第十話 過去の二重奏
雨が降り続く町に、夜の帳がおりる。
町外れにある古びた家屋では、仄かな光が灯されていた。ネイとシェリアは別室で、今はもう眠っていると思われる。
咲弥は紅羽と並び、小さな食卓の席に着いている。
対面の席にいるラルカフが、紅茶を啜ってから告げた。
「二度と……その力を、使うでないぞ」
「え……」
「まったく! なぜ、もっと早くに言わんのじゃ。おそらくそれは、禁術みたいなものじゃろ。遥か遠い昔に封じられた……人が手を出してはならぬ領域のな」
禁術と聞き、咲弥は少しばかり驚かされた。
どうやら似た紋章術が、過去には存在していたらしい。
冒険者になってから、無属性に関しては調べていた。だが咲弥みたいな力は、これまで特に何も発見できていない。
紅茶の入ったカップを置き、ラルカフは嘆息した。
「人の精神に入り込むなど、本来あってはならん。あのとき声を荒げたのは、お主が言った通り……意識が干渉し合い、危うく取り込まれかけたんじゃろ」
「でも、紅羽のときは別に何も……僕に変化はありません」
「わしも禁術のことなんぞ、ただその存在を知っとるだけで深くは知らぬ。だがまあ……おそらくはその者の意識が己に向くか、他者に向くかの違いなんじゃろ」
納得のできる推察ではある。
この話は出していないが、ラシャスも結果的には、自身を呪う形だった。疑問は尽きないが、謎の力に間違いはない。
ハクに聞けば、話は早い。だがそれも難しいのだ。
止めはしてくれるものの、教えてくれたりまではしない。
(まあ……精霊様も、危険が潜んでるって言ってたし……)
ラルカフに従い、白手の異能は扱わない方針で固める。
「わかりました。精神世界の行き来は、禁じ手とします」
「まったく……妙な力を手に入れおってからに……どうせ、お前さんのことじゃ。また切羽詰まった状況に陥れば、その力を扱うという判断をするじゃろ」
咲弥はそんな場面を想像し、苦笑するしかない。
自分以上に、師は咲弥を理解してくれているようだ。
「じゃから、制限を設けろ。例えば、一人では扱わない――周囲に助けてくれる仲間がいるとか、そういった制限じゃ」
「なるほど……はい。わかりました」
ラルカフはため息をついてから、紅羽のほうを向いた。
「にしても、お嬢ちゃん……やはり白銀の戦姫の血筋か?」
ラルカフは訝しげな顔をして、紅羽に質問を飛ばした。
記憶にない名称だが、ふと紅羽の過去を思い出す。
それは紅羽が暴走したとき、白爪で垣間見た記憶だった。
「じゃが、あやつは子を生さなかったはずなんじゃがな……お主、いったい――」
「あ、あの! 師匠!」
ラルカフの言葉を、咲弥はとっさに遮った。
ラルカフが不満げな顔を向けてくる。
「なんじゃい」
「その……紅羽の詮索は、しないであげてください。いつか自分から話すと、そう言ってくれたんです。だから……」
ラルカフは事情を察したのか、唸りながら閉口した。
咲弥はほっと安堵する。
しばらく続く沈黙のあと、紅羽は可憐な声を紡いだ。
「私は、初代白銀の戦姫の卵細胞から造られた人造人間――戦闘兵器です」
「な、なんじゃと……?」
ラルカフが顔を険しくさせ、驚きの声を漏らした。
これには、咲弥も同様に驚く。
「じゃが、あやつは……百年半以上も前に亡くなっとるぞ。わしみたいな森人とは違い、白銀の戦姫は普通の人間じゃ」
「はい。あれは、もう――人としての体をなしていません。特殊な溶液に満たされた筒の中で、卵細胞を生むためだけの存在となっていますから」
クローン的な技術かどうか、そこまでは不明だったが――おそらくは、それに近しい技術がこの世界にあるらしい。
紅羽と似た容姿の少女が、確かにたくさんいた気がした。
「私達はガラスの筒の中で造られ、幼い頃から戦闘の教育を施されます。力ある者には號数が授けられ、数字のもっとも若い者が白銀の戦姫となります」
「つまり、あやつの複製……成り代わりか?」
ラルカフの問いに、紅羽はこくりと頷く。
一呼吸の間を置いてから、紅羽は語り続けた。
「名のある男とかけ合わせて造られるため、私達の容姿には多少の違いが生まれます。ですが、明らかに白銀の戦姫とは異なる容姿、または光属性ではない者の大半は――號持ちが治癒術を極めるための、解剖へとまわされます」
淡々と語られる内容を聞き、自然と咲弥の目もとが歪む。
あまりにも非道なおこないに、沸々と怒りが込み上がる。
紅羽の精神世界で見た幻影――あれが製造者なのだろう。
「当時、私は七號――失敗作、欠陥品だと言われてしまい、破棄されました。しかし心の優しい男に救われ、今もなお、私は生きています」
「あの帝国では、そんなことに……なんと惨いことを……」
ラルカフの声音は、悲愴感に満ちていた。
深い静寂の中、紅羽が再び言葉を紡ぐ。
「あそこがどうなっているのか、私にはもうわかりません。その後、私は男の家族として迎え入れられましたが――賊に殺され、父達はみな亡くなりました」
紅羽の話を聞き、漠然とした記憶の欠片が鮮明になる。
あのときに見た紅羽の記憶――三十代半ば頃の優しそうな男女のほか、幼い女の子の姿もあった。おそらくはそれが、話に出た男とその家族なのだろう。
「それから奴隷として渡り歩き、咲弥様に巡り会いました。紅羽という名を授かり、仲間と呼べる人も少しずつ増え――そうして今の私が、ここにありますから」
紅羽の紅い瞳が咲弥へと向き、彼女は柔らかく微笑んだ。
紅羽の語りを聞き終え、咲弥は複雑な気持ちになる。
咲弥の目もとに、じわりと涙が溜まっていく。
どうにもできない現実が、ただ苦痛でしかない。それでも――そんなつらい世界の中でも、紅羽は微笑んでくれる。
その事実が、ほんの少しだけ咲弥の心を癒した。
咲弥は、精一杯の笑みを作って伝える。
「話してくれて、ありがとう。これからも一緒に、いろいろ経験していこう」
「はい」
紅羽はゆっくりと頷き、咲弥もそれに応えた。
ラルカフは短いため息を漏らす。
「まずは今回の事件を、どうにかせんとな」
「そうですね……」
「まったく。魔物が襲撃してくるなんぞ、普通はありえん。しかも調べた限りじゃ、かなり狙い撃ちくささが漂っとる」
町にも魔物が現れていないか、ラルカフは一人で調査しに出ていた。その結果、魔物の襲撃を受けたのは、ラルカフと孤児院だけだったらしい。
確かに、狙い撃ちに等しくはある。
「師匠は何か……狙われる心当たりは、ないんですか?」
「ここ何年も、平穏そのものじゃぞ。ただわしの過去を振り返れば、数えきれんほどあるにはある……じゃがその場合、孤児院とはまるで無関係じゃ」
時間的に考えても、ほぼ同時の襲撃だったと思われる。
孤児院とラルカフの接点――どちらも町外れにあるほか、ネイの師匠といった事実ぐらいしか思い当たらなかった。
「カイトとは、どなたですか?」
紅羽が突然、謎の人物名を挙げた。
咲弥は小首を傾げる。
「カイト……? どなたなんですか?」
ラルカフは少し、黙考したような間を作った。
「お前さんと少し似とる、ばかで純粋な少年のことじゃ……ネイ達と同じ孤児院育ちの……幼馴染ってやつじゃな」
「そうなんですか。初めて聞きました」
「そりゃそうじゃろ……お嬢ちゃんは、どこでその名を?」
「ネイとシェリアの会話からです。ここで、修業していたと聞きました」
「えっ? そうなんですか?」
咲弥は驚きをもって、ラルカフに目を向ける。
ラルカフは重いため息を漏らしてから、過去を語った。
話に出た少年カイトが、最初にラルカフの弟子となる。
次第にネイ達も加わり、三人で修業していたらしい。
時は流れ、そして事件が起こる。
「ネイが頑張って修行をしていたのは、本当の家族を奪った魔物へ復讐するためじゃ。それに気づいたカイトが、ネイのやつを護ろうとして魔物に殺されたんじゃ」
『また……家族を失った……また……置いていかれた……』
咲弥はネイを想い、胸の奥がズキンと痛んだ。
家族を失う――それは、恐ろしいほどの苦痛に違いない。
咲弥はぼんやりと、祖父との記憶がよみがえる。
祖父は、病で亡くなった。しかし別れを惜しむ暇もあり、他界するその時が訪れるまでの間、咲弥は祖父にずっと寄り添うことができたのだ。
それでも、つらい気持ちが溢れたのを今も覚えている。
比べるものではないが――途端に、家族を魔物に奪われたネイの気持ちは、そのときの何倍もつらいに決まっている。
「……まあ、ネイの奴が抱える闇に、気づいてやれなかったわしにも責任の一端はある。しかし……それが今回の件に、何か関係があるとは思えんが……」
ラルカフは難しい顔をして、深く唸る。
突然――ガラスが割れるような、不穏な音が聞こえた。
咲弥を含めた全員が、音がした方向を振り返る。
そこは、ネイが眠っている部屋へと通ずる扉だった。
「な、なんじゃ……?」
咲弥は自然と、まずネイの気配を探った。
しかしどういうわけか、ネイのオドがまったく感じない。代わりに、あちこちから妙な気配が滲んでいる気がした。
動こうとした瞬間、視界の端にある扉が開いていく。
虚ろな眼差しをしたシェリアが、そこには立っていた。
視線を下げたまま、シェリアはじっと固まっている。
「だ、大丈夫ですか? なんだか、ネイさんの……」
咲弥が言いながら、シェリアに寄ろうと進む。
だが、ラルカフが手を伸ばして制してきた。
「師匠……?」
シェリアが黒い瞳を、まっすぐ前に向ける。
生気の宿らない瞳は、ただ深く沈み切っていた。
「師匠……ごめんね……でも、もう……立ち止まれないの」
シェリアは呟きながら、虹色の紋様を浮かべる。
咲弥は目を見開いた。驚きのあまり、つい反応が遅れる。
「音の紋章第四節、招かれざる来訪者」
虹色の紋様が砕け散るや、激しい音が鳴り響いた。
ラルカフが吹き飛ばされ、窓をも突き抜ける。
ずっと気配を絶って潜んでいたのか――虫の形をした魔物二体が、ラルカフを瞬時に縄で締め上げてから咥え込んだ。
これまでとは異なり、知性を感じさせる魔物であった。
「し、師匠!」
魔物はそのまま、ラルカフをどこかへと連れ去る。
さすがにラルカフも、動揺を隠せなかった様子であった。本来のラルカフであれば、避けることはできたと思える。
味方から攻撃を受けるなど、あまりにも想定外過ぎた。
縄など簡単に解きそうだが、ラルカフのオドはどんどんと離れている。咲弥は紅羽と、少し遅れて行動を始めた。
あちこちから、壁を突き破って魔物が現れる。
ネイのいた部屋からも、魔物が飛び出してきた。
ラルカフと同様、連れ攫われた可能性が浮かび上がる。
「咲弥、ありがとう。あなたのお陰で、私は前に進める」
「な、何を言ってるんですか……シェリアさん!」
「追って来ないで。これは、私達の問題だから」
「ま、待ってください!」
シェリアは踵を返し、その姿を消した。
そこからも、また別の魔物が攻め込んできた。
何がどうなっているのか、訳がわからなくなる。
これでは、まるで――もしシェリアが町のほうへ向かった場合、魔物達を無視するわけにはいかない。ここの魔物は、おそらく足止め要員だと考えられる。
魔物の大軍に追われたまま、町に赴くなどありえない。
現状、考え得る最善の策は、そう多くなかった。
「紅羽! 先にシェリアさんを追ってくれ!」
「ですが……」
「ここは僕一人でやる! 紅羽のほうが察知力は高いんだ。シェリアさんの居場所を見つけたら、一人で突っ込まずに、僕にもきちんと知らせてほしい」
口早に伝えると、紅羽はこくりと頷いた。
「了解しました」
紅羽は華麗に魔物達をすり抜け、外へと飛び出した。
ぼやぼやしていたら、師匠とネイを失う可能性がある。
咲弥は再び心を殺し――黒白の籠手を呼び出す。
「おいで、黒白」
両手が光に覆われ、装着した状態で黒白の籠手が現れた。
わずかなオドを、籠手へと流し込んで解放する。
「ごめんなさい、皆さん……今、楽にしますから……」
また魔物と化した人々を、咲弥は討つ覚悟を胸に宿した。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
雷鳴が轟く夜の草原に、数多の雨粒が天から降り注ぐ。
そこに、体を冷やしていく二つの影がある。一人は赤髪に青い瞳を持つ少女、もう一人は茶髪の翠眼をした少年だ。
片方は体温が抵抗しているが、もう片方は――
「ばか……このばか! 何してんのよ!」
ネイは腹の底から、大きな声を絞り出した。
傷だらけのカイトは、力のない笑みを見せる。
「魔物って……怖くて……ほんと、つぇえな……」
ネイの目から溢れる涙を、カイトがそっと拭ってくれた。
「なんで……なんで、あんたが……」
「俺が倒せばさ……ネイが傷つかなくて、済むと思った」
「ばか! 代わりに、あんたが傷ついて、どうすんのよ!」
「……だよな……ごめんな……でもさ、お前には、笑っててほしかったんだ……復讐なんかじゃなくて、みんなと一緒に……笑っててほしかった」
老師のもとでの修業が、カイトの傷の深さを理解させた。
これはもう、治癒でどうこうできる水準ではない。
ネイは瞬時に悟っていた。わかっていながらも告げる。
「死んだら、許さないから! 必ず治癒させるから」
「ははは……」
「シェリアに、なんて言うのよ! あんたが死んだら、あのばかが、独りぼっちになってしまうでしょうが!」
「お前ってさ……案外……友達想いだよな……ほんと……」
言葉の最中、カイトは途端に力をなくした。
目を閉じることもなく、そのままこの世を旅だったのだ。
「嫌ぁ……ねえ……カイト……カイト……」
カイトの胸に顔を埋め、ネイは泣き叫んだ。
背後のほうで、二つの気配が近づいてくる。
少し遅れて、シェリアとラルカフがやってきたようだ。
心が決壊したように悲しみが溢れ、状況を伝えられない。
最初は復讐心を悟られれば、止められると思っていた。
しかし今となっては、ネイを止める力を持つ者など、老師以外にはいない。だから少し気が緩んだのを自覚している。
その結果――ネイの思惑に気がついたカイトは、力ずくで止めるのではなく、別の方法をもって止めようとしたのだ。
ネイの復讐対象を、先に退治するといった方法であった。
「……カイト……嘘でしょ……嫌ぁあああああ!」
叫ぶシェリアに強く押され、ネイは地面に身が倒れる。
「なんで……嫌よ……ねえ……起きてよ……」
上半身を起こすや、シェリアがきつく睨んでくる。
シェリアが、ネイの胸元を強く掴んだ。
「あんたが……あんたのせいよっ! どうして……カイトが死ななきゃならないのよ! あんたが、あんたが……!」
言葉の端々で、シェリアから張り手が飛んできた。
避ける気はない。
ネイはただただ、シェリアにぶたれ続けた。
「復讐なんて、あんたが、考えなければ、こんな……!」
やり場のない怒りを、ぶつけられても仕方がない。
どれほど言い繕おうとも、現実はもう変えられなかった。
その日を境に――
ネイ達を含む全員が、カイトの名を口にしなくなった。
ネイも次第に、心の中にあった復讐心が消えてなくなる。
その代わり、カイトが将来なりたかった冒険者になった。冒険者として稼いだお金の大半を、孤児院へと寄付する。
それは罪悪感からではない。贖罪でもまたなかった。
優しいカイトの夢を、叶えてやりたかっただけなのだ。
ただ、カイトの一件を経て――ネイは仲間を作ることが、とても怖くなる。もしかしたら、また喪うかもしれない。
思い出を作るから、喪ったときのつらさが色濃くなる。
心を通わせるから、喪えば悲しさ激しくなるのだ。
それならば、いっそ――
最初から、仲間なんかいらない。
最初から、独りきりで構わない。
お金が絡めば、案外自分の希望に沿った関係でいられた。
付かず離れず、適度に割り切った距離感を保ち続ける。
そうすれば、どこかの誰かが死のうが関係ない。
だからネイは、ずっと仲間を作らず単独を好んだ。
それなのに、また出会ってしまった。
気づけばまた、深い関わり合いを持ってしまったのだ。
カイトのように、歪な優しさを持った少年と――
22/04/02 改稿
誤字脱字があったため、少し修正しました。
カイトの目の色の表記を変更――当初から緑色でしたが、碧眼だと普通は青を連想するため、翠眼に変更しました。