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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第三章 訪れる邂逅
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第四話 孤児院でのひととき




 ネイの故郷にある孤児院は、町の少し外れに建っていた。

 付近には、畑や果樹園がある。そこでは子供達の姿も多く見られ、どうやら学びの一環(いっかん)として育てさせているらしい。


 木造の孤児院は少し古ぼけていたが、妙に落ち着きのある雰囲気が漂い、どこか安心感を覚えさせる景観をしている。

 そんな孤児院の玄関口で、一人の老婆(ろうば)が出迎えてくれた。


「ネイ。シェリア。おかえりなさい。そして、初めまして。私はこの孤児院の総責任者、マルガレット・スティゴア――みんなからは、マザーと呼ばれているわ」


 とても(おだ)やかな声を(つむ)ぎ、マザーはにっこりと微笑んだ。

 細身のマザーは、妙に落ち着く気配を(まと)っている。とても居心地がよく、それこそ母親のような安心感に満ちていた。

 そんな感想を抱きつつ、咲弥は深く頭を下げる。


「初めまして、咲弥です。しばらく、お世話になります」

「紅羽です」


 淡々とした口調で、紅羽は簡潔(かんけつ)に名前だけを告げた。

 ネイは大きく笑い、気さくに喋る。


「ただいま。マザー。お土産(みやげ)をたっぷりと持ってきたから、みんなに分けてあげて。たぶん人数分はちゃんとあるはず」

「あなたが友人を連れてくるだなんて、また成長したのね」

「私は日々、成長しかしてませぇん」


 両手を後頭部に置き、ネイはすたすたと孤児院に入った。

 ネイの隣に、シェリアが並ぶ。


「中身は、子供の頃のままじゃない」

「はあ? 節穴(ふしあな)? 大人の色気が出まくってるわよ」

「大人の色気? ああ、妄想の中のあんたの話ね」

「あんたがお子様過ぎて、ちょっとわかんないかぁ」

「はあ? ばか? 私のほうが、女としてなら経験豊富よ」

「へえ、そうかいそうかい」


 まだ言い合いを続ける二人を、苦笑まじりに見送った。

 ふと、マザーのため息が聞こえる。


「本当……どちらも、子供の頃のままね……」


 マザーは呆れ顔をしてから、咲弥のほうを振り返った。


「王都からの長旅で、疲れたでしょう? あなた達の部屋も用意しているから、ゆっくり(くつろ)いでちょうだいね」

「わざわざすみません。ありがとうございます」

「それじゃあ、案内するわ」


 マザーの後ろを、咲弥は紅羽と一緒についていく。

 施設内では木の香りのほか、甘い匂いが漂っている。


「そうそう。今、果実を使ったお菓子を作っているの。もしお腹が空いているなら、あなた達もあとでどうかしら?」


 おそらくそのお菓子は、子供達のために作られている。

 咲弥は申し訳ない気持ちを込め、マザーに問い返した。


「僕達も、食べてしまっていいんですか?」

「ネイから連絡を受けて、ちゃんと多めに作ったから」

「ああ……すみません。お言葉に甘えて、いただきます」

「遠慮なんかしなくてもいいのよ。若いんだから」


 マザーは肩越しに、柔らかな微笑みを見せた。

 本当に遠慮しないわけにもいかない。

 半分は社交辞令として受け取り、愛想(あいそ)笑いをした。


「ところで、あなた達は町の噂を聞いて来たの?」


 町の噂など聞いた記憶がない。

 咲弥は小首を(かし)げる。


「噂……ですか?」

「あらやだ。ごめんなさい。違うのね」

「ネイさんからは、休息がてらにと言われましたので」

「そう」


 それ以上は語られず、何か妙にもやもやする。

 咲弥は、もう少し突っ込んで()いてみた。


「噂って、どんな噂なんですか?」

「最近、町のほうで――失踪事件が起こっているらしくて。心配したから、あの子が帰ってきたんじゃないかな、とね」

「失踪事件ですか……なんだか、物騒ですね」

「ここ最近は、各地でも妙な事件が起こっているらしいわ。できればあの子には、冒険者をやめてほしいんだけれども」


 ふと、シェリアの言葉を思いだした。

 マザーは冒険者に、あまりいい印象を持っていない。

 失言に気づいたのか、マザーが言葉を取り(つくろ)った。


「ごめんなさいね……別にあなた達冒険者を、否定しているわけじゃないの。ただ親心としては、あの子に危ない真似はしてほしくない……それだけの話なのよ」


 冒険者は、魔物の巣に飛び込むことも珍しくはない。

 内情を知っていれば、それが普通の感覚だとも思える。

 肩越しに見えるマザーの笑顔は、どこか寂しげであった。


「まあ、あの子が冒険者として、人生を楽しんでいるのなら……あまり小うるさくは、言えないのだけれどもね。それにあの子のお(かげ)で、この孤児院が(うるお)っている事実もあるから、余計に、ね?」


 マザーの心情を察し、咲弥は言葉を選んで伝える。


「保護者としては、それが当然の考えだと思います。でも、ネイさんは本当に、毎日とても楽しそうに過ごしています」

「そう。それを聞けただけでも、ちょっと安心したわ」


 二階に上がった先にある扉の前で、マザーは立ち止まる。


「ここが咲弥さんの部屋で、左隣が紅羽さんの部屋よ」


 扉が開かれると、中はかなり綺麗に清掃されていた。

 王都にある冒険者専用施設と、なんら遜色(そんしょく)がない。


「わあ、凄くいい部屋ですね。ありがとうございます」

「ゆっくり寛いでね」

「はい! あっ、もし何か、お手伝いできることがあれば、おっしゃってください。お世話になるお礼に、できることはなんでもしますから」


 マザーは少し、呆気に取られたような顔をした。

 しかしすぐに、いつもの朗らかな微笑みに変わる。


「ふふっ。別に気を遣わなくてもいいのよ」

「いいえ。僕自身が、そうした性分ですから。これまでも、お世話になった方々のお手伝いをしていました。ですから、僕にできることであれば、なんでもします」

「そう? それじゃあ、いろいろお願いしちゃおうかしら」

「はい。なんでも遠慮なく言ってください」


 顔は微笑んではいるが、マザーの感情は複雑そうだった。

 (なつ)かしさか、あるいは寂しさか――そのどちらとも取れる色が、マザーの茶色い瞳には宿っているような気がした。


「マザーさん。どうかしましたか?」

「いいえ。少し、昔を思い出しただけ……」


 マザーは首を横に振り、小さなため息を漏らした。


「お菓子ができたら、また呼びに来るわね」

「はい。わかりました」


 マザーを見送ったあと、咲弥は紅羽を向いた。


「それじゃあ、ちょっと部屋で(くつろ)いどこうか」

「了解しました」


 咲弥は部屋に入り、自分の荷物を椅子にかけておいた。

 早速ベッドに寝ころび、少しぼんやりとする。

 本来こうした時間は、通信機で情報を(あさ)っているのだが、それができないように、今はネイに取り上げられていた。


 何もすることがないのは、案外つらい状態でもある。

 お菓子作りの見学をしようと思い、咲弥は立ち上がった。

 そのとき、ノック音が響く。


「はい?」


 さっとドアに駆け寄り、咲弥は静かに開いた。

 紅羽かと思ったが、そこには意外な人物がいる


「あ、シェリアさん。どうしたんですか?」

「んふふぅん……」


 奇妙な笑みを浮かべ、さっと咲弥の部屋に入ってきた。

 両手を後ろに回しており、何か持っている気配がある。


「ねえねえ。ちょっと、手伝ってほしいんだけど?」

「古代語の話ですか?」

「そう。どうしても、わからないところがあるの。いい?」


 何もすることがないよりは、遥かにましであった。

 咲弥は苦笑まじりに、シェリアの願いに応える。


「僕で力になれるなら……わかりました」

「やったぁ。ありがと」


 不意に、シェリアの顔が近づいた。

 シェリアの柔らかな唇の感触が、頬を通じて伝わる。


「いっ……!」


 一気に緊張が高まり、急激に頬が熱を()びる。

 シェリアは鼻歌まじりに、上機嫌で進んだ。


 咲弥は何が起こったのか、それを考えるのに必死だった。

 唇が触れた頬を押さえ、シェリアの背を見つめる。

 背後に持っていたノートを数冊、テーブルの上に置いた。


「それじゃあ、ちょっとお願いしていい?」

「え、あ……え、は、はい……」


 内心の焦りを抑え込み、咲弥はかろうじて返事をした。

 思いがけない出来事に、心臓がはち切れそうになる。


 戸惑いながらも、咲弥は席に着く。シェリアは咲弥の(そば)で立ったまま、テーブルに手をついて前屈みの姿勢を保った。

 あまり近寄られると、緊張感がまったく(やわ)らがない。


「ど、どうぞ……シェリアさんも座ってください」

「これでいいの。それよりも……」


 シェリアが一冊のノートを広げる。

 咲弥は諦めの境地に達し、内容に目を通した。

 ぶつ切りの情報が、中にはちりばめられている。

 文字は読めても、理解まではできない部分が多い。


「あの……これって、どういう古代語なんですか?」

「とある修道遺跡から発掘された古文書(こもんじょ)でね。考古学者達の間では、なんらかの信仰を目的とした文書って見解なのよ」

「そうですか……確かに、それらしい文字がありますね」


 シェリアは身を乗り出した。

 咲弥の背に彼女の胸があたり、柔らかな感触が伝わる。

 うめきそうなのを、咲弥は必死に(こら)えた。


「どれ?」

「え、えっとですね……例えばこの文字なんですが、これは聖獣と読みます。そしてこちらが、最果ての(ほこら)……ですね」

「最果ての祠……ああ、あれのことね……聖獣……そうか。あの石像は、きっと聖獣を模して造られていたんだわ……」


 シェリアは吐息を漏らし、少し驚いた顔をしている。

 そして、また別のノートが広げられた。


「これは、どうかしら?」


 シェリアの声には、わずかな緊張が宿っている。

 咲弥は真面目に、ノートの文字に目を通した。

 シェリアが細い指で、文字の一部分を差し示す。


「特に、ここが重要だと思うの」

(天……この先から読めなくなってるな……)


 咲弥はすぐに気づき、シェリアに伝える。


「……すみませんが、読めません」

「えっ……?」


 驚くシェリアに、咲弥は落ち着いて疑問を述べる。


「あの……たぶんですが、文字を間違ってませんか?」

「嘘……そんな……」


 シェリアは、目に見えて落ち込んでいる。

 咲弥はなんとか、元気づけてあげたいと思う。


「ちょっと、ペンを借りてもいいですか?」

「え、ええ……」


 この世界での文字を学び、書く練習をしていた最中に似た事例がある。ほんの少しでも書き(そん)じてしまえば、まったく翻訳されなくなるのだ。

 その練習中、偶然にも発見した裏技みたいなものだった。


「何か、適当に書いてもいいページはありますか?」

「それなら、こっちのノートに……」

「わかりました」


 咲弥はまず、連なる古代文字をそのまま描き写した。

 このままでは当然、間違っているのだから読めない。


(間違った文字に二重線を……それから……)


 咲弥は片目を閉じてから、瞼を手のひらで覆い隠した。

 間違った文字の類似文字が、暗い闇の視界に描かれる。

 浮かんだ文字を、間違った文字と入れ替え――正しい文、または単語だった場合、意味が読み取れるようになる。


「こ、これは……」


 咲弥は自然と、眉間に力がこもる。


「なに? 何かわかったの……?」

「えっと……」


 咲弥はつい、言葉を呑み込んだ。

 読み取れた古代語から、漠然とある存在が脳裏(のうり)に浮かぶ。

 純白の翼を六つ背に(たずさ)えた――この世界へと、咲弥を放り込んだ存在だ。

 ()らされた子供のように、シェリアが距離を縮めてくる。


「なんて書いてあるの? ねえ! 教えてよ!」

「天使の(うつわ)……と、書いてあります」

「……はっ……!」


 シェリアは沈黙した。

 その顔は明らかに、何か思いあたる(ふし)があるらしい。


「そっか……そういうことだったのね……」


 シェリアはそれ以上、何も言わなかった。

 どういうことかはわからないが、力にはなれたようだ。

 しばしの静寂を経て、シェリアは大きく両手を広げる。


「凄い凄い凄い! 本当に凄い! ありがとう、咲弥!」


 シェリアに抱き締められ、恥ずかしさが込み上がる。

 柔らかな感触のすべてが、あちこちで伝わってきた。


「ちょ……」


 突然――ノックもなく扉が開かれた。


「おぉい、咲弥! おや……つ……」


 振り向いた瞬間、シェリアの唇の感触をまた頬で味わう。

 そして視線の先には、扉を開いた姿勢で固まったネイと、手を前で組んでいる紅羽が、石像のごとく立っていた。

 途端に女達の視線は重く、じっとりとした目に変化する。


「ち、ちが……」

「まぁた別の女に手を出してんのか!」

「ま、また……ご、誤解ですって!」

「何が誤解か! はっきりこの目で見てんのよ! ねえ?」


 憤怒(ふんぬ)の形相をしたネイが、紅羽のほうを向いた。

 紅羽はこくりと(うなず)く。


「はい。目撃しました」

「い、いや……ちょっと、お手伝いしただけで……」


 ネイが大袈裟(おおげさ)なため息を吐いた。

 シェリアがくすりと笑う。


「ふふっ。取っ、ちゃっ、た」

「あんたね、あげないっつってんでしょうが!」

「早い者勝ちなんでしょう?」

「そんなこと、一言も言ってないんだけれど?」

「私が先にとか、言ってなかったっけ?」


 ネイとシェリアが、また言い合いを始める。

 どう誤解を解けばいいのか、咲弥は激しく悩んだ。


 そのさなか――

 紅羽の重い視線が、ずっと体に突き刺さり痛かった。




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