまで、私に“説明”をしたのは、わざとだ。彼は、私に「ツェトラウス古語」の“説明”をすることによって、私に罪を背負わせた。思わせぶりな言葉や態度で、私が話を聞かざるを得ない状況を作り出し、ツェトラウス古語の価値を知るという罪を。
(くやしい…っ!)
そして、その罪を背負った私には、「罰」が与えられる。
「そしてこれは、王家の機密そのものだ。―――残念ながら君には、王家に対して無条件で従う義務が発生してしまうね」
「…っ…!」
勝手に話したのはあなただ!と、叫べたら、どれだけいいか。けれど、許されない。立場と身分の差以上に、明かされた事実にはそれだけの強制力があった。
ツェトラウス古語をごく普通に使用してしまう私が、何も知らずにそれを使用してしまったら。何らかの理由で、大勢の人間にツェトラウス古語の知識を分けてしまったら。そして、その中に1人でも、ツェトラウス古語の価値を知る人間が混ざっていたら。……それだけで、西域各国の権威のカタチが揺らいでしまう。それは、どうやってでも防がなければいけないこと。それなら、どう防ぐのか?
通常に考えられる、最も単純な選択肢は、知ってはならないことを知った私を殺すこと。けれどこれは、流石に現実的ではない。これから先、何人の“ツェトラウス古語を知る人間”が現れるか解らないのに、片端から処刑していたら、それは単なる愚君だ。そしてその選択肢を外すなら、最も現実的かつ良心的な対応は、「その言語は禁語だから」とでも嘘をついて私に、二度と話すな、使うな、忘れろ、と命じること。王族からの命であれば、ただの小娘である私は、一も二も無く従っただろう。
普通の統治者ならば、そうする。
けれど、皇太子殿下は、もう一つの選択肢を選んだ。ただ命じるだけよりも、はるかに確実で、そして彼にとって都合のいい選択肢を。
私に「罪」を背負わせて、その上で「罰」として、何でも言うことを聞く手駒を手に入れる。「王家に対して無条件で従う義務」を持った、ツェトラウス古語という、「益となりうる知識をもつ」、都合のいい手駒を。
(掌で転がされていた。親切に、説明をするふりをして…)
ぎり、と、噛み締めた唇が痛みを訴える。今まで感じたことの無い類の屈辱に、けれど、私は従うしかないのだ。
(兄様…)
あなたも、無理に従わされていたんですか?どうしようもなくて、危険なこともしているんですか…?
「それで、そんな君に下命が一つ。それと提案が一つある。前者は拒否不可。後者は拒否可能だ」
「――――何事でしょうか」
「前については、大した事じゃないよ。ただこれから、定期的に僕のもとを訪れてほしいだけだから」
「―――はい?」
ぼやけたような、不信感が丸出しの声が出た。
「先ほど説明したとおり、この国でのツェトラウス古語を扱える人間は少なくてね。特に発音に関する知識は、諸事情によりほぼ死滅している。要するに、僕は発音に関しては、ほとんど知識がないんだよ」
-―――納得できない理由では、ない。けれど、
「―――皇太子殿下は先ほど、ツェトラウス…古語、でわたくしに質問をなさいました」
「Quel age as-tu? 君の年齢は?だっけね。まぁ、品詞での分解は出来るんだけどね。実を言うと、物凄く基本的な語句だから、音声だけを“ケラエージアートゥ”って覚えているだけなんだよ」
「…文法は理解なさっていても、発音についての規則…どの語句をどう読んで、語句と語句とのどこをつなげるか、ということはご存じない、ということでいいのでしょうか?」
「そう。さすがの理解能力だね」
…気のせいだと思いたい。思いたいけれど。
「――――――わざとわっかりにくい言い方してるのに、良くわかるね。と言われていると解釈しても…?」
「はい、正解。……胡乱な目をしないでくれないかな。―――その堅苦しい口調を改めてくれる?そうしたら、からかうの止めてあげるから」
やっぱりからかってたのかこの方は。…ではなくて、
「――――皇太子殿下に、馴れ馴れしく話すことなど出来ません」
「これから定期的に会うのに、そこまでがっちがちの最上敬語を使われていたら肩が凝るんだよ。馴れ馴れしくしろ、とまでは言わない。前回会った時の口調で構わないよ。修辞語省いて、後、一人称も。“わたくし”じゃ、なかっただろう?あと、呼び方もレストで」
「なっ…」
「はい、命令」
「……承知い…わかりました。レスト様」
言い方は理不尽だけれど、言われた内容は拍子抜けするくらい簡単なことだった。…認めたくは無いが、良心的なことだった。
だから、私は少し不思議に思いながらも、改めて了解の返事をする。
「…ご命令に、従います」
「何、不思議そうな顔してるね?もっととんでもないこと命じられると思ってた?」
「……」
正直なところ、思っていた。手駒として扱われるのだと、半ば覚悟していた。…というか、顔に出ていたのだろうか。むしろ読心術でも使えるのでしょうかこの皇太子殿下は…。
頭のいい人って嫌だ…と、微妙に虚しくなる私を一瞥して、
「図星、かな。―――僕は確かに権力を行使するのに慣れてるし、それを悪いことだとも思わない。けどね、そうやって権力で従わせることって、脆いんだよ」
「脆い…?」
「そう。自分自身の意思ですることじゃないから、例えば脅されでもしたらすぐ裏切るし、くじける。後は単純にくじけて逃げるね」
「………」
「権力で従わせるのなら、相手にとって手軽に出来ることまでが“本当に”従わせられる限界なんだよ」
「――――」
この方は、聡明なのだ。権力を…“力”というもののあり方を、知り尽くしている。そう思った途端、自然と膝を折りたくなった。
「ちなみに、君が誤解していそうだから一応言うと、レイ・カークランドが僕に協力してるのは自由意志だよ。あんなとんでもないのが、権力におもねる訳がないだろう」
――――本当に、読心術が使えそうで怖いと思いながらも、ほっとする。兄様が、家族が理不尽な目にあわされていなくて本当に良かった。安堵と、先ほどの想いを込めて、姿勢を正して頭を下げた。
(よかった。この方は、暴君じゃない…。聡明な、「心」を持った方だ)
「感謝いたします。皇太子殿下」
「―――…いいよ。それにむしろ、“とんでもないこと”は、提案のほうだから」
「…何でしょうか?」
なぜか、少し戸惑った顔をした皇太子殿下は、けれど数拍間を置いて返事をする。そして“提案”だから断ることは出来るとは言え、びくびくとした返事をした私を見て、思わずと言ったように小さく吹き出した。
(あ…この方、こんな、顔も…)
「じゃあまず質問。この国の南の海上にある島国、ロワナ王国の初代国主の名前は?」
「…え?」
「ほら、答えなよ。初代ロワナ国王の名前は?」
質問は先ほどと同じように唐突で、けれど、先ほどよりずっと、心から楽しそうだった。だから、考えるより先に答えが口から出ていた。
「カナイル・シェカトワル・アビガイル様、です」
「彼の孫に当たる三代目国王ヨナンハ・トルトリ・アビガイルが国内で悪政に手を貸していた国王外戚を残らず粛清したのは何年?」
「1752年です」
「では、その外戚達の中心となっていた、国王の叔父とその息子の名前は?」
「内大臣ルザバ・カル・アルナビと、トガル・エル・アルナビです」
「現国王の名前と、彼が即位したのは今から何年前かな?」
「アルトル・ソエカラ・アビガイル様。即位は2年前です」
「…では、需要とは?」
需要。経済市場で、供給と対になるもの…。
「―――財に関する、購買力を裏づけとして持った欲望のことです」
「供給とは?」
「財を提供しようとする、経済活動のことです」
「市場における失敗とは、何のことかな?」
「市場経済…市場機構と需要の調節によって価格が行われる経済によって、経済的な“効率性”が達成されていないことを意味します」
「流通論とマーケティング論の違いは?」
「企業・家計と社会全体・国家の両面から、生産された直後から消費に至るまでの流れである“流通”の関係と実態、及び国・地方自治体の商業・流通政策を考え、特に社会全体と国家への関心が強い流通論に対し、マーケティング論は、消費者に対して売れるものをいかに提供するかといった創意工夫を考え、特に、個別企業又は組織が直面する要素やその対策と戦略に強い関心を持つことです」
「―――はい、正解。…予想以上だね」
「……?」
「“提案”の話だよ。君さ、僕の外交補佐官になる気はない?」
「――――――は?」
耳を疑った。そして、ぽかんと間抜けに固まる私の前で、皇太子殿下は…レスト様は、こらえきれないとでも言いたげにもう一度、明るく吹き出したのだった。
はい、ちょっと仲直り…してるようなしてないようなです。主人公と王子様。…
ところでまたしりあす風味…ですね。らぶとコメディは一体何処に…?いや、コメディはそこここにある気はするんですが、らぶは何処に…。
次回は皇太子殿下と兄様。後はちょっと兄様と主人公の過去…でしょうか。すみません、いまいち未定です。でも多分そんな感じです。
今、脳内にちっちゃい頃の主人公と兄様が生息してます。主人公は今よりずっと素直で無邪気でした。兄様は今より多少ひねてました。そんな話も書きたい感じです。…嘘です!ちゃんと本編を頑張りますので見捨てないで下さいぃぃ!
評価を下さった方、お気に入りをしてくださった方、ありがとうございます!書き続けていられるのは皆様のおかげです!!
次回ももしよろしければ、読んでくださると嬉しいです。