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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第二章 冒険者への軌跡
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第三十一話 手負いの獣




 咲弥の視界はかすれ、黒ずみ、そして大きく(ゆが)んでいた。


「……ヒュー……ヒィ……」


 精一杯の呼吸は、まるで隙間風にも等しい。

 体中から悲鳴が上がり、呼吸をするたびに激痛が生じた。おそらく折れた肋骨(ろっこつ)が、肺に突き刺さっているに違いない。


 顎先(あごさき)や指先から、何度も血が(したた)り落ちる感覚が伝わる。

 全身ズタボロになりながら、それでも咲弥は立ち続けた。自分が倒れれば、紅羽がどんな目に()うのかがわからない。


「おいおい……マジかよ……」

「団長の記録、超えたぞ……化け物か……」


 どこかの誰かの声が聞こえた。

 誰が喋ったかなど、もう確認する余裕はない。

 温顔を硬くしたレオルの姿が、(ゆが)み切った視界に入る。

 彼は腰に帯びた剣を抜き、その切っ先を向けてきた。


「得物を出せ。また一騎打ちだ」

「おいおい。もうよせって」

「これ以上は、本当に死んじまうぞ」

「るせぇっ!」


 周りの制止を、レオルは怒声で振り払った。


「俺らはな、舐められるわけにはいかねぇんだ。だが、その根性だけは認めてやる。さあ、紋様から得物を出しやがれ」


 咲弥は気力を振り絞り、空色の紋様を浮かべた。


「……こ……びゃ……」


 砕けた紋様の欠片が両腕に(つど)い、激しい光を発した。

 光が弾けるや、黒白の籠手が装着された状態で出現する。

 必死に(つむ)いだ声に、黒白の籠手は応えてくれたのだ。


 通常でなら気にならない重さも、今は少しばかりきつい。

 そのうえ左手がどう頑張っても、動かせそうになかった。左肩に矢を受けたからか、あるいは肋骨が折れているせいに違いない。


「こいつ、マジか……こんな状態で戦うつもりなのか……」

「……シィ……ヒュー……」

「行くぞ!」


 剣を手に、レオルは走り向かってきた。

 咲弥は微動だにできない。

 そもそも、気力のみで立っているだけなのだ。


「……がっ……」


 斬撃を胸に浴びせられ、咲弥はばたりと仰向(あおむ)けに倒れる。

 すでにある痛みに、電撃にも似た熱が混じり合う。

 必死に体を起こしている最中、腹部に衝撃が走った。


「ぐぁっ……」

「そんなにあの娘が大事か? えぇ? 冒険者様ってのは、ずいぶんとおめでたい奴らの集まりなんだな! おい!」


 言葉の端々で、蹴りが飛んでくる。

 威力自体は軽めだが、今の咲弥にはかなりの苦痛だった。


「がぁっ……ぐっ……」

「そんな奴が、この俺に上等な口きいてんじゃねぇぞ!」


 言葉が終わるなり、強烈に蹴っ飛ばされた。

 咲弥の体は吹き飛び、何度も地面を転がる。

 意識が飛びそうだが、絶妙な激痛がそれを許さない。

 しかしそれは、今においてはありがたくもあった。


「うぐっ……ぐぐっ……」


 停止した直後、再び咲弥はゆっくり体を起した。

 この動作が何度目なのか、もうわかるすべはない。

 立ち上がれたところで、一撃を繰り出すのも無理だろう。


 だが、咲弥にも意地はあった。

 人質を取るような卑怯者達に、負けたくはない。

 立ち上がった咲弥は、レオルを(にら)みつける。


「その目が……いらつくんだ!」


 レオルは吐き捨て、剣を上段に構えたまま向かってくる。

 咲弥は一歩たりとも動けそうにない。

 睨み続けることが、咲弥の精一杯の抵抗だった。おそらくレオルも、それはしっかりとわかっているはずに違いない。


 だからこそ――紅羽を想い、咲弥は渾身(こんしん)の力を振り絞る。それは手負いの獣が、命を捨てる覚悟にも等しい気がした。

 咲弥の想いに籠手が応え、勝手に黒い獣の手を作った。

 レオルの斬撃を浴びる寸前、流れるように黒い拳を放つ。


「んなっ……」


 一息分、咲弥の攻撃のほうが早い。

 斬られる覚悟をした捨て身の行動が、(こう)(そう)したようだ。とはいえ、まるで力のこもっていない最弱の一撃ではある。

 しかしレオルの剣は空を斬り、咲弥には命中していない。


 咲弥は膝を落とした。その状態で姿勢を保つ。

 もう二度と立ち上がれない。体中からそう察した。

 朦朧(もうろう)とした意識の中、見上げるようにレオルを(にら)んだ。

 レオルは怒りの形相で、再びその剣を振り上げる。


「このクソがぁああ!」


 命を絶つ斬撃が迫る。

 咲弥は、その視線を()らさない。

 ただひたすら、レオルを睨み続けた。


 咲弥の体が裂かれる寸前、金属が打ち合った音が飛ぶ。

 レオルの剣が、宙を舞っていた。


「あ……あぁ……」


 レオルは驚愕の面持(おもも)ちで、よろめきながら後ろへ下がる。

 地に落ちた剣が()ね、いやに鮮やかな音を立てた。

 咲弥の視界の端から、ぬっと黒い影が横切る。

 大剣を背に(たずさ)える、黒い鎧を着た巨躯(きょく)の男であった。


「お前達は、何をやってんだ?」


 男らしい渋い声が飛び、周囲は激しく動揺した。


「だ、団長……」

「どうして……」


 周囲の誰かの声を聞き、咲弥は理解する。

 眼前にいる鎧を着た大男が、黒十字騎士団団長のようだ。


「なぜ……遠方に発ったはずじゃ……」


 レオルの声には、恐怖がふんだんにこもっていた。

 今もなお後退を続けるレオルへ、団長は鷹揚(おうよう)に詰め寄る。


「事情があって急遽(きゅうきょ)、戻ってきた。で、何をしてんだ?」

「あ、いや……」

「言葉が理解できねぇか? 何をしてると()いているぞ」


 紅羽が写った写真を、団長がぐしゃっと踏みつけた。

 いつの間にか、落としてしまっていたらしい。

 団長はしゃがみ込み、足元から写真を拾い上げる。

 写真のほうを、団長は目を細めて見つめていた。


「おい。これは、アーシェスか?」


 周囲にいた男の一人が、まるで飛ぶように前へ踏み出た。

 ぴんと背筋を伸ばし、男は声を張って返事をする。


「は、はっ! そうであります!」

「こんな小賢(こざか)しい手を使ったのか? ああっ?」

「……はっ! レオルさんに頼まれ、能力を使いました!」

「そのあとは?」

「はっ! 標的に、入団時の百発儀(ひゃっぱつぎ)をおこないました!」


 アーシェスと呼ばれた男は、恐怖まじりの声で説明した。

 団長の強面(こわもて)が、咲弥のほうへ向く。


「どう見ても、百発以上はやってるみたいだが?」

「はっ! 百発を超えても立ち上がり、その数は百四十二発――団長の記録を超えております! その後、レオルさんが一騎打ちを提案し、今現在へと至ります!」


 咲弥はその数に、内心で驚かされた。

 団長は再び、レオルを振り返る。

 レオルの顔は蒼白に転じていた。


「俺らは……舐められるわけにはいきません。それは――」


 レオルが言い終える前に、爆発じみた風圧が発生する。


「ぐあぁあああ……っ!」


 レオルの左腕が宙を舞い、肩から鮮血が大きく噴き飛ぶ。噴いたのは最初だけで、あとはだらだらと流れ落ちている。

 膝を落とすレオルの前に立ち、団長が大剣を地に刺した。


「俺らは、()()めのクズの集まりだ……だから舐められるわけにはいかねぇ。だが筋を通せねぇカスは、それ以下だ」

 団長は渋い声を低くして続けた。

百発儀(ひゃっぱつぎ)ってのはな――そんなどうしようもねぇクズでも、国の剣となり、命を張れるばかを(つか)むための試験だ。決して私怨でやっていいことじゃねぇ!」


 斬られた腕を押さえ、レオルは苦渋に顔を染めている。

 そんなレオルの(あご)を、団長は大剣の先で持ち上げさせた。


「お前は、(した)()からやり直せ」


 団長は背に大剣を納め、咲弥の前までやってくる。

 そしてしゃがみ込み、目線を合わせてきた。


「……それにしても、俺の記録を超えてなお立ち上がるか。やっぱり強引にでも、俺の団に入って欲しい人材だったな」


 力強い眼光に、咲弥の視線はつい引き込まれる。

 団長は片膝をつき、胸に手を添えながら頭を下げた。


「俺のところのばかが、申し訳ねぇ……虫のいい話だが……今回の一件、首謀者の左腕一本で収めちゃくれねぇか?」

 団長は真摯(しんし)に言葉を(つむ)ぎ続けた。

「クズでも――俺らは、国を護る剣の一本なんだ。もし気が済まねぇなら、団長の俺が全責任を取ろう。冒険者ギルドの懲罰に、(しょ)してくれても構わねぇ」


「だ、団長っ!」


 悲鳴じみた男の声を境に、周囲が騒然と沸き立った。

 ギルドの懲罰が、いったいどんなものなのかわからない。ただ咲弥は()()()()()()()()よりも、大事なことがあった。


「そ……より……も……」

「あ、すまねぇ。喋れねぇか……」


 団長はそう言い、懐から何かを取り出そうとしている。


「ぐぉっ――!」


 突然、眩しい光の帯が、団長の頭部に襲いかかった。

 団長は大きく後退し、かろうじて光を(ふせ)いだらしい。

 咲弥の眼前に、(きら)びやかな衣装を着た銀髪の少女が天から舞い降りた。咲弥は我が目を疑い、なかば放心状態となる。


「へっ……? く……は……?」

「もしまだこちらに危害を加えるようであれば、あなた方の息の根を止めると、私はそう警告したはずなのですが?」


 紅羽の声には、寒気がするほどの怒りがこもっていた。

 そして咲弥のほうへ、紅羽の紅い瞳がゆらりと流れる。

 紅羽はまるで今にも泣きだしそうな顔へと変わり、下唇を()んだ。珍しく表情を作った彼女は、そっと前を向き直る。


 咲弥は訳がわからない心境に、ただ戸惑う。

 紅羽は今現在、捕らわれているはずだったからだ。


「この場にいる全員、抹殺します」


 紅羽は物騒な言葉を吐いた。

 紅羽の声音から、本気さが伝わってくる。


「い……くれ……は……」


 咲弥が言い切る前に、紅羽は団長のほうへと突っ走る。

 団長は面食らったのか、たどたどしく大剣の柄を(つか)んだ。

 紅羽は蹴りを繰り出し、素早く宙に純白の紋様を描く。


「光の紋章第二節、(きら)めく息吹」

 星々にも似た光粒(こうりゅう)(まと)い、紅羽はまた紋章術を放つ。

「光の紋章第一節、閃く剣戟(けんげき)


 舞い踊る光の斬撃を、団長は大剣の腹で(ふせ)いだ。しかし、身体強化された紅羽は、すでに団長の背後を陣取っている。

 団長は凄まじい蹴りを背に浴び、必死の形相で離れた。


 だが、紅羽はそれを許さない。

 即座に迫る紅羽の猛攻撃に、団長はひどく狼狽(ろうばい)している。


「く、は……待っ……」

「あの娘、団長を圧倒しているな」

「ありゃあ、特上だな。動きにキレがあらぁ」


 団長の部下達は、のほほんと観戦に入っていた。

 咲弥はぞっとする。咲弥以外の誰もが、知らないのだ。


 魔女の悪戯(あくぎ)――全開の限界突破と似て非なる、特殊な力を紅羽は秘めている。二十四時間に一回という制限はあるが、対人では脅威(きょうい)以外の何物でもないだろう。

 紅羽はおそらく、まだ完全には場を把握しきれていない。


 騎士団の数のほか、どんな能力を所持した者がいるか――完全に場を把握した瞬間、固有能力を使う可能性は高い。

 もし紅羽が後先を考えずに固有能力を発動した場合、この場にいる大半が、気づいた頃には死んでいる。魔女の悪戯は文字通り、本当の必殺技なのだ。


 紅羽に人を殺させたくはない。だから一刻も早く、止めにかからなければならなかった。だが、咲弥の声はあまりにもか細過ぎる。

 体中が悲鳴を上げ、口も体も上手く動かせそうにない。


「ちょ……っと……」

「噂に(たが)わぬ実力だ」


 団長の呟きのほうが大きい。咲弥の声は届かなかった。

 咲弥はぐっと息を詰め、もどかしい気持ちに心が痛む。

 不意に、地面に何かが転がっているのを捉える。


(あれは……)


 咲弥は倒れ込み、必死に落ちている物に手を伸ばした。

 予想が正しければ、団長が使おうとしてくれていた物――治癒(ちゆ)の紋章具だ。

 咲弥は空色の紋様を浮かべ、声を振り絞って唱える。


「治……癒……具……限……界……突……破……」


 それはなかば、無意識に近い行為ではある。

 急いで止めたい――そんな想いが、咲弥にそうさせた。

 成功するのかどうかは、咲弥自身にもわからない。


 空色の紋様が、無事に砕け散った。それは成功したという証明でもある。気力を振り絞り、治癒の紋章具を使用した。

 すると咲弥の体が、もの凄い勢いで治癒されていく。

 ふと視界の端で、団長が黒い紋様を浮かべたのが見えた。


闇黒(あんこく)の紋章第九節、暗がりの影人(かげびと)


 団長の紋様が砕けるや、途端に周囲の影が揺らめいた。

 影の中から人型のモヤが作られ、紅羽に襲いかかる。


 即座に身を(ひね)り、紅羽は影人(かげびと)の頭部に蹴りを放った。

 まるで(つか)まれたように、紅羽の足が頭部の中心で止まる。

 紅羽は紋様を浮かべ、口早に唱える。


「光の紋章第四節、白熱の波動」


 純白の光芒(こうぼう)が、影人を吹き飛ばす。

 どうやら、紅羽の機転は成功を果たしたようだ。まばゆい光線に呑み込まれ、ぱらぱらと影人が(ちり)となって消滅する。


 しかし今度は、団長に背後を取られていた。それは紅羽も承知の上らしく、宙返りをしながら凄まじい蹴りを放つ。

 その瞬間――

 赤髪のネイが風のごとく現れ、短剣を閃かせた。


「うぉっと……!」


 前と横から攻撃が飛び、団長は逃げるように後退した。

 不意に、ネイと視線が重なり合う。

 小首を(かし)げ、呆れたと言わんばかりのため息を漏らした。

 その直後、彼女の(りん)とした顔に怒りが宿る。


「私の荷物持ち君に、なんてことすんのよ!」

「こりゃあ、さすがに厄介だ」


 嘆息(たんそく)まじりに(つぶや)いた団長へ、ネイが続けて声を(つむ)いだ。


「冒険者に手を出して、無事で済むと思わないでよ?」


 ネイの綺麗な青い瞳に、物騒な光が宿る。

 ネイは宙を舞い、若草色の紋様を右手付近に携えた。


「風の紋章第六節、暴君(ぼうくん)の宝玉」


 ネイの右手に集った翡翠(ひすい)色の風玉が、団長へと放たれた。

 団長が大剣で(ふせ)ごうとしたが、紅羽がそれを許さない。


「光の紋章第四節、白熱の波動」


 (ほとばし)る閃光が、大剣の剣先を呑み込んだ。

 光芒の衝撃により、団長の防御が崩される。

 その瞬間――ネイの風玉が爆発じみた破裂を見せる。


「がぁはぁ――っ!」


 団長は額から血を流しつつ、すんでのところで回避した。

 咲弥は震撼する。団長は助けてくれた側の人物なのだ。


「やっぱ厳しい! やられちまいそうだ」


 そんなことを言っているが、団長は少し楽しげであった。

 はらはらしていた咲弥は、ようやく最低限まで回復する。

 全身全霊で声を(つむ)いだ。


「ま、待って、ください……!」

「ん?」


 咲弥の言葉が、やっと届いた。

 反応を示したネイに、力の限り声を張って伝える。


「その方、団長さん……助けてくれた、人、です!」

「へっ……?」


 ネイの間の抜けた声を最後に、沈黙が場を支配する。

 紅羽が、わずかに唖然とした顔を向けてきた。

 どこか残念そうに、団長は肩を(すく)める。


「なんだ。もうちょい、楽しめると思ったんだがな……」

「事情、説明してちょうだい」


 ネイの問いに、団長がすらすらと語る。

 その間――なかば強引に、紅羽が咲弥の頭を膝に乗せた。

 彼女は紅い瞳で、無言のままに見据えてくる。


 それはどこか、少し怒ったような雰囲気にも感じられた。

 咲弥は申し訳ない思いで、視線を右へ左へと泳がせる。

 短くも長い一日が、やっと終わりを迎えられそうだった。




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