第三十六話 連鎖する予想外
不意の疑問に意識が奪われ、警戒が疎かになっていた。
咲弥は自分の迂闊さを呪う。
長い通路の先には、大きな空間が広がっている。
採掘場跡らしき景観なのだが、そこは発掘というよりは、地下施設を造ろうとしている雰囲気のほうが色濃い。
どこからともなく、聞き覚えのある女の声が響いた。
「仮面のお二人さん。ここになんのご用かな?」
獣人に等しい軽装をしている赤髪の女が、上空から颯爽と舞い降りてきた。
「んげぇっ――?」
聞き覚えのある声の正体は、やはり仲間のネイであった。
さまざまな疑問が、咲弥の脳裏を飛び交う。
「お宝かな? それとも人? まっ、なんであったとしても通さないわよ。それが、私の任されたお仕事だからね」
ネイは言いながらに、数本の投げナイフを指に挟んだ。
この展開は、あまりにも予想外――口ぶりから察するに、ネイはなんらかの依頼を請け、ここに潜んでいたのだろう。
仮面のお陰か、咲弥の正体はまだばれていない。
咲弥は、どうするのが最善か悩んだ。
正体を明かし、ネイに事情を話すべきか――
それとも、一度この場は逃げ出すべきか――
思考する咲弥をよそに、クロエが一歩を前に進んだ。
「悪いけれど……無理矢理にでも通させてもらうわ」
事情を知らないクロエが、ネイに敵対宣言をした。
わかりきった展開に、咲弥は頭を抱えたい気分に陥る。
ネイはゆっくりと足を前へ踏み出した。
「ご自由にどうぞ。ただ、私は邪魔をするけれども、ね!」
ネイが言葉終わりに、投げナイフを放った。
咲弥はとっさに、クロエの体をがっしりと抱きかかえる。
そのまま素早く、石柱の物陰へと身を隠した。
「ふぅん。わりと反応は悪くないじゃない」
ネイの声を聞きながら、咲弥は必死に思考を巡らせる。
いっそ、ネイに事情を告白すべき――そう考えた。
ただ現在、不本意ながらも盗賊まがいの行為をしている。
込み入った事情があるとはいえ、その事実を知られれば、何を言われるかわかったものではない。とはいえ、この場を静めるためには、正体を明かすべきだろう。
「ア、アニキ……」
クロエが、どこかか細い声で呼んできた。
咲弥は一瞬、思考が停止する。
とっさの回避から、クロエを胸に抱き寄せたままだった。
現状の把握をしたせいか、クロエと接触している部分から柔らかな感触が伝わり、同時に華やかな香りを嗅ぎ取る。
咲弥は即座に肩を掴み、彼女をやや遠くに離した。
「す、すす、すみません!」
「風の紋章第四節、自在の旋風」
ネイの詠唱が飛び、咲弥はぎょっとした。
激しい風が吹き荒れ、あらゆる場所から物が飛んでくる。
思考する余地なく、再び咲弥はクロエを抱きしめた。
その場から逃げ、また別の物影へと身を潜める。
ただ隠れるのは、あまり得策とは言えない。ネイの場合、見えていようがいまいが、敵しかいなければ関係ないのだ。
風を巧みに操り、見えない場所をも簡単に攻撃できる。
攻撃の展開から、ネイは本気を出し始めていると知った。
「風の紋章第一節、暴虐の風神」
暴虐の風神は切り裂く風だと、咲弥はよく知っている。
切迫する状況の中、咲弥は空色の紋様を宙に描いた。
「黒白の籠手、装着!」
紋様が砕け、咲弥の両手がまばゆい光に包み込まれる。
光が弾けるなり、両腕に白と黒の籠手が装着された状態で出現した。少量のオドを黒い籠手にだけ流し込んで、即座に獣の手へと解放する。
近場の物を黒い手で掴み、迫る風へと投げつけた。
自在に動く風は、白い手では対処しきれない。
だから障害物で多少の時間さえ稼げば、また回避する道は生みだせる――ただこれ以上、ネイとやり合うのはさすがに限界だと感じられる。
咲弥は観念すると同時に解放を解き、仮面を外した。
両手を上げた状態で、素早くネイにその姿を見せる。
「ネ、ネイさん! ちょっと待ってください!」
「……ふぁ?」
ネイの間の抜けた声が、咲弥の耳へと届いた。
ネイからしても、この展開は予想外だったに違いない。
攻撃がやみ、ネイは呆然と立ち尽くしている。
「ちょっと、複雑な事情がありまして――」
咲弥が言っている間、ネイの青い瞳が左右へ行き来する。
それから呆れ果てた表情に変化し、咲弥の言葉を遮った。
「まぁた、別の女をたらし込んでんのか!」
ネイは声に怒気を込めていた。
咲弥は胸の前で両手を振る。
「またってなんですか! 誤解ですって!」
「何が誤解か! こんな人気のないとこ連れ込んで!」
「ち、ちが、違うんですってば!」
説明も聞かず、ネイは右手の傍に若草色の紋様を描いた。
咲弥はぎょっとする。即座に、クロエへと指示を飛ばす。
「クロエさん! 離れててください!」
言いながらに、咲弥は両方の籠手を解放する。
ネイは片目を細め、キッと睨んできた。
「これはちょっと――きつぅい、お仕置きが必要みたいね」
「いやいやいやっ!」
「風の紋章第三節、戦神の号令」
ネイの掲げた右手付近に、激しい風が集う。
風の槍が五つ誕生し、ネイは右手をさっと振り下ろした。
「うげぇっ!」
ミサイルを彷彿とさせる動きを見せ、風の槍が空を貫く。
白き爪で風の槍を二つ裂くが、手応えがまったくない。
裂かれた風の槍は再び集い、素早くもとの形へと戻った。
「うぉっ!」
縦横無尽に攻めてくる風の槍を、咲弥はからくも避ける。
風の槍に襲われる中、ネイは上空に舞い上がった。
「風の紋章第二節、妖精の輪舞」
気づいた頃には、咲弥の周囲に風がなだれ込んだ。
激しい風に巻きつかれ、体の動きが封じられる。
そして四方八方から、五本の風の槍が襲いかかってきた。
「ぐっ……ぐぐ……うぉおおおおっ!」
白き爪で風の拘束を裂き、咲弥は即座に転がり離れた。
さきほどまで立っていた場所で、風の槍同士が衝突する。
爆発じみた轟音が響いた。その際に生じた爆風に飲まれ、咲弥は吹き飛ばされる形で、ころころと転がされてしまう。
咲弥はぞっと背筋を凍らせた。
仲間だという理由もあるが、ネイとは本当に戦いづらい。
それこそ、実体のない風を相手にしているようなものだ。
敵対されて初めて、それが身に染みてよくわかった。
「まっだまだ! 行くわよ!」
元気いっぱいそうなネイが、再び宙を軽やかに舞った。
こちらが捕らえられない間隔を、適度に保ち続けている。
どう対処すればいいのか、咲弥は激しく悩まされた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
黒衣を身に纏い、仮面をつけた紅羽は闇の中を駆ける。
咲弥達は無事、建物の内部へと侵入できたらしい。
何が起こるのか予測不能なため、万全を期す必要がある。
紅羽は今、脱出路の確保に動いていた。
プリムから預かった睡眠針を使い、警備の者を眠らせる。首筋に刺せば、素早く眠らせられる裏商品の一品であった。
《アネキ。まずいことになったわ。アニキが今現在、ネイと交戦中。組織からの依頼で、警固の任についてたみたいね》
紅羽は、ため息をつきたい気分に陥った。
彼はやはり、奇妙を引き寄せる運命力がある。
ネイとの邂逅を善とみるか、それとも悪とみるか――
現状からでは、判断がつけられそうになかった。
本音を言えば、咲弥のもとへ即座に駆けつけたい。しかし未来を見据えた場合、脱出路の確保は重要な任務ではある。
ここはネイを信じ、上手く事が運ぶ展開を祈るほかない。
プリムの情報から、把握できた事実がある。
警備員達の中に服装が異なる、または着慣れていない感のある者がいた。おそらく冒険者か、雇われた者なのだろう。
紅羽は気配を完璧に断ち、警備員の背後へと忍び寄る。
「ったく……侵入者なんかどこにいるんだ……ぐぁ……」
「まったくだ。こんなところに攻め込むとか、ばかぁ……」
「ん? なんだぁらら……?」
一人、また一人と、首に針を刺して眠らせる。
これで目についた警備員は、あらかた排除し終えた。
滞りなく、プリムの策通りに事は運べている。
正直、まだ十歳程度の彼女が、これほどの智謀を巡らせた事実に、紅羽は驚かされていた。訓練で得たものではない。明らかに天賦の才に属するものであった。
真面目に〝號持ち達〟と比較しても、なんら遜色がない。
このまま才覚を伸ばせば、必ずや咲弥の役に立つだろう。
紅羽の立場からすれば、喜ばしく思う反面、危惧もする。
(そう。味方であるうちは――)
未来がどう転ぶかなど、誰にもわからないのだ。
だからすべての可能性を考え、不測の事態に備えておく。
少なくとも今は、そうなる可能性はないと言ってもいい。紅羽は思考を切り替え、オドの気配がないか探り始める。
神経を素早く研ぎ澄まし――その直後のことだった。
「――っ?」
空を切る音を捉え、紅羽は即座に身を仰け反らせた。
紅羽の居た位置を、小型のナイフが突き抜ける。
飛来物の軌道から予測し、視線を即座に滑らせた。
付近にある樹上から、二つの人影が飛び降りる。
一人は長身の男、もう一人は小柄な女らしい。
二人は会話をしながら、紅羽のほうへと歩んできた。
「あぁらら? やっぱ外してんじゃん」
「わりと反応が凄い奴だったってことね」
「下手ったんじゃね?」
「なわけあるか」
「つか、あれ同業者? 組織の奴を倒してくれてんじゃん」
「さあ? あんな仮面つけた奴、見たことないわ」
長身の男が、片手を高く上げた。
「やあやあ。おたくは同業者ですかぁ?」
紅羽は応えない。
どちらも相当の手練れ――加えて、血臭が嗅ぎ取れた。
おそらくは賊か、敵対組織の者である可能性が高い。
「あららぁ、会話してくれねぇや」
「まあ……知らない奴なら、排除してもいいんじゃない?」
「うぅん……だな」
男が応じるなり、二人は凄まじい速度で移動してきた。
紅羽は戦闘態勢を整え、二人の気配から行動を予測する。
女の反対側から、短刀を手にした男が迫った。
女は間合いを取ったまま、いくつかナイフを投じる。
紅羽は回避と同時に、一つのナイフの柄尻を蹴り抜いた。
「いでぇ!」
「わぉっ!」
狙い通り、上手くいった。
男の左肩に、紅羽が蹴ったナイフが刺さっている。
どちらもが、紅羽から大きく離れた。
「下手くそか! なぁにしやがる!」
「違う違う。こいつが蹴って飛ばしたんだって」
「んな、アホな!」
紅羽は冷静に、まずは一体の排除を試みる。
動きがあまりよくない男へと、素早く距離を詰めた。
「うぉ……?」
睡眠針を刺す――その刹那、またナイフが飛来する。
針を刺すのが間に合わない。男から飛び退いた。
「氷の紋章第三節、氷雪の牢獄」
走るように地が凍らされ、飛び退いた紅羽へと迫った。
地から飛び出す複数の氷柱を、紅羽は軽やかに回避する。
頃合いを見計らってか、男が上空から降ってきた。
斬撃をかわすなり、男の詠唱が始まる。
「雷の紋章第六節、放電と放りゃ! い――っ!」
紅羽は男の頬を足場にして、一定の間隔まで離れた。その直後、男の周囲で凄まじい雷が発生し、縦横無尽に迸る。
範囲型の紋章術に、危うく呑み込まれるところであった。
紅羽は苦い思いを抱える。
想像以上に、どちらも手強い。
警備の者達と同様、認識されてさえいなければ、背後から奇襲もできる。だが、今は完全に捉えられてしまっていた。
そうなっては、真っ向からの勝負に転じるしかない。
男女二人が絶妙な間合いを取り、一か所に集まった。
「いちちち……なんなんだ、こいつ?」
「かなり強いね。こんなんが同業者とか嫌なんだけど」
「ここで殺したほうが、後々よさそうだな」
「そうね。てか、あんた攻撃くらい過ぎ」
「ばぁか。俺が体張ってっから、オメェは無傷なんだよ」
「あら、ありがと」
「つか、ほかの奴らは、もう建物の中か?」
「そうじゃない?」
問わずして、情報が得られた。
どうやら、ほかにもまだ仲間がいるらしい。これクラス、またはそれ以上がいた場合、危険度は計り知れなくなる。
こんなときに、別の敵との遭遇とは運が悪い。
(これも、咲弥様のせいなのかな……?)
紅羽はつい、そんな感想を抱いた。
彼自身から動けば、高確率でどこかに歪が生じる。
いったい、どんな星の下に生まれているのか――
生まれて初めて、紅羽はため息を漏らした。
その吐息が、仮面の中に熱をこもらせる。
「そんじゃあ、まあ……」
男が言い切る前に、紅羽は戦闘態勢を整える。
わざとらしく驚いた姿勢で、男は声を紡いだ。
「おおう……やる気満々じゃん」
「仲間はほかに、何人いますか?」
「おっ? 女だったのか」
男はいやらしい笑みを浮かべた。
紅羽は冷静に、言葉を繰り返す。
「もう一度、問います。仲間は何人ですか?」
「さあ? 何人かな?」
女が代わりに答えた。
予想した通りの解答を聞き、紅羽は問答を諦める。
「では――早々に処理します」
「へへっ。いいねぇ。俺が勝ったら、あの女は貰うぞ」
「お好きにどうぞ」
女が呆れたように了承した。
男の言葉に、紅羽は激しい嫌悪感を覚える。
正直なところ、この手の輩は殺したほうが手っ取り早い。
しかしきっと――殺せば、彼が悲しむ気がした。
死んだ相手はもちろんのこと、手を血で赤く染めた紅羽に対しても、同様に深い悲しみを抱く展開は想像に難くない。
ただ殺さないのは、なかなか難易度が高かった。
さらに仮面のせいで、視界も狭まっている。
紅羽は悩み、考え、迷い、そして――
顔につけた仮面を、そっと外した。
「うっわぁっ! すっげぇ極上の美人じゃん」
「時間を、取らせないでください」
仮面を手から落とし、紅羽は地を砕く速さで駆けだした。