第三十二話 幸せの裏側には
冒険者ギルドにある施療室に、咲弥達は集まっていた。
咲弥はベッドの端に枕を置き、もたれて座っている。
傍にある椅子に腰をかけているネイが、呆れ声で言った。
「ほんっと! 呆れるわ。施療室送り何回目?」
「うぎゃっ!」
咲弥の膝辺りに、ネイが力強くどんっと足を乗せてきた。
怪我が残っている箇所を、わざと狙ってきたに違いない。
まだ完全には、傷が癒えていないのだ。
限界突破した治癒の紋章具で、確かに場は静められたが、結果的には、体に尋常ではない負担をかけた様子であった。
重症の場合、本来は複数回に分けて治癒する必要がある。今回みたいな治癒では、必ず歪が出るのだと教えられた。
実際、これほどの大怪我は、初めての経験ではある。
無我夢中だったのもあるが、想像以上の無茶をした。ただわかってはいても、きっと同じ行動を取ったとは思える。
咲弥は申し訳ない気持ちで、ネイの不満顔を見つめた。
「いいようにやられちゃってさ。それでも本当に冒険者?」
「ははは……僕はまだ、初級なので……」
言い訳じみた返しをするや、ネイは唇を尖らせた。
「うりっ! うりうりっ!」
「あいだだっ! ちょ、ちょっと! あいだだだだっ!」
ネイが足の踵で、ぐりぐりと攻撃してくる。
ゼイドがため息まじりに、制止の声を上げた。
「おいおい、怪我人だぞ。それぐらいにしてやれ」
「まったく……」
ようやく、ネイが床に足を戻した。
咲弥は痛みの余韻を抱えながら、心の中でため息をつく。
ネイは今回の結末に、まだ不満を覚えているのだろう。
本来は冒険者ギルドや、国の機関が動くほどの事件だが、個人間での問題という形で、咲弥は場を収めることにした。
彼女はきっと、それが気に入らないに違いない。
確かに咲弥は集団暴行を受け、そのうえ殺されかけた。
その事実は、どう足掻いても覆りはしない。しかし紅羽の拉致はただの嘘であり、当の本人は無傷そのものだった。
だからこれ以上、大事にはしたくないという理由もある。
もう二度と、こちら側に下手な手出しはしない――
そう固く誓ってくれさえすれば、それでいい話だった。
とはいえ、今回の件で元部隊長のレオルは最下級へ降格、そして加担した者達も、厳罰を下されることとなるらしい。
そのときに聞いた話だが、レオルの企みを密告したのは、紅羽をよく知る男だった。騎士団と初めて遭遇したときに、紅羽に近寄っていた男だと思われる。
彼の勇気ある行動がなければ、死んでいたかもしれない。
咲弥はぞっとしつつ、ネイに言い訳じみた言葉を投げる。
「まあ、今回……紅羽が、人質になってると思ったんです。まさか変身する術者がいるなんて、考えもしませんでした」
「よく確認しなかったからでしょう? ピンキリだけどさ、術者はみんな大抵どこかしら、妙なブレや違いがあんのよ」
ネイの発言を聞き、団長の姿が脳裏によみがえった。
よく思い返せば、団長は写真から名指しで言い当てていた気がする。ただあのときは、とにもかくにも必死であった。
そんなことにまで、意識が回るはずなどない。
少なからず咲弥には、紅羽本人にしか見えなかった。だがおそらくは、どこかに奇妙な違和感があったのだろう。
しかし写真はもう手元にないため、確認するすべはない。
「まっ、それがわかったところで、仲間が捕らわれてるって思ったら、やっぱり気が動転して、冷静な判断は難しいか」
ネイは両手を小さく広げ、やれやれと首を横に振った。
咲弥は小刻みに頷いて応える。
ゼイドが顎に指を添え、虚空を見上げながら呟いた。
「とはいえ、紅羽が簡単に捕まるとは思えねぇがな」
「ははは……僕も写真を見たときは、凄く半信半疑でした。ですが、もし捕らわれていたらって、そう考えたら……」
「まあなんにしろ、無事でなによりだ」
「ありがとうございます。ゼイドさん」
ゼイドにお礼を告げてから、紅羽に視線を移した。
第八区での出来事以来、紅羽は無言を貫いている。
怒っているのか、または悲しんでいるのか、それとも落ち込んでいるのか――無表情からでは、なかなか判断が難しい状態だった。
彼女の心情ははかり知れないが、咲弥は声をかけてみる。
「紅羽も、心配かけさせてごめんね」
紅羽の紅い瞳が、咲弥のほうへ向いた。
「いいえ……」
「……もしかして、何か怒ってる?」
咲弥はおずおずと問いかけた。
少し沈黙したあとで、紅羽はゆっくりと声を紡いだ。
「手の届かない場所までは、私の力は及びません。第八区へ向かっている間、咲弥様にもしものことがあったらと……」
どうやら、怒っていたわけではない様子だった。心に湧く不安に悩まされ、彼女はただじっと耐え忍んでいたらしい。
紅羽はせつない表情で胸に拳を添え、か細い声を紡いだ。
「私は……また……」
まだ言葉が続きそうな響きがあった。
しかし紅羽は視線を落としたまま、閉口を続けている。
咲弥は小首を傾げる。
以前も似た展開があったか、漠然と記憶を掘り返した。
あるいは、咲弥と出会うよりも昔の話なのかもしれない。紅羽の過去は、精神世界でほんの少し見たことがあった。
ただ写真にも似た光景だけでは、実際はよくわからない。
さきほどの口ぶりから察するに、きっと手の届かなかったところで、彼女は大切な何かを失った経験があるのだろう。
顔を伏せる紅羽に、咲弥は努めて優しい声で言った。
「心配かけさせて、本当にごめん」
「いいえ。しかし、私なんかのために――」
「紅羽」
紅羽の言わんとすることを予測し、咲弥は素早く遮る。
彼女の紅い瞳を、咲弥はまっすぐ見据えた。
「僕が初めてチームを組んだのは、ネイさんとゼイドさん。だけど、仲間と呼べる人ができたのは、君が初めてなんだ。僕だって、紅羽とおんなじだよ」
「同じ……?」
紅羽の問いに、咲弥はこくりと頷いた。
「手の届かない場所までは、どうしようもできない。だから手の届く範囲は、たとえ命をかけたとしても護りたいんだ。写真の相手が誰だったとしても……僕はばかだから、きっと同じようにしてたと思う。でもさ……」
静まりかえる室内に、咲弥の声だけが響く。
「紅羽に、そしてネイさんやゼイドさんは……もっとずっと特別な存在なんだ。こんな僕のために本当にたくさんの力を貸してくれる……だから僕にとっては、かけがえのない――心から大切な仲間だと思ってるんだ」
これは、咲弥の素直な本心であった。
唐突に見知らぬ世界へ送り込まれ、巡り合えた仲間達――咲弥からすれば、何物にも代えられない大切な存在なのだ。
だがしかし、だからこその苦しさも伴っている。
天使の誓約のせいで、はっきり事情と目的を明かせない。
たとえ、咲弥にそんなつもりはなかったとしても、まるで騙しているような、そんな気にさえなっている部分だった。
咲弥は笑みを作り、本心を吐き出し続ける。
「かけるよ。何度でも。護れる可能性が少しでもあるなら、僕はこの命をかける。だってそれが、僕なりのお礼だから」
それが仲間達への贖罪とは、決してならないだろう。そう理解をしているうえで、これが精一杯の罪滅ぼしであった。
「もちろん、ロイさんやレン君達。ミリアさんやギルド長も……僕なんかで助けになれるなら、頑張りたいと思うんだ」
しんと静まったのち――ネイが吐息をつき、肩を竦める。
そしてベッドに片手を乗せ、ぐいぐいと迫ってきた。
彼女の深い胸の谷間に、つい咲弥の目が移る。
「しかし、こんなぼろぼろじゃあね? 命がいくつあっても足りないっしょ?」
ネイに人差し指で、咲弥は額をつんと押された。
「うっ……それは、そうですね……」
「咲弥の言った通り、だからチームを組むんだ。それぞれが護り合えるためにな」
朗らかに笑うゼイドに、咲弥は頷いて応える。
ネイが半目でゼイドを睨み、やれやれとため息をついた。
「第八区まで、あんただけめっちゃ時間かかってたね?」
「はん……無茶いうぜ。オメェらみたいな素早さはねぇよ」
「あんたが来た頃には、もう全部終わっちゃってたね?」
「ほんなら翼をくれ。俺は獣から鳥にだってなるぜ?」
「翼人にでも頼もっか?」
いつものやり取りを始め、咲弥は安心感をもって眺めた。
そのさなか、紅羽が迫ってきたのを視界の端で捉える。
紅羽はベッドの際に腰をかけ、咲弥の手を取った。彼女の滑らかな両手の感触に、咲弥は不意のドキドキ感を覚える。
ふわりと寄った紅羽の豊満な胸に、つい視線が向かう。
「こことは別の施療室でした話を、覚えていますか?」
「あぁ、えぇっと……」
あまりにも情報が多過ぎて、どれのことかがわからない。
咲弥が視線を泳がせ、考えている最中に紅羽は続けた。
「私も命はかけますが、死にません。ですから、咲弥様――あなたも命をかけたとしても、死なないと誓ってください」
紅羽の発言を呑み込み、咲弥は少し戸惑ってから頷いた。
まっすぐ向けられた紅い瞳を、咲弥は真っ向から見返す。
「誓うよ。僕だって、別に死にたいわけじゃないからね」
「本当に信じても、よろしいですか?」
「うん。もちろん」
紅羽は神々しい美貌に、優しい微笑みを湛えた。
不意打ちの微笑みに、咲弥はどきりとさせられる。
紅羽は咲弥の両手を離し、小さく頭を下げた。
「私のために、騎士団の暴行を必死に耐え続けてくださり、ありがとうございました。咲弥様のお気持ち、心から嬉しく思っています」
「うん。無事で、本当によかった」
「それは、こちらの言葉です」
「え?」
「本当に――目を離せば、すぐぼろぼろになるのですから」
「ははは……」
咲弥は自然と苦笑が漏れる。
つい最近、今と似た記憶がよみがえった。
ネイの言葉通り、短い間隔で施療室送りにされている。
自分の不甲斐なさに、咲弥は静かにため息をついた。
「アニキィー!」
仰々しく扉が開かれ、綺麗な女顔をしたレンが現れた。
半泣きの形相で、レンが飛びついてくる。
「ぐへっ……!」
「あのクソ騎士団どもにやられたって、本当なのかいっ?」
「だ、大丈夫。もう、問題、ないよ?」
咲弥は痛みを必死に堪え、かろうじてレンを諭した。
嫌な汗が、全身から噴き出したのを自覚する。
女にしか見えない顔で、レンは上目遣いに見つめてきた。
「本当に、大丈夫なのか?」
「う、うん。さっきまで……はね……」
咲弥の心情も知らず、レンは勢いよく立ち上がった。
そして、宙に拳を何度も放つ。
「あんのクソ騎士団ども! ほんとマジで、許せねぇよ! アニキに負けた腹いせに、人質を取っての復讐だなんて!」
もうそこまで話が回っているのかと、咲弥は少し驚いた。
開いたままの扉から、小太りした少年が歩み寄ってくる。
「アニキ! これ、マスターからの差し入れです!」
「あ、クァン君。持ってきてくれてありがとう」
「い、いいえ! アニキのためなんで!」
クァンがカップを、咲弥に手渡してくる。
差し入れの正体は、どうやらリャタンのようだ。
「これでも飲んで、早く元気になれ。だ、そうです」
「そっか。マスターにも、またお礼を言わなきゃだね」
「おぉい」
今度は、栗毛のロイがやってきた。
その手には、なにやら雑誌らしきものがある。
「ロイさん」
「今日一日は、ここで安静にしてんだろ?」
「あ、はい」
「なら、これは必要かと思ってよ。ほれ」
ロイは言葉終わりに雑誌を投げ、ベッドへと落とした。
咲弥は視線で追い、表紙を眺め――
「いっ――?」
かなりいかがわしそうな、大人向けの雑誌の様子だった。
きわどい格好の女が、蠱惑的な眼差しをして写っている。
ネイが嫌悪感たっぷりの表情で、雑誌をさっと拾った。
「あんた、なに渡してんのよ?」
「男にはな、こういうのが必須――神具の一種なんだよ」
「あんたのお下劣脳と、私の荷物持ち君を一緒にすんな」
「軽装露出たっぷりのテメェに、言われたかねぇや」
ロイの呆れ声が飛び、ネイは自身を抱き締めた。
「やだ。あんた、私のことそんな目で見てんの?」
「獣人さながらの格好してりゃ、誰でもそう見るだろうよ」
「……紅羽、言ってやりな」
ネイの催促に、紅羽がロイのほうを向いた。
「最低です」
「はぁ……女にゃあー、この気持ちはわからんか」
ロイは肩を竦め、ため息まじりに首を横に振った。
ネイは雑誌を手にしたまま、部屋の端へと歩み寄る。
そして窓を大きく開け、雑誌を空高く投げ捨てた。
「あぁああああああ! なぁにすんだよ!」
「ふんっ!」
ロイの叫びを聞きながら、夜空を舞う雑誌を眺める。
投げの達人ネイによって、奇妙なほどよく飛んでいた。
ネイは若草色の紋様を浮かべ、力強い声で唱える。
「風の紋章第一節、暴虐の風神」
紋様が砕けるや、緑黄に色づいた暴風が外へと流れた。
激しい風が粉々に雑誌を裂き、はらはらと散っている。
「よし」
「よし……じゃねぇよ!」
ロイの抗議に、ネイは冷ややかな眼差しを送った。
「次、きもいの差し入れたら、あんたも一緒に裂くから」
「うっ……」
ロイはうな垂れ、悲しそうな顔をした。
これには咲弥も、苦笑するほかない。
本音を言えば、少し中を覗いてみたかった気持ちはある。とはいえ、女性陣の反感を買うほどの勇気はもっていない。
「中の娘達も頑張っているのに、酷いもんだねぇ」
咲弥は目を大きくして、唐突な男の声を振り向く。
いつの間にか、部屋の隅にギルド長がいた。物思いにでも耽るような姿勢をして、窓越しに遠くのほうを眺めている。
ネイが怪訝そうな顔で呟いた。
「ほんと、神出鬼没よね」
「そうかい? 自分では普通のつもりなんだがね」
ネイは、苦笑しながら首を横に振る。
ギルド長は帽子をかぶり直してから、咲弥へ歩み寄った。
「大変だったみたいだね?」
「あ……すみません……」
「別に謝る必要はない。仕事はこなしていたし、騎士団とは決着がついているみたいだから、こちらはノータッチだ」
「……はい」
ギルド長は、朗らかな笑みを浮かべた。
「とにかく、本日で罰期間は終了だ。ご苦労だったね」
「いろいろとご迷惑をかけてしまい、すみませんでした」
「なあに。君の手伝いで、助かった者も多いさ」
お世辞かどうか、咲弥には判断がつかない。
「そうであれば、よかったです」
「明日からはまた、冒険者として励んでくれ」
「はい!」
咲弥は可能な限り、元気な声で返事をした。
するとゼイドが、途端にあっと声を上げる。
「そうそう。そう言えば、いい依頼を見つけているんだが、またみんなでチームを組んで、一緒にやらないか?」
ゼイドからの提案を、咲弥はとても嬉しく思った。
「はい! ぜひ、よろしくお願いします」
本当なら、あまりよろしくはないのだろうが――その日の施療室は、ほんの少しだけ騒がしく、そして賑やかだった。
見知らぬ世界で少年は、また新たな明日を迎えるのだ。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。
今回は、短編〝ふう〟仕立てでのお話でした。
なので、本日は蛇足まじりの小話をいくつか――
ローレライ編ですが、実はかなり悩みました。
最期にチェリッシュのために、音色を奏でさせたいという構想はありました。
ただ、アンリを知らない状態で敵対した場合、音色で人を惑わせるハープの破壊を考えないのは、かなり変なんです。
ですから、泣く泣く今回のような形となりました。
罰期間編での、ちょっとしたお話。
紅羽の固有能力の詳細を、咲弥が知る場面は本編で書いておりません。
行間を読む――ではないですが、移動中の馬車内の時間、酒場での時間、就寝前の時間と、案外二人きりになる場面は多いです。
ですので、知らないところでお喋りしているのかな。と、そこを妄想、夢想していただけたら幸いです。
絶対に語らなければならない場所は、描写するんですが、これぐらいなら、まあ、ねぇ……? といった感じです。
以上、お読みいただきありがとうございました。
それから、ちょっとしたお願い。
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