第三十七話 襲撃者の討伐
「いやぁ。暴れた、暴れたっと」
ネイの高笑いを聞きながら、咲弥は瓦礫から這い出た。
じんじんとした痛みが、体のあちこちから発生している。とにもかくにも、ネイとは本当に戦いづらさしかない。
ただ一方的に、咲弥はおもちゃにされただけであった。
咲弥は痛みを堪え、ネイに叫ぶ。
「ネイさん! ちょっと、やり過ぎじゃないですかっ?」
「だって暇だったんだもぉん。あまりに暇なもんだからさ、一人寂しく、風玉ぶっ放して遊んじゃってたくらいなのよ」
赤髪の後頭部に両手を回し、ネイはにっこりと微笑む。
悪びれる様子もないネイに、咲弥はつい頬が引きつる。
同時に、ふとある事実についての可能性が浮かんだ。隠し通路の出入口から漏れていた風は、設計ミスなどではなく、ネイが遊んでいたせいなのかもしれない。
隠し通路を発見できた事実としてはありがたいが、もしも推測が正しければ、苦笑がこぼれる話でもある。
それは少し、問題視されそうな行為だと思えたからだ。
ネイは小首を傾げ、なにげない声を紡ぐ。
「ところでさ」
「は、はい?」
「どうして、こんなところにいんの?」
咲弥は重いため息をつきながら、大きくうな垂れた。
「順序がおかしくないですか!」
「まあまあ、事情を話してごらんよ」
どっと疲れが押し寄せたが、咲弥は手短に事情を伝える。
それから、少しして――
聞き終えたネイが顎に指を添え、虚空をすっと見上げた。
「はぁん。母親の形見ねぇ。確かに、身につけてたかも」
「それを、クロエさんに返してあげてほしいんです」
「ふぅん……」
ネイは生返事をして、とことこと咲弥に迫ってくる。
咲弥は額を、ネイの指でつんとつつかれた。
「まったく、あんたは……そんなことばっかりね」
呆れた様子で、ネイは手を腰に置いた。
「まあ、いいわ。私から頼んでみようか?」
ネイの提案に、咲弥は驚いた。
「え? いいんですか?」
「別にそれぐらいなら、特に問題もないでしょ」
今までの頑張りはなんだったのか、咲弥は少し落ち込む。タラレバではあるものの、初めからネイに相談していれば、物事がスムーズに進んでいたかもしれない。
ネイは不敵に笑い、誇らしげに語った。
「私が中級冒険者の資格を持ってるから、避難路での待機を命じられていたの」
「そ、そうだったんですか……」
「裏を返せば、それだけ信頼されてるって証でもあるわけ。だからちょっと話を通すぐらいなら、簡単にできるわよ」
「あ、ありがとうございます!」
お礼を告げるや、咲弥はまた額をつんとネイに押された。
「でぇも。あんた達は隠れ家に帰りなさいよ。その紅真珠のネックレスは、私が受け取ってきてあげるから。じゃないと信用問題に関わんの。わかった?」
ネイの言葉を聞き、咲弥はクロエに視線を移した。
クロエは渋い顔をして、大きく一歩前に出る。
「それだけじゃ、だめなの。なぜ母の形見を持っているのか……入手経路……それも、私は本人に問いたいのよ」
「わかったわかった……それも重ねて聞いておくし、もしも必要とあれば、面会の場を設けるように提案しておくから。どこへも逃がさない。約束する」
クロエから戸惑った様子がうかがえた。
事が綺麗に運ぶなら、そのほうがいいに決まっている。
咲弥は優しい声で、クロエを諭しにかかった。
「ネイさんが言うのなら、信じても大丈夫ですよ。今日ではないかもしれませんが……会って話せるなら、確実なほうがいいです。そのほうが安全ですし」
「ええ……そうね……」
クロエは渋々ではあるが、納得してくれたようだ。
咲弥はネイを振り返った。
「それじゃあ、ネイさん」
「ええ。任せておきなさい。必ず――」
ネイの言葉を遮るように、けたたましい警報が響き渡る。
「な、なんですか?」
突然、咲弥の耳に電子的な雑音が届いた。
《アニキ、まずいことになったわ! 今現在、盗賊と思しき連中とアネキが交戦中。その仲間達が、アニキがいる建物に侵入しているみたい!》
「なっ……!」
咲弥は戦慄する。
真っ先に脳裏に浮かんだのは、紅羽の姿であった。
「紅羽……無事なのか……?」
「なに? どうしたの?」
紅羽の安否が気にかかり、ネイに答える余裕がない。
この世界の盗賊がどんなものなのか、何も知らないのだ。
咲弥の不安が増大する中、再びプリムの声が飛ぶ。
《今のところ無事。というか、アネキなら問題ないでしょ。問題は、そっちへ侵入した賊のほうだわ。気をつけて》
「あ、あれ……? 僕の声が……?」
《隠してたけど、全員に盗聴器仕込んでんの。だから普通に届いてるわよ》
いまさらに明かされた衝撃的な事実に、咲弥は絶句する。なかば無理矢理に納得すると、冷静さも自然と取り戻せた。
まずは紅羽の近況と事態を、手短にネイに伝える。
すると、ネイは険しい顔つきをした。
「それはさすがに、いろいろと――」
ネイは不自然な場所で、言葉を止めた。
わけを訊かずとも、咲弥はすぐ理解に達する。
咲弥達が通って来た長い通路の先――そこから気味の悪いぬめりのある気配が、じわりじわりと滲んでいるからだ。
「ひとぉつ……ふたぁつ……みぃっつ」
両手足が異常に長い男が、暗がりからぬっと現れる。
かなり高身長の男は、恐ろしいぐらい猫背をしていた。
男は両手に太い棍棒を持ち、ゆっくりと歩み寄ってくる。
ネイは呆れ気味の吐息をつき、男に問いかけた。
「あんたが、賊の一味?」
「ふぇっふぇっふぇっふぇっ」
「一応、聞いておくけれど、ここには何のご用?」
「みぃ、なぁ、ごぉ、ろぉ、しぃ」
口調や声に加え、その見た目からひどく不気味に思えた。
ネイは物怖じもせず、いつも通りの姿勢で応じ始める。
「やれやれ……こぉ、まぁっ、たぁ、ぞぉ?」
相手の口調を真似て、ネイが煽った。
しわくちゃになるぐらい、男の顔に険がこもる。
ネイは肩を回しながら、男のほうへ少し向かい歩いた。
「ほんじゃま、さくっと処理しますかぁ。手伝ってね?」
「え? あ、はい!」
咲弥は流されるように了承した。
正直、魔物とは違い、人が相手では戦いづらい。
通常の籠手では威力はさほどだが、解放した途端に相手を殺しかねない威力が出る。このアンバランス過ぎる武器が、人との戦いを忌避させる要因となっていた。
咲弥は緊張感を抱きつつ、まずはクロエの身を案じる。
「クロエさん、少しのあい――あ、あれ?」
気がつくと、クロエの姿はどこにもない。
ふと奥のほうで、走り去っていくクロエを発見する。
「ちょ、クロ――」
「ほっときなさい! 今は、こっち! 疾風の舞」
固有能力を発動するネイの奥で、男が向かってきていた。
何から何まで、問題ばかりが起こる。
クロエを追うにしても、まずは賊の対処が先決であった。ネイ一人を置き去りにして、場を任せるわけにもいかない。
オドを少量流し込み、黒白の籠手を獣の手へと解放する。
即座に戦闘態勢を整えるや、ネイが先陣を切った。
華麗に宙を舞い、若草色の紋様を浮かべる。
「風の紋章第二節、妖精の輪舞」
男の体が、激しい風に捕らわれた。
咲弥は隙を逃さず、白い手を大きく振り上げる。
ネイの紋章術もろとも、男の体を縦に深く引っかいた。
「うぉ、おぉおおお……」
途端に体内のオドを奪われ、賊は驚倒している。
間髪を入れず、威力を抑えた黒い拳で男の腹を打つ。
うめき苦しむ男の背後に、ネイが迫った。
「風の紋章第六節、暴君の宝玉」
咲弥はぎょっとした。
それは爆発系統に属する紋章術だと、そう記憶している。慌てて足先に力を込め、素早く飛び退いて距離を取った。
ネイの右手付近に、宝石みたいな風の玉が生まれている。
男の猫背に向けて放たれ、風の宝玉が爆発音を轟かせた。男は激しい爆風を浴びせられ、大きく吹き飛ばされる。
魔物相手とは違い、威力を抑えた一撃だとうかがえた。
「いやいや! やり過ぎですよ!」
まるで風に流される紙みたいに、男はまだ転がっている。
石柱に衝突してようやく、男はその動きを止めた。
ネイは一仕事終えた雰囲気で、濡れていない額を拭う。
「ふう。恐ろしい戦いだったわね」
咲弥達がではなく、賊側の視点でならそうなのだろう。
咲弥は深いため息をついた。
ふと、視界の端でぼんやりとした光が発生する。
「忍ぶ幻影」
なんらかの固有能力を、男はこっそりと発動した。
ゆらりと立ち上がり、男は気味の悪い笑みを浮かべる。
「ふぇっふぇっふぇっ……」
(いったい……なんの……?)
思った途端、咲弥は眉間に力を込める。
空気に溶け込むように、男の姿が視認できなくなった。
「なっ……」
「オドの気配も、途絶えた?」
ネイの声には、緊張感がこもっていた。
オドの気配すら完全に断ち、姿を視認できなくさせる固有能力らしい。その事実は、戦慄させるには充分であった。
いつ、どこから、どのように襲われるのかがわからない。
ひどく張り詰めた静寂に、場が支配される。
ネイがふんっと鼻を鳴らし、若草色の紋様を描いた。
「しゃあないわね――疾風の極意」
咲弥は驚愕する。
ネイが初めて見せる二つ目の固有能力――まず固有能力を二つも持った人物を、今まで一度も見た記憶がなかった。
咲弥に至っては、与えられた固有能力しか扱えない。
もしそれがなければ、自身の固有能力が一つもないのだ。
(二つ目……ネイさんは、いったい……?)
もちろん、そこには才能も一枚噛んでいるのだろう。だがそれでも、どれほど血の滲むような鍛錬を積んできたのか、推し量らずにはいられない。
ネイの周囲では、これまでとは異なる風が流れる。
「見えなくとも……感じなくとも……私には、関係ない」
ネイは吹き荒れる風に、五本の投げナイフを委ねた。
目を閉じて、立てた人差し指を高らかに掲げる。
まるで破裂したかのごとく、風は一気に広がった。
「そこ!」
ネイが指を素早く振り下ろした。
風に漂っていた投げナイフが、凄まじい速度で放たれる。
男が消えた位置――そこで、投げナイフが留まった。
まるで、宙に刺さっているふうにも見える。
次第に男が、ゆっくりと姿を現した。
腕や足のほか、腹に二本の投げナイフが刺さっている。
「いぃ……たぁ……いぃ……」
「……って、場所変わってない! ただ消えただけかい!」
ネイは男に向け、怒声じみた声を張った。
男はばたりと仰向けに倒れ、うめきを漏らしている。
ネイはすこぶる呆れた様子で、首を左右へ振った。
「おそらく、動いたら能力が解除されちゃうんでしょうね」
「それ……なんの意味がある能力なんですか……?」
咲弥はつい、呟きにも近い問いを投げた。
ネイは肩を竦め、クロエが消えたほうへと歩く。
「まっ。知らなければ、恐怖心だけは与えられるかもね」
「……は、はぁあ……」
生返事をしてから、咲弥は思いだしたようにネイを追う。
「あ、待ってください」
「早くしないと、あんたのお姫様が殺されるわよ。ほかにもまだ、敵がいるわ」
ネイの勘違いに、咲弥は唐突な照れを覚える。
どぎまぎしているさなか、ふと倒れた男に視線を移した。
死なない程度の攻撃ではあったらしい。
その事実に、咲弥はどこか安堵する。
たとえ悪党でも、人の死は見たくない。
咲弥はふと湧いた疑問を、そのまま口にする。
「あの男の人……どうするんですか?」
「まあ、実際のところ……あの手の輩は殺しちゃったほうが早いんだけどね……組織に渡すか衛兵に渡すか、かな?」
ここが別世界なのだと、咲弥は久々に強く実感する。
相手が殺意を持っているのだから、当然の話ではあった。ほんの少しの情けが、別の危険を呼ぶ可能性は否めない。
ただ頭でわかっていても、とても悲しい気持ちになった。
ネイが半目で小首を傾げ、じっと睨んでくる。
「はぁ……あんたってさ……」
「え? あ、はい」
ネイが突然、咲弥の額を指先でつんと押してきた。
「別に、なんでもない」
何が言いたかったのか、予想すら浮かばない。
咲弥は困惑するが、ネイは唐突に駆けだした。
「あ、待ってくださいよ。ネイさん」
「早くしないと、置いて行くわよ」
咲弥は慌てて、ネイの背を速足で追いかける。
疑問は尽きないが、今はクロエの身が心配だった。
なぜ一人で先走ったのか、その理由はわからない。
咲弥は焦燥感に駆られながら、クロエの無事を祈った。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
暗い闇に支配された夜の世界――
苦悶に満ちた男のうめき声が、風に乗って届いた。
「がぁ……あ……あぁっ……バケ……モノかよ……」
血にまみれた女の首を、紅羽は手から離した。
地に伏した女は、完全に気を失っている。
襲撃者の始末は、予定よりも早く済んだ。
ただ急いだせいか、あまり手加減が利かなかった。
(死にさえしなければ、それでいい)
今は一刻も早く、咲弥の安否が知りたい。
紅羽が駆けだそうとした瞬間、微量の気配を察知する。
素早く飛び退いた瞬間、灼熱の炎が突き抜けた。
「なあに、女にヤられちまってんだ。オメェら」
野太い男の声がした方向へ、紅羽は視線を滑らせた。
(……新手が……三人?)
一人は獣人の男、もう一人は小人の男であった。
二人は確実に姿を捉えたが、もう一人いる気配がする。
闇にまぎれ、気配を殺しながら動く支援型に違いない。
紅羽の心は、苦渋に満ち溢れる。
眼前の敵をまき、逃げるわけにもいかない。
状況からみて、咲弥のいる建物に用事があると思われる。そうだと仮定した場合、ここで逃げだしたところで、咲弥の身に危険を与える可能性が高いのだ。
(……咲弥様)
咲弥のもとへ、早く駆けつけたい気持ち――
賊を放置はできない思考――
咲弥の安否を、一刻も早く知りたい願望――
賊の数が判明しない不安――
それらすべてが混ざり合い、紅羽の胸に不快感が募った。
「まったく、情けねぇ奴らだ」
「まあ、カタキはとってやんよ」
「さあ、お嬢ちゃん――」
紅羽はカッと目を見開き、敵をじっと注視する。
男達はびくりと瞬間的に震え、石像のごとく硬直した。
「邪魔を……するな」
それはどこか、自分とよく似た声だった。
ただひどく濁りきり、威圧感に満ち満ちていた気がする。
一呼吸ほどの間を置き、紅羽ははっと我に返った。
さきほどの声は、どうやら自分が発した声だったらしい。胸に募る不快感のせいか、認識までに少しの時間を要した。
紅羽は静かに呼吸を整え、冷静さを取り戻すよう努める。
咲弥の身を案じればこそ、賊の存在は無視できない。
「すっげぇー……気迫……何もんだ?」
男獣人の問いに、紅羽は何も答えない。
その代わり――光の速さで、男獣人の眼前へと迫った。