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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第三章 訪れる邂逅
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第一話 トラウマを抱えながら




 晴れ渡る大空を、大きな飛行船が悠然(ゆうぜん)()けていく。

 船内にある座席の上で、咲弥は石像のごとく座っていた。

 しきりに浮く冷や汗が、頬を通じてぽたぽたと落ちる。


 ある一つの事実が判明した――飛行が始まった途端、心が恐怖に(むしば)まれ、心臓がしぼむような感覚に襲われたのだ。

 冒険者資格取得試験のとき、遥か上空から放り落とされた経験が、咲弥に根深いトラウマを植えつけていたらしい。


 そんな心の傷跡があるなど、自分ですら知らなかった。

 情けない話ではあるが、こればかりはどうしようもない。


 ネイが呆れながら、外が見えない客室を選んでくれた。

 わずかではあるものの、そのお(かげ)で恐怖心は薄れている。むしろ今はそれだけが、心の救いでもあった。

 無心に(つと)めていた咲弥の耳に、ネイの(つぶや)きが届く。


「……まぁた戦争かい。あの帝国も飽きないわねぇ」


 咲弥の対面にある席に腰をかけ、ネイは足を組んでいる。

 広げている新聞のほうへ、青い瞳が小刻(こきざ)みに揺れていた。

 気分をまぎらわせようと、咲弥は会話を試みる。


「て……てい、帝国、ですか?」

「そっ。力こそが正義! 力無き者に語る資格などない――というのがモットーの、ロヴァニクス帝国の記事ね」


 新聞をめくりながら、ネイは会話を続けた。


「世界地図では西側にある、大きなアレガニス大陸。そこにその帝国があるの。私達がいる大陸からは、ずいぶんと遠い大陸ね」


 また新聞を一枚めくり、ネイは足を組み直した。

 彼女の魅力的な白く細長い脚に、つい視線が向かう。


 厚着は彼女の好みではないらしく、普段から獣人に等しい薄着をしていた。そのため、非常に目のやり場に困る。

 体系も見惚(みほ)れるぐらい、女性らしさが際立(きわだ)っているのだ。

 視線を気取られる前に、咲弥は新聞に目を戻しておく。


「あそこは昔から、なにかと戦争が()えない国だけれどね。でもあまり過激になってくると……冒険者ギルドを創設した連合国が、黙ってはいられないかもね」


 飛行船とは別の意味で、じわじわとした恐怖を覚える。

 咲弥は抱いた疑問を、恐る恐る口にした。


「戦争に……冒険者が、駆り出されたりするんですか?」


 さすがに、萎縮(いしゅく)せざるを得ない心境だった。

 ただでさえ、魔物の命を奪うのにですら心を痛めている。相手が人ともなれば、まったく別次元の問題となるだろう。

 胸が絞めつけられる感覚の中、咲弥はじっと返答を待つ。


「うぅん。さすがにないんじゃないかな……連合国のどれか一つにでも戦争を仕掛ければ、ほかの国々も動くだろうし」

 ネイは困り顔をして、虚空を見上げた。

「そもそもだけれど……そういうのは騎士か、軍人や傭兵(ようへい)のお仕事でしょうよ」


 それは確かに、その通りに違いない。とはいえ、冒険者が絶対的な戦力になるのは、疑いようのない事実ではあった。

 その部分を考慮すれば、駆り出されないとは考えづらい

 咲弥が(いぶか)しんでいると、ネイがなにげない声を(つむ)いだ。


「まっ……たとえそうでも、いよいよともなれば……私達も参加しなきゃならない場合も、出てくるかもだけれどね」


 ネイの言葉の意味を、咲弥はそれとなく呑み込んだ。

 無関係ではいられない。

 そんなところまで状況が切迫(せっぱく)した場合――心臓をぎゅっと(つか)まれたような、不気味な感覚が咲弥に襲いかかった。


 咲弥は瞬間的に、ぶるりと身を震わせる。

 ネイは呆れた様子で、肩を(すく)めた。


「でも、そうなる前に、お偉いさんがどうにかするでしょ。それはそうと、アレガニス大陸には連合国が作ったギルドがないから、行くことがあれば覚悟しなよ」

「はは……は……」


 咲弥は空笑(そらわら)いが漏れたが、まったく笑えない話ではある。

 仮に邪悪な神がそこにいた場合、行かざるを得ないのだ。

 空白の領域にしろ、アレガニス大陸にしろ、頭の痛くなる場所がとても多い。


 咲弥は不意に、とんとした重みを右肩に感じた。

 紅羽がもたれかかったらしく、咲弥はぎょっとする。

 耳を()ませば、小さな寝息が聞こえてきた。

 かなり珍しい状況に、咲弥は静かに戸惑う。


「あんたさぁ……」


 ネイが新聞を顔の前に置き、上から覗き込んできていた。

 妙な振る舞いに、咲弥は困惑する。


「ちょっと、無理させ過ぎなんじゃない?」

「え?」

「紅羽。四六時中、気を張り続けてんのよ。まさか気づいてなかったわけ?」


 ネイの言葉の意味が、よく呑み込めない。

 咲弥が首を(ひね)ると、ネイが短いため息をついた。


「呆れるわね……人にぶつかりそうになったときも、魔物の襲撃のときも、ずっと紅羽がきっかけで気づいてたでしょ」

「魔物の襲撃……ああ、ついこの前の話ですか?」

「ほんと、安全なときでもずっと気を張って、周囲の状況を事細(ことこま)かに探り続けてんの。そりゃ疲れも溜まるってもんよ」


 咲弥は、はっと気づかされる。

 ネイは苦い顔をして、小首を(かし)げた。


「まあ、その子が好きでやってることだから、あまり口出しすべきじゃないのかもだけど、もっと気にかけてあげなよ」

「……はい。そうですね」

「でもまあ、(ねぎら)ってはいるみたいだから、少し安心したわ」

「え?」

「その可愛い髪飾り、あんたがあげたんじゃないの?」


 いつの間に話していたのか、ふと紅羽の髪飾りを見る。

 集合したときは、自分が先にネイといたはずであった。


「いつ、紅羽から聞いたんですか?」

「ばか? 見りゃわかるわよ。機能と性能を重視する子が、そんな可愛らしい装飾品、選ぶわけがないじゃない。誰かがプレゼントしたって、普通は考えるでしょ」

「いや、これ……案外、性能いいんですよ? オドの回復を早める一品ですから」

「そうなの? それは……機能と性能が結構いいわね」


 紅羽に配慮してか、ネイは(ひか)えめに笑った。


「まあでも、あんたがプレゼントしたんでしょ?」

「はい……いつもお世話になってるお礼にと、渡しました」

「仲間の体調を考えるのも、冒険者としては当然の義務よ。これを()にしっかり覚えて、もっと気遣(きづか)ってあげなさい」

「そうですね。わかりました」

「あんたさ、優しいところは優しいけど、抜けてるところは抜けてんのよね」


 咲弥は苦笑する。

 言われなければ気づけないことが、本当にたくさんある。

 この世界に来て間もない頃から、体力や精神を削ることがあたりまえ過ぎて、きっと変に慣れてしまったのだと思う。


 だから情報収集のため、町に繰り出す程度ならば、それは休憩や休日と変わらない。今まで本気で、そう考えていた。

 しかし紅羽は、そのさなかもずっと――魔物がいる場所と同じくらい、周囲に気を張り巡らせ続けていたに違いない。


 ネイの指摘通り、配慮が欠けていたと自身を(いまし)める。

 自省していると、ネイがぼそっと(つぶや)くように()いた。


「ところでさ、私には?」

「へっ?」

「私も、その〝お世話になってる〟仲間のはずだけれど?」

「あ、いや……あのぅ……実は……そのぅ……」


 咲弥は言葉を(にご)す。

 ネイがすっと目を細め、青い瞳で(にら)んできた。


「なによ?」

「実はこれ、もの凄く高かったんです……ほんと……」

「ふぅん……で?」

「も、もう少し、お金が貯まってからってことで……?」

「……やれやれ……」


 ネイは不満げなため息をつき、新聞のほうへ視線が戻る。

 咲弥は苦笑で、場をもたせた。

 ふと、ネイと出会った頃の記憶がよみがえる。


 あの頃のネイは、お金のことばかり口にしていた。自分が冒険者になってみれば、当然といった感想を持つほかない。

 何をするにもお金が必要で、仕事に使う道具一式のほか、移動費から生活費と、本当になんでもお金が飛んでいく。


 ネイの場合、そこから孤児院に仕送りまでしている。

 それに比べれば、咲弥はまだましなほうではあった。()た利益の大半を、そのまま自分のために使えるからだ。


(そのためには、まあ……いろいろ考えなきゃだったけど)


 依頼の請負(うけおい)は、基本的には移動費を負担してくれるものを選んでいる。

 むろん、そんな依頼は報酬がかなり低くなる。

 だから複数の依頼を同時に()けたり、または魔物を狩って素材の入手をしたりして、着実に利益を生み出すしかない。


 世界は本当に、上手く回っている――

 冒険者になってから、咲弥はそれがよくわかった。


「ふぅ……」


 ため息をつくなり、途端に飛行船が大きく揺れた。

 咲弥の肩が、瞬間的に震える。

 その振動が、どうやら紅羽へと伝わってしまったようだ。


「……んぅ……」

「あ、ご、ごめん。起こしちゃったね」

「すみません。眠ってしまいました」

「もう少し、寝てていいよ」


 紅羽は姿勢を正して、静かに深呼吸した。

 眠る気はない様子に、咲弥は申し訳ない気持ちになる。

 突然――サイレンの音が数回だけ響いた。

 何事かと思い、咲弥に緊張が走る。


「あら……珍しいわね。しかも、そろそろ頃合いかぁ……」


 ネイは落ち着いた様子で、そう(つぶや)いた。

 新聞を折りたたみ、鞄の中へとしまいながら()いてくる。


「ところで、あんた。飛行船がまだ怖いわけ?」


 当初に比べれば、ましにはなっている。

 たださきほどの揺れで、恐怖がよみがえった。


「そ、そうですね……」

「ふぅん……まっ。ちょっとついておいで」


 ネイはそう言ってから腰を上げ、小さな荷物を(かつ)いだ。

 紅羽も立ち上がり、咲弥は渋々と席を立つ。

 パンパンになったネイの鞄を、咲弥は背負った。


 休息だと言っていたが、単純に荷物持ちだと思える。

 重い気分を抱えたまま、ネイの後ろを歩いた。

 ほかの乗客達も、なぜか同じ方向を進んでいる。


(あれ……もしかして……)


 階段を上がり、甲板(かんぱん)へと向かっているらしい。

 その推測が、胸にある恐怖を一層大きくする。


 開いている扉から、強い風が流れ込んできた。

 なんの説明もなく、唐突(とうとつ)に飛行船から振り落とされた――そのときの光景が、咲弥の脳裏にフラッシュバックする。


(ひぃいいぃ……)


 心の中で悲鳴を上げ、咲弥の足はがくがくと震え上がる。

 その状態を見てか、ネイが半目になって(にら)んできた。


「いいものを見せてあげるから、我慢しなさい」

「いや、あの……頭ではわかってるんですが……その……」


 ネイはため息をついてから、咲弥の手を握ってきた。

 やや冷えたネイの手のひらの感触を受け、別の意味からも鼓動が速まる。

 咲弥の手のひらは、ひどく汗ばんでいた。

 気持ち悪がられないか、そちらにも気が向く。


「こうすれば落ちないから、大丈夫でしょ?」

「あ、あの……僕、汗ばんでます」

「だからなによ。早く行くわよ」


 ネイは気にしてないのか、ぐいぐいと引っ張ってくる。

 なかば引きずられるようにして、咲弥は甲板に出た。

 現在、飛行船は停滞ではなく飛行している。しかし多少の風は感じるものの、別に体が持っていかれるほどではない。


 飛行船の先端のほうに、大きな玉みたいな物がある。

 そこから緑色をした帯が、飛行船に沿って放たれていた。


「なんでしょう、あれ……」

「ん……? ああ、風の流れをコントロールする紋章機(もんしょうき)よ。あれがないと、大抵の人は風に吹き飛ばされちゃうからね。私はまったく平気だけれど」


 よくよく考えてもみれば、ネイは風の使い手であった。

 もし吹き飛ばされても、平然と着地できるに違いない。

 乗客だと思われる者達が、ところどころにある縄を(つか)み、じっと固まっていた。何をしているのか、見当もつかない。


(うわっ……)


 時折、強い風を浴び、試験官の放った紋章術を思いだす。暴風に巻き上げられ、遥か上空から島へと落とされたのだ。


「んぅ……いい風ねぇ」


 ネイは草原にでもいるように、風の流れを楽しんでいた。


「中央のほうが、すいてるわね。さあ、行こうか」

「は、はい……」


 ネイに引きずられつつ、咲弥達は甲板の中央まで進んだ。

 そこには、縄が巻きついた大きな柱がある。


「あんた達、この紐をしっかり(つか)んでなさい」


 理由はわからないが、咲弥と紅羽は柱にある紐を掴んだ。

 ネイがすたすたと、端のほうへ歩み寄る。


「おっ? 見えた見えた。間に合ったみたいね」


 ネイの方角へ目を向けるが、咲弥からは何も見えない。

 飛行船の一部が、視界の邪魔をしている。

 ネイが颯爽(さっそう)と戻ってきた。


「いい? しっかり掴んでなさいよ」

「は、はい!」


 言われずとも、離せるはずがない。

 咲弥は縄をしっかりと握り直した。

 その瞬間――


(……えっ……?)


 トラウマすらも完全に忘れ去り、咲弥は言葉を失う。

 飛行船と並んだのは、長い蛇――龍が姿を現したからだ。

 金色の瞳をした龍は、岩を連想させる翡翠色(ひすいいろ)(うろこ)を持ち、口には鋭い牙がいくつも()き出している。まるで蛇が地面を()うように、悠々(ゆうゆう)と空を泳ぎ進んでいた。


 飛行船かそれ以上に大きく、もし体当たりでもされたら、間違いなく墜落(ついらく)するだろう。その想像が、咲弥に不意の死を連想させる。

 同じ縄を(つか)んでいるネイが、大きな声を飛ばした。


「風神龍ヴァルジア――分類上は魔物じゃなく神獣の一種。こちらから何もしなければ、人は襲わない。護神龍としても(あが)められてんのよ」


 風神龍のせいか、風がかなり乱れている。

 ネイの張った声が、かろうじて聞き取れるぐらいだった。


 風神龍は飛行船を追い越し、どこかへと飛び去っていく。

 現実離れした存在との遭遇に――

 咲弥はただただ、唖然となるほかなかったのだ。




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