第七話 修行修行そして修行
咲弥は草地で胡坐をかき、目を閉じていた。
静寂に満ちた暗闇の中――
「また乱れとる!」
ラルカフの発言と同時に、バチンッと弾かれた音が鳴る。
木の棒を叩き込まれ、咲弥の肩と背に激痛が走った。
「あんぎゃぁっ!」
「ほれ、とっとと姿勢を正さんか!」
「は、はい!」
必死に痛みを堪え、咲弥はオドの訓練を再開する。
湧くオドの流れを読み、練り込み、そして流した。
「ばかもん! まだ乱れとるわ!」
「ほんぎゃぁっ!」
咲弥は、また木の棒でぶたれた。
肩と背に、じんじんとした痛みが広がる。
最初の三日間は、ずっとこれの繰り返しであった。
叩かれ過ぎたせいで、体の形が正常かどうか不安になる。
最初は紅羽に、傷の治癒をしてもらおうと考えた。しかしそんな思惑は、ラルカフによってあえなく阻まれてしまう。
しばらくの間、紅羽とネイは出入り禁止となった。
咲弥は孤児院に戻ることも、ラルカフに禁じられている。
通信機もネイが持ったままのため、連絡すらもできない。
そんな事情を抱えたまま、修行は四日目に入る。
オドの訓練は継続しつつ、杭の上を渡る修行が始まった。
ただ全身に重しをつけられており、杭の下には無数の刃が突き立てられている。杭の絶妙な間隔に、歩くのも難しい。
咲弥は必死に踏ん張り、だらだらと冷や汗が流れ落ちる。
一歩を踏み出そうにも、次の杭が果てしなく遠く思えた。
「し、師匠ぉー! ちょっと限界です!」
「カッシャッシャッ。そう言い始めてからが、本番じゃよ」
「いや! ほんと! もう無理です!」
「まだ口をきけるなら安心じゃろて」
「ふ……足を踏み外したら! 僕、死んじゃいます!」
「なら落ちないよう、気をつけて進めばええじゃろうが」
草地に寝ころび、ラルカフは大きな欠伸を漏らした。
咲弥は一歩一歩、丁寧に杭を渡り続ける。
杭渡りを終えるや、今度は付近にある山道を訪れていた。やや遠めに、現在いる場所と似た広場が下のほうにもある。
ラルカフが背後から、咲弥へと声をかけてきた。
「よし。下の広場まで行ってから、こっちまで帰ってこい」
「え? それだけですか? 重しもなしに、ですか?」
「うむ。ただ、できる限り早くな」
咲弥は言われた通り、まずは下の広場を目指した。確かに足場がとても悪く、かなり足腰にくる地形をしている。
下の広場に辿り着き、またもとの場所まで走り戻った。
ただそれだけで、恐ろしいぐらい体力を消耗する。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「何をしとるんじゃ。早く下りて戻ってこい」
「……ふぇ?」
咲弥は震撼する。またもう一度、やれと言っているのだ。
「ちょ、ちょっと……」
「ほれ、行ってこんかい!」
木の棒で尻を叩かれ、咲弥はへとへとの状態で走る。
だが、さすがに体力が持たない。速度が落ちてくると――ラルカフの紋章術と思しき雷の玉が、咲弥に襲いかかった。
なかば死に物狂いで、ひたすら山道を往復させられる。
精魂が尽き果てた頃、すでに日が暮れ始めていた。
ラルカフの家へ戻り、食卓にやってくる。
そこでなぜか、壁を使っての逆立ちをさせられた。
「あ、あのぉ……」
「わしが飯を作るまでの間、そのままの状態でいろ」
「……え、えぇえ……?」
咲弥は驚倒する。料理など五分や十分ではできない。
最低でも一時間は、逆立ちをしたままの状態になるのだ。
にやりと、ラルカフが不敵な笑みを見せる。
「もし倒れたら、晩飯は抜きじゃからな?」
「いやいやいやっ! 絶対に無理ですって! もう体力が、きつきつですよ!」
「なら今日の晩飯は、諦めればええんじゃないか?」
そう言い、ラルカフは軽快な足取りでキッチンへ向かう。
心の底から、咲弥は理解に苦しんだ。
オドの訓練はまだわかるが、いったい本日の訓練が咲弥に何をもたらしてくれるのか、まるで想像ができない。
戦い方を教えてくれたほうが、遥かに有意義だと感じる。
しばらくの間、咲弥は己の肉体をいじめる結果となった。
修行を開始してから、一週間弱が過ぎ去る――
咲弥は完璧に視界を閉ざされ、聴覚すらも奪われていた。
そんな状況下、ラルカフにしこたま殴られ続けている。
「しそぉ! まっへくあはい!」
聴覚を奪われると、信じられないほど喋りづらい。
咲弥は今の今に至るまで、知りもしなかった。
唐突に、性能のいい耳栓が抜かれる。
「だから、オドをもっと敏感に感じろ。オドを感じ取れば、今どこに何があるかぐらい、すぐにわかるじゃろうてに!」
「無茶言わないでください! 音もない暗闇ですよ!」
「ばかたれぃ! それが修行じゃい!」
「はぎゃあっ!」
再び耳栓を突っ込まれ、闇の静寂に包み込まれる。
ラルカフは木の棒に、自身のオドを纏わせていた。
感覚的には理解している。確かに気配も感じ取れていた。だからといって、即座に対処などできるはずもない。
目で見るのとは、わけが違うのだ。
停止しているならまだしも、攻撃のために移動している。
ここにあると気づいたときには、すでに殴られていた。
「がっ……は……」
腹部に強烈な痛みを覚え、咲弥は自然と膝を落とした。
しばらくして、耳栓が引き抜かれる。
「まったく……これからまた、オドの訓練に戻るとするか」
いまだかつて味わった覚えのない、最大級の苦痛だった。肉体も精神も、これ以上ないぐらい酷使し続けている。
心の底から逃げ出したいと、初めてそんな気持ちを抱く。
その思いもむなしく、咲弥はずるずると引きずられた。
修行開始から二週間が過ぎ、また新しい朝を迎える――
これまでは、ただ己を鍛えるための訓練であった。
本日からは、紋章術を扱った訓練が取り込まれる。
「それでは、始めるぞ」
「はい。よろしくお願いします」
咲弥は構え、じっと神経を研ぎ澄ました。
後方から物音が聞こえ、素早く空色の紋様を描く。
「水の紋章第一節、螺旋の水弾」
カッと輝いた紋様が砕け、暗い水の渦が生まれる。
水弾が放たれ、後方から打ち上がる石に直撃した。
その直後、背後から嫌なオドの気配を察知する。
とっさに身を反らし、雷球が咲弥の脇を横切った。
「ふむ。不意打ちは、くらわぬようになったか」
珍しく、ラルカフが褒めてきた。
咲弥は心から嬉しく思い、感謝の言葉を述べる。
「はい! ありが――」
言い切るその前に、別の場所から雷球が飛んでくる。
気配を探るのを、つい疎かにしてしまった。
わざと褒め、気を散らしたのだと瞬間的に悟る。
「ふぎゃぎゃぁ――っ!」
ビリビリと痺れ、咲弥は痙攣しながら地に伏す。
呆れ声で、ラルカフは嘆いた。
「やれやれ……まだまだ修行不足じゃなぁ……」
実際にやってみて、ようやく理解できるものがある。
周囲の警戒を続けるのは、並大抵の努力では済まない。
咲弥の脳裏に、銀髪の少女が浮かぶ。彼女は町の中でも、こんな途方もない状態を、ずっと維持し続けていたようだ。
疲労が溜まらないわけがない。
本当の意味で、ネイの心配を呑み込めた気がした。
(紅羽だって、頑張ってたんだから……僕だって……)
咲弥は気力を振り絞って体を起こし、その場に座り込む。
ラルカフが腕を組み、呟くように言ってくる。
「とはいえ、まあ……だいぶましにはなってきたかの」
「……そうでしょうか?」
ラルカフは鷹揚に頷いた。
「問題点の一つとして、人は紋様を浮かべて唱えなければ、紋章術と固有能力を発動できぬ。つまり、その分ロスする」
「そうですね。このロスが、本当に厄介な枷ですね。状況を把握しながら、とっさに浮かべるのがとても難しいです」
「ここはもう、慣れていくしかない」
「はい!」
咲弥は元気よく、気合を込めて返事をした。
「あとな、紋章術もまだまだ改良の余地が残っとる。そこも併せ、訓練でしっかりと学び、成長させていくんじゃぞ」
「わかりました!」
力強く返事をしてから、ふと咲弥に疑問が生まれる。
「あの、師匠……?」
「なんじゃい」
「紋章術って、どうやったら増やせるんでしょうか?」
「……は?」
「実は僕、一つ……いや、二つ? しか、扱えません」
ラルカフがぽかんとした表情になる。
咲弥は苦笑まじりに告げる。
「最初から扱える紋章術以外に、ほかは何も使えません」
「お主、第一節とか言っとらんかったか?」
「ああ……その……それは……形だけ真似た……です」
これ以上ないぐらいに、ラルカフはげっそりとした。
咲弥は愛想笑いで誤魔化すしかない。
「仲間に訊いても……なんというか……難しいというか……結局できずじまいに、終わってしまいまして……はい」
「まずは、お前さんの紋章術の知識を聞かせてみい」
知っているだけの情報を、咲弥は並べ連ねた。
するとラルカフは、ふんふんと相槌を打つ。
「そこまで知っとるんなら、もうできるじゃろ」
「……え?」
「紋章石にこういう術にしたい。ああいう術にしたい。と、深く念じて伝え、己の術を完成へと導くほかないんじゃ」
咲弥は腕を組み、深く唸った。
「それが、かなり難しくて……どれだけイメージをしても、なんだか上手く……そもそも発動すらしてくれないんです」
「それは単純に、お主のイメージが曖昧じゃからじゃろ」
「曖昧……」
咲弥は顎に手をあて、曖昧だった部分を模索する。
ラルカフが重ねて説明してきた。
「それはこうなんですぅ。ああなんですぅ。そうなんですぅ――今のワシのこの言葉で、何が言いたいか伝わるか?」
咲弥はつい苦笑する。
「いいえ……全然……」
「たとえるなら、そういうことじゃ。イメージをはっきりと最初から最後まで伝える。そうして初めて術に至るんじゃ」
「……なるほど……」
「例えば水の幕なんかどうじゃ? 不純物のない水は雷撃を通さず、淀みなく流れさせれば火も通さぬ。その状態なら、物理であっても威力は殺せる」
紅羽の第五節の紋章術が、咲弥の脳裏によみがえった。
光の幕が張られ、あらゆる紋章術や魔法を弾ける。
思えば水の精霊も、似たようなことをやっていた。
(そうか……いや、そうなのか……)
ラルカフに言いそびれたが、紋章石と精霊は繋がっている――曖昧さと同様、向き合いが足りないのかもしれない。
咲弥はどこか、胸のつかえが取れた気分になる。
「わかったようじゃな?」
「はい! なんとか、新たな術を創り出してみせます!」
「うむ。では、一週間やる。一つも生み出せなかった場合、お主に罰を与える」
「……えっ?」
咲弥は大きく仰け反り、低い声で驚いた。
ラルカフはにやにやと、何かよからぬことを企んでいる。
なにげない質問のせいで、とんだ事態を招いた。
「死ぬ気でやれよ?」
「う……あ、う……はい!」
これまでの訓練に、紋章術での訓練も追加される。
そこからさらに、一週間の時が流れる――
「さて、いよいよ対人訓練を始めようか。全力で来んさい」
ラルカフの発言を聞き、咲弥の緊張が一気に高まる。
三週間前と今現在――何がどう変わったのか、あまりよくわからない。どう成長したのかを知る、いい機会に思えた。
咲弥は深呼吸をしてから、ラルカフに告げる。
「よろしく、お願いします!」
「では、始め!」
ラルカフがまっすぐ、咲弥のほうへ向かってくる。
咲弥は瞬時に、空色の紋様を宙に描いた。
ラルカフが中断させようと、小石を拾って投げる。
咲弥は回避しながら唱える。
「おいで、黒白」
紋様が砕け、輝く光の粒が黒白の籠手を生んだ。
すぐ獣の手に変え、咲弥もラルカフへと進む。
金色の紋様を浮かべ、ラルカフは詠唱した。
「雷の紋章第三節、雷帝の衣」
ラルカフが雷を纏うや、一瞬にして姿が消える。
咲弥は少し驚いたが、すぐに気を取り直した。
身体能力を強化する術に違いない。
オドを感じ取り、目でもラルカフの動向を探る。
あまりにも素早い移動を、何度も繰り返していた。
ラルカフのオドの流れを読み、右側へと白い爪を振る。
「ほう?」
タイミングは最高のはずであった。
ラルカフからは、余裕の笑みがうかがえる。
白い手を蹴られ、爪の軌道をずらされた。
ふっ――と、ラルカフの姿が再び、煙のごとく消える。
「雷の紋章第二節、雷鳴の狙撃」
どこかで、ラルカフの詠唱が飛んだ。
咲弥は気配を探りながら、空色の紋様を浮かべる。
「清水の紋章第二節、澄み切る盾」
複数の青白い光の粒が互いを繋ぎ合い、水の幕を生む。
飛来してきた雷の矢を、滑らかな水の幕が弾き飛ばした。
まるでシルクみたいな質感がある水の幕は、ゴムに等しい弾力性を持っている。水の精霊と同じとまでは言えないが、紋章術も物理も弾けるのだ。
咲弥は不意の気配を、背後に捉える。
ラルカフが雷を纏う手を、咲弥のほうへと伸ばしていた。
胸に触れられる寸前、咲弥はラルカフの腕を、かろうじて黒い手で掴んだ。そのまま力の流れには逆らわず、後ろへと素早く飛び退いた。
謎だった杭での訓練の意味を、このとき初めて理解する。
体感が恐ろしいぐらい鍛えられていた。
少々のことでは、まるで崩れなくなっている。
「師匠。僕の勝ちです」
「ぐっ……」
咲弥は言いながらに、白い爪でラルカフを裂いた。
オドを裂かれ、ラルカフが纏っていた雷も消える。
そのままラルカフは、ぱたりと地に伏した。
「はあ……はあ……」
ラルカフと出会った頃から、明らかな成長をしていた。
血の滲む訓練が、実を結んでいると強く実感する。
声にならない喜びを上げ、咲弥は拳を硬くした。
ふと、異変を察知する。
地に伏したまま、ラルカフが動かない。
オドが消滅するまでは、引き裂いていないはずであった。だが、よく考えてもみれば、ラルカフはかなりの高齢だ。
咲弥はじわじわと恐怖を覚え、素早くラルカフに寄る。
「し、師匠……? 師匠!」
「雷の紋章第四節、雷王の右手」
瞬時に金色の紋様が浮かぶや、詠唱が飛ぶ。
膝に手を置かれた直後、バチバチッと放電の音が轟いた。
咲弥は凄まじい電撃を浴びせられる。
「あじゃばじゃじゃばゃあ――っ!」
そのまま仰向けに倒れ、残る電流に体をビクつかせる。
ラルカフが上から、覗き込んできた。
「まったく……こんな古典的な騙し討ちをくらいおって」
「ひ、ひきょ……ひきょおです。しそぉー……」
「ばかたれ! 魔物にですら、死んだふりをするのもおる。完全に息の根を止めるまで、気を緩めるんじゃないわい!」
ラルカフは重いため息を漏らした。
ずるく思ったが、しかし正しい言葉だとも思える。
もし魔物や悪人であれば、大惨事に至っていた。
咲弥は認識の甘さを戒める。
「ほれ、さっさと起きんかい。このまま何度も、対人訓練を続けるぞ。気の緩みそうなとこは、全部突いてくからの!」
ラルカフの発言を聞き、咲弥はぬか喜びしていたと知る。おそらくは、わざとこちらの攻撃を受けたに違いない。
悔しさが半分、残りの半分はため息に変わるものだった。
咲弥は、ゆっくりと立ち上がる。
「は、はい……よろしくお願いします」
そうして、ラルカフの修行が始まってから――
あっという間に、一か月以上の時が流れたのだ。




