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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第三章 訪れる邂逅
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第八話 忍び寄る異変




(いやな雲行きねぇ……)


 ネイは心の中で、そう(つぶや)いた。

 本日は空の機嫌(きげん)が、あまりよろしくない。吹いている風も奇妙な流れを見せており、独特なにおいが乗せられていた。

 きっともうじき、一雨(ひとあめ)くるに違いない。


 帰郷(ききょう)してから、もう一か月ほどの時が流れている。

 ネイは()()()()()に関して、こっそりと調べていた。だがどういうわけか、痕跡(こんせき)らしいものは何も発見できていない。

 つまり突発的な事件ではなく、かなり周到な計画のもとに起こっているのだ。


 また、ネイが帰郷する少し前の日から、失踪事件は完全に途絶えている。休息中か、あるいは別の町へ移動したのか、その真相はいまだ知れない。

 いずれにしても、心配して戻ってきてよかったと思う。


 記事で事件を知ったときは、生きた心地がしなかった。

 孤児院まで被害が及んでいたら――そんな思いに駆られ、ネイは急いで帰郷することにしたのだ。


 道中――咲弥と紅羽と出会ったのは、ただの偶然だった。

 別に失踪に関して、手伝ってほしかったわけではない。

 だから内情は伝えずに、旅行がてらに連れてきたのだ。


(まっ……咲弥は修行に打ち込めただろうし、紅羽は料理の勉強ができたから、結果的には連れてきてよかったわね)


 ネイはそんなことを思いつつ、高台の草地で銀髪の少女と並んで座り、吹き抜ける風を浴びながら遠くを眺めている。

 遠目にではあるが、ここからなら咲弥の姿がよく見えた。

 実は度々(たびたび)、こっそりと様子を覗きに来ている。


 この短期間で、咲弥の動きは飛躍的な進歩を()げていた。指導が(たく)みなのもあるが、彼自身の素質もさほど悪くない。

 咲弥と出会ってから、時折思っていたことがある。


 彼はあまりにも、優し過ぎる。その(いびつ)なまでの優しさは、きっといつか必ず、彼自身を殺す結果に(つな)がるに違いない。

 だから多少強引ではあったものの、老師に(たく)したのだ。


 紅羽には申し訳ないが、老師に託して正解だと思える。

 戦闘力の向上に加え、精神面も強化されているだろう。

 老師と戦う咲弥を眺め、ふと昔の記憶がよみがえった。


「咲弥様――かなり強くなっていますね」


 この一か月、自ら紅羽が喋ることはほとんどなかった。

 そんな彼女が言葉を発し、ネイは少し驚かされる。

 彼女は無表情が多いため、感情が読み取りづらいのだ。


「あんた、怒ってんのかと思ってたわ」


 深紅(しんく)の瞳が、ネイのほうへと向かう。

 紅羽は小首を(かし)げた。


「……? なぜですか?」

「咲弥と引き離されたから?」


 ネイは苦笑まじりに、言葉を(にご)した。

 紅羽はまた、前へ視線を戻す。


「別に怒っていません」

「そう? じゃあ、寂しかったのね」

「そうですね。ですが……」


 紅羽はしばし沈黙してから、再び口を開いた。


「きっと咲弥様のためでもあると、そう思いましたから」

「はぁん……健気(けなげ)ねぇ……」


 (はた)から見ても、明らかに咲弥に特別な感情を抱いている。とはいえ、それが恋心なのかどうかまではわからない。

 ただ、シェリアと再会してまだ間もない頃――咲弥の隣にこっそりと寄り添い、彼女なりの意思表示はしていた。


 シェリアに、咲弥を取られると思ったからに違いない。

 料理を覚え始めたのも、おそらくその部分から来ている。鈍感(どんかん)な少年に、そんな乙女心(おとめごころ)を察するのは難しいだろう。


(まあ……人が口を挟むことじゃないか)


 軽率に口を(はさ)んではならないと、ネイはよく知っている。

 それは、自分の過去が起因(きいん)していた。


「あら、こんなところにいたのね」


 声がした方向を振り向くと、赤髪の女が歩み寄ってきた。


「あんた、どこをほっつき歩いてたわけ?」

「私もいろいろと、忙しいのよ」

「そう。マザーが戻らないから、心配してたわよ」

「ふぅん」


 シェリアが隣に腰を下ろし、遠くのほうを眺める。

 しばらく無言が続いてから、シェリアは(つぶ)いた。


「なんだか……(なつ)かしいわね」

「何が?」

「最初の頃は、こうしてカイトを眺めてたでしょ」


 カイトの名を出され、ネイは少しびくっとする。

 ある事件を境に、彼女はその名を固く閉ざしていた。


「師匠とカイトの訓練から、いつしか私達も参加したわね」

「……ええ」

「あんた、カイトより素質あっちゃってさ」

「……ええ」

「カイトじゃなく、あんたが冒険者になるとはね」

「……ええ」


 沈黙が広がるが、長くは続かなかった。


「咲弥に、カイトを重ね合わせたの?」


 シェリアの問いに、ネイは素直に答えられなかった。

 知らずのうちにではあるが、重ね合わせたのは否めない。過去の夢を見てようやく、そうだったと理解に及べたのだ。

 あの(いびつ)なまでの優しさが、カイトにとてもよく似ていた。


 まだ出会って間もない頃――咲弥は見知らぬ少年のために命をかけ、報酬を失ってでも全力で助け出そうとした。

 その後も彼は、さまざまなところで優しさを見せる。


 得た報酬を孤児院のためにと、咲弥は置いてから去った。

 そこにいら立ったのは、(いつわ)りのない事実ではある。だから殴らなければ気が済まないと、そう思ったのも事実だった。


(いら立ったのは……カイトと、どこか似てたからか……)


 理解した今だからこそ、自分の行動原理を呑み込めた。

 とはいえ、カイトの影を追っていたわけではない。容姿も違えば、喋り方も異なる。まったくの別人であると、ネイはしっかりと認識できていた。

 ただ重ね合わせた事実は、どう足掻(あが)いても否定できない。


「……そうかもね」


 時間をかけて答えたが、あまり話題を長引かせたくない。

 ネイにとっても、シェリアにとっても――

 カイトの話題は、苦痛にしかならないからだ。


「……そう」


 シェリアが相槌(あいづち)を打つや、不意に紅羽が立ち上がった。

 嫌な空気に、いたたまれなくなったのかもしれない。


「紅羽、別に気にしなくてもいいわよ」

「話はよくわかりませんが、この空気……なんでしょうか」


 ネイは、つい苦笑する。

 繊細(せんさい)な彼女は、この微妙な空気を察したのだろう。


「だから、気にしなくていいって」

「咲弥様……!」


 銀色の髪をなびかせ、紅羽が訓練所のほうへ駆けだした。

 呆気に取られているネイの視界に、不穏な影が入る。


 紅羽が感じ取っていたのは、ネイ達の雰囲気ではない。

 もっと別の、何か異質な気配だったのだ。

 咲弥達の場所に、魔物らしき何かが複数体現れている。


「なによ、あれ……」


 ネイは素早く立ち上がった。



    ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆



 対人訓練は、中断せざるを得ない状況に(おちい)っていた。

 咲弥は愕然としながら、周囲に視線を巡らせる。

 気味の悪い魔物が、続々と集まって来ていた。


 どうやら、虫に属した魔物らしい。

 蜂の針が人の上半身だったり、人の顔面と無数の足を持つムカデだったりと、どの魔物も見た目がかなり恐怖を(あお)る。


「なんじゃい……この魔物どもは……」


 ラルカフの言葉に、咲弥は驚きを隠せない。

 師ですら認識外の魔物が、なぜか集結しつつある。


「咲弥! 気を抜くでないぞ!」

「はい!」


 魔物それぞれが奇声を放ち、その足を速める。

 咲弥とラルカフは互いに、別々の場所へと飛び退()いた。

 空色の紋様を浮かべ、咲弥は右手を差し出して唱える。


「水の紋章第二節、天空の砲撃!」


 紋様が砕けた瞬間、咲弥の右手から蒼い一線が放たれた。

 紅羽の影響を大いに受け、なんとか生みだせたそれは――液体でも気体でもない、レーザー型の紋章術であった。


 手のひらをも超える太い一線が、魔物へと突き進む。だがカブト虫に似た魔物が背中で(ふせ)ぐや、蒼い筋はまるで花火のごとく四方八方へ離散した。

 傷一つなく、かなり強度のある魔物だと断定する。


(くっ……)


 咲弥は心の内側でうめき、ラルカフに視線を滑らせた。

 師もまた、紋章術で魔物を攻撃している。


 上手く狙いを定め、確実に仕留(しと)めている様子だった。

 咲弥は、ふと気づく。自分がいる付近よりも、ラルカフが立つ付近のほうが、明らかに多くの魔物が群がっていた。


(狙いは、師匠……? なんなんだ……この魔物は……)


 咲弥は心の中で(つぶや)きながら、黒手(こくしゅ)を大きく開いた。

 道中の魔物の攻撃を、素早く(くぐ)り抜ける。そしてまずは、紋章術を(ふせ)いだ魔物に向かって、鋭い黒爪(こくそう)を振るう。

 物理を破壊する黒爪は、強度の高い部分すらも裂いた。


「キャァアアアア――ッ!」


 カブト虫らしき魔物が、まるで女のような悲鳴を上げる。

 それはどこか、人の悲鳴ととてもよく似ていた。

 咲弥はぞっと怖気(おぞけ)を覚え、途端に身をびくつかせる。

 裂かれた魔物の背に、女性らしき目が覗いていたからだ。


「なっ……」


 これまで遭遇した、どんな魔物とも異なる。

 ()()()()()()()()()ような――考えている暇もなかった。今度はハエに似た魔物が、恐ろしい速度で攻め込んでくる。

 咲弥はとっさに黒手を振り上げ、大きく距離を取った。


「黒爪空裂(からさ)き」


 黒爪にオドを(まと)わせ、力強く(くう)を切り裂いた。

 裂かれた空が衝撃を生み、飛ぶ斬撃となってハエの魔物へ襲いかかる。

 魔物は強烈な爪撃を体に受け、地を滑るように墜落(ついらく)した。


「咲弥様!」

「く、紅羽ぁっ?」


 神々しい美貌(びぼう)をもつ銀髪の少女が、もの凄い速さで現れた――久々に目にした紅羽の美しさに、ほんの一瞬見惚(みほ)れる。

 紅羽は純白の紋様を浮かべ、可憐(かれん)な声で唱えた。


「光の紋章第一節、閃く剣戟(けんげき)


 純白の紋様が砕け、小さな光球が舞い踊った。

 虫の(もろ)そうな部分が、次々に切り裂かれる。

 紅羽の唐突(とうとつ)な登場に驚くが、ぼんやりもしていられない。咲弥も黒爪で応戦を始め、現れる魔物を次々に倒していく。


 咲弥は師を気にかけ、素早く視線を移した。すると魔物の群れの中へと飛び込む、ラルカフの姿を目で捉える。

 咲弥は驚倒してしまい、少し体が硬直した。


雷火(らいか)の紋章第六節、地獄の(さば)き」


 金色と赤色が交じり合って輝き、紋様が盛大に破裂した。

 ラルカフを中心として、雷の混じった炎が素早く広がる。

 魔物は焼かれながら、凄まじい電撃を浴びていた。


(別属性の合体……? まるでロイさんみたいな……)


 ロイが紋章符で、似たことをしていた。

 咲弥は関心を示したが、今は戦いに集中する。

 そして――無数の魔物を、やっとの思いで倒しきった。


「はあ……はぁあ……」


 黒白の解放を解き、咲弥は大きく息を切らした。

 銀髪の少女が、颯爽(さっそう)と駆け寄ってくる。


「咲弥様。ご無事ですか?」

「はぁ……はぁ……紅羽、どうしてここに……?」


 ラルカフは鼻で笑った。


「たまに高台のほうから、覗いておったじゃろ」


 ラルカフの指摘(してき)に驚き、咲弥は周辺を眺める。

 覗ける場所が多過ぎて、どこからか見当もつかない。


「にしても、こいつぁ……」


 魔物の死骸(しがい)(そば)に寄り、ラルカフが調べ始めた。

 そして深いため息を漏らしてから、静かに立ち上がる。


「やはりじゃ……こいつ、行方不明となっとった男じゃな」


 その言葉に、咲弥は震撼する。

 あまりに衝撃的な発言に、思考が停止した。


「人……嘘……だって……魔物だと……だから……」


 再び思考が働くのに呼応して、手に妙な(しび)れが発生する。


「人が魔物化? いや、死体を魔物にか? なににしても、厄介(やっかい)そうな話じゃな」

「違う……だって……それじゃ……人を殺し……」


 ラルカフは(けわ)しい表情で、咲弥のほうへ詰め寄ってくる。

 凄まじい速さで腹を殴られ、自然と草地に(ひざ)を落とした。


「がはっ……!」

「咲弥様――!」

「まったく……ちょっと落ち着け、ばか弟子」


 いつの間にか、紅羽が寄り添っていた。

 (のど)が痛い。

 肺や心臓も痛い。


 自分でも気づかない内に、変な呼吸をしていたようだ。

 紅羽の声すらも届かないほど、精神が(まい)っている。


「まだ仔細(しさい)はよくわからんが……疑似とはいえ、これが人を殺めるってことじゃ。殺らなきゃ、ワシらが殺られとる」

 それは(さと)すように、しかし叱咤(しった)に近い声で続けられた。

「しっかりせんか! おそらく、まだ終わっとらん。お主がどうであろうが、被害は拡大していくだけじゃ。()いるなら全部終わってからにせい」


 嫌な汗が全身から湧き、目に涙が溜まる。

 もしかしたら、まだ助けられたのではないか――

 そんな考えが、咲弥の頭の中をぐるぐると巡る。


「今は心を殺せ――悔恨(かいこん)懺悔(ざんげ)も何もかも、生き残れた奴の特権じゃ。まずは生き残ることだけを考えろ。ばか弟子!」


 草地に指を()い込ませ、溢れ出る涙を抑えるよう(つと)める。

 師の言葉を頭で理解しても、心までは及ばない。


 もう二度と、戻れない気がした。

 平和な国で生まれ育ち、ずっと生きてきた。

 人を(あや)めるのは、犯罪者のやることだと教わったのだ。


 その自分が今、人を殺めたのに等しい結果となっている。

 使命を果たしたところで――家族に合わせる顔がない。

 人を殺めた犯罪者に、帰る場所などない気がした。


「私が……咲弥様をお護りします。安心してください」


 紅羽が自身の胸に、そっと咲弥の頭を抱き寄せた。

 とても優しく、温かい。紅羽の心音が聞こえてくる。

 心が砕けたように、咲弥の感情は溢れ出した。

 もはや涙を止めるすべなどない。


「……たくっ。それよりも、お嬢ちゃん一人か? 遠過ぎてなんとなくの気配ぐらいしか、わしにゃーわからんが」

「いいえ。ネイとシェリアもいましたが――おかしいです。付近にネイ達のオドが、まったく感じられません」


 紅羽の発言が耳に届き、咲弥の心臓が強く跳ねた。


「やはり、あやつらもおったか。襲われたかのぅ。しかし、この程度であれば、ネイの奴になら余裕じゃろうにな……」

「わかりません。ついて来ると判断しておりましたので」

「ネイさん、シェリアさん……」


 なんとも言えない悪い予感がする。

 咲弥の頭の中が、ネイとの記憶に満たされた。


「ほれ。お前さんがいくら悔やもうが、事態は止まらん」

 ラルカフはそう告げてから、声音を低くして言う。

「ずっとそのままなら、()()()()()()()()ぞ」


 まるで心臓が、急激に冷え込んでいく感覚がした。

 優しく抱き寄せてくれた紅羽から、咲弥はそっと離れる。


「ごめん、紅羽……ありがとう……ネイさん達を、探そう」

「了解しました」


 涙を雑に拭い捨て、咲弥は立ち上がった。

 訓練所には、無数の――人の死体が転がっている。

 雲行きの悪い空と同様、不穏な空気が場に満ちていた。




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