第二十九話 罰として
王都にある活気溢れる酒場に、咲弥は紅羽といた。
本来、まずは冒険者ギルドに顔を出すのが筋に違いない。だがあまりに気が重く、もう少し心の整理をつけたかった。
咲弥はふと、隣の席に座っている銀髪の少女を見つめる。
お気に入りのパフェを、彼女はゆっくりと味わっていた。無表情のまま一口、また一口と、丁寧に食べ続けている。
咲弥は頼んだリャタンに、まだ口すらつけていない。
紅羽をぼんやりと眺め、咲弥は過去の記憶を振り返った。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
栗色の長い髪をした村長の娘――初めて会ったときに見た面影が思いだせないほど、チェリッシュは晴れやかな顔に、とびっきりの笑みを湛えた。
その眩しい笑顔を、咲弥は一瞥しかできない。
視線を落としたまま、咲弥は呟くように言葉を紡いだ。
「チェリッシュさん。この国を離れるらしいですね……」
「うん。これから行く国にはね、魔物を研究、保護している施設があるの。とても難関で厳しい場所みたいだけれど――でも、なんとか入り込もうかなって」
チェリッシュの声は、とても澄み切っていた。
対して咲弥は、ひどく沈んだ声で応える。
「そうですか……」
「アンリは、きっと……自分の信じた道を歩いた。ふふっ。泳いでいた。かな?」
チェリッシュは元気な声で続けた。
「負けてなんかいられないよね? だって私には、アンリが救ってくれた……たとえ世界の裏側にですら、どこへだって行ける立派な体があるんだから」
「……はい」
「あのね……依頼を請けてくれて、本当にありがとう」
唐突なお礼に驚き、咲弥はチェリッシュの顔を見た。
チェリッシュは、にっこりと微笑む。
咲弥は首を横に振った。
「お礼なんか……言ってもらえる資格なんか、ありません。チェリッシュさんの大切な存在を、奪ってしまったんです」
「そんなことない。だってね……魔物が死んで泣くなんて、きっとこの国……大陸じゃあ、君と私だけだと思うから」
やや涙ぐんだ青紫色の瞳で、彼女はじっと見据えてきた。
「依頼を請けてくれたのが、君でよかった。アンリのために泣いてくれて、本当に嬉しかった。落ち着いたらさ、君宛に手紙を書いて、送ってもいいかな?」
突然の願いに、咲弥はやや戸惑う。
「え? あ、はい」
チェリッシュは目を閉じ、そっと自身の胸に手を添えた。
「私がどこまでできるのか、君には知ってもらいたいから」
「わかりました……遠くからですが、応援しています」
「ええ。ありがとう」
その日――
チェリッシュは自らの意思で、村から爽やかに旅立った。
きっと彼女の目指した道は、大変険しいものに違いない。それでも、咲弥は心のどこかで、大丈夫なのだと思えた。
なぜなら、彼女の心の中には、いつもずっと――
アンリが優しく、寄り添い続けてくれているからだ。
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あれから――そのときの記憶が、脳裏に張りついていた。
当の本人はもう、気持ちを新たに立ち直っている。
それなのに、咲弥の心はいまだ深く沈んだままだった。
「傷心かい? 少年」
男の声に驚き、咲弥は肩越しに背後を振り返る。
帽子を目深にかぶったギルド長が、音もなく立っていた。
「あっ……ギルド長……」
「よっこらせっと」
ギルド長は、咲弥の隣の席に座った。
しばしの無言を経て、咲弥は重い声を吐く。
「すみませんでした……僕はまだ、ただの子供でした」
「調査班から報告は聞いている。後悔しているのかい?」
ギルド長の問いに、咲弥は少しばかり悩んだ。
「はい。もっと、慎重に動くべきでした」
「そうだね。その通りだ。でも――」
ギルド長は紳士的な顔に、わずかな微笑みを湛えた。
「君が動かなきゃ、救えない心があったのもまた事実だ」
「救えない心……?」
「報告では、依頼者は別の国へ旅立ったそうだ」
「はい。魔物を研究、保護している施設があるんだとか」
「これは、ただの憶測に過ぎないが……依頼を請けたのが、もし咲弥君ではなくほかの誰かだったら、彼女は同じように旅立っただろうか」
ギルド長は帽子を目深にかぶり直した。
「答えは、おそらく否だ。君が彼女の心を救ったからこそ、彼女はそういう決断をしたのだ。大切な存在のために、共に涙を流してくれた君だからこそ」
ギルド長からの慰めを受け、咲弥は小刻みに頷いた。
「慰めてくださって、ありがとうございます……」
「おっと。これは、慰めではない。ある種の事実だ」
ギルド長は紅羽のほうへ、左手をひらりと漂わせた。
「以前、紅羽君が言ったように、そんな咲弥君だからこそ、救われる者がいる。私もまた、その一人なのは間違いない」
ギルド長の言葉から、咲弥は気持ちの整理がつけられた。
咲弥は立ち上がり、頭を深く下げる。
「……はい。ありがとうございます」
「とはいえ、君達には今回の罰は受けてもらうよ」
「はい。どんな罰でも受けます」
「んん。いい心意気だ」
咲弥はギルド長から、一枚の紙を手渡された。
紅羽にも、なんらかの紙が手渡されている。
咲弥が手渡されたほうは、どうやら予定表らしい。
冒険者ギルドにある部署名と、時刻だけが記されていた。
「明日から一週間、罰として各部署でこき使わせてもらう」
「えっ……それで、いいんですか?」
「激務のため、みんな尻尾を巻いて逃げちゃうんだ。だから思った以上に、きっと楽な仕事ではないと言っておこうか」
ギルド長の意図を、咲弥は漠然と呑み込めた気がした。
激務を通して、あれこれ学ばせるために違いない。
しかしそれは、今の咲弥にはとても嬉しい話ではある。
もっと多くを、学ばなければならない。
罰という名の配慮に、咲弥は心から感謝する。
ギルド長に向かい、また深く頭を下げた。
「ありがとうございます。誠心誠意、しっかりと働きます」
「ああ。期待しているよ」
「はい」
ギルド長は颯爽と席を立ち、軽く手を振って去った。
咲弥は見送ったのち、リャタンを一気に飲み干す。
炭酸がきついが、今の咲弥にはいい刺激となった。
「紅羽」
「はい」
「巻き込んで、ごめんね」
「いいえ。私が自分で選んだ結果ですので」
紅羽は言ってから、一口分のパフェを口へと運んだ。
表情に変化はないが、幸福そうな気配がある。
ごくりと呑み込んでから、紅羽は紅い瞳を向けてきた。
「あのときにも言いましたが、私も一緒に背負いますから」
「紅羽……うん。ありがとう」
咲弥は素直にお礼を告げ、テーブル席に座り直した。
「紅羽ちゃぁあん!」
青髪の受付嬢ミリアが、まさに飛ぶように現れた。
パフェを堪能中の紅羽に抱き着き、頬ずりをしている。
「聞いたわよ。明日から、職場体験するんですってねぇ?」
間延びした声で問いかけるが、紅羽は無言を貫いていた。
「私と同じ受付だから、あとで衣装を考えましょうね」
確実に向いていない配属に、咲弥は冷や汗をかいた。
しかし罰だと考えれば、確かに適任の場所かもしれない。
咲弥は隙を見計らい、ミリアに謝罪する。
「ミリアさん。この前は、本当にすみませんでした」
「んぅ? 別に問題ないわ。むしろ逆に、ナイスだったわ」
ミリアの言葉に、咲弥は小首を傾げる。
だがすぐに、意味を予測できた。
「だって、紅羽ちゃんと一緒にいられる時間が増えるから」
(あ、やっぱり……)
苦笑が漏れかけたが、咲弥はかろうじて抑え込んだ。
今の自分は、そんなことをできる立場にはいない。
「お姉さんが受付の極意を、一から教えてあげるからねぇ」
ミリアは再び、紅羽に話しかける。
どうやら本当に、気にしている様子はなさそうだった。
ミリアを無視して、紅羽はパフェを食べ続ける。
そんな紅羽を、咲弥はどこか微笑ましく見つめた。
(明日からは、ギルドの職員として……いっぱい学ぼう)
心の中で意気込み、咲弥は紅羽達を眺め続けた。
それから、時は流れ――
一日目の業務内容は、清掃員となって働くことだった。
王都にある冒険者ギルドは建物自体が巨大なため、確かにかなり大変な作業には違いない。だが奴隷時代に比べれば、遥かにマシだとは思える。
しかも照明具の交換は、個人的に楽しんで作業ができた。
実際、まじまじと照明具の観察をできる機会は少ない。
だから謎の構造を知れる、いい勉強となった。
構造的には、おそらくはLEDに近い。発光石と呼ばれる鉱石をチップ状に加工し、そこに微量な電気を流し込めば、恐ろしいぐらいに発光するのだ。
発光石は世界中にあるため、安価で手に入る。とはいえ、安い物には、やはりそれなりの理由というものが存在する。
LEDとは違い、一般的な発光石は寿命がとても短い。
ただ人通りが多い場所や重要な場所には、高価だが寿命の長い、特注加工された発光石をギルドでは使用している。
(王都ではこうやって、明るさを保ってるんだなぁ)
咲弥はしみじみと、そんな感想をもった。
そうして一日目を終え、二日目を迎える。
この日は、冒険者ギルドの事務仕事のほうに回された。
依頼書の整理から、報告書のまとめが主な業務となる。
「おぉーい! 咲弥君!」
机にかじりついていた栗毛のロイが、大手を振っていた。
咲弥は声を大きくして返事をする。
「あ! はい!」
「至急、この書類を二十枚コピーしといてくれ!」
「はい! 了解です!」
ロイは目を見張るほど、てきぱきと仕事をこなしていた。
そもそも事務仕事は、得意だと口にしていた過去がある。
ロイはまだ、ギルドでは新参者の部類ではあった。しかしもう、周囲からの信頼を得られている様子がうかがえる。
彼の仕事振りを見れば、納得のいく話だった。
咲弥は書類をコピーしつつ、別の仕事も同時に進行する。
そうでもしなければ、時間内に業務を終わらせられない。
ロイに至っては、三つ四つと効率よく事を進めている。
(なるほど……確かに、逃げ出したくなるわけだ……)
そんな感想を持ちつつ、気を取り直して働き続ける。
最初は戸惑ったコピー機も、だいぶ扱えるようになれた。
構造はよくわからないが、前の世界より性能がよさそうに思える。印刷ではなく、どちらかと言えば、パソコンにあるコピー&ペーストに近い代物であった。
そして二日目が終了して、三日目に移行する。
午前は清掃をおこない、午後からは事務仕事に入った。
初日よりはマシだが、まだできないことはたくさんある。特に初見のものに関しては、訊かなければ何もわからない。
しかし誰もがあくせくと働いているため、下手に訊けない場合が多々とある。だから隙を見計らって、先んじて訊いて覚えるほかないのだ。
また、できることが増えれば、仕事量も爆発的に増える。
覚えなければならない仕事は、まだ尽きることはない。
四日目――罰期間の内、ついに半分を超える。
本日は、各部署へ荷物を届ける仕事を担当していた。今は資料が詰められた箱を届けるため、受付のほうに来ている。
これまでは、仕事中に受付周辺を通る機会がなかった。
だから仕事終わりに、話にしか聞いていなかったのだが、紅羽はもはや、完全にギルドの看板娘と化しているようだ。
酒場での人気は衰えないどころか、むしろ悪化している。
そうなった原因は、ミリアの責任でもあった。
神々しい容姿がゆえに、紅羽は本当に何を着ても似合う。
ミリアが見立てた衣装を着させられた紅羽は、楚々とした雰囲気を醸しつつ、しかし強烈な存在感も放っていた。
それこそ老若男女を問わず、視線を奪うに違いない。
いつも一緒にいる咲弥ですら、恍惚と眺めたほどだった。
「ミリアさん。資料の箱は、ここに置いておきますので」
「ええ。ご苦労様です」
ミリアが柔和に微笑み、咲弥の言葉に応じた。
そんなミリアの隣にいる紅羽へ、咲弥は視線を向ける。
紅羽の衣装と取り巻きに驚きはしたものの、もう一つ――それ以上に、我が目を疑うような事実を咲弥は捉えていた。
あの紅羽が、パソコンをこなれた様子で操作している。
初めてここを訪れた頃は、存在すら知らない様子だった。きっとミリアが教え込み、すんなりとものにしたのだろう。
ネイが少し前、紅羽を万能型だと言っていた記憶がある。
確かに、本当の意味から万能型だと思えた。
(たどたどしい僕とは、全然違うや……)
心の中で、咲弥は嘆きのため息をついた。
受付から出ようとしたとき、紅羽の可憐な声が飛ぶ。
「咲弥様」
途端に呼び止められ、咲弥は紅羽に視線を移した。
紅羽は肩越しに、咲弥のほうを振り向いている。
「また、のちほど」
珍しい微笑みに、咲弥はどきりとさせられた。
ついでに、周囲にいる男達の視線がぐさりと刺さる。
照れと恐怖を同時に覚え、咲弥はすぐさま我に返った。
「あ、う、うん。頑張ってね」
「了解しました」
少し名残惜しさを感じつつ、咲弥は再び激務へと戻った。
そして、五日目と六日目を無事に終え――
最終日に、事件は起こった。