第十二話 悲哀の葬送曲
緊迫した状況下、咲弥は最悪な状態に気がついた。
少し力を入れただけで、左肩に激痛が走る。指先は反応を示してはいるものの、白手はまるで動かせそうになかった。
捕らわれた人達を救うには、シェリアを討つしかない。
黒手だけでも動かせれば、まだ充分に戦えるだろう。
咲弥は瞬時に悩み、迷い、そして――
「紅羽、まず三人を助けよう」
「了解しました」
多くは語らなかったが、紅羽は了承してくれた。
おそらく、咲弥の意図を呑み込んだに違いない。
シェリアが再び、虹色の魔法陣を描いた。
咲弥と紅羽は、瞬時に別々の方向へと跳ね飛ぶ。
爆弾じみた音が響き、音速の衝撃が飛んでくる。
「あっ……ぶ……」
さきほどまでいた場所が、ふと咲弥の視界に入る。
拳の二回りほどある大穴が、石の地面には残っていた。
奇跡的にかわせたが、次は上手くできるとは限らない。
「ばか弟子が! わしらに構うな!」
怒号に近いラルカフの指示に、咲弥は困惑する。
ラルカフは、口調を同じままに続けた。
「見誤るな! 敵は、お主の気持ちなんぞ汲まん!」
「ですが……!」
「ばかたれ! それが殺し合いじゃ!」
救うよりも討て――ラルカフは、そう言っているのだ。
咲弥の気持ちが大きく揺らぐ。ラルカフが発言した通り、咲弥の心情をよそに、シェリアが荒々しい攻撃を始めた。
応戦している最中、咲弥の心に幾度となく疑問が浮かぶ。
救いたい気持ち、護りたい気持ち――
ふと、天使の言葉が脳裏によみがえる。
『人を――世界を救う必要はありません』
見知らぬ惑星に、わずかな情報を与えられて放り込まれ、そこで多くの人と出会い、学び、日々を過ごしてきた。
別に英雄になりたいなど、はなから思っていない。
救世主になりたいと、そう望んでいるわけでもない。
ただ、自分の手の届く範囲――大切な人達を、護りたいと願うぐらいは、許されてもいいはずだと結論を出したのだ。
しかし現状、そんな希望すらも叶わないでいる。
「それでも、僕は――どんな最悪な状況であったとしても、護れるなら全力で護りたいんです! 誰に何を言われても! そこだけは、絶対に曲げられません!」
シェリアが茨を縦横無尽に操り、咲弥へ攻撃を仕掛けた。
咲弥はわざと攻撃を受け、シェリアの意識を引きつける。
「ぐぅ……」
奥歯を噛み締め、必死に痛みを堪える。
空色の紋様を浮かべ、オドの発生を一時的に堰き止めた。
「黒爪空裂き、限界突破!」
空を裂く衝撃が、再び捕らわれた者達の茨を断裂する。
紅羽が状況を的確に判断して、落下する三人を救出した。
また奪い取られるわけにはいかない。
「黒爪空裂き!」
シェリアの本体に向け、通常の空裂きを放った。
当然、そんなものは茨によって防がれる。
「まだだ! 黒爪空裂き!」
無駄とわかっていても、咲弥は放ち続ける。
狙い通り、紅羽が脱出するまでの時間稼ぎにはなれた。
無数の茨が集い合い、大樹を思わせる形となる。
まるで茨の棍棒とも呼べる代物が、咲弥へ振り抜かれた。
「ぐぅぉあああ!」
黒手を盾にするが、あまりに力の差は歴然であった。
咲弥はそのまま、大きく弾き飛ばされる。
「咲弥様」
背後から可憐な声が飛ぶや、背に柔らかな感触を覚える。
紅羽が全身を使って、咲弥の体を支えてくれたようだ。
吹き飛ぶ威力が急激に弱まり、難なく着地する。
「あ、ありがとう!」
お礼を告げ、縄で囚われた三人の前に素早く移動する。
茨が、どこから襲ってくるかわからない。
奪われないように、全神経を集中して周辺を警戒した。
「まったく……ばか弟子め……」
師の小言が飛んだ瞬間、不意の意思が流れ込んでくる。
その澄んだ意思は、水の精霊グレイスからであった。
(なん、だ……?)
これまで、咲弥の声にはまったく応じなかった。
そんなグレイスからの意思に、咲弥は少し困惑する。
訳がわからないものの、とにかく空色の紋様を浮かべた。
「水の精霊、グレイス様」
紋様が蒼く輝いて破裂する。
散らばった欠片が集い、素早く蒼い魔法陣を生んだ。
強く輝きながら回転を始め、円の中が蒼く塗り潰される。
そこから水の精霊が、咲弥達の前へ鷹揚に歩み現れた。
水の精霊グレイスは、パチンッと指を弾き鳴らす。するとシェリアを閉じ込めるように、清らかな水の壁が発生した。
中から茨で攻撃しているが、まるでびくともしていない。本来はバリアとして扱う力を、檻として利用しているようだ――柔軟な発想に、咲弥は少しばかり驚く。
グレイスが優美に、肩越しに目を向けてきた。
「咲弥。即刻、この場から離れなさい」
「え?」
「哀しき者に、時間をかけている場合ではありません」
唐突なグレイスの発言に、咲弥は戸惑いを隠せない。
何を伝えたいのか、その真意がまるでわからなかった。
「なんじゃ、こりゃあ……水の精霊……?」
「あぁ……精霊様……」
ラルカフとマザーが、驚きの声を上げた。
ネイと紅羽は目を大きくし、ただ黙って見つめている。
グレイスに向き直り、咲弥は首を横に振った。
「すみませんが、それはできません」
「まあ、そう言うとは思っていました」
「すみません……シェリアさんを、ほうってはおけません」
「わかりました。では、頑張るほかありませんね」
呆れたと言わんばかりに、グレイスは首を左右に振る。
それから、シェリアのほうを振り返った。
「憐れな少女に、安らかなるひとときを」
グレイスが広げた右手を、ぎゅっと握り締める。
その瞬間――シェリアがけたたましい悲鳴を上げた。
「キャァアアア――ッ!」
水壁の内側で、無数のレーザーが一斉に放たれたのだ。
逃げ場のないシェリアは、そのまま貫かれている。
あまりの出来事に、咲弥は茫然とした状態へと陥った。
「グ、グレイス様……?」
「あとは、汝らでどうにかしてください」
そう告げるや、グレイスは空気に溶けるように消えた。
同時に、オドをごっそりと失った感覚を覚える。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
息切れしながら、咲弥は前を向いた。
シェリアの体が、また眩しい光に包まれる。
すると魔物化が解けたのか、人のシェリアに戻っていた。
「グレイス様の力……?」
とてもそうは見えなかったが、思ったままを呟いた。
咲弥の思考は、シェリアを見てすぐ否定に入る。
シェリアは体中から、おびただしい血が流れ出ていた。
「がはっ……!」
「シェリア!」
ネイの悲鳴じみた声が飛んだ。
いつの間にか縄から解かれたネイが、駆け寄っていく。
しかしシェリアは、銀のナイフをネイへと向ける。
「来ないで!」
「シェリア……」
「まだ、戦いは……終わってない!」
ふらりと揺れ、シェリアは吐血する。
それでも、銀のナイフは下ろさなかった。
ネイは一歩を前に歩み出る。
「ねえ……もう、やめてよ……」
「あんた達を殺して、私も死んで、カイトを生き返らせる」
「そんなことをしたって、あいつが喜ぶわけないじゃない」
ネイは喉の奥から搾り出すように、震えた声で説得した。
赤髪に指を通し、シェリアは両手で頭を抱える。
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!」
「シェリア! いい加減、正気に戻って!」
「全部、あんたのせいじゃない! あんたが……あんたが」
目もとから涙を流して、シェリアは金切り声で言った。
「あんたが、カイトを殺したんじゃない!」
「……シェリア……」
「あぁああああああああああっ!」
銀のナイフを高く掲げ、シェリアはぎこちなく疾走する。
魔物化から解放され、満身創痍となったシェリアの状態を見た。それから、ネイの行動をただ呆然と眺め、どこか気が緩んでいた事実は否めない。
もう終わったと、心のどこかでそう勘違いをしていた。
咲弥は瞬時に、己の勝手な意識を呪う。
(な、ん――っ!)
咲弥は我が目を疑った。
ネイは両手を大きく広げ、死を受け入れる姿勢を見せる。
ネイとの記憶、シェリアとの会話、ラルカフの言葉、自分自身の感情――さまざまな思いが、咲弥の胸の中を巡った。
正解など、きっとどこにもない。
覚悟など、あるはずもなかった。
どう考えても、対処が可能な距離にはいない。
それでも咲弥は、足に全力を込めた。
(ネイさん……!)
もっとしっかり気を張っていれば、こうはなっていない。ネイが前に進んだとき、自分も傍に寄っていれば、あれこれ方法はあった。
そんなタラレバが、脳裏を通り過ぎる。
シェリアから受けた傷のせいで、白手は動かせなかった。
現状、動かせるのは黒手しかないものの、盾代わりにして護るには距離が遠い。とはいえ、空裂きで銀のナイフのみを狙うのは、技術的にも不可能であった。
時間的な問題から、紋章術での対処もできない。
シェリアへ向かう紅羽達の姿が、咲弥の視界の端にいる。つまり誰もが、紋章術での対処が不可能だと判断していた。
しかも紅羽の固有能力は、再使用の時間が経っていない。
つまりネイ以外の誰もが、間に合わない距離にいるのだ。
だがネイは目を閉じ、今も死を覚悟して待ち続けている。
さまざまな思考から、捻りだされた唯一の方法――
咲弥は黒爪を前へ突き出し、紅羽を向かないままに叫ぶ。
「治癒だ!」
まず可能か否か、それは咲弥自身にも不明だった。
これまで一度も、試した経験などない。
黒白の籠手は、オドを込めれば解放に至り、さらにオドを込めれば、三倍くらいまでは巨大化ができる。
だから一部分――全体を爪にだけに集中すれば、三倍とは言わず、長く伸ばすことも可能ではないのかと考えたのだ。
そして――
「ごめんなさい……こうするしか、ありませんでした」
咲弥はシェリアに、そう謝罪をした。
思考停止に近い状態で、咲弥は目を逸らさずに見据える。
銀のナイフだけを狙うのは、いずれにしても不可能だ――シェリアの胴体に、長く伸びた四つの黒爪が刺さっていた。爪越しに、刺した感触が伝わる。
純白の紋様を描く紅羽の姿を捉え、咲弥は解放を解いた。
「光の紋章第三節、光粒の陽だまり!」
紅羽が、口早に声を張って詠唱した。
シェリアの付近に、ちかちかとした光が発生する。
しかしシェリアは、血を吐き出してから力なく微笑んだ。
「ごめん、ネイ……」
「シェリアァアアッ!」
倒れていくシェリアを、ネイはとっさに抱きかかえた。
「なんで……どうして……」
「ネイ……」
「つらいなら、言ってよ……苦しいなら、話してよ……私が憎いなら、私だけ狙いなさいよ。私達は家族じゃないの?」
涙するネイの頬を、シェリアはそっと拭う。
「ごめん……もう、止まんなかった」
「ばか……! ほんと、ばか……!」
「カイトと同じとこ……逝けるかな……? 無理かな……」
「嫌よ……シェリア……あんたまで失ったら、また、私……紅羽! お願い! シェリアを治してあげて!」
「問題ありません。必ず治癒します」
断言した紅羽の姿に、咲弥は心の底から安堵する。
人生で初めてといえるぐらい、咲弥は脳を酷使した。その甲斐もあってか、シェリアの傷は少しずつだが癒えている。
シェリアは首を小さく振り、ネイの頬に手を添えた。
「ばかね……あんたには……もう――っ!」
まるで世界が止まったような、そんな感覚に陥る。
シェリアの胸から突然、黒い影が飛び出した。
何が起こったのか、何一つとして理解できない。
わかるのは、ただ――
言い切るその前に、シェリアはこの世から旅立ったのだ。
「シェリア……? シェリア! 嫌ぁあああ――っ!」
ネイはシェリアを抱きしめ、大きく泣き叫んだ。
悲痛な泣き声を聞きながら、咲弥は消失感に満ちる。
「呪いか……あるいは、禁術の代償か……シェリアの奴め、わかっておったんじゃな……まったく、ばか弟子めが……」
咲弥はまたも、自責の念に駆られる。
事実が何かは、当然わからない。ただもし呪いであれば、白手の異能で、どうにかできた可能性はある。自身にかけたラシャスの呪いは、解呪できたからだ。
「どうして……なんで近場ですら、僕は護れないんだ……」
自分の力不足が、胸を苦しめるほどにつらい。
途端に、咲弥の背に衝撃が走った。
ラルカフが叩いたらしい。師は静かに涙を流していた。
「正解なんぞない。一歩、また一歩、足を進めるだけじゃ」
「師匠……」
「ネイは護れた。それが……お前さんが、必死に導き出した答えじゃろ? 結果はどうであれ……目だけは背けるな」
「……はい」
咲弥は腕で涙を雑に拭い捨てる。
しかしとめどなく涙が溢れ、止まることはない。
不意に、どこか温かい感覚を覚えた。
シェリアの治癒をやめ、紅羽の手が咲弥へと向いている。
「左腕、大丈夫ですか?」
さすがに、気づかれていたようだ。
紅羽の問いに、咲弥は無言の頷きで応じる。
紅羽の治癒術により、傷を負った体の痛みは和らぐ。だが刻まれた心の痛みまでは、どうしても消えることはない。
そしてこれからも、心の傷は増えるだろう。
(ここまで……ネイさんや師匠を攫った魔物を見なかった)
どこにいるのか、または潜んでいるのかはわからない。
いずれにしても、被害が出る前に討つ必要はある。
悲しみに満ちた空間に――突如、影が異常に揺れ動いた。
奇妙なぐらい影は舞い踊り、そして一か所に集っていく。
「あぁーららぁ。なあに、失敗してんだか」
どこか濁り淀んだ、女の声がした。
集まった影の中心から、人らしき指が突き出た。
自然と咲弥の目もとが歪む。
人型の何かが、影からゆっくりと這い上がってきた。
女っぽい見た目だが、瞬時に人ではないと理解に及んだ。
漆黒の角と翼を二つ生やし、肌が異常に青白い。黒い目に紅い瞳を持つ――まるで悪魔を彷彿とさせる容姿であった。
「まったく、やれやれとしか言いようがない……僕が遊びで作った秘術で、事態がどう転ぶのか楽しみにしていたのに」
「なんじゃ……こやつは……」
ラルカフの呟きに、影からの来訪者が反応を示した。
気味の悪い笑みを浮かべ、手を軽く振る。
「初めまして、僕は魔神の配下で――十天魔の内の一体さ。なあに、気軽にニギルちゃんと呼んでくれても構わないぞ」
咲弥は背筋が凍ると同時に、心臓が強く鼓動を始める。
討つべき対象だと思われる、その配下との邂逅であった。
(十天魔……十……? 僕ら、使徒と同じ数……)
「簡単にいうと悪魔? 魔王? うぅん、なんでもいいか。君ら人類に倣い、魔人としちゃおう。まだ寝覚め悪くてさ、頭が上手く働かないんだよね」
まるで世間話でもするように、ニギルは声を紡いだ。
どこか人間臭さを感じる反面、邪悪な気配が滲んでいる。
本能が危険だと、何度も警鐘を打ち鳴らしていた。
水の精霊が警告したのは、ニギルのことに違いない。
ラルカフが、緊張した面持ちで問う。
「魔神……十天魔……?」
「そう。てか、魔神様もお寝坊さんだよねぇ。配下達は結構起きつつあるのに、いまだ揺りかごの中で、お寝んね中さ」
ニギルの発言に、咲弥は少し驚かされる。
いまだ魔神は、復活には至っていない。しかし、それでも世界中の魔物達は、呼応するかのように活発化している。
ニギルはからからと笑った。
「なので、配下達がちょっと頑張ってんだけど……でもさ、僕達にだって、少しぐらいの息抜きは必要だと思うんだよ」
ニギルは胸の前で、小さく両手を広げた。
「なのに、そのゴミ――失敗しちゃうんだもんなぁ」
何に対してゴミだと言ったのか、一瞬わからなかった。
理解するなり、咲弥は胸の奥が潰れそうなほどに痛む。
「魔にはなりきれない、半端なゴミめが。僕の時間を返してほしいよ。まあそれでも、それなりには楽しめたのかなぁ。あーあ……折角、孤児院の虫けらどもをみんな魔に変えて、背を押してあげたのになぁ……」
咲弥は短く息を呑み、戦慄に打ち震える。
確かに孤児院での事件は、シェリア自身も困惑していた。彼女の言葉からも、故意ではなかったとはっきりしている。
魔人がまるで遊ぶように、子供達を魔物に変えたのだ。
悪魔を連想させるニギルの顔に、冷徹な笑みが張りつく。
「憐れで無能なゴミめが。喪った者を生き返らせるなんか、天の奇跡でもないと不可能……いいや、天にすらも無理か。その憐れさだけは、笑えたかなぁ」
耳障りなほど、ニギルは大きく笑った。
突然――それは、やってくる。
自分の中にある何かが、ぷつんと切れた音――
そんな音を、咲弥は確かに聞いた。