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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第二章 冒険者への軌跡
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第十八話 心に生じた亀裂の音




 巨大な魔物が、ひたすら攻撃と捕食を繰り返している。

 大量にいたスライムは、またたく間にその数を減らした。

 無数の蛇を背負う魔物の喰い方は、とにかく汚い。ほかの魔物や人を喰い散らかしていたのは、おそらく目の前にいる亀みたいな魔物の仕業(しわざ)なのだろう。


 咲弥達のほうへ、巨大な魔物の瞳がゆらりと動いた。

 自分は餌なのだと直感した瞬間、勇ましい女の声が飛ぶ。


「風の紋章第八節、粗暴(そぼう)な渡り鳥」


 咲弥達の周囲で、突如として激しい風が巻き起こった。


「う、うわぁっ!」

「きゃあ!」


 咲弥達は風の力で、やや上空へと巻き上げられる。

 その最中、見覚えのある女の後ろ姿が視界に入った。


(試験官の……アイーシャさん……?)


 アイーシャは虚空に、緑色の紋様を描いた。


「風の紋章第七節、暴虐(ぼうぎゃく)(たわむ)れ」


 紋様が砕け、目視できるほど色濃い風が生み出される。

 風は周囲を()ぎ払いながら、巨大な魔物に巻きついた。

 まるで貴金属を切るような音が、けたたましく鳴り響く。

 アイーシャは颯爽(さっそう)と、その場から大きく離れていった。


 咲弥達も風に連れられ、駆けるアイーシャを追っている。

 あまりにも凄まじい速度に、目が耐えられない。

 しばらくして、途端にアイーシャの発動した風がやんだ。


「ぐへっ……」

「きゃ……」


 咲弥達は地面に落下し、短くうめいた。

 唐突(とうとつ)な衝撃に、右の脇腹に激痛が走る。

 痛みを(こら)えていると、アイーシャが詰め寄ってきた。


「クソドカスども、アタシについてこい」

「あ、えっと……いつつ……」


 気力を振り絞って、咲弥はお礼を告げようとした。しかしアイーシャは、聞く姿勢をまったく見せないまま、深そうな森の中へと入っていった。

 咲弥はミラと顔を見合わせ、お互いに小首を(かし)げる。


 助けてくれた理由までは、よくわからない。だがあそこでアイーシャが救ってくれなければ、おそらくは巨大な魔物の餌食となっていたと思える。

 無事に逃げきれた様子で、咲弥はまず安堵(あんど)しておいた。


「ついていこっか」


 軽快に立ったミラに続き、咲弥はゆっくりと立ち上がる。

 ここは、平原と森の境目にあるような場所だった。

 アイーシャを追うと、前方に大勢の人の姿が見えてくる。


 見覚えのある人物を中心に、各々が自由に(くつろ)いでいた。

 ただ、ずいぶんと雰囲気は重い。どこか重圧感があった。

 中央にいるのは、頭にバンダナを巻いた男――まだ名前は知らない。


(確か最初に喋ろうとした試験官……の、人だったかな)


 大きな地図を開き、男は地べたに胡坐(あぐら)をかいている。

 いったい何事なのか、状況をまだ把握できそうにない。


「おい、ケイス。この辺にいる受験者は、これで全員か?」


 集められていたのが、受験者なのだと判明する。

 ケイスは無言のまま、地図のほうへ視線を落としていた。

 アイーシャの勝気そうな顔に、不意の怒りが宿る。


「クソドカス! 耳ついてんのか、オラァ!」

「これで、全員だ。ほかは別の場所に散らばっている」

「よし! テメェら、よく聞けよ」


 ケイスの(そば)へと、アイーシャは力強い足取りで進んだ。

 アイーシャは周囲を見回しつつ、勇ましい声を(つむ)ぐ。


「すでに知ってる奴もいるとは思うが、緊急事態が起きた。今現在、島にいるはずのない魔物が、人、魔物と関係なく、無差別に襲いかかってる」


 無数の蛇を背負った巨大な魔物が、咲弥の脳裏に浮かぶ。


「その魔物の名は、ジャガーノート。最初はちょっと大きな亀みたいな魔物だが、食えば食うほどに成長速度が加速し、すでにかなり危険な魔物へと変貌してんだ」


 咲弥は間違いないと断定した。その片鱗(へんりん)は確かにある。

 受験者の一人が、ぼそりと声を漏らした。


「どうして、そんな魔物が……?」

「さあな。どこかから流れてきたんだろ」


 アイーシャは淡々と応え、話を進めた。


「ジャガーノートは本来、空白の領域にしかいない魔物だ。等級は文句なしの零級――たった一匹なだけ、まだましだ」


 咲弥は静かに戦慄(せんりつ)する。

 あんな絶望的な怪物が、空白の領域には複数いるらしい。

 冒険者を目指しているのは、もともとは空白の領域に踏み込むためでもある。ひどい現実を思い知らされ、咲弥は自信喪失の状態となった。


(最低でも、中級以上の冒険者……)


 冒険者ギルドが(もう)けた規定の意味を、いまさら理解する。

 たとえ中級といえども、きっと無事では済まないだろう。

 周囲の受験者達も、これには驚きを隠せていない。


「これ以上、奴が成長する前に――アタシらで始末する」


 アイーシャの発言に、誰もが言葉を失った。

 しんと静まりかえる場に、アイーシャの声だけが響く。


「言い訳も戯言(ざれごと)も何も聞かない。全員で討伐する」


 そんな危険な生物は、確かにほうってはおけない。だが、咲弥は抱えた傷のせいで、満足に動けすらもしないのだ。

 まずは目的の一つを達成するため、一歩を前へと進める。


「すみません。その前に、一ついいですか?」

「なんだ?」

「僕、実は今……精神的に傷を負ってるみたいなんです……アイーシャさんは、治すすべをご存じではありませんか?」

「へ……?」


 呆気(あっけ)に取られたような声を漏らし、アイーシャは(いぶか)しげな顔つきになる。

 咲弥は()(つま)んで、事情の説明をした。

 話し終えるや、アイーシャが(うな)りながら(あご)()でる。


「ほう? かなり興味深い話だ。なるほど……そんなことができる能力を持ってるのか。幽鬼(ゆうき)を倒せたのも(うなず)けるな」


 どこかで監視していたのか、咲弥は素直に驚かされた。

 咲弥は眉間に力をこめ、アイーシャに問いかける。


「どうして、それを知ってるんですか……?」

「ケイスの紋章術だ。限定的なものだが、腕輪をつけている者の動向を探れる。まあ、それ以外にもいろいろあるが」


 信じられない情報に、咲弥は目を大きく見開いた。

 ケイスに視線を投げ込み、咲弥は即座に近寄る。


「ケイスさん、すみません。今現在、別の受験者の居場所もわかるんですか?」


 ケイスは応えない。

 ただじっと、地図のほうを眺めている。


「僕の仲間……紅羽って受験者の居場所を教えてください」

「もういない」

「……え?」


 咲弥は耳を疑った。

 ケイスが何を発したのか、理解にまで及べない。


「もういないって……なんですか?」

「死んだ」

「腕輪から反応が消えた。つまり、死んだってことだ」


 アイーシャの補足が、ちゃんと聞こえてはいた。

 しかし、咲弥の脳にまで届かない。


 あの強い紅羽が、死ぬわけがなかった。

 おそらくは、腕輪が壊れたからだと予想する。

 まるで心の中を読まれたかのように、ケイスが告げた。


「腕輪は特注だから壊れるはずがない。残念だが……」

「期待はしてたんだがな……昼夜問わずに動き過ぎたんだ。本当はその娘を、今回の討伐隊に組み込みたかったが、ある地点でぷつりと途切れてしまった」


 アイーシャは嘆息(たんそく)まじりに言い切った。

 自分を探している紅羽の姿が、漠然と頭に思い浮かぶ。

 咲弥は力を失い、どさっと地に崩れ落ちた。


 視界がどんどん涙で(ゆが)み、次第に呼吸が激しく乱れる。

 まさかとは――何度も、そう思っていた。

 やはり暗い中でも、紅羽はずっと探してくれていたのだ。


 紅羽と過ごした思い出が、頭の中を駆け巡る。胸がきつく締めつけられ、そのたびに心が強烈な悲鳴を上げ続けた。

 凄まじい消失感に、咲弥の全身が呑み込まれていく。


「紅羽……そんな……嘘だ……」

「受験者達が大量に消滅した地点で途絶えている。だから、間違いなく死んでいる。残念だが、諦めたほうが賢明だ」

「つまり、ジャガーノートに()られたってことさ」


 試験官二人の言葉が、一層激しい苦しみを生んだ。

 確かにあの怪物は、一人でどうこうできる魔物ではない。

 いかに紅羽といえども、それは例外ではないだろう。


 そのとき、咲弥は確かに聞いた。

 自分の心に、亀裂(きれつ)が生じた音――その音を最後に、まるで世界中からすべての音が消えたような、ひどく重圧感に満ち溢れた感覚を覚える。

 無音の中、アイーシャの声だけがやけに耳に刺さった。


「これ以上、()()()()()()()()ために、これより奴を狩る」

「う、うわぁああああっ……紅羽、そんなぁあ……いやだぁ……いや、だ……うゎあぁああああ……あぁああああっ!」


 これほどまで苦しんだのは、人生で初めての経験だった。

 理解すればするほど、胸が壊れそうなぐらいに痛む。

 咲弥は涙が止まらず、ただただ泣きじゃくった。


「……紅羽ぁ……紅羽っ……うあぁああああ……ごめん……うゎああああ……あぁああああ、あぁああああ……っ!」


 咲弥は地面に、強く額をこすりつけた。

 自分も必死に探していれば、死なずに済んだかもしれない――そんな後悔が、ひたすら咲弥の心に深い傷を負わせる。


 紅羽と出会ってから、まだ二か月にも満たない。

 だが彼女の存在が自分にとって、いったいどれほど大きな存在となっていたのか、咲弥は失ってからやっとわかった。

 その分だけ、心の中にある消失感もまた苛烈(かれつ)になる。


 この世界を訪れた頃は、たった一人きりだった。

 それから多くの人と出会い、初めてチームを組んだのは、ネイとゼイドとなる。そして――仲間だと胸を張って呼べる存在と出会えたのは、紅羽が初めてなのだ。


「……紅羽……なんで……なんでだよ……うわぁああっ!」


 もう二度と、淡々と(つむ)がれる可憐な声は聞けない。

 時折、(やわ)らかに微笑んでくれた顔も見られない。

 想えば想うほど、心が決壊したかのように感情が溢れる。

 声を荒げて泣かなければ、何もかも壊れそうな気がした。


「ぐぁっ――!」


 不意に髪を(つか)まれ、咲弥は無理矢理顔を上げさせられる。

 アイーシャの冷たい顔が、涙で(にじ)んだ視界に映った。


「悲しいか? 苦しいか? しかし――耐えろ。(おのれ)の目標を見失うな。失った仲間を思うなら、前を向いて戦い続けろ」

「……そんな……だって……僕は……」

「お前が立ち止まれば、失った仲間はただの無駄死にだ――お前が前を向いている限り、仲間の意思は絶対途絶えない」


 掴んだ髪から手を放し、アイーシャは立ち上がった。


「怪我を負っていても、容赦(ようしゃ)はしない。共に敵を討つぞ」


 アイーシャの言葉を、心が全力で否定する。

 立ち上がる気力を、咲弥はもう完全に失っていた。


「我々も……これまで、たくさんの仲間を失っている。もう一人いた試験官も、今朝……ジャガーノートに殺された」


 ケイスは、なだめるような声を出した。

 飛行船で見た中年男性の話だと思われる。

 道中で見た大勢の死体も、同じ魔物の仕業(しわざ)に違いない。

 あの中に、紅羽の遺体が交じっていた可能性がある。


「くそっ! くそっ! くそぉおおおおおっ!」


 咲弥は地面に向かって、何度も拳を振り下ろした。

 拳から伝わる痛みが、心の痛みへと溶けていく。


「さ、咲弥!」


 ミラが咲弥の腕を抱き締め、地面を殴るのをやめさせた。

 咲弥は乱れる感情を、必死に抑え込んだ。


(僕が……紅羽にしてやれることは……)


 紅羽の遺体を、必ず見つけ出さなければならない。

 たとえ一部でも、綺麗に埋葬(まいそう)してあげたかった。

 そのためには、まず凶悪な魔物を討つ必要がある。

 紅羽のためを想い、咲弥は必死に立ち上がった。


(紅羽……もう少しだけ……待っててくれ)


 心の中にいる紅羽に誓いを立て、咲弥は涙を拭い捨てた。


「どこまでできるか、わかりませんが……やってみます」

「ああ。わかった――さあ、お前らも立ち上がれ!」


 受験者達が、次々に立ち上がる。

 しかし中には、座ったままの受験者も多い。

 どうするのが最善か、きっと悩んでいるのだろう。


「とっとと立ち上がれ、クソドカスども! 言っておくが、ここで立ち上がらずとも、お前らは死ぬほかないからな!」

 アイーシャはそのまま、怒号(どごう)を飛ばす。

「アタシらが失敗すれば、いずれここにもくる。アタシらのときよりも、遥かに強くなってだ。手に負えなくなる前に、討つしかねぇんだよ!」


 今も魔物を襲い、強くなっている可能性は充分にある。

 急がなければ、もっと被害は拡大するに違いない。

 咲弥は右の脇腹に手を添えた。


「……咲弥、大丈夫?」


 消え入りそうな声で、ミラが心配してきた。

 咲弥はゆっくりと(うなず)く。

 何かを言いたそうにして、ミラは口を(つぐ)んだ。


「大丈夫……今は、ジャガーノートに専念します」


 泣いたせいか、声がかなりかすれていた。

 ミラは不安げに、一歩を前に踏み出る。


「無理……してるよね?」


 そうは言っても、無理をするほかなかった。

 また心が折れてしまえば、もう二度と立ち上がれない。


 そんな予感を、咲弥はひしひしと感じていた。

 今はただ、前を向くことしかしてはいけない。

 すべては、紅羽のために――


「よし。全員、立ったな」


 アイーシャの発言から、咲弥は周囲を観察した。

 重い空気が場を支配している。

 アイーシャは気にした様子もなく、勇ましい声を放つ。


「向かいながら、作戦の説明をする――ケイス」


 ケイスは座り込んだまま、こくりと(うなず)いた。


「ああ。わかっている」

「頼んだぞ」


 ケイスは討伐に参加しないのか、動く気配はない。

 アイーシャは後ろを振り返り、また力強く歩きだした。

 立ち上がった全員が、アイーシャの後ろを進む。


 立ち上がれはしたが、咲弥の視界は色を失っている。

 紅羽を(うしな)った悲しみが、ただただ胸を痛め続けていた。




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