第二十三話 試験の結果
大広間には、すでに百人を超える受験者が集まっている。
演壇がある以外は特に何もない、質素な空間であった。
咲弥が入室するや、橙色の短い髪をした女――猫型の獣人ミラが飛んでくる。
「咲弥ぁ――っ!」
「あ、ミラさん……よかった。無事だったんですね」
「うんうん! 咲弥も無事そうでよかったぁ。どこにも姿が見当たらないから、あのでっかい魔物に、やられちゃったのかと思ったよ」
「ははは……なんとか、生きてますね」
ミラは腕を組み、深く唸った。
「ミラ、あの魔物の攻撃で気絶しちゃったからさ、あれからどうなったのか、あんまよくわかってないんだよねぇー」
「そうなんですか」
「うんうん」
会話の最中――ミラの目は、ずっと紅羽へと向いている。
紅羽と会話をしているのかと、そう錯覚するほどだった。
咲弥はつい苦笑する。
「えっと……こちらが、探してた仲間の紅羽です」
紅羽の紹介をしてから、咲弥はミラへ手を向けた。
「こっちは、ミラさん。試験でチームを組んでた人なんだ」
手を前で組んでいる紅羽は、無言のまま軽い会釈をした。
ミラも、つられたようにお辞儀している。
「紅羽。ミラね、ラ・イ・ミラっていうの。よろしくね」
ミラが紅羽の手を、ぎゅっと握る。
無表情のままの紅羽は、手を上下に軽く振られていた。
変な誤解を招かないよう、咲弥はフォローを入れる。
「紅羽は、あまり人付き合いが上手くないんです」
「近くで見ると、本当に可愛いね。しかも強いんでしょ?」
ミラは満面の笑みを浮かべ、咲弥のほうを向いた。
あまり気にはしていないらしい。
「はい。試験の最中に、もっと強くなったみたいですけど」
「そうなんだ。いいなあ。ミラも、もっと強ければなあ」
「僕も、自分にそう思います」
「咲弥は、もう充分に強いじゃん」
両手を小さく広げ、ミラは呆れた声でそう言った。
紅羽みたいに強ければ、この先に待ち受けている合格者の発表を、もっと堂々と構えていられたように思える。
咲弥は肩が、ずんっと深く沈んだ。
「ねえねえ。紅羽、知ってる? 咲弥ね、紅羽が死んだって聞かされたとき、子供みたいにぎゃあぎゃあ泣いたんだよ」
「ちょ、ちょっと……ミラさん、やめてくださいよ」
「ええ、いいじゃん。素敵なことだよね?」
ミラの発言に、紅羽が淡々とした口調で応えた。
「試験官の方からも、その話は聞かされています」
「えっ……」
一瞬どちらか悩んだが、すぐに予想がついた。
きっと、アイーシャに違いない。
咲弥は不意の恥じを覚える。
「ちょっと、羨ましいな……」
か細い声で、ミラが何かを呟いた。
恥じを抑えようとしていたため、つい聞き逃した。
「何か言いました?」
「なんでもない」
後頭部に両手を置き、ミラは後ろを振り返った。
「そうそう! もしまた膝枕してほしくなったら、ちゃんとミラに言ってね。いつでもいくらでも、してあげるからさ」
ミラのからかいに、咲弥は驚きのあまり仰け反る。
隣の紅羽が、無言で見つめてきた。
「いや、違っ……体が動かなくて、あれだったんだって……や、か、からかうのは、やめてくださいよ。ミラさん……」
とっさに言い訳をするが、上手く言葉が出てこない。
紅羽はじっとりと見据えたまま、何も言わずにいる。
「にゃはははっ!」
ミラは笑いながら、受験者の立つ奥へと戻った。
紅羽の視線が、少しばかり痛い。
一から経緯を説明しようとした、そのときであった。
「おら! ここで詰まんな! とっとと進め!」
後ろから、アイーシャの声が飛んだ。
アイーシャはむすっとした顔で、睨んできている。
その隣には、頭にバンダナをしたケイスの姿もあった。
「あ、す、すみません」
咲弥は謝罪し、紅羽と中央付近までそそくさと進んだ。
ミラが無事とは知れた。移動の最中、ほかの者達の安否が気になるが、この人込みではなかなか探し出すのは難しい。
アイーシャが演壇に立ち、その斜め後ろにケイスが立つ。
「これから合格者の発表をする。名前を呼ばれた奴は、前に出てこい」
アイーシャの言葉に、空気が張り詰めた。
合格確定の紅羽には、緊張など感じないだろう。
不合格確定の咲弥に至っては、緊張する余地などない。
咲弥と紅羽以外は、誰もが固唾を飲んで見守っている。
「まずは、首席合格者からだ!」
「ドクロ地点の主格魔物討伐数、十一体。指定物の納品数、二十八。総獲得スフィア、約一六〇〇万」
ケイスの言葉に、受験者達の間からどよめきが起こる。
咲弥も、これには驚かされた。
いったい誰なのか、凄いという以外の感想が出ない。
「受験者、紅羽。前へ」
「えっ――!」
首を痛めるぐらいの速度で、咲弥は紅羽を向いた。
合流前なのか、それとも後なのかわからない。
紅羽は淡々と進み、アイーシャと台を挟む形で立った。
「文句なしの首席合格だ。おめでとう」
「はい」
アイーシャは渋い顔をした。
「腕輪が途中で壊れたから、お前に関しちゃ……ぶっちゃけよくわかんねぇ。本当はもっと、倒してんじゃねぇのか……一応、納品から主格討伐数を割り出したが」
「虱潰しに回っていましたから、私もよく覚えていません」
「たぁーはっはっはっ! こりゃあ、零級だわ。なあ?」
アイーシャは、ケイスに同意を求めるような視線を送る。
しかし、ケイスは無言のまま固まっていた。
「なんとか言えよ。ドカスナメクジ野郎!」
「まあ、そうだな」
「かぁ……ほんっと、くれぇ奴だな」
ケイスに、紅羽と似た雰囲気を感じた。
地なのかどうか、それはわからない。
「それじゃあ、次の合格者!」
ケイスが淡々と、受験者の名を呼んでいく。
討伐数は最大でも二体までだったが、納品数が多い。
現在、十六人の冒険者が誕生している。
その中には、幽鬼の古城で出会った男――ハオもいた。
「次で最後だ」
アイーシャの言葉に、全員が固唾を飲んで見守っている。
やはり咲弥は、名前を呼ばれる気配がまったくない。
「指定物の納品数三。総獲得スフィア、三七〇万。受験者、ラ・イ・ミラ。前へ」
「やったぁ! やったやったぁ! ギリギリじゃんね!」
咲弥は驚きながら、前へと進むミラを見た。
納品数から考えれば、おそらくジャガーノート戦以降に、頑張ったと思われる。
当然の結果に、咲弥はがっくりと肩を落とした。
「今回の合格者は、十七名だ」
後ろ側にいる者達から、どんよりとした空気を感じる。
咲弥も重いため息しか漏れない。
「さて――本来であれば、不合格者はこの時点で退散をしてもらうんだが、お前らに少し話しておきたいことがある」
アイーシャは勇ましい顔を、さらに強く引き締めた。
「中には参加した者もいるが……今回ある事件が起こった。空白の領域の魔物――ジャガーノートが突如として現れた」
騒然とする場を、アイーシャは手で制する。
「受験者及び試験官を含め、七十四名の死者を出した」
死亡者の数に、咲弥は愕然となる。
咲弥は周囲を、改めて見回した。
討伐時にチームを組んでいた受験者の数が足りない。逃げ出そうとした男達に加え、チームリーダーの姿もなかった。
(そんな……)
足に力が入らなくなり、崩れ落ちそうになる。
アイーシャの発表に、咲弥は大きなショックを受けた。
「冒険者は常に、死の危険と隣り合わせだ。いつ死ぬのか、わかったもんじゃない。その上でまだ、不合格者のお前らが冒険者を目指したいというのなら、勝手に目指せばいい――合格したお前らも、やめるなら今の内だぞ?」
アイーシャの勧めに、合格者は誰も乗らなかった。ただ、不合格者のほうでは、今回が最後だと口にした者もいる。
「空白の領域の境には、国の兵士、あるいは冒険者ギルドに属する者が、日夜関係なく、中の魔物が外へ漏れないように監視、または迎撃している」
その話は、ネイから聞いた記憶があった。
「もしも今回、ジャガーノートを放置してたら、おそらくはここにいる全員殺されていた。果ては海をも越え、この国を蹂躙していたかもな。一応、冒険者ギルドと国の兵が討伐の準備をしていたが、んなの待ってたらアタシらが死んでる」
その言葉に、顔を青ざめさせる者が出る。
一歩間違えば、大惨事へと至っていた。
今でも倒せたのが、不思議でならない。
「まぁ、なんだ。それが、アタシら冒険者だ。危険な魔物を排除し、空白の領域を攻め――人々の暮らしに、または国に役立つ資源の発見、確保をする。当然、自分の目的のため、あるいは生きていくためにもだ。不合格者の中にまだそんな志があんなら、次も頑張れってことだ」
アイーシャの締めに、不合格者の中から拍手が飛んだ。
冒険者になれなかったのは残念だが、それは仕方がない。
きっと誰もが、なんらかの目的のために頑張っている。
異世界から訪れた者が、そう簡単に受かるはずもない。
「と、言うわけでだ」
アイーシャが、両手をパチンと叩き鳴らした。
「今回、特別にもう一人の合格者を発表する」
「えっと……ドクロ地点の主格魔物討伐数、一体。指定物の納品数、二。総獲得スフィア、八〇〇〇。空白の領域の魔物討伐数、一体――受験者、咲弥。前へ」
「へっ……?」
あまりにも唐突な出来事に、咲弥は呆然となる。
周囲にいる者達が、さっと咲弥のほうを向いた。
半信半疑のまま、咲弥は前へと進む。
演壇の手前で立つなり、アイーシャが鼻を鳴らした。
「正直、戦闘力は申し分ないが……頼りねぇな、お前」
「あ、あの……僕、合格なんですか?」
「ジャガーノートの件がなければ、完全に不合格だったな」
「僕一人で、倒したわけじゃありません……」
ジャガーノートを討ったのは、確かに咲弥で間違いない。
だが、そこに至るまでの過程があった。それをなくして、あれほど凶悪な魔物は、確実に討ち取れなかっただろう。
さらに言えば、紅羽の助力がなければ一歩届かなかった。
この点については、自分でも不思議に感じている。全開の限界突破でも、限界が存在している可能性があるのだ。
そうでなければ、体が動かないことはないと思える。
単純に扱い慣れていないからか、または根本的に扱い方を間違えているのか――いずれにしても、自分の力ですら扱いきれない程度の未熟者に過ぎない。
少しの静寂が流れ、アイーシャがまた鼻を鳴らした。
「ああ、そうだ。みんなが協力したお陰だな。だが、お前があの場にいなきゃ、誰一人として倒せなかったのも事実だ。そこにいる、紅羽ですらもな」
アイーシャは真面目な顔で、言葉を紡ぎ続けた。
「過程は確かに大事だ。しかし同じぐらい、決め手がなきゃどうにもなんねぇ。お前があのときあの場所にいなければ、今この場に人は存在しない。わかるか?」
咲弥は重い気分を抱いた。
アイーシャの励ましが嬉しく思う反面、素直に喜べない。
その部分を見抜かれたのか、アイーシャが呆れ声で言う。
「どうせ、死んだ奴のことを考えてんだろ……お前」
「はい。全員が無事に、生還したわけではありませんから」
「アタシは……あのとき、お前になんつった?」
アイーシャの質問に、咲弥ははっとさせられた。
「失った仲間を思うなら、前を向いて戦い続けろ……です」
「そういうことだ。わかってんなら、ちゃんと顔を上げろ」
アイーシャに諭され、咲弥は前を向いた。
微笑みながら、アイーシャは小刻みに何度か頷く。
からくも、咲弥は冒険者の資格を得た。
それがたとえ、どんなに短い付き合いだったとはいえ――失った仲間達の分も、咲弥は前へと進まなければならない。
「以上十八名が、今回の冒険者資格取得試験の合格者達だ。不合格者のクソザコどもは、とっとと失せろ。次回の試験をもし受けんなら、今度は気張っていけよ!」
肩を落として退室する者――
どこかほっとしながら退室する者――
何やら悩ましげに退室する者――
それぞれがさまざまな様子で、退室していった。
「お前らは準備ができ次第、説明会に出てもらう」
「説明会ですか?」
咲弥の質問に、アイーシャは不敵な笑みを見せた。
「ああ。冒険者は何かと、覚えておくことが多いんだ」
「はあ……わかりました」
「それまでは、各自――ここで待機してろ」
アイーシャがケイスと並び、大広間から出ていく。
まだ実感が湧かないが、ついに冒険者にはなれたようだ。
この道が正解なのかどうか、それは咲弥にはわからない。
しかし一歩、また一歩と、前に進んでいくしかないのだ。
邪悪な神を討つため――
そして、もとの世界へ帰るために、歩き続けるほかない。
頭でわかっていても、心のどこかで否定する自分がいる。
失ってから気づくことが、あまりにも多い。
今回は、ただの疑似的なものではある――自分の心の中に生まれ始めていた感情に、咲弥はふと気づいてしまった。
「おい。咲弥」
呼んできたのは、民族的な服装をしたハオであった。
「貸しの件、忘れてねぇだろうな?」
「はい。覚えています」
「なんかでいつか、絶対に返せよ?」
「ははは……どういうのが嬉しいんですか?」
ハオは腕を組み、じっと考えるしぐさを見せた。
「……そりゃあ、やっぱ手柄だろ」
「手柄ですか……なんだか、難しそうですね」
「難しくても簡単でも、いつか返してもらうからな」
「はい。わかりました」
会話の切れ目に、ミラが素早く駆け寄ってきた。
満面の笑みで、尻尾をふらふらと揺らしている。
「咲弥咲弥! ミラ達、冒険者だよ! ひゃっほぉーい」
「僕はなんだか、首の皮が繋がった感じでしたけど」
「それでも、冒険者じゃん! 気にしない気にしない!」
「ははは……そうですね」
「お前ら、ずっとイチャイチャしてんな……」
苦々しい顔をして、ハオがそう言い放った。
咲弥はつい、頬を引きつらせる。
そんなつもりはまったくない。
不意に、後ろから可憐な声が飛んだ。
「そうなんですか?」
「いっ……紅羽」
「うぉ……首席……なんで?」
仰々しく驚いたハオだったが、それよりも否定が先立つ。
「いや、だから誤解だってば。そんなつもりないから」
「そうですか」
「そうだよ」
「そうですか」
「……それ、わざとやってるでしょ?」
紅羽はぷいっと顔を背けた。
必死に探していた相手が、異性と楽しげに過ごしていたと聞かされれば、誰もが不満に思うに違いない。
そう理解するからこそ、苦笑いで誤魔化すほかなかった。
「お前……どんだけ、女に手ぇ出してんだ!」
ハオの怒鳴りにびっくりして、咲弥は肩が飛び跳ねた。
ハオが拳をわななかせている。
「くっそぉ……こんな天使みたいな首席にまで……このクソスケコマシ野郎が!」
「えぇえ……」
「ああ、つまんねえ。ほんと、つまんねえ! クソが!」
何やら勝手に怒って、ハオは遠くに離れた。
そんな彼に、咲弥は何も言えない。
「おい、お前ら。準備ができたみたいだ。移動するぞ」
アイーシャの声に、誰もが反応を示した。
各自、アイーシャについていく。
その中には、ミラとハオの姿もある。
紅羽と咲弥は、ぽつんと残っていた。
「……あのさ」
「はい」
「ほんと、ただの誤解だから……ほんと……」
誰もいなくなったからか、紅羽が小首を傾げて微笑んだ。
「わかっています」
不意打ちで見せるその笑顔に、咲弥の鼓動が速まる。
同時に少しばかり、ほっともした。
「それじゃあ、僕達も行こうか。紅羽」
「はい」
ようやく、新たな一歩が踏み出せる。
それなのに、どうしてなのか――答えはわかっている。
しかし認めてしまえば、前に進めなくなる気がした。
だから、心の奥底へ――ずっと。