第七章 灰かぶり姫・息抜き
デート?…デート…、じゃ、ないよねー?といった出来ばえです。でも、読んでいただければ嬉しいです。
「いい天気だね。まさに絶好のデート日和」
確かに、春の早いこの国ですら、珍しいほどの暖かな日だ。空は柔らかく澄んで、吹く風も穏やかで気持ちいい。一般的な感覚に照らせば、今日はまさしくお出掛け日和。デートに向いている、と言うのも、あながち間違ってはいない。けれど、けれどだ。
「…………ええ。快晴ですね、兄様」
そう、目の前の人は兄様だ。兄と出かけることをデートと表現される。…何だろうこの微妙な感じ。
そもそも兄と出かけることは、デートという言葉の枠におさめていいものなのだろうか…?
デート→日時や場所を定めて異性と会うこと。
(広辞苑参照)
…うん。ぎりぎり規定の範囲内だったらしい。
「シンデレラちゃん、大丈夫?」
「ええはいちょっと現実逃避をしてただけです」
「そ?」
悪戯っぽく目線をあわせた兄様が、じゃあ行こうか?と首を傾げて見せるのに、私はぎこちなく頷いた。
兄様の、「ご褒美ちょうだい」発言から4日後。約束どおりに、私と兄様は「デート」をすることになった。…約束というより、一方的に押し切られた感が無きにしも非ずだけれど、そこは割愛する。
そして現在の私は、兄様と一緒に町の大通りを歩いている。まぁ、何をする訳でもなく、行きたいところがあるでもなく、ただ町をぶらぶらして、ついでに買い物の荷物持ちをしてくれているので、実質単なる買出し部隊の気がしなくも無いのだが。
(…兄様は買出しに行くとは思えない格好だけど)
襟に黒絹刺繍のあるスタンドカラーシャツに、細身の黒とシルバーグレイ。そして薄いピンクのストライプネクタイを締め、前髪のあちこちを止めるピンは、ネクタイと同じピンク色。一般的に見れば奇抜な格好だけれど、今日も不思議なほどにそれが似合っている。とても、夕飯の食材である野菜入りの紙袋が似合う服装ではない訳だ。という訳で、
「…兄様、やっぱり荷物全部持っていただくのは気が引けるんですが」
「気にしなくていいよ。ほんとに真面目だね、シンデレラちゃん」
「真面目云々ではなくて、人として当然です」
相手に荷物を全部押し付けて、平然としている人間がいたらそれは人としてまずいだろう。
「女の子とデートしたら、その間の荷物は男が持つのが鉄則だよ?」
「デートになりきれてないのでいいんです。とっとと紙袋寄こしてください」
兄様はともかく、私は普段着である白のブラウスに薄茶色のフレアスカート姿だ。エプロンは外してきているものの、少なくとも兄様よりは圧倒的に紙袋が似合う。大体紙袋の中にはジャガイモとたまねぎが盛り沢山なのだ。見た目よりもずっと重いに決まっている。
「ほら早く」
「えー?ヤダ」
「――――――兄様」
「怖い顔しないでよ。…ああそうだ、じゃあアレ持って?」
あれ、と示されたのは、通りの向かい側にある緑と白の屋根の店。…気のせいでなければ、すごく見覚えのある、
「…花屋さん?」
「そ」
軽く返事をした兄様が、通りを横切ってから、こちらを手招く。放ってもおけずに小走りに駆け寄って兄様に並ぶと、す、と華やかな香りと色が目の前に広がった。
「シンデレラちゃんはどの花が好き?買ってくから教えて」
「…いえ、あえて荷物を増やして欲しいわけではなくてですね」
「マーガレットにパンジー、フリージアなんかもあるね」
「しかも花束って荷物としては多分数えませんし。買っていただく訳には…」
「何色がいいかな?」
「ですからいただけませんったら、兄様!」
「うんうん解った。で?」
聞け。1㎎くらいは聞け。
恨みのこもった目を向けてみても、兄様はどこを吹く風と笑うだけ。…このままじゃらちがあかない。
「……では、兄様の好きなもので」
「俺?俺はシンデレラちゃんにあげるんだけど」
「居間に飾るので、皆が好きなほうがいいでしょう?…買っていただくのなら、兄様がすきなものを選んでください」
「―――うーん。俺あんまり花を知らないんだけど?」
「どれでも良いです。花はなんでも好きですから」
答えると、兄様は少し困った顔をした後、花屋さんに並んだ花と、にらめっこをしはじめた。…普段は何でもそつなくこなす人なのに、その真面目な顔が珍しく、そして少しほほえましくて、小さく笑いかけて…ほぼ条件反射で体をねじって飛び退っていた。
「きゃぁぁあああ!!レイ様っ!レイ様だわっ!」
「レイ様ぁっ!お会いしたかったですぅぅっ!!」
「今日はレイお姉さまじゃなくてレイ様なのねっ、どちらにしても素敵ー!!」
「レイ様レイ様っ!マルエラを覚えてるらっしゃる!?」
直後響いた黄色い歓声に、自分の判断の正しさを確信する。
どどどどどっと音を立てて、7、8人もの女の子達が、先ほどまで私のいた位置、つまりは兄様の横に突進していく。そして、ピンクに赤に青に黄色にオレンジに…それぞれがそれぞれ、華やかなドレスを着た女の子達が、ざっと兄様を取り巻いた。
うん。相変わらずアクティブな人達だ。
女の子達に囲まれた兄様が、軽く驚いたような顔をした後、避難した私に気遣わしげに目線を送り、こちらにきてしまいそうになるのを身振りで止めた。急いでいる訳でもなし、それに何より、邪魔した場合、彼女たちは怖い。それはそれは、怖い。
『レイ・カークランド様、およびレイお姉さまを尊敬し、お慕いし、崇め、たてまつり、(ああ何だっけ長い覚えてないむしろ覚える気がないので中略)愛する乙女のための会』。通称、『レイ様愛乙女の会』。それが、彼女達だ。ちなみに、妙に高いテンションと、他をなぎ倒す力強さが特徴だったりする。
初等学校時代に創設されたこの会の会員数は50人とも100人を超えるとも言われ、レイ・カークランド―――つまりは兄様を尊敬し、お慕いし、崇め…以下略を至上目標とし、兄様に近づく悪しき魔女たちをことごとく排除する。と、宣言をしていた気がする。
当然、妹とは言え一滴の血のつながりもない私は、彼女達にとっては排除対象だったりしたのだが…大人しく、静かに、控え目に、兄様と彼女達の会話を邪魔せずに、と心がけた結果、あまり派手につっかかられたことは無い。
けれど、猪突猛進型の彼女達の接近に気が付かずにぼーっとしていると、押しのけられる突き飛ばされる轢かれる踏まれるは日常茶飯事だったため、私の危機回避能力は、ほとんどプロレベルに達している。…あまり嬉しくないけど。
巻き込まれないように20歩ほど離れた場所まで避難して、兄様と女の子達を鑑賞する。
「うん。久しぶりだね。元気にしていた?」
「はいっ、もちろんアナミアは元気ですわっ!」
「ジュディットも勿論、この通りハツラツです!」
「わたくしはレイ様のことを思うと食事も喉を通らず…」
「んまぁああ!それを言うならあたしだって!」
「いいえ、この私こそが…!!」
うん。本当に本当に、相変わらずアクティブだ。あのやりとりにはもはや懐かしさすら覚える。兄様が初等学校を卒業し、私自身も2年前に卒業したのであまり縁が無く、沈静化したと思っていたのだが、あの人達の愛は、そんな程度で薄れるほどやわではなかったらしい。なにせ会の名前の示すとおり、女装の兄様すら愛す度量を持っているのだ。これは凄い。尊敬に値する。
そして、あのテンションに全くひるまず笑っている兄様も凄い。昔から兄様は、どれほど女の子達に囲まれようと、嫌そうな顔一つ見せない。穏やかに笑って、そして用事がある時は、「ごめんね」とすまなそうに笑って切り抜ける。
(絶対真似できない…)
いや、目をきらきらさせた彼女たちは、可愛いと言えないこともないのだけれど…いかんせん肉食獣のような空気が出すぎている気がする。今の状態など、ライオンの群れかなにかに見えてしまうのは、私の気のせいだろうか。
(あーそういえば確かメスのほうが強いよねライオンも。…いや、違ったかな?オスのほうが強いんだけど、餌を狩でとってくるのはメスなんだったんだっけ…?)
どうでもいいことを考えつつ、ぼけっと兄様たちを鑑賞していたけれど…流石にひまになってきた。今日はエプロンを外してきてしまったので、いつもエプロンのポケットに常備している文庫本もない。
暇だ。この上なく。
(…ちょっとくらいなら、離れても大丈夫かな)
花屋さんの五軒先には古書店があり、その一軒先にはパンの屋台もある。…そう言えばバケット買いたかったんだった。
彼女達の話は長めなので、あと10分くらいはあのままだろう。ぱっと買って、ぱっと戻ってくれば多分大丈夫だ。
「ちょっと行ってきますね、兄様」
聞こえないことを承知で小声でそう告げて、私は兄様たちに背を向けて、小走りに駆け出した。
「はい、焼きたてだよっ!一本おまけしといたからね」
「あ…ありがとうございます。ごめんなさい、いつも…」
「いーよいーよ。お嬢さんはお得意さんだもん。そのかわり、また来てよねぇっ!」
にっこ、と楽しそうに笑いかけてくれるロザさんにうん、と頷くと、いーこーいーこっと髪を撫でられた。鮮やかな赤毛と、褐色の肌を持つロザさんは、数年前からここでパン屋の屋台を開いていて、安くてとても美味しいパンを焼いている。それに、よく買いにくる私の顔を覚えてくれて、買いに来るたびおまけをしてくれたり、焼きすぎたお菓子をつけてくれたりと、とても親切にしてくれていた。
美人で明るくプロポーション抜群。闊達で朗らかなロザさんは、町の人にも人気がある。
「もぉ、お嬢さんはかっわいいなぁっ。あたしが男なら間違いなくお嫁にするわね」
「え?いえ、そんな…」
「ろ、ロザ姐さん!」
「あ?なにぃ」
当然、男の人達にも人気なわけで、ロザさんと付き合いたいと願う人は後を絶たなかったりする。けど、
「ろ…ロザ姐さん!今度俺と王城公園に行きませ…!」
「ごっめーん。あたし毎日仕事」
「なっ、なら仕事のあとにでも…」
「あたしは仕事が終わったら寝たい主義。大体あんたあたしの趣味じゃないしぃ」
「えっ!?ど、どんな男が好みなんですか!?」
「お金いっぱいもってる85歳以上の持病のあるオジイサマ。もしくはむくつけきオトコじゃなくて、花の香りのするオンナノコ」
「そっ…そんなぁ…」
とまあ、かなり趣味が特殊、というか条件が特殊なため、思いをとげられた人の話は聞いたことが無い。目の前で、かなり辛めな言葉で言葉で玉砕する男の人(20歳後半。優しそうな美青年)を見て、私は小さく苦笑した。そして小さく会釈して屋台を離れようとして、店先に無造作に量り売られている小麦に書かれた値段に釘付けになった。
(あがってる…)
微々たる金額ではあるけれど、組合会で規定され、基本的にほとんど変動しない小麦の値段が確かに上がっていた。それだけでも、かなり珍しいことではあるけれど。
(パンの値段、変わらなかった)
小麦の値段の変動がわずかでも、パンやケーキと言った加工食品は、小麦の値段のあおりをもろにうけて値上がりする。そうしなければ、採算がとれないからだ。…ということは、
(小麦の値段が上がってるのに、パンの値段だけそのまま。…これ、もしかして他からの…)
「だめだよ、シンデレラちゃん」
ふわり、と、優しい香りがした。
まとまりかけた思考をさえぎるように、背後から伸びた腕に抱き寄せられる。すらりとした腕。
「…兄様。こちらに来たんですか。…だめって…?」
「―――なんてね。ダメだ、なんて、俺に言う権利はないってわかってるんだけど…。お願いだから気づかないで、シンデレラちゃん」
「……なにを…」
「やっだ、カークランドの若じゃないの。あたしあんたキライなんですけどー。お嬢さんに張り付かないでくれるぅ?変態若君」
「こんにちはロザさん。やだな、兄の特権ですよ」
私の返事に対する答えではない、謎めいた言葉。眉根を少し寄せた、複雑そうな笑顔。それは、明るく話しかけてきたロザさんに答えてすぐに消えたけれど、私は戸惑いをこめて、兄様を見上げていた。
「突然デート中断しちゃってごめんね。彼女達も悪気はないんだ」
「いえ、別に気にしてないです」
「そう?あ、そうだ。約束の花。持ってくれる?」
にこにこと、無邪気とも言える顔でいわれた言葉に目線を下ろすと、確かに兄様は、紙袋に差し込むように花束を持っていた。…あれから買ったんだ。
「…はい。持ちます」
「じゃあはい、どーぞ」
「…ありがとうございます」
差し出された花束をおずおずと受け取ると、ふわりと優しい香がした。
「スイートピー…」
淡紅色や薄紫。ピンクや白色のふわふわした花。先ほど抱き寄せられたときの香りは、どうやらこれだったらしい。
「気に入った?」
「――――はい。とても好きな花です」
「そ。良かった」
穏やかな返事に、優しい香りの春の花に顔をうずめたまま、私は横目で兄様を見上げた。
さっきの態度。忘れ物を届けた日の兄様の小さな不自然さ。そして今日、突然「デート」に誘ったこと。
多分、兄様は私に何か大きな隠し事をしている。それも多分、私に何か関わることで。
「ん?」
兄様が私にそれを隠すのは、そのことが私にとって害になることだから。だから聞いても、きっと答えてはくれない。けれど、何?と微笑む顔を見て、反射的に口を出していた。
「…兄様、何か隠し事をしてますか?」
言った瞬間、兄様は小さく目を見開いて、そして一拍置いてその口元が孤を描いた。ああ、やっぱり。
兄様の言う言葉がわかってしまう。優しく笑って、穏やかに微笑して、きっと兄様は言う。『どうして?隠し事なんかしてないよ』、って。
「―やっぱり何でもな…」
「うん。隠してることがある。だけど言えない。…ごめんね」
「…っ…」
見上げた先の兄様は、口元は微笑んでいたけれど、目はつらそうな色をしていた。…こんなの、
「…ずるいです」
「うん」
「兄様は、ずるい」
「うん。ごめんね、シンデレラちゃん」
嘘をついてくれたのなら、追求することだって出来た。…でも、そんな風に言われたら、私はもう、なんにも言えない。
そんな優しい顔で笑われたら、そんな寂しそうな顔で笑われたら。本当のことを言えないことを、苦しんでいる顔を見せられて、それでも嘘はつかない。嘘をつくのが、得意なくせにっ。
「…………さい」
「え?」
「……誤魔化すくらいしなさいっ、このあほ兄様!!」
「…っいった…」
だんっと足を振り下ろすと、兄様が顔を顰めてうめいた。…こちらは半分布地の靴、あちらは堅い革靴とはいえ、渾身の力で踏めば流石に痛かったらしい。
ちなみに兄様は普段、化け物並みの反射神経を誇るけれど、この流れで足を踏まれるとは思っていなかったらしく、思いっきりクリーンヒットした感触がした。ああ、達成感。
「いった…」
「これで、いいことにします」
「え?」
微妙に顔をしかめたままの兄様が、私の言葉にきょとんとした顔をする。それを冷たい半眼で見つめて、私は歩き出しながら続けた。
「―――お夕飯の時間は7時です。変更は無し。遅れたらご飯抜きです」
「…シンデレラちゃん?」
「ご飯抜きはキライでしょう?」
心配してないわけじゃない。言って欲しくないわけじゃない。だけど、…だから。
「だから必ず、夕飯の時間には帰ってきてくださいね」
「―――うん。ありがと」
追いついてそう言った兄様の表情が、私はとても好きだと思った。夕陽の差し込む白壁の町の中で、本当に本当に綺麗だと思った。
はい、デートになりきれませんでしたよー。何やってるんでしょうね作者は。本当にすみません。ときもめきもない話ばっかりで。
兄様がもてていたことが判明しました!何のお得感もないですね、はい。
次話では、話が動き出す、というか、シンデレラが城の事情に巻きこまれそうです。よろしくお願いします!