第二十四話 使命の告白
南レイストリアにある酒場は、本日も大盛況であった。
さまざまな人達が、食事と雑談を楽しんでいる。
その中の一部分から、黄色い声が飛び上がった。
「やぁんっ! さっすが、私の紅羽ちゃん。凄いわねぇ」
柔和な顔をほころばせ、ミリアは櫛で銀髪を梳いていた。
ミリアからされるがまま、紅羽は黙々と無表情でパフェを堪能している。
もう咲弥の中では、お馴染みの光景となりつつあった。
ただ、少しだけ不可解にも感じられる。紅羽は面倒そうな気配を醸してはいるものの、しかし逃げる気もないらしい。
諦めているのか、そもそも特に嫌ではないのか――
紅羽の本心までは、わかりそうにもない。
咲弥は苦笑して、左隣りにいる二人をそっとしておいた。
「待て待て待て待てぇい! ちょっと待ちなさいよ!」
咲弥の右隣にいるネイが、途端に声を荒げた。
彼女の凛とした美貌は、怒りに満ちている。
「どうして、新米冒険者の後輩が、先輩たる私よりも等級が高いわけ? 紅羽が中の二級って、おかしいでしょうが!」
「お前、お知らせを見てないのか?」
咲弥の対面にいる獣人ゼイドが、呆れた声を投げる。
怒りが収まらないのか、ネイはテーブルを叩き鳴らした。
「何よ、お知らせって!」
「今回の冒険者資格取得試験を境に、俺らも等級の見直しが入るんだ。なんと無料で、査定をおこなってくれるらしい」
「……マジ?」
「ああ、マジだ」
「うおっしゃぁあ!」
ネイは拳を握り締め、歓声を上げた。
まるで今にも、どこかへ走り出しそうな気配がある。
ゼイドの隣に座っているロイが、苦い顔で呟いた。
「にしても……咲弥君は下の五級……最下級か」
これには、苦笑で応えるほかない。
咲弥は苦い気持ちを抱きつつ、ロイに言葉を返した。
「戦闘面では、高評価をいただいたんですが……見習いから始めろって感じのことを、試験官の方から言われましたね」
「まあ、確かに……戦闘面だけが特化しててもなぁ……」
「つか、空白の領域にいる魔物が出たんだろ?」
ゼイドが会話に割り込んできた。
咲弥は重く頷いてから応じる。
「正直……今でも勝てたのが、本当に不思議なぐらいです」
「そりゃそうでしょうよ……その情報が流れたとき、絶対に死んだと思ったわ」
ネイは呆れ声で言い、さっと肉料理に手を出した。
ミリアが紅羽の頭を、ゆっくりと撫でる。
「紅羽ちゃんが、もの凄ぉく頑張ったのよねぇ」
「いいえ。咲弥様がいなければ、勝てませんでした」
淡々と否定した紅羽に、咲弥は忌憚なく本心を語った。
「いや、紅羽がいなければ、間違いなく殺されてましたね」
「ははは……どちらも、無事で何よりだ」
ゼイドは安堵の笑みを浮かべて言い、言葉を紡ぎ続けた。
「それで、晴れて冒険者になれたわけだが……これから先、どうするんだ?」
ゼイドのなにげない問いに、咲弥はぴくりと肩が跳ねた。
いつかは、絶対に伝えなければならない。
確実に一人では、達成が不可能に思える使命なのだ。
今からでも、少しずつ仲間を集めておいたほうがいい。
『あなたが天使の使徒――または、別世界の住人であると、他言してはなりません。肝に銘じておいてください。もしもあなたの素性が知られる事態に直面した場合は――あなたと知った者達は全員、命の灯火が即座に消滅するのだと』
天使から言われた言葉が怖くて、これまで話せずにいた。
ただでさえ、咲弥の紋様は天使の形を模している。
咲弥の事情を話したことにより、聞いた者が天使の使徒、または別世界の住人と連想した場合――連想ですら、忠告を無視したとみなされかねない。
だからずっと、言える範囲内を必死に模索し続けた。
いつか話す――紅羽との約束も果たさなくてはならない。
冒険者になったことが、いい機会だと考えた。
「それに関してなんですが……」
咲弥の重い声に、一同の視線が集まった。
咲弥は胸を軽く掴み、頭の中を整理する。
「もう皆さんには、ちゃんとお話しておくべきですね。特に紅羽には、絶対に」
「なあによ。改まっちゃって」
ネイの口調はいつも通りだったが、声は真面目であった。
咲弥は嘘を混ぜ込み、静かに告白する。
「僕はある人から、ある一つの命令を受けています。それは邪悪な神――つまり、魔神を討たなければなりません」
「……魔神を?」
訝しげなゼイドの問いに、咲弥は首を縦に振る。
咲弥の発言に、誰もが怪訝そうな面持ちで固まっていた。
ロイが苦い笑みを浮かべ、沈黙を破る。
「魔神って……あの? ははは……冗談だろ?」
「魔神の存在なんか……もはや御伽噺に等しいんだがな」
「ここ最近の魔物の活発化は、魔神の復活による影響だって考えてる人も、結構いるくない? 実際わかんないけどさ」
ゼイドの言葉を否定したネイが、そう締めくくった。
咲弥は真摯に伝える。
「正直……僕も本当に、魔神かどうかまではわかりません」
ネイ達が一斉に、ガクッと体をこかす。
ロイが渋い顔で、テーブルにその身を乗り出した。
「いや、オメェにもわかんねぇのかよ!」
「ははは……にしても、魔神か……ふぅーん……」
ゼイドは悩ましげに唸った。
これには、咲弥も苦笑するしかない。
咲弥はさらに〝人〟という言葉を強調しておく。
「邪悪な神を討てとだけ、その人から命じられましたから」
「つかさ、その人はいったい何者なのよ?」
「僕にも……実はわかりません……ただ、かなり地位の高い人物みたいです」
「ふぅん。てかさ、なんであんたが、そんなことをしなきゃならないわけ?」
ネイと同じ疑問を抱いたことを、咲弥はふと思いだした。
天使と対面したときから、ずいぶん時が流れ去っている。
ほんの少しだけ、懐かしく思えた。
「僕だけではありません。僕以外にも――九名が同じ命令を与えられています。まあ……出会ったことはありませんが」
「それなら、そいつらに任せておけばいいじゃない」
「それが、そういうわけにも……ちょっといかないんです」
「どうしてよ?」
咲弥は言える範囲内で答える。
「僕達はみんな……ある種、競争させられています」
「競争?」
「討ち取った者だけ、叶えられる範囲の願いを叶える、と」
「ほぉん! つまり、ご褒美ってことね」
ネイはきらきらと目を輝かせ、にやりとした。
きっと財宝か何かを、彼女は想像しているに違いない。
確かにそれは、天使ならば簡単に叶えられそうではある。
「咲弥君の叶えたい願いって、なんなんだ?」
ロイの質問に、咲弥はもう一度しっかりと思案する。
嘘ならば、いくらでもつけられたに違いない。
だがここだけは、嘘をついてはいけない気がした。
だから――
「家族に……また、会うことです」
「家族……?」
「今はもう、二度と手の届かないところにいますから」
「……死んだって、ことか?」
ゼイドの疑問を、咲弥は首を横に振って否定した。
「いいえ。生きています。生きていますが……会えません」
「そりゃあそうだろ。死人を生き返らせるとか、そりゃもう叶えられる範囲を、ぶっ越えちまってんじゃねぇのか?」
ロイの指摘に、ゼイドは顎をさすった。
「言われてみりゃそうだ。じゃあ、人質か?」
「少し複雑なんですが……とにかく、今はもう会えません」
周囲の喧騒以外、場に沈黙が広がる。
咲弥は内心、ハラハラしていた。誰もが上手く勘違いしてくれているが、話すのはここまでが限界だと感じられる。
話を突っ込まれても困るため、咲弥は本題を切り出した。
「きっと僕一人では、命令をこなせません。ですから……」
咲弥は席を立ち、深く頭を下げた。
「少しでいいので、皆さんのお力をお借りできませんか? どうかお願いします」
ゼイドの唸り声が耳に届いた。
「しかし、魔神ねぇ……そんなのが本当にいるのかどうかはわからんが、もし俺で力になれるなら、力になってやるさ」
「ゼイドさん……」
「乗りかかった舟だ。もう最後の最後まで付き合うぜ」
本当に面倒見がいいゼイドに、咲弥は感謝の念が湧いた。
テーブルに頬杖をつき、ロイは片手を振る。
「ぶっちゃけ俺は戦闘面に関しちゃ、あんま力になれねぇ。だから情報提供でいいんならさ、お前の力になってやるよ」
「本当ですか。ロイさん、ありがとうございます」
「咲弥君には、でっけぇ借りがあるしな」
ロイはそう言って、快く引き受けてくれた。
咲弥は心から嬉しく思う。
今度は、ネイがいたずらな笑みを浮かべて訊いてきた。
「ねぇねぇ。その叶えられる範囲の願いって、手伝った人も叶えられんの?」
「ははは……残念ながら、ただ〝一つ〟のみらしいですね」
「えぇえ……つまんなぁい。その人ケチなんじゃないの?」
ネイは顔が一気に渋くなる。
そう思えば、今度は不敵な笑みを見せた。
「なら、あんたから報酬もらっちゃおっかなぁ」
「できる限りであれば、いくらでも頑張ります」
「よっしゃあ! 言質取ったわよ!」
ガッツポーズの姿勢で、ネイが喜びを体からも表した。
ずっと無言だった紅羽に、咲弥はふと視線を移す。
じっと見据えてきていたらしく、視線が重なり合った。
「私はそもそも、咲弥様のお力になるつもりでしたので」
「ありがとう、紅羽」
感謝を伝えるや、紅羽はリャタンをストローで飲んだ。
ネイ達の声が、ふと耳に届く。
「魔神討伐とか、ちょっと、わくわくしてきちゃった」
「ああ。そうだな。これぞ、冒険者――って感じがするな」
「冒険者っつぅよりは、英雄って感じだと思うんだがな……冒険者は逞しいねぇ。俺は魔神なんぞ見たら、ちびるぜ?」
ロイがげっそりとした顔をする。
ネイが横目に、ロイのほうを睨んだ。
「その年になってお漏らしとか、恥ずかしくないわけ?」
「それが普通だっつうの。なんせ、魔神だぜ? 魔神」
「はあ……情けない男ね。少しはゼイドを見習いなさい」
「いや、俺も正直ちびるかもしれねぇな」
「だよなぁ?」
ネイ達三人は、楽しげに会話が弾んでいた。
「今度は、どんな可愛い衣装が着てみたい? 紅羽ちゃんのためなら、お姉さん、奮発して揃えちゃうからねぇ。最近の流行りもいいけれど、古き良き衣装も捨てがたいのよねぇ。女の子なんだから、たくさんオシャレを楽しまなきゃね」
それは独り言なのか、または紅羽に語りかけているのか、咲弥には判断がつかない。ただ触れてはいけない気がする。
一同を眺め、咲弥の心の中は複雑な心境で溢れ返った。
使命を果たす――それは、全員との別れを意味している。
この世界を訪れ、本当に多くの人達と出会ってきた。
いい人もいれば、悪い人も当然いる。
しかし、これほどまでにいい人達と巡り合えた――咲弥は不意に罪悪感が湧き上がる。そんなつもりはないが、まるでみんなを騙しているような気がしたのだ。
天使との約束とはいえ、それが重く心にのしかかる。
咲弥はまた、ふと紅羽に視線が流れた。
(僕は……)
咲弥は静かに思考を打ち消した。まだ使命を果たせると、確実に決まったわけではない。だから、そのときが来るまで――考えるべきではなかった。
思案すればするほど、きっと進める足を止めてしまう。
「咲弥様も、リャタンが欲しいのですか?」
紅羽の言葉で、咲弥ははっと我を取り戻した。
どうやら呆然と、リャタンのほうを見つめていたらしい。
咲弥は気持ちを入れ替え、精一杯に笑みを作った。
「そうだね。それ、本当に美味しいからね」
「ア、アニキー!」
女顔をした森人のレンが、やや遠くから走り寄ってくる。
試験が始まる前、咲弥がここで働くよう勧めたのだ。
「ここ、やばいぐらい忙しいんっすけど……」
「レン! さぼったら怒られちゃうよ」
レンの傍に、やや小太りしたクァンもやってきた。
「二人とも、頑張ってるみたいだね」
「おらぁ、レン! さぼってんじゃねぇぞぉおおっ!」
厨房の奥から酒場の店主、マスターの怒声が響いた。
レンは瞬間的に身を竦ませる。
「へ、へい! ただいま!」
「ほらぁ」
レンはそそくさと、クァンと仕事に戻った。
いい感じに続いているらしく、咲弥はほっと安堵する。
不意に、後ろから誰かに抱き着かれた。
「にゃはは! 咲弥はっけぇん!」
「うわっ! ミ、ミラさん?」
そっと離れたミラは、満面の笑みを浮かべていた。
耳をぴょこぴょこと動かして、ほんの少し前屈みになる。控えめな胸元につい目が向かい、すぐ別の場所へ逸らした。
その視線の先に、どこか不満げな紅羽の顔がある。
「ねえねえ、咲弥! 今度、一緒に冒険に行こうよ!」
「ぼ、冒険ですか? えっと、まあ、ぜひ……」
咲弥はあたふたしながら、かろうじて応えた。
不意に脇腹を、つんつんとつつかれる感触を覚える。
なにやらネイが、にたにたと笑っていた。
「あんた……まぁた別の女を引っかけたわけ?」
「またってなんですか! 別にそんなんじゃありません!」
「手当たり次第に手ぇ出しちゃって、まあ……」
ネイのからかいに、どう反応すればいいのかわからない。咲弥は対応に困り果て、ふと見た視線の先にまた面倒そうな人物を発見した。
民族的な服を着たハオが、ふるふると震えている。
「お前、どんだけ女に手ぇ出してんだぁあああ!」
「いや! だからそれ、ただの勘違いですから!」
「どこの王族貴族様なんだ! てめぇはぁああ!」
「ただの冒険者ですって!」
「はあ! つまんね! クソが!」
何を言ったところで、きっと無駄なのだろう。
咲弥はすべてを諦め、椅子にどっと体重をあずける。
各々が会話を楽しみ始め、もはや収拾がつかない。しかし酒場らしい喧騒のある雰囲気は、別に苦手ではなかった。
活気溢れるこの空間は、どこか落ち着く感じですらある。
不意にリャタンが、咲弥の目の前にコトンッと置かれた。
「咲弥様、どうぞ」
いつの間にか、取りに行ってくれていたらしい。
紅羽に視線を向け――咲弥は短くうめいた。
角度の問題かもしれない。
普段通りの無表情だが、何やら睨まれている気がした。
「あ、ありがとう。紅羽」
「はい」
返事をしたあとで、紅羽はまた自分の席に戻った。
再び、ミリアに銀色の髪を綺麗に櫛で梳かれている。
もう何が何やら、よくわからない。
(はあ……明日から、どうしようかな……)
現実逃避に近い状態で、咲弥はぼんやりと考えた。
明日からは冒険者として、新たな一歩が始まる。
できることは、これまでよりも多いに違いない。
「ねえねえ、咲弥! 冒険に行こうよー!」
「ざんれんね。咲弥はわらしのにおつ持ち君らの」
咲弥はぎょっとする。
またネイが酔い始めた。
ゼイドとロイの二人が、呆れ声を飛ばす。
「おい、ネイ。あんま酔うなよ」
「なんでコイツ、酒クソよえぇのにがぶ飲みすんだよ」
「まあ、おかれしらいでは、かしてらってもいいわぉ」
ネイは咲弥の首に腕を回し、顔を至近距離まで近づけた。
ネイから漂う酒の匂いが、ぐっと近くなる。
「てか、あんらもう後輩らんらか、君づけしらいわよ」
「はは、それは確かにそうだな。もう一般人じゃないんだ」
ゼイドが豪快に笑い、ネイに同意を示した。
「ああ、はい。全然、問題ありません」
ネイはおっさんのごとく笑い、咲弥の肩を叩いた。
そしてまた、それぞれが好き勝手に喋り始める。
「本当、お前はスケコマシ野郎だな! クソが!」
「冒険するならどこかな。やっぱ楽しいところがいいよね」
「紅羽ちゃん。髪も格好も綺麗にオシャレしましょうね」
「……」
「にしても、これうめぇ……マジ王都って最高だわ」
「おぉーい! 注文の追加いいかぁー!」
「アニキー! 助けてくださいよぉ!」
「レェーンー!」
みんな同時に喋るため、もはや訳がわからない。
とりあえず、咲弥は紅羽が運んできたリャタンを飲んだ。
(うん。凄く美味しいや)
リャタンを飲みながら、咲弥は考えるのをやめた。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。
第八話からの一区切りまで、今回はやや長めです。
実は本来、ここで二章が終わる予定でした。
ただ……あれこれを省きに省いたまま、次の章へ入るのはどうなんだ? という思いに駆られ、また加筆しちゃった。
ですから、もう少しだけ二章は続きます。
では、区切りごとにおこなわれる蛇足を――
幽鬼の古城――
幽鬼の古城で咲弥を閉じ込めた犯人は、ネフトリアです。
たびたび訪れた者に、そうして救いを求めていました。
約千年――途方もない時間をかけ、ようやくネフトリアもラシャスも、深い眠りにつけました。
ジャガーノート――
実は卵の状態のまま、空白の領域を出ています。
偶然の奇跡が生んだ冒険を経て、マドカレ島に来ました。
語りたいことはたくさんありますが、やめておきます。
この時点でも、もうめっちゃ長いですもんね……。
以上、お読みいただきありがとうございました。
そして、ちょっとしたお願い。
ブックマークや★評価する場所が、少し下にあります。
ブックマークと評価で、どうか応援お願いします!