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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第二章 冒険者への軌跡
83/222

最終話 一歩ずつ前へ




 クロエの願いが叶ってから、一週間の時が流れた。

 咲弥の意識が、不意の覚醒へと向かう。ゆっくり重い(まぶた)を持ち上げ、また新たな一日の始まりを迎え入れるのだ。

 窓から差し込む陽光が、やけに眩しい。


 次第に目も慣れ、自室の光景が視界に広がった。上半身をさっと起こしてから、ベッドの上で大きく背伸びをする。

 それから手早く身支度を整え、外出の準備をした。


 玄関のほうから、コンコンコンとノック音が鳴る。

 おそらくは、銀髪の少女に違いない。

 咲弥は机の上にある時計に、ふと目を向けた。


(あれ……?)


 時刻はまだ、六時半過ぎを指している。

 今日はいつもより、少しばかり早いらしい。

 これまでは、きっかり七時に訪れていたからだ。


「はぁい!」


 咲弥は大きく返事をして、玄関口へと進む。

 朝の挨拶をするために、咲弥はドアを開いた。

 そして――咲弥の思考は停止する。


「おはよう。アニキ」


 黒髪の美女クロエが、(つや)やかな声で挨拶をしてきた。

 かなり扇情的(せんじょうてき)な黒いドレスに身を包んでおり、ほんの少し派手そうな白い下着が、胸元からちらりとはみ出ている。


 咲弥は慌てて視線を上へと()らし、すぐにまた停止した。彼女の白い肌をした胸元には、紅真珠のネックレスがある。

 あの一件以来、ずっと身に着けているのだろう。

 つい茫然(ぼうぜん)と見つめてしまい、咲弥ははっと我に返った。


「ク、クロエさん? どうしたんですか」


 クロエはただ満面の笑みを浮かべ、何も言葉を発さない。

 咲弥は小首を(かし)げ、クロエの目をじっと見つめた。


 後ろのほうで両手を組んでいるクロエは、ふふっと不敵に笑いながら、ぐいぐいと咲弥のほうへ詰め寄ってくる。

 部屋に入るのだと気づき、咲弥は自然と後退した。

 部屋のドアが、ばたりと自然に締まる。


「あ、あの……どうしたんですか?」

「私ね。今日、この大陸を離れるの」

「え?」


 あまりにも突然過ぎる話に、咲弥は驚いた。

 クロエは咲弥のほうを向いたまま、後ろに回り込んだ。

 そのまま窓のほうまで後退して、明るい笑顔を見せる。


「その前に、アニキとアネキにはお礼が言いたくて」

「お礼だなんて……僕はそんな、別に……」


 クロエは首を横に振る。


「アニキがいてくれたから、私は前に進むことができた……だから、ありがとう」


 クロエの笑顔は、とても澄み切っていた。

 そんなクロエに(うなず)いて応え、咲弥は疑問を述べる。


「それにしても、今日とはずいぶん急ですね」

「前々から、話は来てたんだけどね……でも……」


 クロエは長く綺麗な指で、紅真珠のネックレスに触れた。


「気持ちの整理がつかなかったから、ずっと断っていたの」


 事情を察した咲弥は、それ以上は何も問えなかった。

 クロエは優しく微笑んだ。


「これから、私は……新しい自分で明日を迎えられる」

「はい。どこに行っても、頑張ってくださいね」

「たまにお手紙書くから、ちゃんと返事してね?」


 文字はそれなりに書けるようになったが、まだまだ(つたな)い。

 上手く返事ができるか、ほんの少しだけ心配ではあった。

 ただチェリッシュにしてもだが、書く訓練にはなる。


「書くのは苦手ですが、ちゃんと返事はします」

「約束ね」

「はい」


 咲弥はこくりと(うなず)いた。

 クロエは、ずっと後ろに回していた左手を前に出した。

 その手にはなにやら、見覚えのある物を持っている。


「これ、新しいやつなの。アニキにあげるわ」


 差し出された物から、咲弥はすぐ視線を()らす。

 どうやら、クロエが表紙を飾った雑誌の様子だった。


 本人を前にして、凝視できるはずもない。

 ロイから貰ったときとは違い、さらにきわどい格好をしていたような気がする。


「今度は、ちゃんと中も見てね?」

「あ、ああ、あ、ありがとうございます」


 どぎまぎしてしまい、咲弥はどもりながらお礼を告げた。

 雑誌を受け取るなり、クロエは(ほが)らかに微笑む。


「本当に、ありがとう。どこへ行っても、私……頑張れる」


 クロエの声は、途中から少し震えていた。

 彼女の心情は、咲弥には想像しかできない。おそらくは、大陸から離れることに、恐怖や不安を感じているようだ。


 その気持ちであれば、咲弥には痛いほど理解ができる。

 この世界を訪れた当初は、咲弥もそうだったからだ。

 (はげ)ます意味を込め、咲弥は言葉を送る。


「大丈夫です。何かあれば、またいつでも言ってください。形上ではありますが……僕は、みんなのアニキですから」

「うん。ありがとう」


 お礼を告げるなり、クロエが急接近してくる。

 ぎょっとする咲弥の耳の隣に、クロエが顔を近づけた。

 大人の香りが漂う中、クロエが耳打ちしてくる。


「あのね、アニキ――」

「おおぉい! 咲弥、起きてっかぁ?」


 唐突(とうとつ)にドアが開かれ、ネイの元気な声が響き渡る。

 咲弥は全身が大きく震え、とっさに雑誌を背後に隠した。


 ネイの隣には紅羽のほか、ゼイドの姿もある。

 紅羽以外の二人は、唖然とした顔で硬直していた。

 紅羽は無表情のまま、両手を前のほうで組んでいる。


「え、あ、いや……その……」

「な、な――」


 ネイはどもってから、声を張った。


「なぁに女を連れ込んでんじゃい!」

「いや、違うんですって! 誤解なんです!」

「何が誤解か! こっちは目撃者なのよ!」


 ネイの怒号(どごう)に、咲弥は後ずさりながら説明する。


「この前のお礼に、来てくれただけですよ!」

「ふむ。お礼が美女からの抱擁(ほうよう)か……悪くねぇな」


 ゼイドが(あご)をさすり、虚空を見つめながら言った。

 咲弥はぎょっとする。


「いやいや! そんなことされてませんから!」


 確かに見ようによっては、そう見える可能性もある。

 だからそう勘違いされても、おかしくはない。


 咲弥は助けを求めるように、クロエを見た。

 だがそれは、失敗に終わるだろうと予感する。

 クロエはもじもじと、恥じらいの姿勢を見せたからだ。


「アニキってば、結構……情熱的だった」

「クロエさんっ? この人達、冗談通じませんからねっ?」


 咲弥は必死に訂正を試みた。

 ネイがでかいため息をはいた。


「あんたも結局、あの色ボケ元無職と同じってわけ、か」

「えぇえ……いや、ほんと……ただの誤解ですって……」


 クロエはくすくすと笑い、ネイ達のほうへ歩み寄った。


「ちょうどよかったわ。あなた達も、ありがとう。私ね……大陸を離れるの」

「そっ。まあ、そんなたいした問題じゃないわよ」

「冒険者は、みんなそうなのかな?」

「大陸間を渡るなんて、上を目指すなら当然だもの」


 ネイとの応答を経て、クロエは鷹揚(おうよう)(うなず)いた。


「少し不安だったけれど……それを聞いて、安心したわ」

「何するかわかんないけど、どこへ行っても頑張りなよ」

「ええ」


 ネイとの会話が終わるや、クロエは紅羽に歩み寄った。


「アネキ」

「はい?」


 クロエはそっと、紅羽に耳打ちした。

 何を言ったのかは、まったく聞き取れない。


「それじゃあ」

「はい」


 特に変化を見せず、紅羽は無表情のまま応えていた。

 いったい何を言われたのか、不安で仕方がない。

 クロエが微笑みながら咲弥のほうを振り返り、小さく手を振ってから去った。


 どたばたとした別れになったが、これが最後の別れというわけでもない。

 少し寂しく思いつつも、今はそんな場合でもなかった。

 ネイが呆れ声で(つぶや)く。


「はぁあ。一緒に朝食でもと思ったのに……」

「いや、本当……ただの誤解ですってば」

「白か黒か、どっち?」


 ネイの問いの意図が、咲弥にはよくわからなかった。

 ゼイドが軽く笑い、問いに答えた。


「黒だな」

「黒です」


 紅羽が続き、そう答えた。

 ぼんやりと、ネイの問いの正体が見えてくる。


「いやいや! 真っ白ですから!」

「しっかり見てんじゃない。この変態め」


 ネイの指摘に、咲弥はぎょっとする。

 てっきり白か黒か――善悪の話だと勘違いしていた。


「い、いや! 違うんです! たまたま、ちょっと隙間から見えただけで……」


 咲弥は言ってから、ようやくネイの罠だったと理解する。

 ネイは両手を広げ、肩を(すく)めた。


「語るに落ちたわね」


 ゼイドが大笑いする。

 ネイと紅羽の視線が、とても痛い。

 咲弥は少しうな()れ、声を絞り出した。


「はぁ……ほんと、勘弁(かんべん)してくださいよ」

「さぁってと、変態はほうっておいて、飯でも行きますか」


 ネイは言葉を投げ捨て、歩きだした。


「それじゃあ、先に行ってるぜ。早く来いよ」

「先に行き、朝食のご用意をしておきます」


 ゼイドと紅羽は、二人並んでネイのほうを進んだ。

 朝から疲労が溜まり、咲弥は深いため息をつく。


 ふと、とっさに隠した贈り物に目を向ける。

 いやらしさを()み殺し――とても眩しい笑顔をした彼女の胸元には、紅真珠のネックレスも一緒になって写っていた。


(どこへ行っても、頑張ってください)


 表紙にいるクロエに、咲弥はそう心の中で言葉を送った。

 そして――その日の朝食は、ネイにずっとからかわれる。

 ただただ、苦笑で誤魔化し続けるほかなかった。






 時刻はもう、正午を過ぎたあたりの頃――

 本日も変わらず、スラムは(よど)んだ空気に満ち溢れている。

 咲弥は紅羽と一緒に、隠れ家のほうを訪れていた。


「その情報なら知っているわ。今朝方に来たからね」


 桃色髪の情報屋、プリムはそっけない態度で続けた。


「ついでに、報酬の六〇万も持ってきたわよ」

「そっか。六〇万もあれば、しばらくは大丈夫そうだね」

「なぁに言ってんのよ」


 咲弥の言葉を聞き、プリムは呆れたしぐさを見せた。


「今回、あちこちで情報を(つか)むのに加え、無線機や盗聴器に衣装。いったい、いくらかかったと思っているわけ?」

「あっ……」

「私の手元に残ったのは、一〇〇〇にも満たない程度なの」

「えぇえ……」


 入手した情報は、おそらく一つや二つ程度では済まない。しかも相手は、王都でも屈指の富豪の片腕であり、裏組織の首領でもあるライカムだったのだ。

 だからきっと、情報代が大半を()めているに違いない。

 咲弥は納得すると同時に、不意の推測が立った。


「あれ? ということは、最初からそのつもりで……?」

「ええ。アニキなら、絶対に首を突っ込むと思ったからね。あのときにそう判断したから、クロエにはかかる必要経費を提示したってわけ」


 そこまで頭が回っていたなど、考えすらもしなかった。

 プリムは不敵に笑う。


「まあでも……ネイと賊の出現はさすがに予想外だったし、ライカムがクロエのバックにつくとは、微塵(みじん)も思わなかった――もっと吹っかけても、よかったかもね」


 口ではそう言っているが、おそらくそんな気はない。

 仲間想いのプリムのことが、徐々にわかってきた。

 咲弥は苦笑してから、プリムに封筒を差し出す。


「それじゃあ、これを受け取って」

「なぁに? これ」

「この前と、今回の分の情報代だよ」

「別に、いらないわよ」


 プリムはそっぽを向く。

 咲弥はプリムの手を取り、無理矢理に手渡した。


「僕は確かに、形上だけのアニキ。それでも、ここの子達が少しでも楽になれるなら、できる限りの協力はしたいんだ」 


 声のない威嚇(いかく)をしてくるプリムから、咲弥は手を離した。


「そんなに多くはないから、あれだけどね」

「はあ……わかった。じゃあ、ありがたくいただいとくわ」

「うん」


 プリムはため息をつき、気を取り直した姿勢を見せる。


「じゃあ、今日は冒険者の成り立ちでも語ろうか? きっとアニキには、空想上の物語に聞こえるかもしれないけれど」


 その言葉を聞き、咲弥はふと考える。


「……そういえば、僕……冒険者になれたはずなのに、今はただの、なんでも屋みたいな感じなんだなぁ……」

「それは仕方がないわ。アネキみたいに飛び級で中級にでもなっていれば、もう少し事情は変わっていたかもだけどね」


 こればかりは、どうしようもない。

 今はコツコツと地道に、頑張るほかないのだ。

 焦ったところで、いい結果は生まない気がする。


「うん。そうだね。一歩ずつ前へ、進んで行くしかないね」

「ただ、今回の一件での咲弥様では、不安しかありません。今回は運よく間に合いましたが、ネイの言葉通り――練度(れんど)を高めていただかねば、ただのお荷物です」


 不意に紅羽が、胸に突き刺さる言葉を放った。

 神々しいほど可愛い顔をして、言うことがきつい。

 それは確かに、まっとうな指摘でもある。


「アニキ、対人だと腑抜(ふぬ)けになる呪いでも受けてんの?」


 プリムの追撃に、咲弥は苦笑する。

 二人の発言通り、深刻な問題なのかもしれない。

 みんながみんな、いい人だとは限らないからだ。

 それは王都を訪れてから、()()()()よくわかっている。


 とはいえ、平穏な国で生まれ育ってきた咲弥からすれば、どうしてもその(から)だけは破れない。人を殺してしまうほどの戦いなど――あってはならないのだ。

 平和を望む反面、それが無理だとしっかり理解している。

 それでも――


「うん。頑張るしか、僕にはないんだ……」


 目的のためには、きっと()けては通れない道もある。

 そのときに何ができるか、どう対処するのか――

 頭の中でだけでも、想像しておく必要はあるに違いない。


「一歩ずつ、私も力になります」


 そう言ってくれた紅羽に、咲弥は微笑みを作った。


「ありがとう。紅羽」

「はい」


 紅羽は突然、柔らかく微笑んだ。

 言葉にはできない美しさに、咲弥の心臓は鼓動を速める。


「それじゃあ、そろそろお勉強会を始めましょうか」


 プリムは言いながら、黒板を振り返った。

 咲弥は見てないとわかりながらも、小さく頭を下げる。


「よろしくお願いします」


 頭を上げると、プリムは困ったように微笑んでいた。

 紅羽と一緒に、黒板の前で床に座り込む。

 プリムの話を聞きながら――


(僕はまだ……スタート地点に立ったばかりなんだ)


 この世界を訪れてから、右往左往(うおうさおう)しつつ進んできた。

 咲弥はまだ、最低限の資格を手にしたに過ぎない。

 これからも多くを学び、たくさんの経験を積んでいく。


 そうして、いつの日か――邪悪な神を討つ戦いが始まる。

 咲弥は大きな不安を胸に抱え、ただ前を向いた。


(ほかの使徒達も、こうやって頑張っているのかな……?)


 咲弥はふと、そんなことを考えた。

 自分とは違い、才能の溢れる人達が選ばれているはず――しかし最初の一歩だけは、誰もが同様であると思えた。

 みんな自分なりの一歩を、踏み出しているのだろう。


(僕だって……負けられないんだ)


 咲弥は覚悟を胸に、プリムの話をしっかり聞き始めた。

 どんな小さな欠片も、積もり重なれば山となる。

 そう信じて、咲弥は今日も情報収集に(はげ)んだ。



 おぞましいほどの悪意が育っていることに――

 咲弥は気づけるはずもなかった。




                     第二章 完





 無事、第二章の終わりを迎えられました。

 ここまでお読みいただき、本当に感謝します。


 特に蛇足らしい蛇足もありませんが……咲弥が背後に何か隠した行為は、当然それとなく、みんな勘づいています。

 気づかないふりをしてくれて、みんな優しいですね。


 そして――本来、クロエ編は書かない予定でした。

 ですが、この物語があったからこそ、第三章へ至ります。

 次回は例のアレですが、第三章もよろしくお願いします。


 あとがきもお読みいただき、ありがとうございました。

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