第二十五話 初めての依頼請負
本日は一時間ほど、目覚めるのが早かった。
早起きではあったが、特に気怠さはない。念願の冒険者になれたのは、思った以上に気持ちを高ぶらせていたようだ。
王都はいつも通り、多くの人達で賑わいを見せている。
喧噪に満ちた王都の中にある冒険者ギルドには、それこそ多種多様の目的を持った人々が、頻繁にやってくるのだ。
その大半はもちろん、ギルド勤めの職員だったり、または冒険者だったりもする。それ以外の人となれば、それは――なにかしらの事情を抱えた者に違いない。
咲弥は冒険者の一人として、本日はギルドを訪れていた。
「――と、以上で、依頼請負に関する説明はおしまい」
冒険者ギルドの受付嬢ミリアは、緩やかな声を紡いだ。
青髪の彼女から説明を受け、咲弥は重く唸る。
想像以上に、最低等級からのスタートは困難を極めた。
冒険者としての等級を上げるためには、信頼と実績を勝ち取らなければならないが、そう簡単な話でもないらしい。
ネイ達の実力に見合わない等級も、そのせいだと思える。
「数をこなしていかないと、結構厳しいみたいですね」
「それはそうよ。その数が、咲弥君の実績になるんだから」
当然にも思える話ではあるが、内心のため息は尽きない。
隣にいる銀髪の少女、紅羽が淡々とした口調で言った。
「しかし私のもとであれば、それなりの依頼は請負えます」
彼女の紅い瞳には、とても真面目な光が宿っていた。
紅羽におんぶに抱っこの状態は、正直かなり情けない。
ただそれ以外に、いい道のりがないのも事実ではあった。
(今の僕じゃ、仕方ないよな……)
咲弥が嘆息すると、ミリアは柔和な顔をほころばせた。
「紅羽ちゃんみたいなのは、結構な特例だからね。さすが、私の紅羽ちゃんよね! お姉さん、とても鼻が高いわぁ」
ミリアのものらしき紅羽は、いつも通りの無表情だった。
これには、つい苦笑が漏れる。
紅羽にぞっこんのミリアは、くねくねしながら続けた。
「紅羽ちゃんに見合った依頼を、リストアップするわね」
それはそれで、咲弥には萎縮してしまう展開ではあった。
確かに下級だと、お使いじみた依頼ばかりになる。だが、中級ともなれば、きっと話は大きく変わってくるだろう。
ただミリアが危険な依頼を、紅羽に勧めるとは思えない。
ある程度の危険は、おそらく排除していると考えられた。
ふと緩やかな風の流れを、咲弥は背後から感じ取る。
腰まである長い栗色の髪をした女が、咲弥の隣に並んだ。どこか生気の抜けた顔には、悲愴感がひどく漂っている。
その女の隣には、父親らしき壮年の男も立っていた。
まだ十代後半だと思われる女が、青紫色の瞳を下げたまま重い声を響かせる。
「すみません……依頼をお願いしたいんですが……」
「あらまあ、どうしたのかしら?」
ミリアの問いに、女は口を噤んだ。
代わりに、隣にいる父親らしき男が告げた。
「失礼。私はフォンカーシ村の村長、ハレック・ランソー。こちらは娘のチェリッシュです。実は人を襲う魔物を一体、討伐してほしいんだが」
「魔物討伐の依頼ね。フォンカーシ村なら、査定にちょっとした時間がかかるけれど、それでも構わないかしら?」
「ああ……だが、できる限り早くしてもらいたい」
咲弥は不意の疑問が浮かび、つい口を挟んだ。
「査定とか、どれぐらいの時間がかかるもんなんですか?」
「そうねぇ。もちろん場所にもよるけれど、早くて数日って場合もあれば、一か月以上もかかる場合があったりするわ」
ミリアの言葉に、咲弥は自然と眉間に力を込めた。
「えっ……それじゃあ、その間は何もできないんですか?」
「ええ。そうなるわね」
「魔物に襲われる危険性だって……あるのに、ですか?」
「ええ。そのうえ依頼を請けるかどうかは、冒険者次第ね」
咲弥は言葉を失った。
隣にいる親子と同様、ほかにも似たような事例はいっぱいあるに違いない。魔物の影に怯えながら、いつの日か誰かがやって来るのを待ち続けるのだろう。
ただの偽善だと、それは咲弥も充分わかっている。
それでも――
「査定抜きで、この方達の依頼を請けてはいけませんか?」
「んぅ……」
ミリアは困り顔で、短く唸った。
「それはつまり、ギルドの規約に違反しますってこと?」
表情こそ柔和なものの、その声はひどく硬い。
「ギルドの一員である以上、ギルドの規則には従わなきゃ。あなたがしようとしていることは、プロとしては失格よ?」
咲弥は不意に、スラムに住む情報屋の少女を思いだした。
目的次第では、冒険者ギルドが足枷になる可能性も高い。彼女の言葉の意味が、今さらになって呑み込めた気がする。
ギルドは慈善事業とかではなく、ビジネスの一環なのだ。
「それでも、困っている人を見捨てられません」
「この方達以外にも、困っている人はほかにも大勢いるわ」
「わかっています。僕に全員を助ける力なんかありません。ですが……手の届きそうな範囲でなら、差し伸べられた手を掴んであげたいんです」
「勝手にやれば、あなた自身の査定に響くわよ?」
目的のためには、正直に言えばあまりよろしくない。
それでも、咲弥はまっすぐミリアを見据えた。
「目の前の人を見捨てるぐらいなら、それでも構いません」
ミリアは呆れた様子で、首を振りながらため息をついた。
その瞬間、男の太い声が咲弥の耳の傍で響く。
「たまたま、なんとなくそこに行ったってことにしたら?」
「……わっ!」
咲弥はびっくりして、声を振り返った。
紳士的な顔立ちをしたギルド長が、そこには立っている。
「ギルド長……?」
「やあ。ご機嫌はいかがかな?」
「もう……変なこと吹き込まないでください」
ミリアが片頬を膨らませ、ギルド長へ抗議した。
ギルド長はからからと笑う。
「いやぁ……つい、声が聞こえてきちゃってね」
「咲弥君、だめよ? それは立派な違反だから」
「たまたまそこへ旅立って、たまたま困っている人がいて、たまたま流れでなんか、いろいろやっちゃっただけの話さ」
「ギルド長……!」
「とはいえだ。もしそこで何があろうとも、我々はいっさい感知しないし、査定に響くのは致し方なしではあるがね?」
ギルド長は小さく笑い、焦げ茶色の瞳で見据えてきた。
「ギルドの利益を、君は潰すんだ。それでも、行くかい?」
「……はい。この方達の助けになれるのなら、行きます」
「やれやれ……困った新人君だ」
ギルド長は、呆れたと言わんばかりに肩を竦めた。
それから、依頼にやって来た親子を振り返る。
「あなた達の望みを、どうやら彼が叶えてくれるようだ」
村長のハレックが、困惑げに声を投げた。
「失礼だが……君の等級は……?」
「うっ……あ、下の五級です……」
咲弥はかろうじて声を絞り出した。
ハレックは訝しげな顔で、自身の顎を撫でる。
「下の五級……本当に、ただの新人じゃないのか?」
「あ、ええ……」
「いや……それは……しかし……」
ハレックは言いあぐねたように、その口を閉じた。
実績も何もない新人に任せるのは、当然の不安だろう。
ギルド長が耳打ちする姿勢を取る。
ただ、その声は隠す気のない声であった。
「実はこの子、空白にいる零級の魔物を討伐していますよ」
「なんと……はぁ……これは驚かされた」
「ですから、並大抵の魔物であれば、問題はありません」
ハレックは頷きながら、咲弥のほうを見据えてくる。
「私も同行します」
ずっと黙っていた紅羽が、唐突に声を紡いだ。
咲弥はやや戸惑い、首を横に振る。
「僕に協力したら、紅羽の査定にも響いちゃうだろうから」
「別に構いません」
紅羽は胸に両手を添え、そっと紅い瞳を閉じた。
「そんな咲弥様だからこそ、私は身も心も救われました」
「紅羽……」
「だから、咲弥様にお供いたします」
紅羽の嬉しい申し出を、ゆっくり呑み込んでから頷いた。
「ありがとう。紅羽」
「はぁ……」
重いため息をついたミリアへ、咲弥は頭を下げる。
「すみません。ミリアさん……心配してくださって、きつく言ってくださったのに……でも、ほうっておけないんです」
「仕方がないわね……フォンカーシ村の方、依頼の手続きはおこなってください。きっちり査定はしますが、たとえ先に――〝たまたま〟依頼の内容が完遂された場合でも、料金は支払っていだたきますので、そこはどうかご了承ください」
ミリアの発言に、咲弥は小首を傾げる。
「えっ……そんなことをしても、いいんですか?」
「ギルド長が、なんとかするでしょうから」
ミリアの言葉に、ギルド長が深いため息をついた。
「やれやれ……またどやされるな……」
「自業自得ですよ」
頬を膨らませ、ミリアはぷんぷんとしている。
咲弥はギルド長に頭を下げた。
「ギルド長。すみません」
「なぁに。若いうちは無茶するのが特権さ。学んでおいで」
「はい。ありがとうございます」
「依頼が完遂するまでは、全部自腹だからね?」
ミリアの発言に、咲弥は短くうめいた。
しかし今回に至っては、仕方がない気持ちではある。
咲弥は心の中で、こっそりとため息をついておいた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
少年達はどんな思いを抱え、前へ進んでいるのだろうか。
帽子を目深にかぶった男――クァルス・テ・ヴァーンは、少年と少女の後ろ姿を、なかば茫然と見送り続けていた。
戦闘能力が高いとはいえ、少年達はまだ雛鳥でしかない。
これから多くの物事を経験し、そして立派に育つのだ。
フォンカーシ村について、ある噂を耳にしたことがある。
もしもそれが真実であれば、おそらくは――
「ギルド長……本当に、よかったんですか?」
穏やかな口調の部下、ミリアの声が背後から飛んだ。
クァルスは口もとを緩ませ、振り向かないままに答える。
「これもまた、成長に必要不可欠な物事の一端に過ぎない」
「本部のほうから何を言われるのか、わかりませんよ?」
「なあに。のらりくらりと、上手くかわしておくさ」
「はぁ……ほんと……」
ミリアのため息には、たっぷりと不満が詰まっていた。
クァルスは、呆れた様子のミリアを振り返る。
「あんな彼だから、救われた者達がいる。君のお気に入りもまた、そんな彼だから救われた。そう言っていただろう?」
「それとこれとは、話が違います」
思いのほか頑固な部下に、クァルスは苦笑する。
クァルスは帽子を上から押さえ、目深にかぶり直した。
「しかし……今回ばかりは、どうかな」
「また、風の便りですか?」
「ああ。ただ風に乗ってやってきた――噂程度のものさ」
ミリアは、淡々とした声を紡いだ。
「今回の件は、ギルド長に全部お任せしますからね」
「おや? 手伝ってくれる気はないのかい?」
「ええ。ありません」
「やれやれ……手厳しいねぇ」
微笑みを湛える鬼の部下に、クァルスは苦笑を送った。
少年達が消えた場所に目を向け、クァルスは問いかける。
「君から見て、あの二人はどうだい?」
「紅羽ちゃんってば、本当にとても可愛いんですよ。もう、女神の領域に……いえ、完全に超えています。それに――」
銀髪の少女について、ミリアは濁流のごとく語った。
女好きではあるが、こうまで入れ込むのも少し珍しい。
あの少女の出自に関しては、それほど調べるまでもなく、ある程度の把握はできている。かなりのいわくつきであり、正直なところ扱いには困るに違いない。
それはミリア自身、痛いほどに知っているはずだった。
しかしあの娘だけは、ほかとは異質なほどの違いがある。感情表現はかなり乏しいものの、まるでないわけでもない。
その事実こそが、驚きをもたらす要因ではあった。
(零級の魔物も翻弄する戦闘能力……さすがだねぇ……)
クァルスは胸中で、感想を呟いた。
女部下は少女について、いまだ語り続けている。
苦笑してから、クァルスは次の問いを投げた。
「では、少年のほうはどうだい?」
「正直、よくわかりませんね。接してわかる以上の情報は、ただただ謎です」
「そうだね。何もわからないね」
本当の意味で、まさに何もわからない。
生命の宿る宝具に選ばれ、そのうえ精霊までをも使役する――これまで、そんな存在と出会った記憶は当然なかった。
恩人ではあるが、クァルスの立場としては少年を調べないわけにもいかない。だから冒険者資格取得試験のエントリー後も、調査班を動かして調べさせた。
しかし彼の足取りを逆に辿れば、小さな農村で止まる。
それより前に関しては、いまだに情報が得られないのだ。
少年の仲間によれば、遠くから海を渡ってきたようだが、そういった情報は、どこを探そうとも残されていない。
農村側はもちろん、その反対側の海岸まで調べている。
ただその調査で、彼の人となりはより深く知れた。
あれほど人に対して熱くなれる少年が、農村以前の消息が完璧に途絶えてしまう。有能な調査班が、絶望感たっぷりでお手上げしているくらいだ。
それこそ、別の異次元か何かから、現れたのではないかと勘繰ったほどであった。そう思った一因は、耳を疑うような報告を聞かされたからに違いない。
農村に住む少女によれば、彼は紋章石の宿し方どころか、神の御使いリフィアの存在すら、何も知らなかったという。
そしてさらに、ミリアの話では、彼は信じられない使命を背負っていた。
邪悪な神――
魔神を討伐するといった任を、誰かから与えられている。
いったいどんな人物なのか、そこまでは判明していない。
使命を負わせた人物、それは果たして本当に人なのか――ミリアいわく、かなり人という言葉を強調していたらしい。
まるで天使の形を模したような、特殊な紋様を持っている部分も併せて考慮すれば、無駄に憶測が巡り巡ってしまう。
遠い昔に存在したとされるリフィアと同様、彼もまた――
漠然とではあるものの、そんな妄想が尽きない。
いずれにしろ、少年の存在は謎に包まれ過ぎている。
だから文字通り、まさに何もわからないのだ。
「彼は……どこからやってきて、どこへ向かうのだろうね」
クァルスの呟きに、冷酷な部下の声が飛ぶ。
「それよりもまずは、言い訳を考えたらどうですか?」
「ふっ。ほんと……手厳しいねぇ」
正体不明の少年と、いわくつきの少女ではあるが――
どちらも恩人であるのは、今でもずっと変わらない。
彼らの旅路の無事を、クァルスは心の中で祈っておいた。